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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 各地の紛争の現状と国際社会の対応

1 シリア・イラク情勢
(1)シリアにおける政治的混乱と化学兵器問題

シリアにおいては、11(平成23)年3月以降、民主化、アサド大統領の退陣などを要求する反政府デモが各地で発生した結果、シリア政府は複数の都市に軍や治安部隊を投入し、各地で軍と反体制派の衝突が継続している9

こうした中、13(同25)年8月にはシリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器が使用され、多数の市民が死亡した。これを受け、従来から化学兵器の使用はレッドラインを越えるとしてきたオバマ米大統領が、シリア政府が化学兵器を使用したと評価するとともに10、アサド政権に対して軍事行動を行うべきと決定したと述べたことなどにより軍事的な緊張が高まった。一方、ロシアは軍事行動に反対するとともにシリアの化学兵器を国際社会の管理下に移すことを主張し、シリア政府はこれを受け入れた。同年9月、ケリー米国務長官とラブロフ露外相による交渉の末、米露両国はシリア政府に対して化学兵器の完全な廃棄に向け、シリア政府の申告と国際的な査察受け入れなどを求める内容の枠組みに合意した。シリア政府は、保有する化学兵器のリストを化学兵器禁止機関(OPCW:Organization for the Prohibition of Chemical Weapon)に提出し、化学兵器禁止条約に加入するなど枠組みのもとでの対応をとったため、米国などによるアサド政権への軍事行動は回避された。化学兵器禁止機関の決定および関連する国連安保理決議に従い、シリアの化学兵器廃棄に向けた国際的な努力11が行われ、14(同26)年8月、米政府の輸送船「ケープ・レイ」で実施されていた廃棄作業が完了した12

しかし、米国や欧州連合(EU:European Union)などは、アサド大統領の退陣を要求し、シリアからの石油輸入禁止などの累次の制裁措置を行うほか、反体制派として12(同24)年11月に設立された「シリア国民連合」への支持を表明してきたが、シリア政府と反体制派との対話は進展してない。

14(同26)年1月、国連の仲介によりアサド政権と反体制派との間で初の直接協議が開催されたが、具体的な進展はみられず、同年6月に実施された大統領選挙ではアサド大統領が圧倒的な勝利を収めたが、欧米諸国はアサド大統領の再選を紛争の解決を妨げるものと批判している。また、15(同27)年1月、シリアに関する和平協議がロシアの仲介により約1年ぶりに開催されたものの、シリア国民連合などは参加せず基本原則の確認のみで具体的な進展は見られなかった。同年5月にはジュネーブでデ・ミストゥーラ・シリア問題担当国連事務総長特使と関係国との個別協議が始まり政治的な紛争解決を目的にアサド政権側、反体制派側の双方が参加しているものの、協議の先行きは不透明である。

(2)ISILの台頭

シリアでは、このように政治的に不安定な状況を利用して、「シリア国民連合」に参加しない反体制派で、米国が「アルカイダ」との関連があるとしてテロ組織に指定する「ヌスラ戦線」やISILがシリアにおいて勢力を拡大させた。こうした中で、ISILは13(同25)年4月、ヌスラ戦線を吸収・統合すると一方的に発表した。これに対してヌスラ戦線が反発したため、アルカイダ中枢が調停を行ったものの、その調停に従わなかったためISILはアルカイダ中枢との関係を悪化させている13

一方、11(同23)年12月の米軍撤収以降、政治抗争や宗派対立などを背景に治安の悪化が急速に進んでいたイラクでは、14(同26)年1月、シリアを拠点に勢力を拡大していたISILがイラクの不安定な状況に乗じて、同国西部への侵攻を開始し、首都バグダッド西部の都市ファルージャを占拠し、同年6月には北部にあるイラク第2の都市モスルを陥落させた。これを受け、ISILの指導者であるバグダディは自らを「カリフ」14と称して、「イスラム国」の樹立を一方的に宣言し、全世界のイスラム教徒に忠誠を誓うよう求めている。

(3)ISILの特徴

ISILは従来のテロ組織と異なり、潤沢な資金や強力かつ洗練された軍事力、整備された組織機構を有する点が特徴として指摘15されているほか、旧イラク政権のバース党員や旧イラク軍の将兵の参加や、数多くの外国人戦闘員を有しているとされ、巧みな広報戦略16もあり、欧米諸国からの約3,400人を含む約25,000人がISILの活動に参加しているとの指摘17がある。イラクへの侵攻開始以降、ISILはイラク治安部隊などから奪取した各種装備を活用し、イラクおよびシリア国内の要衝都市、油田地域、軍事施設などを相次いで制圧し、その支配領域を拡大させた。

ISILは、その支配領域の維持を優先する一方、欧米諸国などへのテロも呼びかけており、各国ではイラクやシリアなどの紛争地から帰還したISIL戦闘員によるテロが懸念されている18

(4)国際社会による対ISILの取組

14(同26)年8月、ISILはイラク北部のクルド人自治区に対する攻撃を開始し、米領事館などが所在するエルビル方面へ進出した。これを受け、米国など19はイラク国内の米国人を保護することなどを目的に空爆を開始した20。同年9月、オバマ大統領は対ISIL戦略について演説を行い、ISILを弱体化させ、究極的には壊滅させることを目標に、軍事作戦の地域をシリアにも拡大し、広範な有志連合を率いて空爆のみならず、地上戦を担うイラク治安部隊やシリアにおける穏健派の反体制派への軍事支援などを行うことを表明した。

有志連合によるイラクにおける軍事作戦では、地上戦を担うイラク治安部隊やクルディスタン地域政府の軍事組織であるペシュメルガなどに対する教育・訓練や、装備品の供与21、作戦評価・助言などの軍事支援を実施しつつ、自らの空爆と当該部隊などとの連携によって、ISILの前進を阻止するとともに、一部要衝の奪還を進めている22。しかし、イラク治安部隊は指揮機能および士気の低さ23、人員不足などの問題に直面しており、外国の支援がなければ外部の脅威に対する防御も国内での軍事作戦も継続できないとされている24。一方、ペシュメルガについては、イラク戦争の経験があり、軍の練成も比較的進んでいるほか、指揮命令系統も機能しているとされ、対ISIL軍事作戦において重要な役割を果たしている。15(同27)年4月には、モスルへと続く要衝であるティクリートにおいて、イラク治安部隊がシーア派民兵等の支援を受けて奪還に成功したが、奪還後、シーア派による略奪等を受け、地元スンニ派からの反発が強まっており、宗派対立の様相を呈しているとの指摘もある。また、15(同27)年5月、西部ラマディをISILに制圧されて以降、米国もモスル奪還を優先してきた戦略の再検討を迫られており、一進一退の攻防を繰り広げている。

一方、シリアにおける軍事作戦では、14(同26)年9月、米軍と中東の有志国25がシリアのISILに対して空爆を実施した26ほか、クルド人部隊が同月からトルコ南部国境に近いシリア北部の都市アイン・アル・アラブ(クルド名コバニ)を巡り、ISILと激しい戦闘を繰り広げた27。有志連合による空爆とクルド人部隊による地上戦の結果、15(同27)年1月、クルド人勢力がアイン・アル・アラブからISILの勢力を排除している。しかし、15(同27)年にはISILが首都ダマスカスのパレスチナ難民キャンプの一部を占拠するなどアサド政権中枢に迫っているほか、同5月には中部パルミラを制圧するなど、ISILの勢力拡大は継続している。他方、シリアにおいて地上戦を担うことが期待されている自由シリア軍などの穏健派の反体制派については、有志連合による訓練が開始されたばかりであり、本格的に要衝の奪還を進めるには更なる時間が必要とされている。

なお、ISILはイラクおよびシリア国外にも勢力を拡大しており28、そのうちアフガニスタン、アルジェリア、エジプト29、リビア30においては現地のテロ組織と連携するなど、主に国家の統治が十分に及ばない地域において拠点構築を進めているとされている31

米国を中心とする有志連合による対ISIL軍事作戦の結果、ISILの指揮統制機能の分断、組織内部の士気低下、石油収入の減少、指揮官を含む多数の戦闘員殺害などが発表されており、ISILの更なる前進を阻止し、一部要衝の奪還が進みつつあるとみられるが、地上戦を担うイラク治安部隊や穏健派反体制派の戦力は質・量ともに不足しており、その育成には長い時間がかかることから、米国などによる大規模地上戦力の投入なしには作戦が長期化する可能性が指摘されている。米国においても、ISILをイラクおよびシリアから排除するには少なくとも3年はかかるとの見積りも存在しており、今後のISILをめぐる動向は依然として不透明である32

2 アフガニスタン情勢

アフガニスタンでは、米国同時多発テロを受けて01(同13)年11月に米軍が開始した「不朽の自由」作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)がタリバーンなどの掃討作戦に従事し、国際治安支援部隊(ISAF:International Security Assistance Force)およびアフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)によって治安維持活動などの取組が行われてきたが、アフガニスタンの多くの地域で治安情勢は依然として予断を許さず、14(同26)年11月には、首都カブールで発生した自爆テロにより英国大使館の車両が被害を受け、3名の死傷者を出した。パキスタンと国境を接する東部、南部および南西部の治安も引き続き懸念すべき状況にある。

ISAFおよびANDSFの活動により、タリバーンの攻撃能力は低下しつつあるものの、都市部への断続的な攻撃能力を維持するとともに、パキスタン北西部などに安全地帯を確保し、国境を越えて、アフガニスタン国内でテロ活動を行っているとみられている33

14(同26)年4月および6月に実施されたアフガニスタン大統領選挙の結果を受けて同年9月にガーニ政権が誕生し、カルザイ前政権が先送りしてきた、15(同27)年以降の米軍駐留の法的枠組みを定めた米・アフガニスタン間の安全保障協定(BSA:Bilateral Security Agreement)34および15(同27)年以降のNATO軍主導によるアフガニスタン支援任務のための地位協定(SOFA:Status of Forces Agreement)への署名が行われ、11月にアフガニスタン上下両院で承認された。

同年12月、ISAFの戦闘任務が終了し、15(同27)年1月から、主としてNATO主導で教育訓練や助言などを行う「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」35が開始された。約13,000人が任務に参加しており、カブールを拠点として国内5カ所に展開している36。また、米軍はNATOの一員としてアフガニスタン軍の訓練を行いつつ、対テロ作戦を担う「自由の番人作戦(OFS:Operation Freedom Sentinel)」を実施している。14(同26)年5月、オバマ米大統領は、15(同27)年初めにはアフガニスタンにおける米軍の人員を約9,800人まで削減、最終的には16(同28)年末までに大使館の治安支援要員のみとする撤収スケジュールを発表した。しかし14(同26)年12月、ヘーゲル国防長官(当時)はNATO加盟国の部隊派遣が遅れているため、15(同27)年初頭からの米軍部隊の配置規模を当初の計画から1,000人増員した10,800人に変更したが、今後の撤収計画については変更ないと表明した。同年3月、ガーニ大統領が訪米し、オバマ大統領との共同声明の中で、アフガニスタン側の要請に基づき、15年末に米軍の人員を半減させる当初の予定を撤回し、9,800人規模を15年末まで維持することを発表した。

国際社会によるアフガニスタンへの支援について、12(同24)年5月のNATOシカゴ首脳会合では、14(同26)年末以降のアフガニスタンの治安へのコミットメントが再確認されたほか、12(同24)年7月の東京会合ではわが国を含む国際社会が総額160億ドルを超える規模の支援を表明した。また、米国、英国、フランスなどの各国は、14(同26)年以降の支援を盛り込んだ戦略的パートナーシップ協定37をアフガニスタン政府と締結している。

アフガニスタンの治安権限については、11年以降、順次ISAFよりANDSFに移譲されてきており、15(同27)年1月からANDSFがアフガニスタンの治安を全面的に担っている。ANDSFは能力面での課題が指摘されていたが、14(同26)年6月に実施された大統領選挙では大規模なテロなどが発生していないことにもみられるように、作戦計画の策定や武装勢力の鎮圧などの面で一定の治安維持能力を有すると評価されている。また、国防省は同年8月に新しい国家軍事戦略を策定し、国防省と国軍の組織強化や国軍のプロフェッショナル化などを重点目標と定めたほか、課題とされてきた識字率についても各種教育課程を実施するなどの取組が進められている。

アフガニスタンの問題は治安だけにとどまらず、その復興には、汚職の防止、法の支配の強化、麻薬対策の強化、地方開発の促進などの課題が山積している。同国の平和と安定は国際社会の共通の課題であり、国際社会がアフガニスタンに継続的に関与していくことが必要である。

3 中東和平をめぐる情勢

中東では48(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた。イスラエルとパレスチナの間では、93(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(同15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、12(同24)年までに2度にわたる大規模な戦闘が行われた38が、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

13(同25)年7月には、米国の強い働きかけにより、イスラエルとパレスチナによる中東和平協議が約3年ぶりに再開されたものの、14(同26)年3~4月、イスラエルによる囚人釈放中止、パレスチナによる国際条約加入申請、ファタハを主流派とするPLO39とパレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス40による国民融和内閣の組閣合意などを受け、和平協議は中断を余儀なくされた。こうした中、同年6~7月、イスラエルおよびパレスチナの少年が殺害される事件が発生し、双方で緊張が高まった。同年7月、ガザ地区からイスラエル領内に向けたロケット弾が散発的に発射され、双方で衝突が発生したことを受け、同年8月にはイスラエル軍は地上軍による作戦を開始した。この衝突により、ガザ地区では少なくとも2,133人のパレスチナ人が死亡したとされる41。同月、エジプトの要請を受け入れる形で双方が停戦に合意した42

こうした中、欧州では同年10月以降、各国議会でパレスチナの国家承認を求める動きが見られるようになっている43。また、15(同27)年1月には、パレスチナによる国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)44への加盟申請が受理されたことから、同月、ICCはパレスチナの戦争犯罪の有無に関する予備調査を開始したとの声明を発表した45。こうした国際社会の動向に対しイスラエルは反発を示している。

イスラエルとシリア、レバノンとの間では、いまだに平和条約が締結されていない。イスラエルとシリアの間には、第三次中東戦争でイスラエルが占領したゴラン高原の返還などをめぐる立場の相違があり、ゴラン高原には、イスラエル・シリア間の停戦および両軍の兵力引き離しに関する履行状況を監視する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)が展開している46。イスラエルとレバノンの間では、06(同18)年のイスラエルとイスラム教シーア派組織ヒズボラとの紛争後、規模を拡大した国連レバノン暫定隊(UNIFIL:United Nations Interim Force in Lebanon)が展開している。

4 リビア情勢

11(同23)年2月に発生した反政府デモは全国各地に拡大し、カダフィ政権は武力で鎮圧を行った。国連安保理は、同月、武器輸出全面禁止を含む対リビア制裁決議47を、同年3月には飛行禁止区域設定や民間人を保護するためのあらゆる措置を認める決議48をそれぞれ採択し、米英仏を中心とする多国籍軍が軍事行動を開始した。同年10月、反体制派の国民暫定評議会がカダフィ大佐の死亡を発表し、リビア全土の解放を宣言した。12(同24)年7月には制憲議会選挙が実施されたが、軍や治安の再建は進まず49、民兵や部族の指導者が強い影響力を発揮し50、世俗派とイスラム主義派がこれらの支援を受けつつ勢力争いを行っている。14(同26)年3月、ゼイダン首相の不信任案が可決され、同年6月には国民議会選挙を実施したものの、イスラム主義派と世俗派の対立は激化し、首都トリポリを拠点とするイスラム主義派の制憲議会と東部トブルクを拠点とする世俗派で米国などからの支持を受ける代表議会の2つの議会が並立する分裂状態に陥っている。

このような政治的に不安定な状況の中で、イスラム過激派がリビア国内で勢力を拡大させているとの指摘がある。12(同24)年9月、イスラム過激派勢力がベンガジの米国総領事館を襲撃し、大使を含む4人の米国人が殺害された。14(同26)年1月、同事件に関与したとされるアルカイダ系の「アンサール・アル・シャリーア」を米国務省がテロ組織として指定した。また、米国やNATOは、リビア政府の治安能力向上のため軍の訓練や軍事顧問団の派遣などを表明している51。また、同年12月、米アフリカ軍はリビア東部にISILの訓練キャンプが存在していると指摘し、米軍が監視していることを明らかにした。15(同27)年1月には、首都トリポリにある高級ホテルをISILの関連組織とみられる武装集団52が襲撃し、少なくとも13人が死亡した。さらに、同年2月には、ISILに忠誠を誓う過激派組織がエジプト人コプト教徒21人を殺害したとみられる映像をインターネット上に投稿した。これに対しエジプト政府は報復としてリビア政府とともに空爆を実施した。こうした中、リビアなど北アフリカから多数の難民が密航船により欧州に上陸しているが、こうした難民の中にはISILの戦闘員が紛れ込んでいるとの指摘もある。このため、欧州諸国においては、多数の難民の受け入れとISIL戦闘員の流入阻止、密航船の取り締まり、地中海で転覆した密航船の乗客の救助など多くの課題に直面している。

5 イエメン情勢

11(同23)年2月以降、長年政権を維持してきたサーレハ大統領の退陣を求める反政府デモがイエメン国内で活発化し、同年4月には湾岸協力理事会(GCC:Gulf Cooperation Council)53によってGCCイニシアティブ54が提示された。国連をはじめ国際的な圧力の高まりを受け、同年11月にサーレハ大統領は同イニシアティブに署名し、12(同24)年2月に大統領選挙を経て、ハーディ副大統領が大統領に選出され、政権移行は平和的に行われた。

ハーディ大統領は国内対話を実施してきたが、14(同26)年8月以降、燃料価格上昇を理由に、同国北部を拠点に長年政府との衝突を繰り返してきた、反体制武装勢力ホーシー派55が主導するデモが首都サヌアにおいて行われた56。当初は平和裏に推移していたが、同年9月、ホーシー派民兵とイエメン治安部隊との衝突が発生し、ホーシー派は市内の主要な政府庁舎を占拠した。また、15(同27)年1月に発生した武力衝突を受け、ハーディ大統領などは辞表を提出して事態は緊迫化し、同年2月、ホーシー派が議会を解散させ暫定国民評議会および大統領評議会を設置すると発表した。これを受け、欧米諸国を中心に、治安悪化を理由に大使館を閉鎖する動き57もみられた。その後、ハーディ大統領は辞任を撤回し、同国南部のアデンに政府の拠点を移す一方、ホーシー派は紅海沿岸部や首都サヌアからアデンの間の重要な都市に進出し、タイスではホーシー派が軍基地を制圧、アデン市内に侵攻する事態が発生した。この事態を受け、ハーディ大統領派はアラブ各国に支援を求めたところ、同3月にサウジアラビアが主導する有志連合によるホーシー派への空爆、いわゆる「決意の嵐作戦」が開始された。この作戦において、サウジアラビアはホーシー派及びそれを支援するイエメン軍の基地を空爆し、弾道ミサイル等を破壊したと主張している。しかし、イエメン国内及びサウジアラビア国境周辺では、ロケット砲の応酬や空爆に巻き込まれたことが原因とみられる民間人を含む犠牲が生じており、国際社会からは双方に対する強い懸念が示されている。同4月には、政治対話による紛争解決を目指す「希望の回復作戦」が開始されたほか、国連安保理はホーシー派などが、占拠した政府機関からの撤収、イエメン軍の兵器の返却、武器禁輸及び資産凍結等を定めた決議2216を採択し事態終結に向けた取組を実施した。しかし、ホーシー派による攻撃を受けたサウジアラビアなどによるホーシー派空爆は継続しており、同5月には人道支援目的の為に5日間の停戦が実施されたが、停戦終了後は依然として空爆は継続されている。また、同月、全ての当事者が参加する和平協議が開催される予定であったが、準備不足を理由に延期された。

一方、イエメンは、国際テロ組織の活動拠点ともなっている。10(同22)年10月には、米国向けの複数の航空貨物から爆発物が発見され、これらの貨物がイエメンから発送されたものであることが判明した。こうした事件は主にイエメン南部を拠点とするアラビア半島のアルカイダ(AQAP:Al-Qaida in the Arabian Peninsula)が実行したものとみられている。15(同27)年1月に発生した、預言者ムハンマドの風刺画を巡り仏週間紙本社が襲撃されるなどのテロ事件についても、AQAPの関与が指摘されている。さらに、同年2月のホーシー派による政権奪取により政治的に不安定な状況の中、イスラム過激派がイエメン軍の基地を制圧したとも伝えられている。これらのイエメンで活動する国際テロ組織に対して、米国は、無人機による掃討作戦を実施してきたが、イエメンからの米国のプレゼンスの低下58によって、AQAPなどの更なる勢力拡大が懸念されている。

6 エジプト情勢

11(同23)年1月、「アラブの春」59による民主化運動がエジプトに波及し、大規模な反政府デモが発生、30年に渡り独裁体制を敷いてきたムバラク大統領が辞任した。12(同24)年6月の大統領選挙の結果、ムスリム同胞団60出身のムルスィー氏が新たな大統領に選出されたが、13(同25)年6月、経済面での行き詰まりやイスラム主義勢力とリベラル・世俗勢力間での亀裂を背景とした、ムルスィー大統領退陣を要求する大規模デモが発生し、デモの一部と大統領支持派の衝突により多くの犠牲者が出た。そのような混乱が広がる中、同年7月には軍が介入し、ムルスィー大統領を解任、最高裁長官を暫定大統領とする暫定政府が発足した。そして、14(同26)年5月、暫定政府が作成した国民和解のための包括的な民主化プロセスであるロードマップに沿って大統領選挙が実施され、エルシーシ前国防大臣が当選した。

なお、軍の介入により選挙で選ばれた政権が崩壊したことを受け、13(同25)年10月、米国はエジプトに対する軍事支援を一部凍結するなど、暫定政府に対し民主化プロセスを進めるよう促している。

一方、シナイ半島ではイスラム過激派によるテロが警戒されており、ISILに忠誠を誓うとされる「アンサール・バイト・アル・マクディス」61がエジプト政府に対する攻撃を行っており、同国軍は制圧作戦を展開している。

7 スーダン・南スーダン情勢

83(昭和58)年から続いた北部のアラブ系イスラム教徒を主体とするスーダン政府と、南部のアフリカ系キリスト教徒を主体とする反政府勢力との間の南北内戦は、05(平成17)年、周辺国と米国などの仲介による南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)成立により終結した。11(同23)年1月に行われたCPAの規定に基づく住民投票の結果、同年7月9日、南スーダン共和国が独立した。また同日、国連安保理が採択した決議第1996号に基づき、平和と安全の定着および南スーダンの発展のための環境の構築の支援などを任務とする国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された62。独立後は、アビエ地域63の帰属を含む国境線画定や石油の収益配分64などの課題について、AUなど国際社会の仲介により、スーダン・南スーダン間の交渉が続けられてきたが、12(同24)年9月には国境地帯の治安措置や石油などに関する一連の合意文書に、13(同25)年3月には合意履行日程を規定した文書に署名した。

南スーダンでは、13(同25)年7月に大統領が副大統領を罷免したことから、両者の政治的対立が表面化した。同年12月、首都ジュバにおける大統領警護隊同士の戦闘の発生を契機に、大統領派(政府)と副大統領派(反政府勢力)との衝突へと発展した。その後、南スーダン政府と反政府勢力との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為が各地に拡大し、多数の死傷者、難民および国内避難民(IDP:Internally Displaced Persons)が発生した。このような状況の中、同月24日、国連安保理は決議第2132号を採択し、軍事要員の上限を5,500人増員することなどを含むUNMISSの増強を決定した。また、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)」65が、南スーダン指導者間の対話の開始や調停に向けた試みを主導し、14(同26)年1月、エチオピアにおいて、IGADの調停のもと、南スーダンにおける敵対行為の停止などに関する合意が両当事者間で署名された。現在もIGADによる統一暫定政権成立に向けた調停の動きは続いている66。さらに、同年5月、国連安保理はUNMISSのマンデートを文民保護、人権監視調査、人道支援促進支援および敵対的行為の停止合意の履行支援の四分野に限定することなどを定めた決議第2155号を採択した。15(同27)年5月、国連安保理はUNMISSのマンデートを6か月延長する決議第2223号を採択した。

スーダン西部のダルフール地方では、03(同15)年頃から、アラブ系のスーダン政府と複数のアフリカ系反政府勢力の間で紛争が激化した。06(同18)年、政府と一部の反政府勢力との間でダルフール和平合意(DPA:Darfur Peace Agreement)が成立したことを受け、07(同19)年、国連安保理はダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID:African Union/United Nations Hybrid Operation in Darfur)の創設を決定する決議第1769号を採択した。11(同23)年には政府と反政府勢力「解放と正義の運動(LJM:Liberation and Justice Movement)」が、ダルフール和平に関する合意文書(DDPD:Doha Document for Peace in Darfur)に署名した。しかし、同合意への署名を拒否している他の反政府勢力が、政府軍との戦闘を継続している。

8 ソマリア情勢

ソマリアは、91(同3)年に政権が崩壊して以降、無政府状態に陥った67。05(同17)年、周辺国の仲介により「暫定連邦政府(TFG:Transitional Federal Government)」が発足したが、これと対立する「イスラム法廷連合(UIC:Union of Islamic Courts)」などとの間で戦闘が激化した。06(同18)年、米国の支援を受けたエチオピア軍が軍事介入し、UICを駆逐した。07(同19)年には、アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)68が国連の承認を受けて創設された。一方、UICの一部が独立したアルカイダ系過激派武装勢力「アル・シャバーブ」69が中南部で勢力を拡大し、TFGに抵抗した。これに対してAMISOMなどへ周辺国が部隊を派遣し、12(同24)年10月、アル・シャバーブの主要拠点キスマヨを奪還した。14(同26)年8月、 AMISOMは「インド洋作戦」を開始し、アル・シャバーブの拠点であった中南部の一部都市の奪還に成功した。さらに翌月、米軍の攻撃によりアル・シャバーブの指導者、ゴダネが殺害された。一方、アル・シャバーブはAMISOM参加国に対するテロを頻発させ、特にケニアに対する越境テロが同年以降増大している。

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っている70

ソマリアでは、12(同24)年8月、TFGの暫定統治期間が終了し、新連邦議会が招集された。同年9月には新大統領が選出され、同年11月には新内閣が発足した。こうして21年ぶりに成立した統一政府が、情勢の安定化を目指している。

9 マリ情勢

マリでは、12(同24)年1月、トゥアレグ族71の反政府武装勢力「アザワド地方解放国民運動(MNLA:Mouvement national de liberation de l’Azawad)」が反乱を起こし、イスラム過激派勢力「アンサール・ディーン(Ansar Dine)」など72がこれに合流した。MNLAは北部の複数の都市を制圧し、同年4月に北部の独立を宣言した。その後、MNLAを排除したアンサール・ディーンや「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO:Mouvement pour l’Unification et le Jihad en Afrique de l’Ouest)」、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM:al-Qaida in the Islamic Maghreb)」などのイスラム過激派勢力がイスラム法に基づく統治を行い、マリ北部の人道・治安状況が悪化した。

これに対し、12(同24)年12月、国連安保理は決議第2085号を採択し、マリ軍および治安機関の能力再構築や、マリ当局への支援などを任務とするアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA:African-led International Support Mission in Mali)73の展開を承認した。13(同25)年1月には、アンサール・ディーンなどの中南部への侵攻といった事態を受けて、マリ暫定政府の要請を受けたフランスが部隊を派遣した。その後、AFISMAも展開し、マリ暫定政府は北部の主要都市を奪還した。13(同25)年4月、国連安保理は、人口密集地の安定化とマリ全土における国家機能の再構築支援などを任務とする国連マリ多面的統合安定化ミッション(MINUSMA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali)の設置を決定する安保理決議第2100号を採択した74。同決議に基づき、同年7月、AFISMAから権限を移譲されたMINUSMAが活動を開始した。MINUSMAの支援のもと、大統領選挙が平和裡に実施され、同年9月に新政府が成立した75

その後、14(同26)年5月にマリ軍とMNLAとの大規模な衝突が発生したが、同月、AUの仲介により、両者の停戦合意が成立し、同年7月には、国連、アルジェリアなどの仲介により、マリ政府とMNLAを含むトゥアレグ族の反政府武装勢力の間で和平協議が開始され、北部の自治権を巡り協議が継続している。しかし、マリ政府は同国北部の大部分について統治能力を失い、同地域において、MINUSMA部隊に対するAQIMなどによる断続的な攻撃が発生するなど、同地域の情勢は不安定化している。

一方、同年8月、フランス軍は、マリを含むサヘル地域76全体に拡がるテロの脅威に対して効果的に対処するため、マリ、チャド、ニジェールに展開する部隊を統合・再編し、地域全体にわたって作戦を展開する「バルカンヌ作戦」を開始した。現在、フランス軍はMINUSMAや域内諸国の軍とともに、マリ北部を含むサヘル地域の安定化を図っている77

10 中央アフリカ情勢

中央アフリカ共和国では、60(昭和35)年の独立以降、度重なる軍事クーデターや反政府武装勢力の存在などにより政情不安が続いている。12(平成24)年12月、イスラム系反政府武装勢力「セレカ(Seleka)」78が、08(同20)年に政府との間で結んだ和平合意の履行状況などを不満として、同国北東部の複数の都市を制圧した。13(同25)年1月、中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS:Economic Community of Central African States)79などの仲介により、中央アフリカ政府とセレカの間で和平合意が成立したが、同年3月、セレカが同合意の政府側の不履行を理由として攻撃を再開し、首都バンギを制圧した。その後、セレカや、セレカに対抗するためキリスト教徒を中心に形成された自警団「アンチバラカ(Anti-balaka)」など複数の武装勢力による、市民に対する殺害や略奪行為などが横行し、同国の治安と人道状況は急激に悪化した。14(同26)年7月、セレカとアンチバラカの間で停戦合意が結ばれた。しかし、暫定政権の影響力は限られたものであり、依然としてセレカとアンチバラカの衝突もみられるなど、同国内の情勢は引き続き不安定となっている。

一方、13(同25)年12月、国連安保理は決議第2127号を採択し、AU主導の「中央アフリカ主導国際支援ミッション(MISCA:Mission Internationale de Soutien à la Centrafrique sous conduite Africaine)」の派遣と、それを支援するフランス軍部隊の強化を容認した。また、同決議は、ECCAS主導で同国内に展開していた「平和定着ミッション(MICOPAX:Mission de consolidation de la paixen République Centrafricaine)」の権限をMISCAに移譲することを要請するとともに、MISCAが最終的に国連PKOへ移行する可能性を示唆した。14(同26)年4月、国連安保理は決議第2149号を採択し、民間人の保護などを任務とする国連中央アフリカ共和国多面的統合安定化ミッション(MINUSCA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in the Central African Republic)の設立を決定し80、同年9月、MISCAは正式にMINUSCAへと移行した。また、14(同26)年1月にはEUが治安維持部隊を派遣する方針を決定し、同年4月に活動を開始した81。さらに15(同27)年1月、EUは治安維持部隊の活動を引き継ぐ形で、軍事顧問団を派遣することを決定した。

9 14(平成26)年8月の国連人権高等弁務官の発表では、シリアの衝突による死者数は19万1,000人以上とされている。15(同27)年5月時点で死者は31万人以上との指摘もある。また、シリア内戦開始以降で、約1,000万人以上の難民および国内避難民(IDP:Internal Displaced Person)が発生している。

10 13(平成25)年8月、米国は人的諜報、通信情報および公刊情報などに基づくオールソースの分析として、アサド政権が化学兵器攻撃を実施したことに「強い自信」を持っていると評価した。

11 13(平成25)年11月、化学兵器禁止機関はシリアが保有する化学兵器に関し、①未充填の砲弾:シリア国内において14(同26)年1月31日までに廃棄完了、②マスタード剤ならびにサリンおよびVXの主要なバイナリー物質(化学剤の原料):13(同25)年12月31日までにシリア国外に移動、③その他の化学剤:14(同26)年2月5日までにシリア国外に移動、④マスタードの保管用に使用されていた容器内のマスタードの残留物:14(同26)年3月1日までに廃棄、などを決定した。また、シリア国外における化学兵器廃棄のスケジュールについては、①マスタード剤ならびにサリンおよびVXの主要なバイナリー物質:可及的速やかに廃棄を開始し、14(同26)年3月31日までに廃棄し、その結果生ずる化合物については、事務局長の勧告に基づき執行理事会が同意する日までに廃棄、②その他の全ての化学剤:可及的速やかに廃棄を開始し、14(同26)年6月30日までに完了、などを決定した。15(同27)年2月、OPCWはシリアの申告済み化学剤のうち98%の廃棄が完了したと発表した。

12 シリアにおける化学兵器廃棄はI部2章2節2項参照。

13 14(平成26)年2月2日、アルカイダ指導者アイマン・アル・ザワヒリは、インターネット上において「ISILはアルカイダの支部ではない、我々とは組織的に関係なく、その行動に責任をもたない」とISILとの絶縁を宣言した。

14 アラビア語で「後継者」を意味する。預言者ムハンマド没後、イスラム共同体を率いる者に対して用いられ、その後ウマイヤ朝やアッバース朝などいくつかの世襲王朝君主がこの称号を用いた。

15 国連の報告書によると、ISILの1日の石油収入は84万6,000ドル~164万5,000ドル(約1~2億円)とみられている。この他にも誘拐による身代金収入や税金などの一方的徴収を組織の収入源としているとの指摘がある(国連安保理アルカイダ制裁委員会報告書(14(平成26)年11月14日))。また、有志連合による空爆や石油価格の変動を受け、石油収入はもはや主要な資金源ではなくなってきているとの指摘がある中、現在は支配地域の住民や企業への課税を増やすことにより収入源を多角化しているとの指摘や、海外の支援者を通じた資産運用によって利益を得ているとの指摘もなされている。

16 インターネットやソーシャル・メディアを用いて若者を戦闘員に勧誘しており、15(平成27)年5月の国連の報告によると、女性のテロ組織への参加問題について国際社会の協力が求められている。I部2章1節3項「拡散する国際テロリズム」を参照。

17 ミュンヘン安全保障レポート2015(15(平成27)年1月)。

18 ISILとの関連が疑われるテロについてはI部2章1節3項「拡散する国際テロリズム」を参照。

19 米国はISILから迫害されていた少数派ヤズィーディー教徒を解放するという人道目的のための空爆も同時に発表している。合同統合任務部隊によると、15(平成27)年5月26日現在で有志連合全体では4,100回以上の空爆が実施されている。

20 米国以外に、英国、フランス、豪州、カナダ、デンマーク、ベルギー、オランダ、ヨルダンがイラクにおける対ISIL空爆に参加している。

21 米国は14(平成26)年に、1500発以上のヘルファイアミサイルをイラク政府に対して供与した。15(同27)年はMRAP250両(クルド自治区への配分含む)、数万の小型武器と弾薬などを供与したほか、同5月には対戦車ロケット2,000発の供与を決定した。

22 イラク軍やペシュメルガなどがISILからこれまで奪取した要衝は、イラク方面では14(平成26)年8月にモスル・ダムを、同11月にイラク中部の都市バイジを、15(同27)年1月には中部ディヤラ州を、同4月にはティクリートを奪還した。シリア方面では、15(同27)年1月にアイン・アル・アラブを奪還している。また、ISILがイラク国内において勢力を保つ55,000平方キロ-メートルのうち、13,000~17,000平方キロメートル(15(同27)年4月米中央軍発表)奪還している。

23 15(平成27)年5月、カーター米国防長官は米CNNテレビのインタビューに対して「イラク軍は戦意が欠如していた」とこたえる一方、バイデン副大統領は「イラク軍は各地で膨大な犠牲を払っており、勇敢さを示している」と発言している。

24 米国防情報局「世界脅威評価書2015」(15(平成27)年1月)。

25 対ISIL軍事作戦にサウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、ヨルダンがシリアでの空爆に、カタールがこれらを支援する任務を担っている。

26 シリア空爆では、ISILとともに米国の権益に対して影響を与えると見られたホラサーン・グループに対する空爆も併せて実施された。

27 ISILからの攻撃に対してクルディスタン地域政府の軍事組織ペシュメルガがトルコを経由してアイン・アル・アラブに到着。その他、反シリア体制派の自由シリア軍などもアイン・アル・アラブにおける対ISIL作戦に参加したと伝えられている。

28 たとえば、15(平成27)年1月、ISILはアフガニスタンおよびパキスタンの武装勢力がISILに忠誠を誓ったことや、同地域をISILホラサン州とすることなどを発表した。

29 エジプトでは、アンサール・バイト・アル・マクディスがシナイ半島で活発に活動している。I部2章1節2項6「エジプト情勢」参照。

30 ISILのトリポリ州がリビアの首都トリポリで活動しているとされる。I部2章1節2項4「リビア情勢」を参照。

31 米国防情報局「世界脅威評価書2015」(15(平成27)年1月)による。

32 ケリー米国務長官は「ISILの戦闘員を数千人殺害、部隊指揮官の50%を殺害、数百台の車両や戦車を破壊、約200カ所の石油・ガス施設を破壊、数千におよぶ戦闘拠点、検問所、施設、兵舎を破壊した」と空爆の成果を強調した(15(平成27)年1月22日ケリー米国務長官記者会見)。また、カーター米国防長官は対ISIL軍事作戦の3年での完了は確約できないと表明(15(同21)年3月11日カーター米国防長官の上院証言)

33 米国防省「アフガニスタンの治安と安定の進捗に関する報告書」(13(平成25)年11月)などによる。アフガニスタンをめぐるパキスタンと米国の関係については、I部1章7節2項参照

34 15(平成27)年以降のアフガニスタンにおける米軍の活動や施設の使用権などについて定めたもの

35 NATOによるRS任務についてはI部1章8節参照

36 カブールのほか、マザリシャリフ、ヘラート、カンダハルおよびラグマンの4か所に展開。

37 アフガニスタンと米国の永続的戦略パートナーシップ協定は、14(平成26)年以降も米国がアフガニスタンに駐留する可能性などを盛り込んでいる。

38 ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、08(平成20)年末から09(同21)年初めにかけて、イスラエル軍の同地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を、また、12(同24)年11月にも、イスラエル軍が同地区に対して空爆を行った。

39 今回の和平協議では、主流派のハマスがイスラエルとの交渉を行っていた。

40 ハマスはイスラエルの存在を認めていない。

41 国連人道問題調整所報告書(14(平成26)年8月)による。

42 停戦合意の主な内容は、①ガザ地区とイスラエル間の通行所開放、②人道支援物資・救援物資並びに復興に必要な物資の早期搬入実現、③漁業水域を6海里とすること、④停戦が保証されてから1か月間その他の議題(ガザ地区の空港・港建設、ハマスの武装解除など)に関し両当事者間の間接交渉を継続することであるが、④の協議は停滞している。

43 スウェーデン、英国、フランス、スペインではパレスチナの国家承認を求める決議採択などの動きが見られた。

44 国際刑事裁判所は、国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪(集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪)を犯した個人を、国際法に基づいて訴追・処罰するための、歴史上初の常設の国際刑事裁判機関である。

45 予備調査では、戦争犯罪に関する証拠収集、当事者双方の関係者の聴取などが実施される。ICCローマ規定は予備調査の期間は定めていない。

46 同地域においては、国連休戦監視機構(UNTSO:United Nations Truce Supervision Organization)の軍事監視要員も活動を行っている。

47 安保理決議1970(11(平成23)年2月26日採択)

48 安保理決議1973(11(平成23)年3月17日採択)

49 ミリタリー・バランス2011および2014によると、アラブの春以前は7.6万人の人員が、14(平成26)時点では7,000人へと減少している。

50 東部沿岸地域では、自治拡大を求める民兵組織が約1年(9か月)にわたり石油関連施設を占拠していた。

51 13(平成25)年10月、ラスムセンNATO事務総長は、リビアに軍事顧問団を派遣することを発表。同年11月、米国防省はリビア軍5,000~8,000人をブルガリアで訓練すると発表。

52 この事件では「ISILのトリポリ州」が犯行声明を発出している。

53 81年にサウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、カタール、クウェートによって設立。本部はサウジアラビアの首都リヤドに所在し、防衛・経済をはじめとするあらゆる分野における参加国間での調整、統合、連携を目的としている。

54 大統領が副大統領に対して即座に権限移譲を実施するかわりに、訴追が免除されるという条項を含む

55 イスラム教シーア派ザイド派教義を信奉するホーシー派は、イエメン北部サアダ州を拠点に04(平成15)年に反政府勢力として武装蜂起し、イエメン国軍と武力衝突した。

56 07(平成19)年に南部運動が北部からの分離を主張して結成された。アラブの春によってサーレハ大統領が退陣後はデモや治安当局との衝突を引き起こすなど、政府への反発姿勢を示している。

57 少なくとも日本を含む10か国が大使館を一時閉鎖し、館員を退避させている。

58 イエメンにおけるサヌアの不安定な治安情勢を受け、米国は大使館を一時閉鎖させている。ほか、アナド空軍基地にいた要員を撤収させている。

59 I部2章1節1脚注2参照

60 28(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプトで設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生した。

61 シナイ半島を拠点にイスラエルの打倒を目標に掲げるイスラム過激組織。同組織は13(平成25)年7月のムルシ-政権崩壊後は同国治安当局を標的としたテロを活発化させたとみられている。

62 当初のマンデート期間は1年間とし、最大7,000人の軍事要員、最大900人の警察要員などからなる。UNMISSは南スーダン政府に対し、①平和の定着ならびにそれによる長期的な国づくりおよび経済開発に対する支援、②紛争予防・緩和・解決および文民の保護に関する南スーダン政府の責務の履行に対する支援、③治安の確保、法の支配の確立、治安部門・司法部門の強化に対する支援などを行う。

63 アビエ地域は南北内戦時の激戦地の一つで、豊富な石油資源が埋蔵されていることなどから南北双方が領有権を主張している。同地域の帰属を決める住民投票はいまだ行われておらず、帰属は確定していない。南部スーダン独立直前の11(平成23)年5月には、同地域において、スーダン政府軍(SAF:Sudan Armed Forces)と南部スーダンの主要な軍事組織であったスーダン人民解放軍(SPLA:Sudan People’s Liberation Army)との間で武力衝突が発生した。同年6月、安保理は決議第1990号により、同地域に国連アビエ暫定治安部隊(UNISFA:United Nations Interim Security Force for Abyei)を設置した。

64 油田の大半が南スーダンに存在する一方、パイプラインの大部分や輸出港はスーダンに存在する。

65 96(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダなどの東アフリカ諸国

66 15(平成27)年2月、IGADの調停により、両者は統一暫定政権成立と包括的な和平合意に関する道筋に合意した。

67 91(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。98(同10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

68 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニアおよびシエラレオネが部隊の大部分を構成しており、13(平成25)年1月、エチオピアがこれに加わった。安保理決議第2124号により、部隊を17,731人から22,126人に増員することが決定された。

69 I部2章1節3参照

70 防衛省・自衛隊および各国の海賊対処への取組については、III部3章2節参照

71 サハラ砂漠を遊牧する少数民族で、マリ北部における自治を求め、以前からマリ政府と対立していたとの指摘がある。

72 I部2章1節3参照

73 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟国(ブルキナファソ、コートジボワール、ガーナ、ニジェール、ナイジェリアなど)などから派遣されている。

74 当初のマンデート期間は13(平成25)年7月から1年間とし、最大11,200人の軍事要員、最大1,440人の警察要員からなる。また、フランス軍にはMINUSMAが急迫性のある危険に曝された場合、国連事務総長の要請に基づき、同ミッション支援のため、介入する権限が付与されている。

75 13(平成25)年6月、暫定政府とMNLAは、大統領選挙への北部の参加や、北部都市へのマリ軍駐留の容認などで合意した。

76 サヘル地域とは、サハラ砂漠南縁部を指す。サヘル地域の諸国としては、モーリタニア、セネガル、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャドなどがあげられる。

77 バルカンヌ作戦の総兵力は約3,000人である。チャドに司令部があり、マリ、ニジェール、ブルキナファソに基地を置かれ、機動的に部隊が各地に展開することによって作戦を遂行している。フランス軍はマリの北部においてはMINUSMAの部隊と、その他の地域においては域内諸国の軍と連携し、テロリストの掃討作戦や共同パトロールを主に実施している。

78 現地語で「同盟」の意。12(平成24)年12月、二つの主要な反政府勢力とその他の反政府勢力の連合体として結成された。ダイヤモンド鉱山が集中して存在する同国北東部を拠点としている。

79 81(昭和56)年12月に設立された。加盟国は、アンゴラ、ガボン、カメルーン、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、サントメ・プリンシペ、赤道ギニア、チャド、中央アフリカおよびブルンジ

80 当初のマンデート期間を1年間、最大派遣人員数を10,000人の軍事要員と1,800人の警察要員とした。

81 部隊の規模は700人規模。