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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 各国の安全保障・国防政策

1 インドネシア

インドネシアは世界最大のイスラム人口を抱え、広大な領土、領海および海上交通の要衝を擁する東南アジア地域の大国である。現在、インドネシアは、国外からの差し迫った軍事的脅威は認識していないが、国内においては、ジュマ・イスラミーヤ(JI:Jemaah Islamiyah)などのイスラム過激派の活動やパプア州の分離独立運動などの懸念事項を抱えている。

インドネシアは国防方針として、全国民が国家の全資源を用いてインドネシアの独立、国家主権、領土保全、国家統一を堅持するという理念のもと、「軍事防衛」と「非軍事防衛」それぞれの活動を通じた「総力防衛(Total Defence)」を推進している。また、国軍改革として、「最小限精鋭戦力(MEF:Minimum Essential Force)」と称する最低限の国防要件を達成することを目標としている。

インドネシアは、東南アジア諸国との連携を重視1し、独立かつ能動的な外交を展開するとしている。また、米国との関係においては、軍事教育訓練や装備品調達の分野で協力関係を強化しており2、「CARAT(Cooperation Afloat Readiness and Training)」3や「SEACAT(Southeast Asia Cooperation Against Terrorism)」4などの合同演習を行っている。10(平成22)年には、オバマ米大統領がインドネシアを訪問し、両国間の包括的パートナーシップを締結したほか、13(同25)年8月のヘーゲル米国防長官のインドネシア訪問時には、米国からのAH-64攻撃ヘリ8機の売却など両国間の防衛協力の強化などで一致した。

中国とは、両国軍の特殊部隊による対テロ演習「利刃(りじん)」を行っている。13(同25)年10月には習近平(しゅう・きんぺい)国家主席がインドネシアを訪問し、ユドヨノ大統領と対テロおよび人道支援・災害救援での協力強化などについて会談を行ったほか、14(同26)年2月には、ムルドコ国軍司令官が訪中し、房峰輝(ぼう・ほうき)人民解放軍総参謀長などと両国の軍事関係強化・向上などについて会談した。

参照I部1章7節3(オーストラリアの対外関係)III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(1 インドネシア))

2 マレーシア

東南アジアの中央に位置するマレーシアは、自国と近隣諸国には共通する戦略的利益があるとしている。現在、マレーシアは、国外からの差し迫った脅威は認識していないが、軍はあらゆる軍事的脅威に対して即応能力を保持するべきとしており、国防政策においては、「独立」、「全体防衛」、「5か国防衛取決め(FPDA:Five Power Defence Arrangements)5の遵守」、「世界平和のための国連への協力」、「テロ対策」および「防衛外交」を重視している。また、マレーシアは、「防衛外交」として、FPDA以外の国である米国と「CARAT」や「SEACAT」などの合同演習を行っているほか、インドなどとも二国間演習を行い、軍事協力を進めている。

中国とは、南シナ海における領有権問題などをめぐり主張が対立しているが、経済面を中心に両国の結びつきは強く、要人の往来も活発である。13(同25)年には、習近平国家主席がマレーシアを訪問したほか、マレーシアからはヒシャムディン国防相が訪中し、14(同26)年に、中国と初の合同軍事演習を実施することに合意したと伝えられている。

参照III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(9 マレーシア))

3 ミャンマー

ミャンマーは、国際社会におけるパワーバランスの変化の担い手である中国およびインドと国境を接し、また、南アジアと東南アジアの境界にも位置することなどから、その戦略的な重要性が指摘されている。ミャンマーは、88(昭和63)年に社会主義政権が崩壊して以降、国軍が政権を掌握していた。軍事政権は民主化勢力への抑圧を行い、これに対して欧米諸国は経済制裁を行った。経済制裁にともなう経済の低迷と国際社会における孤立を背景に、03(平成15)年、ミャンマーは民主化へのロードマップ6を発表した。10(同22)年の総選挙後、11(同23)年2月にテイン・セインが大統領に選出され、同年3月の新政権発足を経て、民主化へのロードマップは終了した。

新政権発足以降、ミャンマー政府は政治犯の釈放、少数民族7との停戦合意など、民主化への取組を活発に行っており、13(同25)年11月には、政府と少数民族との「全国的停戦協定」をめぐる交渉を行い、その後も継続的に協議を実施している。これらの取組に対し、国際社会も一定の評価を見せており、米国をはじめとする欧米各国は、ミャンマーに対する経済制裁の緩和を相次いで実施している。また、13(同25)年5月、テイン・セイン大統領がミャンマーの首脳として約50年ぶりに訪米し、オバマ大統領と会談を行った。同年6月には、リチャード英国軍総参謀長が同国を訪問し、同国の民主化プロセス開始以降で初めての、欧米諸国の軍高官による訪問となった。

一方で、核や北朝鮮との軍事関係などの懸念事項も指摘されている8ほか、12(同24)年から発生しているイスラム系住民ロヒンギャと仏教徒の衝突がミャンマーの民主化に与える影響について、国際社会に懸念が広まった。

外交政策においては、ミャンマーは独立・非同盟を原則に掲げている。一方、ミャンマーにとって、中国は軍政時代からの特に重要なパートナーであると考えられ、中国から経済面の支援を受けており、13(同25)年10月には、両国を結ぶガスパイプラインが完成し、完全な運用が開始された。軍事面においても中国が主要な装備品の調達先となっているとみられるほか、同月にはミン・アウン・フライン国軍司令官が中国を訪問し、習近平国家主席と会談を行った。また、ミャンマーは、インドとも経済面および軍事面において協力関係を強化させている。

ミャンマーは、14(同26)年の東南アジア諸国連合(ASEAN:Association of Southeast Asian Nations)議長国に就任しており、ASEAN関連の国際会議におけるリーダーシップが注目されている。

参照III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(7 ミャンマー))

4 フィリピン

フィリピンは、国境を越える犯罪などの非伝統的脅威を含む、新たな安全保障上の課題に直面していると認識している。一方、南シナ海をめぐる領有権問題や国内における反政府武装勢力によるテロ活動といった、長年にわたり直面している課題が、安全保障上の主な懸念事項であるとしている。特に、モロ・イスラム解放戦線(MILF:Moro Islamic Liberation Front)とは約40年にわたり武力衝突を繰り返してきたが、国際監視団(IMT:International Monitoring Team)9の活動などにより、和平プロセスが進展し、12(同24)年10月、ミンダナオ和平の最終合意の実現に向けた「枠組み合意」が署名された。14(同26)年1月には、MILFの武装解除10に合意しており、同年3月、フィリピン政府とMILFは「バンサモロ包括合意」11に署名した。一方、和平協議に反対する別の武装勢力と政府軍との間で軍事衝突が発生12しており、実質的な和平に至るまでには時間を要するとみられる。

歴史的に関係の深いフィリピンと米国は、米比同盟をアジア太平洋地域の平和と安定および繁栄の支えであるとしている。92(同4)年に駐留米軍が撤退した後も、相互防衛条約および軍事援助協定のもと、両国は協力関係を継続してきた13。両国は大規模演習「バリカタン」を00(同12)年以降毎年行っているほか、「CARAT」や「SEACAT」などの合同演習を行っている。また、米軍統合特殊作戦任務部隊(JSOTF-P:Joint Special Operations Task Force-Philippines)がフィリピン南部に派遣され、フィリピン国軍によるアブ・サヤフ(ASG:Abu Sayyaf Group)14らイスラム過激派との戦いを支援している。11(同23)年11月には、デル・ロサリオ外務大臣とクリントン米国務長官(当時)が、米比相互防衛条約60周年を記念して、マニラ宣言に署名したほか、12(同24)年4月には、初の外務・防衛閣僚協議(「2+2」)が開催された。13(同25)年12月には、ケリー米国務長官がフィリピンを訪問し、沿岸警備や対テロ能力強化のため、3年間で4千万ドルの支援を表明した。

また、両国は14(同26)年4月、海上安全保障や合同演習の拡大を通じたフィリピン軍の能力向上、災害救援などでの協力強化を目的とした、「米比防衛協力強化協定」15に署名した。

中国とは、南シナ海の南沙諸島やスカボロー礁の領有権などをめぐり主張が対立している。近年、両国は領有権主張のための活動を活発化させており、相手国の活動や主張に対し、互いに抗議の表明を行っている。

参照I部1章5節4(南シナ海をめぐる動向)III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(4 フィリピン))

5 シンガポール

国土、人口、資源が限定的なシンガポールは、グローバル化した経済の中で、その存続と発展を地域の平和と安定に依存しており、国家予算のうち国防予算が約4分の1を占めるなど、国防に高い優先度を与えている。

シンガポールは、国防政策として「抑止」と「外交」を二本柱に掲げている。「抑止」は、精強な国軍と安定した国防費の支出によりもたらされ、「外交」は、各国の国防機関との強力かつ友好的な関係により構築されるとしている。また、直接的な脅威から国家を防衛し、平時にはテロ、海賊などの国境を越えた安全保障上の課題に対応するため、国軍の能力向上・近代化を進めている。なお、シンガポールの国土は狭小なため、国軍は米国やオーストラリアなど諸外国の訓練施設も利用し、訓練のために部隊を継続的に派遣している。

シンガポールは、ASEANやFPDA16の協力関係を重視しているほか、域内外の各国とも防衛協力協定を締結している。地域の平和と安定のため、米国のアジア太平洋におけるプレゼンスを支持しており、米国がシンガポール国内の軍事施設を利用することを認めているほか、13(同25)年以降、シンガポールに米国の沿海域戦闘艦(LCS:Littoral Combat Ship)を最大4隻ローテーション配備することで合意しており、13(同25)年4月に配備が開始された17。また、米国とは、「CARAT」や「SEACAT」などの合同演習を行っている。

中国とは、09(同21)年および10(同22)年に対テロ共同演習「協力」を行っているほか、要人の往来も活発である。13(同25)年5月には、中国の王毅(おう・き)外交部長がシンガポールを訪問し、同年8月、リー・シェンロン首相が訪中した。

参照III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(3 シンガポール))

6 タイ

11(同23)年8月に発足したインラック政権は、安全保障政策として、国軍の能力向上、防衛産業の強化、近隣諸国との協力関係の促進、非伝統的脅威への対応能力の強化などを掲げている。タイ南部では、分離・独立を求めるイスラム過激派による襲撃、爆弾事件などが頻発しており、同政権は、南部における人民の生命および財産に対する平和と安全の迅速な回復を緊急課題に挙げている。

13(同25)年8月、与党による下院議会への「大赦法案」18提出をめぐり、首都バンコクを中心に大規模な反政府デモが発生し、同年11月に同法案が廃案となったもののデモは拡大した。同年12月に下院が解散され、14(同26)年1月には「非常事態宣言」19が発出されたが、デモは継続された。同年2月、下院議員総選挙が実施されるも、デモ隊による投票妨害が多発し、投票中止となる投票所が続出した。これを受け、同年3月、憲法裁判所は下院議員総選挙が憲法違反であり無効とする判決を下したが、与党はこれを批判したほか、同年5月7日、憲法裁判所が、過去に内閣が行った人事異動について違憲判決を下し、インラック首相(当時)や閣僚が即時失職となる中20、同月20日、全国に戒厳令が布かれ、同月22日、軍中心の勢力が政変を起こし、国家の全権を掌握した。

タイは、ミャンマーやカンボジアなどの隣国との間で国境未画定問題を抱えている。カンボジアとは、プレアビヒア寺院周辺の国境未画定地域21をめぐり主張が対立しており、08(同20)年以降、同地域周辺で両軍による武力衝突が断続的に発生したが、国際司法裁判所による両国部隊の即時撤退を命じる仮保全措置の言い渡しや首脳会談などにより、12(同24)年7月、両国は同地域周辺から軍の撤収を開始した。13(同25)年11月、国際司法裁判所は、寺院および近接する一部土地の帰属についてカンボジア領と認定した。残りの係争地の帰属は明確にされなかったものの、両国は判決を受け入れ、今後は実務者による合同委員会で判決内容を協議するとしている。

タイは、柔軟な全方位外交政策を維持しており、東南アジア諸国との連携や、わが国、米国、中国といった主要国との協調を図っている。同盟国22である米国とは、50(昭和25)年に軍事援助協定を締結して以降、協力関係を維持し、82(同57)年より多国間共同訓練「コブラ・ゴールド」を行っているほか、 「CARAT」や「SEACAT」などの合同演習を行っているが、14(平成26)年5月、米国は政変の発生を受けて軍事支援を凍結した。

中国とは、両国海兵隊による「藍色突撃」などの共同訓練を行っているほか、12(同24)年4月には多連装ロケットランチャーの共同開発で合意するなど、軍事交流も進めている。

参照III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(5 タイ))

7 ベトナム

ベトナムは、多様かつ複雑な安全保障上の課題に直面していると認識しており、南シナ海における問題が自国の海上活動に深刻な影響を与えているほか、海賊やテロなどの非伝統的脅威も懸念事項であるとしている。

ベトナムは、冷戦期においては旧ソ連が最大の支援国であり、02(同14)年までロシアがカムラン湾に海軍基地を保有していたが、旧ソ連の崩壊後、米国と国交を樹立するなど、急速に外交関係を拡大させた。現在、ベトナムは全方位外交を展開し、全ての国家と友好関係を築くべく、積極的に国際・地域協力に参加するとしており、13(同25)年5月には、ズン首相が初めて国軍のPKO参加を表明している。また、14(同26)年5月、ベトナム国防省対外局にPKOセンターを開設するなど、国際社会への貢献に努力する姿勢がみられる。

米国とは、近年、米海軍との合同訓練や米海軍艦艇のベトナム寄港など、軍事面において関係を強化しており、11(同23)年9月には、国防当局間の協力促進に関する了解覚書が締結された。13(同25)年12月には、ケリー米国務長官がベトナムを訪問し、海上安全保障分野における1,800万ドルの支援を表明した。

ロシアとは、12(同24)年に両国関係を包括的戦略的パートナーシップに格上げし、国防分野での協力を引き続き強化しているほか、13(同25)年3月には、ショイグ国防大臣がベトナムを訪問し、カムラン湾の艦船補給施設などの共同建設に合意している。また、同年11月のプーチン大統領のベトナム訪問時には、ベトナム陸軍および海軍の訓練をロシアが支援することに合意している。近年では、原子力発電などのエネルギー分野での協力も推進している。また、ベトナムはその装備品をほぼロシアに依存している。

中国とは、包括的・戦略的パートナーシップ関係のもと、13(同25)年6月にサン国家主席が訪中し、同年10月には李克強総理がベトナムを訪問するなど、政府高官の交流も活発であるが、南シナ海における領有権問題などをめぐり主張が対立している。近年、両国は領有権主張のための活動を活発化させており、相手国の活動や主張に対し、互いに抗議の表明を行っている。

インドとは、07(同19)年に両国の関係を戦略的パートナーシップ関係に格上げし、安全保障や経済など広範な分野において協力関係を深化させている。10(同22)年、両国は、インド軍によるベトナム人民軍に対する装備品の整備にかかる能力構築支援などを通じた防衛協力の拡大に合意しており、ベトナム海軍潜水艦要員の訓練をインド軍が支援していると指摘されているほか、インド海軍艦艇によるベトナムへの親善訪問も行われている。また、インドは南シナ海で石油・天然ガスの共同開発を行うなど、ベトナムとのエネルギー分野での協力も推進している。

参照I部1章5節4(南シナ海をめぐる動向)III部3章2節6(東南アジア諸国との防衛協力・交流(2 ベトナム))

1 12(平成24)年7月のASEAN外相会議において、共同声明の内容をめぐり加盟国の間で意見が分かれ、共同声明が採択されない事態が発生したが、会議後、インドネシアのマルティ外務大臣が加盟国の各外務大臣と順次会談し、「南シナ海に関するASEANの6項目原則」が策定された。

2 東ティモール問題をめぐり、米国は92(平成4)年に、米国の軍教育機関などへの留学・研修の機会を提供する国際軍事教育訓練などを停止し、95(同7)年に一部制裁措置を解除したものの、99(同11)年に再び停止した。その後、05(同17)年にこれを再開し、インドネシアに対する武器輸出の再開も決定した。

3 米国が、バングラデシュ、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイおよび東ティモールとの間で行っている一連の二国間演習の総称である。

4 米国が、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールおよびタイとの間で行っている対テロ合同演習である。

5 71(昭和46)年発効。マレーシアあるいはシンガポールに対する攻撃や脅威が発生した場合、オーストラリア、ニュージーランド、英国がその対応を協議するという内容。5か国はこの取決めに基づいて各種演習を行っている。

6 国民議会の再開、民主化に必要なプロセスの段階的実施、憲法草案の起草、憲法制定の国民投票、総選挙、下院の初招集および新政権発足の7段階からなる。

7 ミャンマーは、人口の約30%が少数民族であり、一部の少数民族は、ミャンマー政府に分離独立などを主張している。60年代、ミャンマー政府は、強制労働、強制移住など人権侵害に及ぶ抑圧政策を行い、少数民族武装勢力と武力衝突が生起した。

8 テイン・セイン大統領は、12(平成24)年5月の韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)との会談において、北朝鮮との武器取引について、過去20年間にある程度は行ったことを認めたうえで、今後は行わないと表明し、一方、核開発については北朝鮮との協力関係を否定したと伝えられている。また、フラ・ミン国防大臣(当時)は、同年6月の第11回IISSアジア安全保障会議(シャングリラ会合)において、前政権下において学術的な核関連研究を始めようとしていたが、新政権発足とともに研究を断念しており、北朝鮮との政治的・軍事的関係も停止していると明らかにしたと伝えられている。

9 13(平成25)1月現在、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、日本、ノルウェーおよびEUがIMTに参加している。

10 12(平成24)年の枠組み合意後、フィリピン政府とMILFで継続検討されていた4つの付属文書のうち、権限委譲の詳細、税収などの配分、管轄海域の設定などは既に合意に至っており、武装解除についての協議が最後に残されていた。

11 本合意は、基本法の制定、管轄領域を画定するための住民投票の実施、ムスリム・ミンダナオ自治地域の廃止および暫定移行機関の設置を経て、16(平成28)年の自治政府発足を目指すものである。

12 13(平成25)年9月、モロ・イスラム解放戦線(MILF)と政府の和平協議に反対するモロ民族解放戦線(MNLF)が、ミンダナオ島南部サンボアンガで3週間にわたり政府軍と衝突したほか、14(同26)年1月には、バンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)と国軍が交戦したと伝えられている。

13 47(昭和22)年、米軍にクラーク空軍基地およびスービック海軍基地などの99年間の使用を求める軍事基地協定を締結し、同年に軍事援助協定、51(同26)年に相互防衛条約を締結した。66(同41)年、軍事基地協定の改定により駐留期限は91(平成3)年までとされ、91(同3)年にクラーク空軍基地、92(同4)年にスービック海軍基地が返還された。その後、両国は98(同10)年に「訪問米軍の地位に関する協定」を締結、米軍がフィリピン国内で合同軍事演習などを行う際の米軍人の法的地位などを規定した。

14 イスラム国家の設立を目的とし、フィリピン南部で爆弾テロ、暗殺、誘拐などの活動を行っている。

15 本合意により、米軍は、フィリピン軍基地内における施設建設やインフラ整備、フィリピン国内への防衛や人道支援・災害救援に関する装備や物資の事前集積・保管などが可能になる。

16 I部1章5節2脚注5参照

17 2隻目の配備も14(平成26)年後半に予定されている。

18 06(平成18)年に発生した軍事クーデター以降の政治混乱で逮捕された人々に恩赦を与えるもので、有罪判決を受けるも海外に在住するタクシン元首相の帰国を可能とするものであるとされている。

19 13(平成25)年11月、与党は同案可決を断念するも、反政府勢力はデモの目的を「現政権の打倒」に転換し、デモを継続している。

20 憲法裁判所は、11(平成23)年9月に行われた当時の国家安全保障事務局長を閑職に異動させた人事が、インラック首相(当時)の親族を昇進させるための政治的なものであり、国務大臣による公務員人事への不当な介入を禁じる憲法上の規定に抵触するとして違憲判決を下し、本事案が憲法上の失職事由に該当するとして、当該人事に責任を有する同首相および関係閣僚が即時失職となった。

21 カンボジアとタイの国境に位置するヒンズー教寺院。62(昭和37)年に国際司法裁判所が寺院をカンボジア帰属と判決したが、寺院周辺地域の国境は未画定である。

22 タイと米国は、54(昭和29)年の東南アジア集団防衛条約(マニラ条約)および62(同37)年のタナット・ラスク声明に基づき同盟関係にある。