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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 各地の紛争の現状と国際社会の対応

1 ISILの台頭を受けたシリア・イラク情勢
(1)シリアにおける政治的混乱とISILの台頭

シリアにおいては、11(平成23)年3月以降、各地で発生した民主化やアサド大統領の退陣などを要求する反政府デモに対し、政府が軍や治安部隊を投入した結果、各地で軍と反体制派の衝突10が発生・継続している11。こうした「アラブの春」後の不安定な状況を利用して、米国がアルカイダと関連があるとしてテロ組織に指定する「ヌスラ戦線」12やISIL13が、シリアにおいて勢力を拡大させることとなった。

一方、11(同23)年12月の米軍撤収以降、政治抗争や宗派対立などを背景に治安の悪化が急速に進んでいたイラクでは、14(同26)年1月、シリアを拠点に勢力を拡大していたISILがイラクの不安定な状況に乗じて、同国西部への侵攻を開始し、首都バグダッド西部の都市ファルージャを占拠し、同年6月には北部にあるイラク第2の都市モスルを陥落させた。これを受け、ISILの指導者であるバグダディは自らを「カリフ」14と称して、「イスラム国」の樹立を一方的に宣言し、全世界のイスラム教徒に忠誠を誓うよう求めている。

(2)対ISIL軍事作戦の動向

14(同26)年8月、ISILはイラク北部のクルド人自治区に対する攻撃を開始し、米領事館などが所在するエルビル方面へ進出した。これを受け、米国など15はイラク国内の米国人を保護することなどを目的に空爆を開始した16。同年9月、オバマ大統領は対ISIL戦略について演説を行い、作戦地域のシリアへの拡大を表明した17

対ISIL作戦の為に中東に配備された米B-52長距離爆撃機【米国防省HP】の画像

対ISIL作戦の為に中東に配備された米B-52長距離爆撃機【米国防省HP】

イラクにおいて有志連合は、地上戦を担うイラク治安部隊(イラク軍の他、準軍隊や警察を含む)やクルディスタン地域政府の軍事組織であるペシュメルガなどに対する教育・訓練18や、装備品の供与19、戦術指導・作戦評価・助言などの軍事支援を実施しつつ、自らの空爆と当該部隊などとの連携によって、ISILの前進を阻止するとともに、国内要衝都市の奪還を進めている20。こうした中、イラク軍を中心に指揮機能及び士気の低さ21が指摘されていたイラク治安部隊については、有志連合による教育・訓練などを通じ、その作戦能力が向上しているとみられる。また、ペシュメルガは、イラク戦争の経験があり、練成も比較的進んでいるほか、指揮命令系統も機能しているとされ、対ISIL軍事作戦において引き続き重要な役割を果たしている。15(同27)年4月には、モスルへと続く要衝であるティクリートにおいて、イラク治安部隊がシーア派民兵などの支援を受けて奪還に成功22したほか、同年11月及び12月には、シリアとイラクを結ぶ交通の要衝であるシンジャール及びラマディ23をISILから奪還している。さらに、16(同28)年3月、イラク治安部隊がモスル奪還作戦を開始し、周辺地域への攻勢を強めるほか、同年6月には、ISILがイラク国内で初めて制圧、拠点化した象徴的都市であるファルージャを奪還するなどISILはイラクにおいて徐々に劣勢な状況に追い込まれつつある。

豪州軍によるイラク軍への教育訓練の風景【豪国防省HP】の画像

豪州軍によるイラク軍への教育訓練の風景【豪国防省HP】

一方、シリアでは15(同27)年3月頃より、アルカイダ系のヌスラ戦線を中心とする反体制派が、アサド政権支持者が多数派を占めるシリア北西部のラタキア周辺まで勢力を拡大し、同年9月にはラタキアに迫る勢いを見せた。このような中、ロシアは、シリアに航空機部隊などを派遣して空爆を開始した24が、これはアサド政権の存続やロシア権益25の防衛が目的だと考えられる。さらに、同年10月に発生したロシア旅客機墜落事件をISILによるテロ事件と断定して以降、戦略爆撃機からの衛星誘導を活用した精密誘導弾の投下など26多様なプラットフォームを駆使して、空爆を強化した27。また、イラクやイランと情報面で協力し、アサド政権を支援していると指摘されている。こうしたロシアによる軍事介入の結果、反体制派の勢力が弱まり、シリア政府軍が勢力を回復させて、反体制派やISILに対する攻勢を強めている28

また、シリアのISILに対しては、14(同26)年9月以降、米軍などの有志連合が空爆を実施してきた29が、ISILに対抗可能な地上戦力の育成に大きな課題30を抱えていた。こうした中、16(同28)年5月以降、シリア北部のトルコ国境周辺を支配するクルド系勢力を中心としたシリア民主軍がISILの本拠地であるラッカ周辺にまで迫るなど、有志連合の空爆と連携して地上作戦を行い、シリア政府軍による支配地域の奪還の動きとも相まって、イラク同様、シリアでもISILが劣勢になりつつある31

(3)今後のISILを巡る見通し

ISILはイラク及びシリア国外にも勢力を拡大し、13ヶ国に38の支部を有していると指摘されており32、現地のテロ組織と連携するなど、主に国家の統治が十分に及ばない地域において拠点構築を進めているとされている33

米国を中心とする有志連合やロシアによる対ISIL軍事作戦によって、指揮官を含む戦闘員殺害や石油関連施設への空爆などを通じたISILの指揮統制機能の分断、組織内部の士気低下が進み、支配地域の喪失の結果、ISILの財政能力が悪化し、統治能力は損なわれてきているとみられる。イラク及びシリアでは、ISILは徐々に劣勢な状況に追い込まれており、その弱体化も指摘されている34。こうした中、イラク及びシリアにおけるISILの支配地域喪失により、ISILによる域外におけるテロの拡散が懸念されている。また、ISILのイラク及びシリアからの排除には、シリア内戦の早期終結や、イラク軍の能力強化など課題が山積しているなど、今後のISILをめぐる動向は依然として不透明である。

(4)シリア和平プロセス

アサド政権を巡っては、これまで米国や欧州連合(EU:European Union)などが、アサド大統領の退陣を要求し、シリアからの石油輸入禁止などの制裁措置を行うほか、12(同24)年11月に設立された反体制派「シリア国民連合」を支持してきた。14(同26)年1月、国連の仲介によりアサド政権と反体制派との間で初の直接協議が開催されたが、具体的な進展はみられず、15(同27)年1月、シリア和平協議がロシアの仲介により約1年ぶりに開催されたものの、「シリア国民連合」などは参加せず、具体的な進展は見られなかった。さらに、同年6月にはジュネーブでデ・ミストゥーラ・シリア問題担当国連事務総長特使と関係国との個別協議にアサド政権側、反体制派側の双方が参加したものの、再び合意には至らなかった。

こうして明確な和平プロセスの進展がない中、同年11月、米国・ロシア・EUなどで構成される「国際シリア支援グループ」(ISSG:International Syria Support Group)がウィーンで会合を開き、早期停戦の実現や政権移行プロセスについて協議を行い、移行プロセスの日程などを含む具体的な合意に達した。さらに、同年12月には、和平プロセスのロードマップとして国連安保理決議第2254号35が採択された。16(同28)年2月には、ISIL及びヌスラ戦線などのテロ組織以外を対象にした敵対行為の停止に関する合意が米露間でなされ、その後、シリアにおける敵対行為の停止に関する国連安保理決議第2268号が採択されたものの、北部アレッポを中心に停戦違反が確認されており、最終的な内戦の終結などの先行きは依然不透明である。

(5)難民の拡大と欧州への影響

混迷する中東情勢を背景として、昨今、主に中東・北アフリカから地中海を渡るルートや、トルコを経由しギリシャからバルカン半島を北上するルートで欧州へ渡航する難民・移民が増加している。15(同27)年の一年間だけでも約100万人以上の難民・移民が欧州に流入し、欧州をはじめ国際社会はその対応に苦慮している。

こうした問題は、難民・移民にISILなどのテロリストが紛れ込んで欧州に流入し、欧州各地のテロ予備軍と結びつき、ネットワークを形成することで、欧州におけるテロの脅威を高めている。同年11月にパリで発生した同時多発テロでは、難民・移民の流入に紛れて欧州に入った少なくとも1名の実行犯の存在が指摘されている。このため、欧州諸国においては、多数の難民の受け入れとISIL戦闘員の流入阻止、密航船の取り締まり、地中海で転覆した密航船の乗客の救助など多くの課題に直面している。

このように、急激な難民・移民の流入がもたらす問題解決も視野に、英・仏をはじめとする欧州諸国は、シリア和平プロセスへの関与などの外交的努力に加え、対ISIL軍事作戦への参加を通じて、シリア及びイラクの安定を目指している36

2 イエメン情勢
(1)政治的な混乱

イエメンでは、アラブの春を受けた11(平成23)年2月以降の反政府デモや国際的な圧力37により、平和裏にサーレハ大統領からハーディ大統領への政権移行が行われた。

ハーディ大統領は国内対話を実施したが、14(同26)年8月以降、同国北部を拠点とする反政府武装勢力ホーシー派38が主導するデモが首都サヌアで発生し、同年9月、ホーシー派と治安部隊が衝突し、ホーシー派は市内の主要な政府庁舎を占拠した。さらに、15(同27)年1月の武力衝突を受け、ハーディ大統領などが辞表を提出したことにより事態は緊迫化し、同年2月、ホーシー派が議会を解散させ暫定国民評議会及び大統領評議会を設置すると発表した。

(2)イエメンに対する軍事介入とイスラム過激派の勢力拡大

その後、ハーディ大統領は辞任を撤回し、同国南部のアデンに政府の拠点を移す一方、ホーシー派は紅海沿岸部や首都サヌアからアデンの間の重要な都市に進出し、アデン市内に侵攻する事態が発生した。この事態を受け、ハーディ大統領派がアラブ各国に支援を求めたところ、同年3月にサウジアラビアが主導する有志連合によるホーシー派への空爆、いわゆる「決意の嵐作戦」が開始された。この作戦において、サウジアラビアはホーシー派及びそれを支援するイエメン軍の基地を空爆し、弾道ミサイルなどを破壊したとみられる。しかし、イエメン国内及びサウジアラビア国境周辺では、ロケット砲の応酬や空爆に巻き込まれた民間人を含む犠牲が生じ、国際社会からは双方に対する強い懸念が示された。同年4月には、政治解決を目指す「希望の回復作戦」が開始されたほか、国連安保理が決議第221639号を採択し事態終結に向けた取組を実施したが、ホーシー派による国境周辺でのサウジアラビアへの攻撃は継続し40、これに対するサウジアラビアなどのアラブ諸国41によるホーシー派空爆も続けられた。

一方、イエメンは、主にイエメン南部を拠点とするアラビア半島のアルカイダ(AQAP:Al-Qaida in the Arabian Peninsula)の活動拠点ともなっている。15(同27)年2月のホーシー派による政権奪取により政治的に不安定な状況の中、イスラム過激派が勢力を拡大させ、ISILはイエメンに支部を設置し、政府要人やシーア派のモスクなどを標的としたテロ攻撃を実施した42。これらの混乱を利用してAQAP及びISILは新たな戦闘員を勧誘し、影響力を拡大させていることから、新たな懸念事項となっている43

(3)和平協議の動向

15(同27)年6月以降、国連の仲介のもとに一時停戦や和平協議は行われてきたものの44、最終的な和平合意はなされていない。一部では、最近のイランとサウジアラビアとの間の対立45が協議の進展を遅らせているとの指摘があったものの、16(同28)年4月には再び停戦が発効し、和平協議が再開した後、停戦違反を理由とした中断などを挟みつつ協議が行われている。

3 リビア情勢
(1)カダフィ体制の崩壊

リビアでは、11(同23)年2月に発生した反政府デモが全国各地に拡大し、カダフィ政権は武力で鎮圧を行った。これに対して、米英仏を中心とする多国籍軍が軍事行動を実施する中46、同年10月、反体制派の国民暫定評議会がカダフィ大佐の死亡を発表し、リビア全土の解放を宣言した。12(同24)年7月には制憲議会選挙が実施されたが、軍や治安の再建は進まず47、民兵や部族の指導者が強い影響力を発揮し48、世俗派とイスラム主義派がこれらの支援を受けつつ勢力争いを行っている。14(同26)年3月、ゼイダン首相の不信任案が可決され、同年6月には国民議会選挙を実施したものの、イスラム主義派と世俗派の対立は激化し、首都トリポリを拠点とするイスラム主義派の制憲議会と東部トブルクを拠点とする世俗派で米国などからの支持を受ける代表議会の2つの議会が並立する分裂状態に陥った。15(同27)年12月に国連の仲介により国民合意内閣を形成することが合意され、16(同28)年3月には、イスラム・世俗派双方が反対する中、国民統一政府がトリポリに入り、政権設立作業に着手している。しかし、治安部隊の創設など課題も多く、国内の統治及び治安を確立する上で課題に直面するとみられている。

(2)イスラム過激派の勢力拡大

このような政治的に不安定な状況の中で、イスラム過激派がリビア国内で勢力を拡大させている49。14(同26)年12月、米アフリカ軍はリビア東部にISILの訓練キャンプが存在していると指摘し、米軍が監視していることを明らかにした。また、15(同27)年1月以降、リビア国内のISIL関連組織がテロ行為50を相次いで行った。これに対して、エジプト政府は、リビア政府とともにISILに対する報復として空爆を実施した。ISILはリビア国内に3つの支部を有しており、現在では昨年の約2倍の約6,000人の戦闘員が活動しているとみられるなど、リビアにおけるISIL支部は最も発達した支部とされている51。特に、シルトを拠点として沿岸部の石油施設に対する攻撃などによって勢力を拡大させていると見られている。こうした中、リビアなど北アフリカから多数の難民が密航船により欧州に上陸しているが、こうした難民・移民52の中にISILの戦闘員が紛れ込んでいるとの指摘もある53。16(同28)年5月に実施された国民統一政府を支援する閣僚会合で、ISILと闘うために殺傷兵器等の武器禁輸を緩和するなどの方向性が示され、今まで以上に国際社会による取組みが期待されている。

4 アフガニスタン情勢
(1)米国同時多発テロ後の動向

アフガニスタンでは、米国同時多発テロを受けて01(同13)年11月に米軍が開始した「不朽の自由」作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)によるタリバーンなどの掃討作戦や、国際治安支援部隊(ISAF:International Security Assistance Force)及びアフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)による治安維持活動などの取組により、タリバーンの攻撃能力は低下しつつあるものの、都市部への断続的な攻撃能力を維持しているとみられ、15(同27)年9月には、北部クンドゥズにおいて県庁や警察本部、政府機関事務所を占拠するなど、勢力を盛り返しつつある54

14(同26)年4月及び6月に実施されたアフガニスタン大統領選挙の結果を受けて、同年9月にはガーニ政権が誕生し、カルザイ前政権が先送りしてきた、外国部隊の駐留を巡る問題にも終止符を打った55

(2)ISAFの任務終了後の治安情勢

14(同26)年12月、ISAFの任務が終了し、15(同27)年1月から、NATO主導で教育訓練や助言などを行う「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」56が開始された。また、米軍はNATOの一員としてアフガニスタン軍の訓練を行いつつ、対テロ作戦を担う「自由の番人作戦(OFS:Operation Freedom Sentinel)」を実施しているが、15(同27)年10月、オバマ米大統領は、アフガニスタン国内の治安悪化の状況を踏まえ、16(同28)年中はアフガニスタンにおける米軍の人員を約9,800人のまま維持し、17(同29)年以降は5,500人へと減員すると発表したが、16(同28)年6月、カーター米国防長官は、①近接航空支援による火力の増加、②アフガニスタンの陸空部隊に対する同行・助言を柱とする米軍の任務拡大について言及するなど、タリバーンの勢力回復等の不安定要素がある中で、再び米軍による関与の拡大の可能性が指摘されている。16(同28)年7月、オバマ大統領は自らの政権在任中においては約8,400人の態勢を維持する方針を改めて表明した。

14(同26)年12月のISAFの任務終了にともなって、アフガニスタンの治安権限はISAFからANDSFに移譲され、ANDSFは作戦計画の策定や武装勢力の鎮圧などの面で一定の治安維持能力を有すると評価されている。また、国防省は同年8月に新しい国家軍事戦略を策定し、各種の取組を進めている57。ただし、ANDSFは兵站、士気、航空能力及びリーダーシップ面での課題もあり、タリバーンが事実上支配する地域を拡大させている58。一方、ISILはアフガニスタンとその周辺地域にホラサーン支部を設置し、15(同28)年4月のジャララバードでのテロに犯行声明を発出する等したものの散発的であり、これまでのところ大きな脅威ではないとみられている59

アフガニスタンの問題は治安だけにとどまらず、その復興には、汚職の防止、法の支配の強化、麻薬対策の強化、地方開発の促進などの課題が山積している。同国の平和と安定は国際社会の共通の課題であり、国際社会がアフガニスタンに継続的に関与していくことが必要である。

5 中東和平をめぐる情勢

中東では1948(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた一方、イスラエルとパレスチナ間では1993(平成5)年のオスロ合意など和平プロセスが一時進んだものの、和平の実現までには至っていない60

13(同25)年7月には、米国の強い働きかけにより、イスラエルとパレスチナによる中東和平協議が約3年ぶりに再開されたものの、14(同26)年3~4月、イスラエルによる囚人釈放中止、パレスチナによる国際条約加入申請、ファタハを主流派とするPLOとパレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス61による国民融和内閣の組閣合意などを受け、和平協議は中断を余儀なくされた。こうした中、同年6~7月にかけて、双方で緊張関係が高まり武力衝突に発展した62。同年7月にはイスラエル軍は地上軍による作戦を開始した63が、同月、エジプトの要請を受け入れる形で双方が停戦に合意した64

こうした中、欧州では14(同26)年10月以降、各国議会でパレスチナの国家承認を求める動きが見られるようになっている65。また、15(同27)年1月には、パレスチナによる国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)66への加盟申請が受理されたことから、同月、ICCはパレスチナの戦争犯罪の有無に関する予備調査を開始67し、同年4月に正式に加盟を果たした。こうした国際社会の動向に対しイスラエルは反発を示している。また、同年9月、パレスチナ自治政府のアッバース大統領が国連総会の演説でオスロ合意の破棄の可能性について言及するなど、双方の関係は悪化の傾向で推移している。

イスラエルとシリア、レバノンとの間では、いまだに平和条約が締結されておらず68、国際社会によるさらなる取組みが求められている。

6 エジプト情勢

11(同23)年1月、「アラブの春」69による民衆デモを受け、ムバラク大統領による独裁体制が終了し、12(同24)年6月の大統領選挙の結果、ムスリム同胞団70出身のムルスィー氏が新たな大統領に選出された。しかし、13(同25)年6月、経済面での行き詰まりやイスラム主義勢力とリベラル・世俗勢力間での亀裂を背景とした、ムルスィー大統領退陣を要求する大規模デモが発生し、デモの一部と大統領支持派の衝突により多くの犠牲者が出る中、同年7月には軍が介入し、ムルスィー大統領を解任、暫定政府が発足させた。そして、14(同26)年5月には、暫定政府が作成した国民和解のための包括的な民主化プロセスであるロードマップに沿って大統領選挙が実施され、シーシ前国防大臣が当選した。その後、15(同27)年10月から12月にかけて、議会選挙が行われ、シーシ政権の政策を支持する選挙連合である「エジプトへの愛」が勝利している71

一方、緊迫するイエメンなど周辺国の情勢を受けて、エジプトは、フランスからミストラル級強襲揚陸艦2隻72を調達予定であり、既に同国海軍の兵士が訓練を受けているとみられるなど、海外からの装備導入を積極的に進めている。

さらに、シナイ半島では、近年、イスラム過激派によるテロが活発化しており、同国軍は制圧作戦を展開するなど、テロ対策を強化している。しかし最近では、ISILシナイ支部73が勢力を拡大させており、治安部隊などに対するテロ攻撃を繰り返しているほか、15(同27)年8月、沿岸警備隊の艦船に対する攻撃を実施するなど、非常に高度かつ組織的な計画に基づく作戦を実施しているとされている74。同年10月には、シナイ半島上空で、搭載されていた爆弾の爆発によりロシア旅客機が墜落し、乗客乗員224人が死亡する事件が起きており、ISILシナイ支部が事件後に犯行声明を発出した。この事件では、空港職員による支援の存在も指摘されている。このような事例は、エジプト国内でISILのネットワークが徐々に浸透しつつあることを示すものとして、新たな懸念材料になっている。シナイ半島以外では、首都カイロでもテロによる被害が出ており75、これらもISILが犯行声明を発出しているなど、ISILの脅威はシナイ半島以外にも拡散している。

7 スーダン76・南スーダン情勢

1983(昭和58)年から続いた北部のアラブ系イスラム教徒を主体とするスーダン政府と、南部のアフリカ系キリスト教徒を主体とする反政府勢力との間の南北内戦は、05(平成17)年、周辺国と米国などの仲介による南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)成立により終結した。11(同23)年1月に行われたCPAの規定に基づく住民投票の結果、同年7月9日、南スーダン共和国が独立した。また同日、国連安保理が採択した決議第1996号に基づき、平和と安全の定着及び南スーダンの発展のための環境の構築の支援などを任務とする国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された77。独立後は、アビエ地域78の帰属を含む国境線画定や石油の収益配分79などの課題について、AUなど国際社会の仲介により、スーダン・南スーダン間の交渉が続けられてきたが、12(同24)年9月には国境地帯の治安措置や石油などに関する一連の合意文書に、13(同25)年3月には合意履行日程を規定した文書に署名がなされた。

南スーダンでは、13(同25)年7月に大統領が副大統領を罷免したことから、両者の政治的対立が表面化した。同年12月、首都ジュバにおける大統領警護隊同士の戦闘の発生を契機に、大統領派(政府)と副大統領派(反政府勢力)との衝突へと発展した。その後、南スーダン政府と反政府勢力との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為が各地に拡大し、多数の死傷者、難民及び国内避難民(IDP:Internally Displaced Persons)が発生した。このような状況の中、同月24日、国連安保理は決議第2132号を採択し、軍事要員の上限を5,500人増員することなどを含むUNMISSの増強を決定した。また、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)」80が、南スーダン指導者間の対話の開始や調停に向けた試みを主導し、14(同26)年1月、IGADの調停のもと、政府と反政府勢力との間で南スーダンにおける敵対行為の停止などに関する合意の署名がなされた。しかし、繰り返し停戦合意が破られ、政府と反政府勢力の対立が激化したため、14(同26)年5月、国連安保理はUNMISSのマンデートを文民保護、人権監視調査、人道支援促進支援及び敵対的行為の停止合意の履行支援の4分野に限定することなどを定めた決議第2155号を採択した。その後、IGADは、国際機関(国連、AU、EU)、アメリカ、イギリス、ノルウェー、中国及びアフリカ各国(南アフリカ、チャド、アルジェリア、ナイジェリア、ルワンダ)を調停団に加えたIGADプラスとして調停を継続し、15(同27)年8月に暫定政府の設立などを柱とした南スーダンにおける衝突の解決に関する合意(以下「合意」という。)が、政府と反政府勢力との間で成立した。本合意を受け、国連安保理は同年10月、UNMISSのマンデートに和平合意の履行支援などを加えた安保理決議第2241号を採択し、さらに、同年12月、国連安保理はUNMISSのマンデートを16(同28)年7月末まで延長する決議第2252号を採択した。その後、合意の履行に向けた取組が進められ、同年4月29日、国民暫定統一政府が設立された。

8 ソマリア情勢

ソマリアは、1991(同3)年に政権が崩壊して以降、無政府状態に陥った81。05(同17)年、周辺国の仲介により「暫定連邦政府(TFG:Transitional Federal Government)」が発足したが、これと対立する「イスラム法廷連合(UIC:Union of Islamic Courts)」などとの間で戦闘が激化した。06(同18)年、米国の支援を受けたエチオピア軍が軍事介入し、UICを駆逐した。07(同19)年には、アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)82が国連の承認を受けて創設された。一方、UICの一部が独立したアルカイダ系過激派武装勢力「アル・シャバーブ」が中南部で勢力を拡大し、TFGに抵抗した。これに対してAMISOMなどへ周辺国が部隊を派遣し、12(同24)年10月、アル・シャバーブの主要拠点キスマヨを奪還した。14(同26)年8月、 AMISOMは「インド洋作戦」を開始し、アル・シャバーブの拠点であった中南部の一部都市の奪還に成功した。さらに翌月、米軍の攻撃によりアル・シャバーブの指導者、ゴダネが殺害された。この報復として、アル・シャバーブはAMISOM兵士への攻撃や83、AMISOM参加国に対するテロを頻発させており、これらを通じてAMISOM参加国を牽制しているとの指摘もある84

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っている85。現在も、引き続きソマリア沖での国際的な取り組みが行われており、海賊による被害は着実に減少している。

ソマリアでは、12(同24)年8月、TFGの暫定統治期間が終了し、新連邦議会が招集された。同年9月には新大統領が選出され、同年11月には新内閣が発足した。こうして21年ぶりに成立した統一政府が、情勢の安定化を目指している。

9 マリ情勢

マリでは、12(同24)年1月、トゥアレグ族86の反政府武装勢力「アザワド地方解放国民運動(MNLA:Mouvement national de liberation de l’Azawad)」が反乱を起こし、イスラム過激派勢力「アンサール・ディーン(Ansar Dine)」などがこれに合流した。MNLAは北部の複数の都市を制圧し、同年4月に北部の独立を宣言した。その後、MNLAを排除したアンサール・ディーンや「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO:Mouvement pour l’Unification et le Jihad en Afrique de l’Ouest)」、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM:al-Qaida in the Islamic Maghreb)」などのイスラム過激派勢力がイスラム法に基づく統治を行い、マリ北部の人道・治安状況が悪化した。

これに対し、12(同24)年12月、国連安保理は決議第2085号を採択し、マリ軍及び治安機関の能力再構築や、マリ当局への支援などを任務とするアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA:African-led International Support Mission in Mali)87の展開を承認した。13(同25)年1月には、アンサール・ディーンなどの中南部への侵攻といった事態を受けて、マリ暫定政府の要請を受けたフランスが部隊を派遣した。その後、AFISMAも展開し、マリ暫定政府は北部の主要都市を奪還した。13(同25)年4月、国連安保理は、人口密集地の安定化とマリ全土における国家機能の再構築支援などを任務とする国連マリ多面的統合安定化ミッション(MINUSMA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali)の設置を決定する安保理決議第2100号を採択した88。同決議に基づき、同年7月、AFISMAから権限を移譲されたMINUSMAが活動を開始した。MINUSMAの支援のもと、大統領選挙が平和裡に実施され、同年9月に新政府が成立した89

その後、14(同26)年5月にマリ軍とMNLAとの大規模な衝突が発生したが、同月、AUの仲介により、両者の停戦合意が成立し、同年7月には、国連、アルジェリアなどの仲介により、マリ政府とMNLAを含むトゥアレグ族の反政府武装勢力の間で和平協議が開始され、15(同27)年6月、政府と武装勢力との包括的和平合意がなされた。本合意を受け、同月にはMINUSMAのマンデートを更新する国連安保理決議第2227号が採択された90。しかし、同地域において、MINUSMA部隊に対するAQIMなどの過激派武装勢力による断続的な攻撃が発生しており91、依然として同地域の情勢は不安定な状態が続いている92

一方、14(同26)年8月、フランス軍は、マリを含むサヘル地域93全体に拡がるテロの脅威に対して効果的に対処するため、マリ、チャド、ニジェールに展開する部隊を統合・再編し、地域全体にわたって作戦を展開する「バルカンヌ作戦」を開始した94。現在、フランス軍はMINUSMAや域内諸国の軍とともに、マリ北部を含むサヘル地域の安定化を図っている95

10 ブルンジ情勢

ブルンジでは、1962(昭和37)年のベルギーからの独立後、全人口の約85%を占める多数派であるフツ族と、同約14%の少数派であるツチ族との間で抗争が繰り返されてきた。独立後、1993(平成5)年まではツチ族が政権を維持していたが、同年6月、複数政党制による選挙が民主的憲法の下で初めて行われ、フツ族のンダダイエが勝利し、大統領に就任した。しかし、ツチ・フツ両部族間の対立が激化した結果、ンダダイエ大統領は同年10月、わずか100日間の在任期間で、ツチ族主導の軍部に暗殺された。その後、1994(同6)年1月、国民議会(下院)により選出されたフツ族のンタリャミラ氏が大統領に就任したが、同年4月には、同大統領が搭乗していた航空機がルワンダで撃墜され、同乗していたハビャリマナ・ルワンダ大統領とともに殺害される事件が発生するなど、情勢の混乱が続いた。

1996(同8)年7月、クーデターによりツチ族のブヨヤ政権が誕生したことで、国際社会はブルンジに制裁を加えた。1998(同10)年6月には和平プロセスが始まり、00(同12)年8月には、マンデラ・前南アフリカ大統領などの仲介努力により、フツ系反政府武装勢力を除く大多数の交渉当事者間でアルーシャ和平合意が成立し、その結果、01(同13)年11月に3年間の暫定政権が発足した。この暫定政権は、前期と後期に分かれ、前期の大統領にはツチ族のブヨヤが、また後期の大統領には前期で副大統領を務めたフツ族のンダイゼイエが、それぞれ就任した。

こうした和平プロセスが進むなか、フツ系反政府勢力はアルーシャ合意に署名せず、戦闘を継続していたが、03(同15)年11月、暫定政府は、最大のフツ系反政府勢力である「民主防衛国民会議・民主防衛戦線(CNDD-FDD:Conseil National pour la Défense de la Démocratie-Force pour la Défense da la Démocratie)」との停戦合意を締結した。そして、同合意を受け、ンクルンジザCNDD-FDD代表が、良き統治大臣として入閣した。

05(同17)年2月には国民投票により新憲法が制定され、同年6月から8月にかけて、政党となったCNDD-FDDが選挙で勝利を収め、ンクルンジザ良き統治大臣が大統領に選出された。

06(同18)年9月、唯一武力闘争を継続していたフツ系反政府勢力「民族解放軍(FNL:Forces Nationales de Libération)」との包括的停戦合意が成立した。その後、和平合意のプロセスが停滞していたが、09(同21)年に入り、FNLの政党化承認及びブルンジ国軍・警察への統合などを経て和平プロセスが完了した。

15(同27)年4月、ンクルンジザ大統領が憲法で禁止されている3選出馬を表明すると、これを機に首都ブジュンブラで反対派の抗議活動が発生し、与党や警察・軍と反対派との衝突が繰り返された。その後、ンクルンジザ大統領が同年7月に再選されると、反対派との衝突がエスカレートした。このブルンジ危機により約20万人が周辺国に逃れる状況となった。

ブルンジ情勢に対する国際社会の関与は16(同28)年に入り強まっている。国連安保理は1月にブルンジ視察ミッションを派遣し、潘基文(パン・ギムン)事務総長も2月にブルンジを訪問した。また、同じく2月、AUもハイレベル代表団をブルンジに派遣した。さらに、東アフリカ共同体(EAC:East African Community)は調停者に指名されていたムセベニ・ウガンダ大統領に加え、同年3月にムカパ・元タンザニア大統領をファシリテーターに指名し、国民対話の実施に取り組んでいる。4月になると、国連安保理は全会一致で決議2279号を採択し、事務総長に警察ミッションの派遣オプションの提示を要請した。これに対して事務総長から、①3,000人規模の一部保護活動を含む警察部隊の派遣、②228名の警察監視団の派遣、③数十名規模の評価団の3ヶ月程度の派遣、という3つの選択肢が提示され、6月末現在協議が続いている。

10 16(平成28)年1月の国連人道問題調整官の発表では、シリアの衝突による死者数は25万人以上とされている。また、シリア内戦開始以降で、約1,100万人以上の難民及び国内避難民(IDP:Internal Displaced Person)が発生している。

11 このほか、シリアでは、アサド政権による化学兵器使用問題が発生している。13(平成25)年8月にはシリア国内における化学兵器の使用問題を受け、軍事行動を主張する米国と、シリアの化学兵器を国際社会の管理下に置くとする露の対立が表面化する中、シリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器が使用され、多数の市民が死亡した。これを受け、従来から化学兵器の使用はレッドラインを越えるとしてきたオバマ米大統領が、シリア政府が化学兵器を使用したと評価するとともに、アサド政権に対して軍事行動を行うべきと決定したと述べたことなどにより軍事的な緊張が高まった。同年9月、ケリー米国務長官とラブロフ露外相による交渉の末、米露両国はシリア政府に対して化学兵器の完全な廃棄に向け、シリア政府の申告と国際的な査察受け入れなどを求める内容の枠組みに合意した。シリア政府は、保有する化学兵器のリストを化学兵器禁止機関(OPCW:Organization for the Prohibition of Chemical Weapon)に提出し、化学兵器禁止条約に加入するなど枠組みのもとでの対応をとったため、米国などによるアサド政権への軍事行動は回避された。化学兵器禁止機関の決定及び関連する国連安保理決議に従い、シリアの化学兵器廃棄に向けた国際的な努力が行われ、14(同26)年8月、米政府の輸送船「ケープ・レイ」で実施されていた廃棄作業が完了した。

12 ISILは13(平成25)年4月、ヌスラ戦線を吸収・統合すると一方的に発表した。これに対してヌスラ戦線が反発したため、アルカイダ中枢が調停を行ったものの、その調停に従わなかったためISILはアルカイダ中枢との関係を悪化させた。14(平成26)年2月2日、アルカイダ指導者アイマン・アル・ザワヒリは、インターネット上において「ISILはアルカイダの支部ではない、我々とは組織的に関係なく、その行動に責任をもたない」とISILとの絶縁を宣言した。

13 ISILの組織上の特徴などについては3項「拡散する国際テロリズムをめぐる動向」を参照。

14 アラビア語で「後継者」を意味する。預言者ムハンマド没後、イスラム共同体を率いる者に対して用いられ、その後ウマイヤ朝やアッバース朝などいくつかの世襲王朝君主がこの称号を用いた。

15 米国はISILから迫害されていた少数派ヤズィーディー教徒を解放するという人道目的のための空爆も同時に発表している。合同統合任務部隊によると、16(平成28)年6月1日現在で有志連合全体では12,600回以上の空爆が実施されている。

16 イラクにおける対ISIL空爆には、16(平成28)年6月現在、米国以外に、英国、フランス、豪州、デンマーク、ベルギー、オランダ、ヨルダンが参加している。

17 オバマ米大統領は、ISILを弱体化させ、究極的には壊滅させることを目標に、軍事作戦の地域をシリアにも拡大し、広範な有志連合を率いて空爆のみならず、地上戦を担うイラク治安部隊やシリアにおける穏健派の反体制派への軍事支援などを行うことを表明した。なお、シリアにおける対ISIL空爆には、16(平成28)年4月現在、米国、英国、フランス、豪州、オランダ、ロシア、バーレーン、トルコ、ヨルダン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が参加しているほか、ロシアも有志連合とは別に実施している。

18 有志連合による作戦で、22,120人のイラク治安部隊及びペシュメルガの訓練が終了している(16(平成28)年5月10日現在))。

19 米国は14(平成26)年に、1,500発以上のヘルファイアミサイルをイラク政府に対して供与した。15(同27)年はMRAP250両(クルド自治区への配分含む)、数万の小型武器と弾薬などを供与したほか、同5月には対戦車ロケット2,000発の供与を決定した。さらに、16(同28)年1月には、追加のヘルファイアミサイル5,000発及びF-16に搭載する弾薬やミサイルなどの装備の売却を決定した。

20 ISILがイラク国内において勢力を保つ5万5,000平方キロメートルのうち、約45%にあたる2万5,000~2万6,000平方キロメートル(16(平成28)年4月米中央軍発表)を奪還している。

21 15(平成27)年5月、カーター米国防長官は「イラク軍は戦意が欠如していた」と述べる一方、バイデン副大統領は「イラク軍は各地で膨大な犠牲を払っており、勇敢さを示している」と発言している。

22 奪還後はシーア派と地元スンニ派との間での対立など新たな問題が生起している。

23 ラマディはISILの攻勢を受け、15(平成27年)5月に陥落。

24 ラタキアに、Su-24、Su-25、Su-30などの固定翼戦闘機、Mi-24、Ka-52などの回転翼攻撃ヘリなどを派遣した。

25 ロシアにとって、タルトゥースはシリア国内においてロシア唯一の地中海に面した海軍基地であり、艦船に対する燃料・食料などの供給や艦船の修理を実施出来るドックがあるとされている。

26 戦略爆撃機による空爆以外にも、カスピ海に配備された巡洋艦やシリア沖に展開していたとされるキロ級潜水艦から巡航ミサイル(カリブル)による攻撃が行われている。

27 空爆を強化した直後は、空爆の主な対象が、有志連合が支援する反体制派からISILへと変化したと指摘されている。しかしながら、依然としてロシアによる空爆対象の約7割が反体制派であり、ISILは約3割との指摘もなされている。

28 ロシア、イラン、シリア、イラクの4ヶ国はバグダッドに情報共有センターを開設し、対ISIL作戦に資する情報共有を進めているとされている。

29 シリア空爆では、ISILとともに米国の権益に対して影響を与えると見られたホラサーン・グループに対する空爆も併せて実施された。

30 米軍は当初、シリアにおける反体制派のなかで、穏健派約5,400人を育成する計画であったが、育成された第1陣は54人にとどまり、その多くは拘束・殺害された(15(平成27)年9月16日米上院軍事委員会証言)。

31 シリアではISILが支配する地域のうちの約30%程度の9,000~9,200平方キロメートルを奪還した(平成28年4月:米中央軍発表)。

32 16(平成28)年6月現在、アフガニスタン、アルジェリア、バーレーン、エジプト、イラク、リビア、ナイジェリア、ロシア、パキスタン、チュニジア、サウジアラビア、シリア及びイエメンでISIL中枢が支部として認可した組織が存在するとされるほか、バングラデシュ、インドネシア、フィリピン、インド、フランス及びベルギーにおいてISILを自称する組織が存在するとされる。

33 米国防情報局「世界脅威評価書2015」(15(平成27)年1月)による。エジプトでは、アンサール・バイト・アル・マクディスがシナイ半島で活発に活動している。I部3章1節2項6「エジプト情勢」参照。リビアにおけるISILの活動はI部3章1節2項3「リビア情勢」参照

34 カーター米国防長官は対ISIL軍事作戦の3年での完了は確約できないと表明(15(平成27)年3月11日カーター米国防長官の上院証言)。また、米国防省によるとこれまでの空爆で、約1,620の石油関連施設、7,800を超える戦闘拠点などを破壊したと発表(16(同28)年5月31日現在)

35 国連安保理決議第2254号は、①6か月以内の包括的・非宗派主義的な政府の樹立及び新憲法制定のプロセスの確定、②新憲法に基づく18か月以内自由かつ公正な選挙の実施などを内容とする。

36 一方で、ロシアによるシリア空爆が難民・移民をかえって増やしているとの指摘もある。

37 1981(昭和56)年に、防衛・経済をはじめとするあらゆる分野における参加国間での調整、統合、連携を目的として、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、カタール、クウェートによって設立された湾岸協力理事会(GCC:Gulf Cooperation Council)が、11(平成23)年4月に、大統領が副大統領に対して即座に権限移譲を実施するかわりに訴追が免除されるという条項を含むGCCイニシアティブを提示した。

38 イスラム教シーア派ザイド派教義を信奉するホーシー派は、イエメン北部サアダ州を拠点に04(平成15)年、反政府勢力として武装蜂起し、イエメン国軍と武力衝突した。

39 同決議では、ホーシー派などに対する占拠した政府機関からの撤収、奪取したイエメン軍の兵器の返却、武器禁輸及び資産凍結などを定めている。

40 15(平成27)年6月、ホーシー派及びサーレハ元大統領支持派の軍部隊がサウジアラビア南部のハミース・ムシャイトに向けてスカッド・ミサイル1発を発射する事案が発生している。サウジアラビア軍はパトリオット・ミサイル2発で迎撃するとともに、サアダ州南部の発射地点を特定した上で破壊している。イエメンのスカッド・ミサイルは北朝鮮から購入されたものであると指摘されている。

41 その他、エジプト等が海軍艦艇を派遣するなどしていた。

42 例えば、15(平成27)年3月、サヌア市内の2カ所のシーア派モスクで同時自爆テロが発生、142人が死亡する事件が発生した。事件後、ISILが犯行声明を発出した。

43 AQAPは、15(平成27)年12月に南部の都市ジンジバルを制圧した。

44 国連の仲介のもと第1回目となるイエメン和平協議がジュネーブで開催された。この協議には、イエメン政府及び反政府勢力の双方が参加し、間接的な協議を行ったものの最終的な合意には至らなかった。また、同年12月にはスイスにおいて、イエメン政府及び反政府勢力との間で第2回和平協議を開催し、初めての直接協議が実現した。協議に先立ち、停戦が発効されていたが、敵対行為の停止に違反する事例が相次ぎ、協議は大きな成果を得ることができないまま中断した。各交渉団が別々の部屋に所在し、国連を介して協議を実施した。

45 16(平成28)年1月、サウジアラビア政府が、11(同23)年にサウジアラビア東部で反政府デモを主導した容疑で、シーア派イスラム法学者のニムル師などの死刑を執行したことに対し、イランで、在イランのサウジアラビア大使館に対して暴徒化した群集が放火する事案が発生した。これを受け、サウジアラビアはイランに対し、外交関係断絶やイラン外交使節団の48時間以内の国外退去などを求めた。一方、同月、イランは、「サウジアラビア空軍機が在イエメンのイラン大使館を空爆し、警備要員が負傷して建物にも被害が出た」との主張を行ったが、実際には大きな被害は出ていないとの見方が強い。

46 国連安保理は、民間人を保護するためのあらゆる措置を認める決議(安保理決議第1973号(11(平成23)年3月17日採択)を採択し、軍事活動の根拠とした。

47 ミリタリー・バランス2011及び2014によると、アラブの春以前は7.6万人だったリビア軍の人員が、14(平成26)年時点では7,000人へと減少している。

48 東部沿岸地域では、自治拡大を求める民兵組織が9か月にわたり石油関連施設を占拠していた。

49 12(平成24)年9月のベンガジの米国総領事館襲撃事件では、大使を含む4人の米国人が殺害され、14(同26)年1月、同事件に関与したとされるアルカイダ系の「アンサール・アル・シャリーア」を米国務省がテロ組織として指定した。

50 15(平成27)年1月、首都トリポリにある高級ホテルを武装集団が襲撃し、少なくとも13人が死亡した。「ISILのトリポリ州」が犯行声明を発出している。同年2月には、ISILに忠誠を誓う過激派組織がエジプト人コプト教徒21人を殺害したとみられる映像をインターネット上に投稿した。

51 16(平成28)年2月米国家情報長官による世界脅威評価についての議会証言による。

52 難民については、I部3章1節2項1「ISILの台頭を受けたシリア・イラク情勢」及びI部2章8節「欧州」を参照。

53 中東・北アフリカから欧州への難民・移民の流れについては、1項「ISILの台頭を受けたシリア・イラク情勢」を参照。

54 タリバーンは駐留外国軍が完全に撤退するまで戦闘を継続するとしている。

55 15(平成27)年以降の米軍駐留の法的枠組みを定めた米・アフガニスタン間の安全保障協定(BSA:Bilateral Security Agreement)及び15(同27)年以降のNATO軍主導によるアフガニスタン支援任務のための地位協定(SOFA:Status of Forces Agreement)への署名が行われ、11月にアフガニスタン上下両院で承認された。

56 16(平成28)年3月現在、約13,000人が任務に参加しており、カブールを拠点として国内5カ所(カブール、マザリシャリフ、ヘラート、カンダハル及びラグマン)に展開。NATOによるRS任務についてはI部2章8節参照

57 国防省と国軍の組織強化や国軍のプロフェッショナル化などを重点目標と定めたほか、課題とされてきた識字率についても各種教育課程を実施するなどの取組が進められている。

58 15(平成27)年7月、タリバーンの最高指導者のオマル師の死亡が確認された。タリバーンは、後継者としてマンスール師を選出したが、マンスール師の支持派と反対派の間での内部抗争が確認されている。タリバーンは、首都のカブールに加えて、アフガニスタン北部、南部、西部で攻勢を仕掛け、事実上の支配地域を拡大させている。

59 米国家情報長官「世界脅威評価2016」(16(平成28)年2月発表)による。なお、地域紛争を研究するシンクタンクのソウファン・グループが15(同27)年12月に発表した報告書によれば、シリア及びイラクで活動するアフガニスタン出身のISIL戦闘員は約50人である。

60 イスラエルとパレスチナの間では、1993(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(同15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、イスラエル軍が、08(同20)年末から09(同21)年初めにかけてガザ地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を行い、12(同24)年11月にも同地区に対して空爆を行うなど、12(同24)年までに2度にわたる大規模な戦闘が行われたが、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

61 ハマスはイスラエルの存在を認めていない。

62 14(平成26)年6月、イスラエル人の少年が殺害されたことに伴い同年7月、パレスチナの少年が殺害される報復とみられる事件が発生し、双方で緊張が高まり、同月ガザ地区からイスラエル領内に向けたロケット弾が散発的に発射され、双方で衝突が発生した。

63 国連人道問題調整所報告書(14(平成26)年8月)によると、この衝突により、ガザ地区では少なくとも2,133人のパレスチナ人が死亡したとされる。

64 停戦合意の主な内容は、①ガザ地区とイスラエル間の通行所開放、②人道支援物資・救援物資並びに復興に必要な物資の早期搬入実現、③漁業水域を6海里とすること、④停戦が保証されてから1か月間その他の議題(ガザ地区の空港・港建設、ハマスの武装解除など)に関し両当事者間の間接交渉を継続することであるが、④の協議は停滞している。

65 スウェーデンは、パレスチナを国家承認し、英国、フランス、スペインの議会ではパレスチナの国家承認を求める決議採択などの動きが見られた。

66 国際刑事裁判所は、国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪(集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪)を犯した個人を、国際法に基づいて訴追・処罰するための、歴史上初の常設の国際刑事裁判機関である。

67 予備調査では、証拠収集、当事者双方の関係者の聴取などが実施される。ICCローマ規定は予備調査の期間は定めていない。

68 イスラエルとシリアの間には、第三次中東戦争でイスラエルが占領したゴラン高原の返還などをめぐる立場の相違があり、ゴラン高原には、イスラエル・シリア間の停戦及び両軍の兵力引き離しに関する履行状況を監視する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)が展開している。イスラエルとレバノンの間では、06(平成18)年のイスラエルとイスラム教シーア派組織ヒズボラとの紛争後、規模を拡大した国連レバノン暫定隊(UNIFIL:United Nations Interim Force in Lebanon)が展開している。同地域においては、国連休戦監視機構(UNTSO:United Nations Truce Supervision Organization)の軍事監視要員も活動を行っている。

69 I部3章1節1脚注2参照

70 28(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプトで設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生した。

71 当選者の特徴については、ムバラク大統領期の元治安機関・軍幹部など、ムバラク政権と近い関係にあった者の当選者が多い点が指摘されている。

72 10(平成22)年12月、長期にわたる交渉の末、ロシアとフランスの間でミストラル級強襲揚陸艦2隻の契約が合意されたが、14(同26)年のウクライナ危機を受け、15(同27)年8月に、フランス政府とロシア政府は契約の破棄で合意した。その後、フランスのオランド大統領とエジプトのシーシ大統領との間で対テロを含む軍事分野での協力強化が確認される中、同年9月にエジプトが調達することで基本合意された。エジプトはこのほか、Mig-29(戦闘機)やKa-52(攻撃ヘリ)などをロシアから調達している。

73 ISILシナイ支部の前身は、シナイ半島を拠点にイスラエルの打倒を目標に掲げるイスラム過激組織アンサール・バイト・マクディスとされる。同組織は13(平成25)年7月のムルスィ-政権崩壊後は同国治安当局を標的としたテロを活発化させたとみられている。

74 米国家情報長官「世界脅威評価2016」による。

75 15(平成27)年6月には検事総長を標的としたテロが発生したほか、同年7月にはイタリア総領事館付近で爆弾テロが発生した。

76 スーダン西部のダルフール地方では、03(平成15)年頃から、アラブ系のスーダン政府と複数のアフリカ系反政府勢力の間で紛争が激化した。06(同18)年、政府と一部の反政府勢力との間でダルフール和平合意(DPA:Darfur Peace Agreement)が成立したことを受け、07(同19)年、国連安保理はダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID:African Union/United Nations Hybrid Operation in Darfur)の創設を決定する決議第1769号を採択した。11(同23)年には政府と反政府勢力「解放と正義の運動(LJM:Liberation and Justice Movement)」が、ダルフール和平に関する合意文書(DDPD:Doha Document for Peace in Darfur)に署名した。しかし、同合意への署名を拒否している他の反政府勢力が、政府軍との戦闘を継続している。

77 当初のマンデート期間は1年間とし、最大7,000人の軍事要員、最大900人の警察要員などからなる。当初マンデートによるとUNMISSは南スーダン政府に対し、①平和の定着並びにそれによる長期的な国づくり及び経済開発に対する支援、②紛争予防・緩和・解決及び文民の保護に関する南スーダン政府の責務の履行に対する支援、③治安の確保、法の支配の確立、治安部門・司法部門の強化に対する支援などを行う。

78 アビエ地域は南北内戦時の激戦地の一つで、豊富な石油資源が埋蔵されていることなどから南北双方が領有権を主張している。同地域の帰属を決める住民投票はいまだ行われておらず、帰属は確定していない。南部スーダン独立直前の11(平成23)年5月には、同地域において、スーダン政府軍(SAF:Sudan Armed Forces)と南部スーダンの主要な軍事組織であったスーダン人民解放軍(SPLA:Sudan People’s Liberation Army)との間で武力衝突が発生した。同年6月、安保理は決議第1990号により、同地域に国連アビエ暫定治安部隊(UNISFA:United Nations Interim Security Force for Abyei)を設置した。

79 油田の大半が南スーダンに存在する一方、パイプラインの大部分や輸出港はスーダンに存在する。

80 1996(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダなどの東アフリカ諸国。

81 1991(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。1998(同10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

82 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニア及びシエラレオネが部隊の大部分を構成しており、13(平成25)年1月、エチオピアがこれに加わった。安保理決議第2124号により、部隊を17,731人から22,126人に増員することが決定された。

83 16(平成28)年1月、ソマリア南部のエル・アデにおいて、アル・シャバーブがAMISOM基地を襲撃し、多数の死傷者が出た。

84 13(平成26)年9月にはケニアの首都ナイロビのショッピングモールにおいてテロを起こし、15(同27)年4月にはガリッサ大学への襲撃テロを起こしている。

85 防衛省・自衛隊及び各国の海賊対処への取組については、III部3章2節参照

86 サハラ砂漠を遊牧する少数民族で、マリ北部における自治を求め、以前からマリ政府と対立していたとの指摘がある。

87 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟国(ブルキナファソ、コートジボワール、ガーナ、ニジェール、ナイジェリアなど)などから派遣されている。

88 16(平成28)年6月、安保理決議第2295号が採択され、マンデート期間を17(同29)年6月まで延長すること、軍事要員をこれまでの最大1万1,240人から最大1万3,290人へ、警察要員をこれまでの最大1,440人から最大1,920人へ、それぞれ増員させることが決まった。また、フランス軍にはMINUSMAが急迫性のある危険に曝された場合、国連事務総長の要請に基づき、同ミッション支援のため、介入する権限が付与されている。

89 13(平成25)年6月、暫定政府とMNLAは、大統領選挙への北部の参加や、北部都市へのマリ軍駐留の容認などで合意した。

90 安保理決議2227号ではマンデートに、停戦合意の監視及び監督をおこなう最低40名の軍事オブザーバーを配置し、停戦合意と和平合意の履行を支援することなどが、新たに追加された。

91 15(平成27)年11月、キダルのMINUSMA駐屯地にロケット砲が打ち込まれ、MINUSMAの隊員2名が死亡した。アンサール・ディーンがこの襲撃への犯行声明を出した。

92 15(平成27)年11月、首都バマコにおいて、過激派によるホテル襲撃事件が発生し、22人の人質が死亡した。

93 サヘル地域とは、サハラ砂漠南縁部を指す。サヘル地域の諸国としては、モーリタニア、セネガル、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャドなどがあげられる。

94 バルカンヌ作戦の総兵力は約3,500人である。チャドに司令部があり、マリ、ニジェール、ブルキナファソに基地を置かれ、機動的に部隊が各地に展開することによって作戦を遂行している。フランス軍はマリの北部においてはMINUSMAの部隊と、その他の地域においては域内諸国の軍と連携し、テロリストの掃討作戦や共同パトロールを主に実施している。

95 フランス軍は安保理決議で、事務総長の要請に基づき、緊急かつ深刻な脅威の下にあるMINUSMAの要員を支援するために必要なあらゆる手段を用いることが認められている。また、ドイツがマリでのMINUSMAの要員を拡大することでフランスの実質的負担軽減を図っている。