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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

3 各地の紛争の現状と国際社会の対応(中東・アフリカを中心に)

1 シリア情勢

11(平成23)年3月から続くシリア国内の暴力的な衝突は、シリア政府軍、反体制派、イスラム過激派勢力及びクルド人勢力による4つ巴の衝突となっている。しかしながら、ロシアの支援を受ける政府軍が、反体制派の最大の拠点であったアレッポのほか、首都ダマスカス郊外、シリア・ヨルダン国境付近などを奪還し、全体的に政府軍が優位な状況となっている。

こうした中で、現在も反体制派の拠点となっているイドリブをめぐっては、18(平成30)年8月、シリア政府軍が砲撃などを開始したことなどから、大規模な軍事攻撃が開始されるとの懸念が広がった。しかし、同年9月、シリア政府軍を支援するロシアと、反体制派を支援するトルコとの間で、イドリブ周辺における非武装地帯の設置、同地帯からの重火器の撤去と過激派組織の退去などが合意され、大規模な軍事攻撃は当面回避された。ただし、過激派組織はいまだに退去しておらず、イドリブ地域の安定化に向けて関係国間の協議が続けられている。

和平に向けた協議については、現在まであまり進展はみられていない。16(平成28)年1月以降、国連の仲介のもと、政府と反体制派との間で和平協議が実施されてきたが、双方による戦闘は収束せず、協議は難航した。このような状況を受けて、17(平成29)年1月以降、カザフスタンのアスタナにおいて、ロシア、トルコ及びイランが主導する和平協議が続けられている。また、18(平成30)年1月にロシアのソチでシリア国民対話会議が開催され、新憲法の制定に向けた憲法委員会の設立が合意された後、同年12月にはロシア、イラン、トルコの間で、19(平成31)年の早い段階で初会合を実施することが合意された。しかし、委員会のメンバー選定に関係者間での合意が得られていないなど、会合が開催される目途は立っていない。

また、シリア国内におけるクルド人の地位をめぐり、関係勢力間の対立が表面化している。クルド人勢力は、対ISIL作戦を通じてシリア北部を中心に支配地域を拡大した。これに対し、クルド人政党「民主連合党」(PYD)をテロ組織とみなすトルコは、クルド人勢力の拡大を阻止するため、シリア北西部において軍事作戦を実施し、現在もトルコ軍を駐留させているほか、北東部におけるクルド人勢力支配地域へと軍事作戦を拡大する可能性を示唆してきた。これを受けて、対ISIL作戦においてクルド人勢力を支援してきた米国は、18(平成30)年6月、北部のマンビジからクルド人勢力を撤退させ、米国とトルコによる共同パトロールを実施することでトルコと合意し、同年11月から共同パトロールが開始された。しかし、トルコのエルドアン大統領は同年12月、マンビジからクルド人勢力が撤退していないとして、数日以内に北東部への軍事作戦を開始すると表明した。これを受けて米国とトルコの間で協議が続けられており、現在まで軍事作戦は開始されていないものの、クルド人勢力をめぐる両国の立場の違いは解消されていない。こうした中で、シリア政府軍がクルド人勢力の要請を受けてマンビジ郊外に展開するなど、クルド人勢力とシリア政府がトルコの軍事作戦に対抗するために協調する兆しもみられる。

さらに、イランのシリアにおけるプレゼンスをめぐり、イランとイスラエルの対立が顕在化している。19(平成31)年1月、イスラエルのネタニヤフ首相は、シリア・ダマスカス空港のイランの武器庫を攻撃したと公表し、シリア国内のイラン勢力に対しては断固とした措置をとる決意を表明した。イスラエルとイランの対立の激化がシリア国内及び地域の安定に影響を及ぼすことが懸念される。

このように依然として情勢が不安定な中、18(平成30)年12月、トランプ米大統領は、シリアにおいてISILを打倒したとしてシリアからの米軍撤収を発表した。現下の状況での米軍撤収が実施された場合の影響をめぐっては、ISILの再興、イランのシリアにおける影響力の拡大、トルコによるクルド人勢力への攻撃といった可能性が指摘されるなど、米国内外から懸念が表明されている。また、19(平成31)年1月には、シリア北部でISILによる複数のテロ攻撃が発生し、米軍兵士にも犠牲者が出た。こうした中で、米軍撤収をめぐる動向が注目される。

このように、シリア情勢をめぐる各勢力間の関係は複雑なものとなっており、和平協議も停滞している。シリアの安定に向けて国際社会によるさらなる取組が求められる。

2 中東和平をめぐる情勢

1948(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた後、1993(平成5)年にイスラエルとパレスチナの間でオスロ合意が締結され和平プロセスが一時進展したものの、依然として和平の実現には至っていない28。パレスチナ自治区においては、ヨルダン川西岸地区を統治する穏健派のファタハと、ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが対立し、分裂状態となっている。ファタハとハマスは17(平成29)年10月以降、エジプトの仲介により、ファタハへのガザ地区の統治権限移譲に向けた直接協議を行っているが、交渉は停滞している29

こうした中で、トランプ米政権が同年12月、米国はエルサレムをイスラエルの首都と認めると発表し、18(平成30)年5月には駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。これを受けて、ガザ地区を中心に抗議行動が繰り返し行われており、イスラエル軍との衝突による死傷者も出ている。また、ガザ地区からイスラエル領内に向けてロケットが発射され、これに対してイスラエルがガザ地区への空爆などを実施するなど、継続的に緊張が高まっている。さらに、19(平成31)年3月には、トランプ米政権がゴラン高原のイスラエル主権を認定したことに対して中東各国から批判が相次いだ。米国が新たな中東和平案を策定しているとされる30中、米国の関与のあり方も含めた中東和平プロセスの今後の動向や、ガザ地区の統治権限の移管に向けた交渉の行方が注目される。

3 イエメン情勢

イエメンでは、11(平成23)年2月以降に発生した反政府デモとその後の国際的な圧力により、サーレハ大統領(当時)がGCCイニシアティブに基づく退陣に同意し、12(平成24)年2月の大統領選挙を経てハーディ副大統領(当時)が新大統領に選出された。

一方、同国北部を拠点とする反政府武装勢力ホーシー派と政府との対立は激化し、ホーシー派が首都サヌアやハーディ大統領が退避していた南部のアデン市内に侵攻したことを受け、ハーディ大統領はアラブ諸国に支援を求めた。これを受けて、15(平成27)年3月、サウジアラビアが主導する有志連合がホーシー派への空爆を開始した。

同年4月から8月にかけて、累次にわたり国連の仲介による和平協議が開催されたが、最終的な和平合意には至らず、協議は中断した。また18(平成30)年9月にも和平協議が計画されたが、ホーシー派が参加せず、実現せずに終わった。しかし、同年12月にスウェーデンの首都ストックホルムで和平協議が開催され、国内最大の港を擁するホデイダ市における停戦や捕虜の交換などに係る合意に署名がなされた。その後19(平成31)年1月には、国連安保理において、ホデイダへの停戦監視団の派遣が決定された。

スウェーデンで実施されたイエメン和平協議【スウェーデン政府提供】

スウェーデンで実施されたイエメン和平協議
【スウェーデン政府提供】

このように和平協議の進展はみられたものの、停戦に向けた具体的方策をめぐる協議は難航し、ホデイダ停戦をはじめとするストックホルム合意の内容は履行されていない。正統政府軍及びホーシー派の間で軍事衝突や、有志連合軍による空爆は継続し、ホーシー派によるサウジアラビアへの無人機・弾道ミサイル攻撃も頻発している31。例えば、19(平成31)年1月、ホーシー派は、アデン近郊においてイエメン軍のパレードを標的とした無人機による爆破攻撃を実施した。また、同年5月、サウジアラビアは、同国中部の石油パイプライン施設が無人機による攻撃を受けたと発表し、ホーシー派は同攻撃を実施した旨の犯行声明を発表した。翌月には、ホーシー派は断続的にサウジアラビア南西部の民間空港へのミサイル攻撃を実施している。加えて、サウジアラビアなどは、イランがホーシー派に対し、弾道ミサイルや無人機の提供などの支援を行っていると繰り返し批判している。このように、イエメン全土における停戦や最終的な和平合意の締結の目途は立っていない。

4 アフガニスタン情勢

アフガニスタンでは、14(平成26)年12月にISAFが撤収し、アフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)への教育訓練や助言などを主任務とするNATO主導の「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」が開始された頃から、タリバーンが攻勢を激化させた。一方、ANDSFは兵站、士気、航空能力、部隊指揮官の能力などの面で課題を抱えており、こうした中でタリバーンは国内における支配地域を拡大させてきた。さらに、15(平成27)年以降、ISILも「ホラサン州」を設置して、首都カブールや東部を中心にテロ活動を継続している。その結果、各地でタリバーンやISILが関与したとみられる自爆テロや襲撃が相次いでおり、全土において不安定な治安情勢が継続している。18(平成30)年10月に発表された米国のアフガニスタン復興特別査察官の報告書によると、アフガニスタン政府の支配あるいは影響が及んでいる地域は国内の約55.5%であり、調査が開始された15(平成27)年12月以降、最も少なくなっている。

15(平成27)年5月にアフガニスタン政府とタリバーンとの間で初めて和平協議が行われ、その後タリバーンの最高指導者の交代などを受けて、協議は中断したが、18(平成30)年7月以降、タリバーンは米国政府高官との協議を継続している。19(平成31)年1月には、米軍を含む駐留外国部隊の撤収や、アフガン国土をアルカイダやISILなどのテロ組織の活動拠点として利用させないことなどについて大筋合意したと報道された。一方、撤退のタイムテーブルについて米国とタリバーン間で見解の相違があるとされるなど、課題が残っている。今後の米国とタリバーンの協議の進展状況や、アフガニスタン政府とタリバーンとの和平協議再開に向けた動向が注目される。

5 リビア情勢

リビアでは、11(平成23)年にカダフィ政権が崩壊した後、12(平成24)年7月に制憲議会選挙が実施され、イスラム主義派が主体となる制憲議会が発足した。そして、14(平成26)年6月、制憲議会に代わる新たな議会を設置するための代表議会選挙が実施されたが、世俗派が多数派となったため、代表議会への権限移譲をめぐりイスラム主義派と世俗派の間の対立が激化した。その結果、首都トリポリを拠点とするイスラム主義派の制憲議会と、東部トブルクを拠点とする世俗派の代表議会の2つの議会が並立する東西分裂状態に陥った。15(平成27)年12月に国連の仲介によりリビア政治合意が実現し、16(平成28)年3月には国民統一政府が発足したものの、新政府内でイスラム主義派が主導権を握ったことに世俗派が反発し、国民統一政府への参加を拒否したため、東西の分裂状態が継続している。また、東部と西部をそれぞれ支援する民兵が散発的な軍事衝突を繰り返しているほか、18(平成30)年9月には、同国西部で活動する民兵同士が衝突し、非常事態宣言が出された。さらに19(平成31)年4月には、東部側最大の勢力であるハフタル総司令官の部隊が首都トリポリ郊外に進軍、西部側国民統一政府傘下の民兵と衝突し、空爆の応酬にまで発展するなど、国内の統治及び治安を確立する目処が立たない状態が続いている。

さらに、こうした不安定な情勢を利用してISILやアルカイダなどのテロ組織が進出し、各地で民兵と衝突している。特にISILについては、南部の砂漠地帯を中心に、複数の小規模なグループに分かれて潜伏しているとみられており、首都トリポリなどにおいて自爆テロや襲撃事件を行うなど32、今後もテロが発生する可能性がある。

6 エジプト情勢

エジプトでは、11(平成23)年、それまで約30年間にわたり大統領を務めたムバラク大統領(当時)が辞任し、12(平成24)年にムスリム同胞団33出身のムルスィー大統領(当時)が就任した。しかし、13(平成25)年6月、経済状況や治安の悪化を背景に大規模な民衆デモが発生し、これを受けた軍の介入により同大統領は解任され、14(平成26)年5月、エルシーシ前国防大臣が新たに大統領に就任した。エルシーシ政権はその後、変動為替相場制への移行、補助金の廃止などの経済改革に取り組んできたが、国内の治安対策などが大きな課題となっている。特に、同国本土では、13(平成25)年の政変から17(平成29)年まで大規模テロ事件が散発し、18(平成30)年11月にも同国中部で少数派コプト教徒を標的とするテロ事件が発生した34。また、シナイ半島においては、南部地域はおおむね平穏であるものの、北部を中心に軍や警察を狙った攻撃が散発している。18(平成30)年2月以降、シナイ半島北部では、エジプト国軍によるテロリスト掃討作戦「シナイ2018」が進展している。

7 南スーダン情勢
(1)政治的な混乱

1983(昭和58)年から続いたスーダンの南北内戦は、05(平成17)年、南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)成立により終結した。11(平成23)年7月、南スーダン共和国はスーダン共和国から分離独立し、同日、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された35

独立後は、ディンカ族出身のキール大統領を中心とする主流派と、ヌエル族出身のマシャール副大統領を中心とする反主流派36との間の政治的対立が生起し、13(平成25)年7月にはキール大統領がマシャール副大統領以下全閣僚を罷免する事態となった。同年12月には、首都ジュバにおいて発生した政府とマシャール派との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為が短期間で国内各地に広がり、多数の死傷者、難民及び国内避難民が発生した。

南スーダン指導者間の対話や調停に向けた試みは、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)37の主導で始まり、14(平成26)年1月には、政府とマシャール派との間で敵対行為の停止などに関する合意の署名がなされた。

また、15(平成27)年8月には、暫定政府の設立などを柱とした「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意」が政府とマシャール派などとの間で成立し、16(平成28)年4月には、キール氏を大統領、マシャール氏を第1副大統領とする国民統一暫定政府が設立された。

16(平成28)年7月、キール大統領の警護隊とマシャール第1副大統領の警護隊の間での発砲事案がジュバで発生した。マシャール第1副大統領が国外へ脱出し、キール大統領がマシャール第1副大統領を解任すると、以降、政府とマシャール派の間で再び衝突が生起するようになった。

このような状況に対して、同年8月、国連安保理はジュバ及び周辺地域の安全の維持を目的に地域保護部隊(RPF:Regional Protection Force)38を創設し、翌17(平成29)年4月から活動を開始した。さらに、同年12月、18(平成30)年2月及び5月には、IGAD主導でハイレベル再活性化フォ-ラム39が開かれ、政府とマシャール派などの間で敵対行為の停止などが合意された。

これらの取組の結果、18(平成30)年6月には、キール大統領、マシャール前第1副大統領らが恒久的停戦などを取り決めた「ハルツーム宣言」に署名した。同年7月に治安取決め、8月には暫定政府の体制に合意し、9月には「再活性化された衝突解決合意」に正式に署名した。19(令和元)年5月までには新たな暫定政府が設立される予定であったが、同年5月3日、政府とマシャール派などの代表は、暫定政府の発足期間を6か月延長することで合意した。

参照III部3章5節2項3(国連南スーダン共和国ミッション)

8 ソマリア情勢

ソマリアでは、1991(平成3)年に政権が崩壊し、無政府状態に陥ると40、大量の避難民が発生するなど、深刻な人道危機に直面した。05(平成17)年には周辺国の仲介により「暫定連邦政府」が発足し、12(平成24)年には21年ぶりに統一政府が成立した。

ソマリアでは統一政府成立後も、テロと海賊という2つの大きな課題に直面している。中南部を拠点とするイスラム教スンニ派の過激派組織アル・シャバーブは、政府などを標的としたテロを繰り返している。07(平成19)年に国連安保理の承認を受けて創設されたアフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)41が国連安保理の承認を受けて創設された。その後、AMISOM軍や、欧米諸国の支援を受けて再建が進められているソマリア国軍などによる攻撃により、アル・シャバーブは支配下にあった主要な都市を失い、勢力はある程度弱体化した。しかし、その脅威は依然として存在し、ソマリア国軍やAMISOM軍の基地への攻撃、ソマリア国内やAMISOM参加国でのテロ42を頻発させている。また、近年はISILの戦闘員がソマリアに流入しているとの指摘もある。17(平成29)年3月以降、米軍による対テロ作戦が強化されている。

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、海賊対処活動に継続的に取り組むとともに、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っており、海賊被害の報告件数は低い水準で推移している。

18(平成30)年には、エチオピアとエリトリア43、ソマリアとエリトリア44が相次いで外交関係の再開を行うなど、「アフリカの角」地域の情勢は安定の兆しを見せており、これら地域諸国のさらなる協力を得て、ソマリア情勢がより一層安定化することが期待される。

参照III部3章2節1項(海賊対処への取組)

28 イスラエルとパレスチナの間では、1993(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(平成15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、イスラエル軍が、08(平成20)年末から09(平成21)年初めにかけてガザ地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を行い、12(平成24)年11月にも同地区に対して空爆を行うなど、12(平成24)年までに2度にわたる大規模な戦闘が行われたが、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

29 ハマスは17(平成29)年9月、ファタハによるガザ地区の統治を受け入れる意向を表明し、同年10月、エジプトの仲介のもとで直接協議が行われ、同年12月1日までに統治権限が移管されることで双方が合意した。しかし、ガザの治安権限の委譲などについて意見が対立し、交渉は停滞している。

30 トランプ米大統領は18(平成30)年9月、中東和平案を4か月以内に公表すると発言していたが、19(平成31)年1月、フリードマン駐イスラエル大使は、公表は数か月遅れるであろうと述べた。一方で、同年6月、米国は、「繁栄に向けた平和」と題したパレスチナへの経済支援計画を発表した。

31 15(平成27)年6月、ホーシー派及びサーレハ元大統領支持派の軍部隊がサウジアラビア南部のハミース・ムシャイトに向けてスカッド・ミサイル1発を発射する事案が発生して以降、主にサウジアラビア南部を標的とする弾道ミサイル攻撃が継続しているとされる。また、17(平成29)年11月以降、サウジアラビアの首都リヤドに向けて弾道ミサイルを発射したとされ、同国は、これらの弾道ミサイルを迎撃していると主張している。なお、イエメン軍の一部はホーシー派に与しており、ミサイル発射を含む軍事行動への関与が指摘されている。

32 例えば18(平成30)年12月、首都トリポリで外務省を標的とした自爆テロが発生し、少なくとも3人が死亡した事件について、ISILが犯行声明を発出している。

33 1928(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプトで設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生した。

34 エジプト中部でコプト教会修道院に向かうバスが襲撃され、7人が死亡した事件について、ISILが犯行声明を発出している。

35 UNMISSのマンデートは当初、平和構築、国家建設及び国家の機能強化とされていたが、14(平成26)年以降は文民の保護、人権保護及び人道支援のための環境構築に変更され、15(平成27)年12月には衝突解決合意の履行支援が加わり、19(平成31)年3月の決議では「再活性化された衝突解決合意」及び和平プロセス履行支援となっている。同年4月現在、UNMISSには71か国から約16,740人の軍事・警察要員が派遣されている。

36 以降、マシャール氏を中心に構成される反主流派、反政府勢力をマシャール派と呼称する。

37 1996(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダ、エリトリア、南スーダンの東アフリカ8か国

38 地域保護部隊には、次の3つのマンデートを達成するために、必要な全ての手段を使用する権限が付与されている。(a)ジュバ内外及び周辺における安全かつ自由な移動のための環境づくり。(b)空港及び主要施設の防護。(c)国連文民保護サイトや文民などに攻撃を計画している、又は攻撃を実施する者に対処すること。

39 15(平成27年)の衝突解決合意を再活性化するため、南スーダンの諸勢力を集め、隣国エチオピアのアディスアベバにおいて開催された。

40 1991(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。1998(平成10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

41 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニア及びエチオピアが部隊の大部分を構成しており、安保理決議2372号(17(平成29)年8月)により、17(平成29)年12月末までに部隊を2万2,126人から2万1,626人に減員し、18(平成30)年10月末までに2万626人に更に減員することが決定された。

42 17(平成29)年10月には、モガディシュ市内で自動車爆弾(VBIED:Vehicle Borne IED)を用いたテロが発生し、500人以上が死亡した。また、19(平成31)年1月には隣国ケニアの首都ナイロビのホテルでテロが発生し、21人が死亡した。

43 エチオピア・エリトリア間では、1998(平成10)年に国境線をめぐって武力衝突が発生し、国交が途絶えていたが、18(平成30)年7月、両国は戦争状態の終結や国交正常化などを内容とする共同宣言に署名した。

44 エリトリアが1993(平成5)年に独立して以降、ソマリア・エリトリア間には国交がなかったが、18(平成30)年7月、両国は外交関係の樹立などを内容とする共同宣言に署名した。