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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 各地の紛争の現状と国際社会の対応

1 ISILの台頭を受けたシリア・イラク情勢
(1)シリアにおける政治的混乱とISILの台頭

シリアにおいては、11(平成23)年3月以降、各地で発生した民主化やアサド大統領の退陣などを要求する反政府デモに対し、政府が軍や治安部隊を投入した結果、各地で政府軍と反体制派の衝突5が発生・継続している6。こうした「アラブの春」後の不安定な状況を利用して、国際テロ組織の「ヌスラ戦線」やISIL7が、シリアにおいて勢力を拡大させることとなった。

一方、11(同23)年12月の米軍撤収以降、政治抗争や宗派対立などを背景に治安の悪化が急速に進んでいたイラクでは、14(同26)年1月、シリアを拠点に勢力を拡大していたISILがイラクの不安定な状況に乗じて、同国西部への侵攻を開始し、同年6月には北部にあるイラク第2の都市モースルを陥落させた。これを受け、ISILの指導者であるバグダーディーは自らを「カリフ」8と称して、「イスラム国」の樹立を一方的に宣言し、全世界のイスラム教徒に忠誠を誓うよう求めた。

(2)対ISIL軍事作戦の動向

14(同26)年8月、ISILはイラク北部のクルディスタン地域政府に対する攻撃を開始し、米領事館などが所在するエルビル方面へ進出した。これを受け、米国などはイラク国内の米国人を保護することなどを目的に空爆を開始した9。同年9月、オバマ米大統領(当時)は対ISIL戦略について演説を行い、作戦地域のシリアへの拡大を表明した10。軍事作戦に参加する有志連合は主に①限定的な空爆、②現地勢力に対する教育・訓練11、③武器供与、④特殊部隊による人質救出等を任務に参加している。

こうした中、イラク軍を中心に指揮機能及び士気の低さが指摘されていたイラク治安部隊(イラク軍の他、準軍隊や警察を含む)については、有志連合による教育・訓練などを通じ、その作戦能力が向上しているとみられる。また、クルディスタン地域政府の軍事組織であるペシュメルガは、イラク戦争の経験があり、練成も比較的進んでいるほか、指揮命令系統も機能しているとされ、対ISIL軍事作戦において引き続き重要な役割を果たしている。

イタリア軍による3週間の基礎歩兵訓練を終了したペシュメルガ女性兵士【米国防省提供】

イタリア軍による3週間の基礎歩兵訓練を終了したペシュメルガ女性兵士
【米国防省提供】

有志連合及び現地勢力の連携によって、ISILからの国内要衝都市の奪還が進められている。ISILは過去2年間で、ラマーディ12やファッルージャなどイラク国内の拠点を次々に失った13。特に16(同28)年10月、ISILの勢力拡大の象徴として重要であったモースル奪還作戦が開始され、有志連合及び現地勢力は、17(同29)年7月、モースルを制圧した。同年6月時点で、ISILがイラクで支配していた領域の70%が解放されたと指摘されるなど、戦況は明らかにISILが劣勢となっており、このような状況のもと、ISILの弱体化が指摘されている。

一方、シリアでは有志連合による空爆に加え、米国によりISILと戦う反体制派への支援も行われたが、これまでISILに十分に対応する事ができなかった。このような状況の中、ロシアがアサド政権の存続や自国権益14の防衛を目的に、15(同27)年9月からシリアでの軍事作戦を開始した。当初は、空爆や洋上からの巡航ミサイルの発射等が行われた15。更に、同年10月に発生したロシア旅客機墜落事件をISILによるテロと断定して以降、戦略爆撃機からの衛星誘導を活用した精密誘導弾を投下、16(同28)年11月には空母「アドミラル・クズネツォフ」を一時的に展開させ、艦載機による空爆を実施するなど多様なプラットフォームを駆使して、空爆を強化した。ロシアによる一連の軍事行動については、自国の軍事的な能力を誇示するとともに、その能力を作戦で実証するために行われたものであるとの指摘があるなか、軍事作戦の標的はISILではなく、アサド政権と対立する反体制派であるとの指摘もなされている。

シリア北部でのクルド人勢力の伸張を懸念するトルコは、16(同28)年8月、「ユーフラテスの盾作戦」を開始し、シリア北部を越境して、反体制派の一部とともにISILに対する攻撃を実施しており、ISIL支配地域を奪取するなど一定の成果を挙げている。

また、ISILが首都と称するラッカについては、有志連合が引き続き空爆を行っているほか、反体制派のうちクルド系勢力が主体のシリア民主軍が16(同28)年11月に奪還作戦「ユーフラテスの怒り作戦」の開始を宣言した。現在、ラッカを孤立させるための周辺地域の奪還が進み、17(同29)年6月末現在、シリア民主軍が作戦の最終段階を開始、ラッカを完全に包囲したとされている。今後は、シリア政府軍も含め各勢力が連携できるか否かが注目される。

(3)ISILの弱体化及び今後のISILを巡る見通し

米国を中心とする有志連合やロシアによる対ISIL軍事作戦によって、指揮官を含む戦闘員殺害や石油関連施設への空爆などを通じたISILの指揮統制機能の分断、組織内部の士気低下及び戦闘員の逃亡が進み、支配地域の喪失の結果、ISILの財政能力が悪化16し、統治能力は損なわれてきている17。その結果、ISILは徐々に劣勢な状況に追い込まれており、弱体化も指摘されている。17(同29)年1月、トランプ米大統領はマティス国防長官にISIL打倒のための包括的な作戦計画案を提出するよう求めており、トランプ政権がこれまでISILの排除を最優先課題の一つとしてあげていることを踏まえれば、軍事行動の拡大も選択肢の一つとなりうるとの指摘もなされている。

りゅう弾砲を発射する米軍兵士【米国防省提供】

りゅう弾砲を発射する米軍兵士【米国防省提供】

(4)シリア国内の状況及び和平プロセス

11(同23)年3月から続くシリア国内における各勢力間の暴力的な衝突は、15(同27)年9月に開始されたロシアの反体制派に対する空爆によってシリア政府軍が徐々に優勢となり、16(同28)年12月、反体制派の最大の拠点であったアレッポを政府軍が奪還するなど全体的にシリア政府軍優位の状況へと推移している。

一方、国連が主導する和平協議では、15(同27)年12月には、和平プロセスのロードマップとして国連安保理決議第2254号18が採択されたほか、16(同28)年2月にはシリアにおける敵対行為の停止に関する国連安保理決議第2268号が採択されたものの、各勢力による違反によって停戦は度々崩壊している。

このような状況の中で、17(同29)年1月、2月及び3月にはカザフスタンのアスタナでロシア、トルコ及びイランが主導する和平協議が行われ、新たな停戦監視の枠組などについて協議が行われた。シリア政府や反体制派の当事者が署名を拒否するなど、課題も浮き彫りになったが、同年5月に開催された会合では、緊張緩和地帯の創設や人道支援物資の供給などが合意されている。

シリア和平に向けて国際社会が取り組みを進める中、米国は17(同29)年4月、シリア北西部イドリブ県南部の反体制派が支配する地域に対してアサド政権が化学兵器による攻撃を実施したと判断19し、シリア軍に対する攻撃を実施した。この作戦では、地中海に展開した米海軍艦艇2隻から発射された59発の巡航ミサイルトマホークが、シリア西部のシャイラト飛行場に着弾し、航空機や支援インフラに大きな被害を与えたとされている20。トランプ米大統領は、化学兵器の使用・拡散を防止し、抑止することは、米国の安全保障上の重要な利益であると声明で述べており、今後のシリア政府の対応次第では、更なる軍事行動の可能性もありえるとしている。

(5)難民の拡大と欧州への影響

混迷する中東情勢を背景として、15(同27)年には、主に中東・北アフリカから地中海を渡るルートや、トルコを経由しギリシャからバルカン半島を北上するルートで欧州へ渡航する難民・移民が増加したが、最近は落ち着き始めている。しかし、依然として欧州をはじめ国際社会はその対応に苦慮している。

こうした問題は、難民・移民にISILなどのテロリストが紛れ込んで欧州に流入し、欧州各地のテロ予備軍と結びつき、ネットワークを形成することで、欧州におけるテロの脅威を高めている。15(同27)年11月にパリで発生した同時多発テロでは、難民・移民の流入に紛れて欧州に入った実行犯の存在が指摘されている。このため、欧州諸国においては、多数の難民の受け入れとISIL戦闘員の流入阻止、密航船の取り締まり、地中海で転覆した密航船の乗客の救助など多くの課題に直面している。

このように、急激な難民・移民の流入がもたらす問題解決も視野に、英・仏をはじめとする欧州諸国は、シリア和平プロセスへの関与などの外交的努力に加え、対ISIL軍事作戦への参加を通じて、シリア及びイラクの安定を目指している21

2 イエメン情勢
(1)政治的な混乱

イエメンでは、アラブの春を受けた11(同23)年2月以降の反政府デモや国際的な圧力22により、選挙を経た上で、一部ではデモ隊と治安部隊の衝突などが発生しているが、非軍事的にサーレハ大統領(当時)からハーディ大統領への政権移行が行われた。

ハーディ大統領は国内対話を実施したが、14(同26)年8月以降、同国北部を拠点とする反政府武装勢力ホーシー派23との対立が激化し、政情不安が拡大した。同年9月には、ホーシー派が首都サヌアを占拠し、その後、ハーディ大統領は同国南部のアデンに退避する事態に発展した。

(2)イエメンに対する軍事介入とイスラム過激派の勢力拡大

その後、ホーシー派は紅海沿岸部や首都サヌアからアデンの間の重要な都市に進出し、アデン市内に侵攻したため、ハーディ大統領派がアラブ各国に支援を求めた。15(同27)年3月にサウジアラビアが主導する有志連合によるホーシー派への空爆が開始され、ホーシー派及び同派と連携するサーレハ前大統領派の基地を空爆した。しかし、依然としてホーシー派は勢力を維持しており、イエメン国内及びサウジアラビア国境周辺では、弾道ミサイル及びロケット弾の応酬や空爆に巻き込まれた民間人を含む犠牲が生じ、国際社会からは双方に対する強い懸念が示されている。同年4月には、国連安保理が決議第221624号を採択し事態終結に向けた取組を実施したが、ホーシー派による国境周辺でのサウジアラビアへの攻撃は継続し25、これに対するサウジアラビアなどのアラブ諸国によるホーシー派空爆や地上作戦も続けられた26。同年6月以降累次にわたり、国連の仲介による一時停戦や和平協議が行われてきたものの27、最終的な和平合意はなされていない。

一方、イエメンは、主に同国南部を拠点とするアラビア半島のアル・カーイダ(AQAP:Al-Qaida in the Arabian Peninsula)の活動拠点ともなっている。15(同27)年2月のホーシー派によるアデン侵攻以降特に政治的に不安定な状況の中、イスラム過激派が勢力を拡大させ、ISILはイエメンに支部を設置し、政府要人やシーア派のモスクなどを標的としたテロ攻撃を実施した。これらの混乱を利用してAQAP及びISILは新たな戦闘員を勧誘し、影響力を拡大させていることから、新たな懸念事項となっている。

(3)紅海及びバブ・エル・マンデブ海峡での航行中の艦船に対する攻撃事案

16(同28)年10月、被害は確認されていないものの、米海軍のミサイル駆逐艦メイソンに対して、ホーシー派の支配地域から対艦ミサイルが発射される事案が発生した。さらに、17(同29)年1月には、サウジアラビア海軍のフリゲートに対して、ホーシー派がボートを使用した攻撃を仕掛けたとみられており、死者を出す事態に発展している28

また、民間船舶に対しては、ホーシー派への空爆を続ける有志連合が借り上げた、UAE籍民間船舶に対して対艦ミサイルが命中し、中破する被害が発生し、ホーシー派が犯行声明を発出している。このほか、累次にわたって民間船舶への襲撃が指摘されており、上記の民間船舶に対する攻撃には、ホーシー派の勢力が関与していると指摘されている。

さらに、17(同29)年1月には、ホーシー派がイエメン西部のモカ港周辺の領海に機雷を設置したとされる事案が発生した。これは、ホーシー派が、同港を有志連合に使用されることを防ぐ目的で実施したとも指摘されている。

現時点では日本関係船舶への被害は報告されていないものの、紅海及びバブ・エル・マンデブ海峡は日本船舶も数多く通航する重要な地域であり、イエメンを巡る情勢の混乱の早期解決が期待される。

3 リビア情勢
(1)カダフィ体制の崩壊

リビアでは、11(同23)年にカダフィ政権が崩壊後、12(同24)年7月には制憲議会選挙が実施されたが、軍や治安の再建は進まず29、民兵や部族の指導者が強い影響力を発揮し30、世俗派とイスラム主義派がこれらの支援を受けつつ勢力争いを行っている。イスラム主義派と世俗派の対立は激化し、首都トリポリを拠点とするイスラム主義派の制憲議会と東部トブルクを拠点とする世俗派の代表議会の2つの議会が並立する分裂状態に陥った。15(同27)年12月に国連の仲介により国民合意内閣を形成することが合意され、16(同28)年3月には、イスラム主義派・世俗派双方が反対する中、国民統一政府が成立した。しかし、旧イスラム主義派が新政府内で主導権を握ったことから、旧世俗派側が反発、国民合意政府への参加を拒否したため、東西の分裂状態が継続し、国内の統治及び治安を確立する目処が立たない状態が続いている。

(2)イスラム過激派の動向

このような政治的に不安定な状況の中で、イスラム過激派がリビア国内で勢力を拡大させている31。15(同27)年1月以降、リビア国内のISIL関連組織がテロ行為32を相次いで行うなどISILはリビアを北アフリカの拠点とみなし最大約6,000人の戦闘員が活動し最も発達した支部とされてきた33。特に、シルトを拠点として沿岸部の石油施設に対する攻撃などによって勢力を拡大させた。16(同28)年5月、国民統一政府の民兵が、数千人の戦闘員が立てこもるシルト攻略戦を開始すると、同年8月には、国民統一政府の要請を受けた米軍がシルトに対する空爆を開始した。こうして、徐々にISILに対する軍事作戦は拡大し、同年12月には、米国による空爆支援を得た国民統一政府の地上部隊がシルトを奪還した。一方、引き続きリビア国内においてISILの脅威は存在しているとの指摘もあり、米軍はリビアでの軍事作戦を当面は継続する意向を示している。今後、リビアを脱出したISILが、周辺国などで再び活動を活発化させることが懸念される。

4 アフガニスタン情勢

アフガニスタンでは、米国同時多発テロを受けて01(同13)年11月に米軍が開始した「不朽の自由」作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)によるタリバーンなどの掃討作戦や、国際治安支援部隊(ISAF:International Security Assistance Force)及びアフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)による治安維持活動などの取組により、タリバーンの攻撃能力は一定程度低下したと言われている。しかし、タリバーンは依然として国内各地でテロ攻撃を継続している。

14(同26)年12月、ISAFの任務が終了し、15(同27)年1月から、NATO主導で教育訓練や助言などを行う「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」34が開始された。米軍はNATOの一員としてアフガニスタン軍の訓練を行いつつ、対テロ作戦を担う「自由の番人作戦(OFS:Operation Freedom Sentinel)」を実施しているが、16(同28)年6月、カーター米国防長官(当時)は、①近接航空支援による火力の増加、②アフガニスタンの陸空部隊に対する同行・助言を柱とする米軍の任務拡大について言及するなど、タリバーンの勢力回復などの不安定要素がある中で、再び米軍による関与の拡大の可能性が指摘されていた。同年7月、オバマ米大統領(当時)は自らの政権在任中においては約8,400人の態勢を維持する方針を改めて表明した。トランプ政権はアフガニスタンの今後の米軍の関与強化について明確にはしていないものの、17(同29)年2月には駐留米軍の司令官が、教育訓練や助言の任務に1,000人程度の増派を要請している。

14(同26)年12月のISAFの任務終了にともなって、アフガニスタンの治安権限はISAFからANDSFに移譲されたものの、ANDSFには兵站、士気、航空能力及びリーダーシップ面での課題もある。このような中、17(同29)年1月にアフガニスタン復興担当特別監察官が公表した報告書によると、在アフガニスタン米軍の見積もりでは、アフガニスタン政府の支配あるいは影響が及んでいる地域は15(同27)年11月と比較して15%も低下したとされており、タリバーンが事実上支配する地域を拡大させているとみられる35

一方、ISILはアフガニスタンとその周辺地域にホラサーン支部を設置するとともに、テロ攻撃なども行っており、注視していく必要がある36

アフガニスタンの問題は治安だけにとどまらず、その復興には、汚職の防止、法の支配の強化、麻薬対策の強化、地方開発の促進などの課題が山積している。同国の平和と安定は国際社会の共通の課題であり、国際社会がアフガニスタンに継続的に関与していくことが必要である。

5 中東和平をめぐる情勢

中東では1948(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた一方、イスラエルとパレスチナ間では1993(平成5)年のオスロ合意など和平プロセスが一時進んだものの、和平の実現までには至っていない37。イスラエルとシリア、レバノンとの間でも、いまだに平和条約が締結されておらず38、国際社会によるさらなる取組みが求められている。

6 エジプト情勢
(1)アラブの春以降の治安情勢

「アラブの春」後の大統領選挙で勝利した、ムスリム同胞団39出身のムルスィー大統領(当時)が、13(同25)年7月に軍が介入した結果解任され、暫定政府が発足した。暫定政権が策定したロードマップに沿って、14(同26)年5月に大統領選挙が行われエルシーシ前国防大臣が勝利するとともに、その後の議会選挙でもエルシーシ大統領を支持する勢力が勝利した。エルシー政権は発足から3年目を迎え、リビア情勢、国内テロへの対応、為替相場制への移行や、補助金の廃止などの経済改革による長期的な安定が大きな課題となっている。

(2)イスラム過激派の動向

シナイ半島では、近年、イスラム過激派によるテロ攻撃が活発化しており、エジプト国軍は制圧作戦を展開するなど、テロ対策を強化している。しかし、近年ISILシナイ支部40が勢力を拡大させ、依然として治安部隊などに対するテロ攻撃を繰り返しているほか、15(同27)年8月、エジプト沿岸警備隊の艦船に対する攻撃を実施するなど、高度かつ組織的な計画に基づく作戦を実施していると指摘されている41。同年10月には、ISIL支持者の空港職員が関与した爆弾の搭載により、シナイ半島でロシア旅客機が墜落し、乗員乗客224人が死亡する事案に対して「ISILシナイ支部」が犯行声明を発出した。このような事例は、エジプト国内でISILのネットワークが徐々に浸透しつつあることを示すものとして、新たな懸念材料になっている。シナイ半島以外では、首都カイロでもテロによる被害が出ており42、これらもISILが犯行声明を発出しているなど、ISILの脅威はシナイ半島以外にも拡散している。

7 南スーダン情勢

1983(昭和58)年から続いた南北内戦を経て、11(平成23)年7月9日、南スーダン共和国はスーダン共和国から分離独立した。同日、国連安保理が採択した安保理決議第1996号に基づき、平和と安全の定着及び南スーダンの発展のための環境の構築の支援などを任務とする国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された43

南スーダンでは、13(同25)年7月にキール大統領がマシャール副大統領以下全閣僚を罷免したことから、大統領派(政府)と副大統領派(反政府勢力)の政治的対立が表面化した。同年12月、首都ジュバにおいて発生した大統領派と副大統領派との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為は短期間で国内各地に広がり、多数の死傷者、難民及び国内避難民(IDP:Internally Displaced Persons)が発生した。このような状況の中、同月24日、国連安保理は決議第2132号を採択し、軍事要員の上限を5,500人増員することなどを含むUNMISSの増強を決定した。また、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)」44が、南スーダン指導者間の対話の開始や調停に向けた試みを主導し、14(同26)年1月、IGADの調停のもと、政府と反政府勢力との間で南スーダンにおける敵対行為の停止などに関する合意の署名がなされた。

その後、政府と反政府勢力の対立が激化したため、14(同26)年5月、国連安保理はUNMISSのマンデートを文民保護、人権監視調査、人道支援促進支援及び敵対的行為の停止合意の履行支援の4分野に限定することなどを定めた安保理決議第2155号を採択した。その後、IGADは、国際機関(国連、AU、EU)、アメリカ、イギリス、ノルウェー、中国及びアフリカ各国(南アフリカ、チャド、アルジェリア、ナイジェリア、ルワンダ)を調停団に加えたIGADプラスとして調停を継続した。15(同27)年8月、暫定政府の設立などを柱とした「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意」(合意)が政府と反政府勢力との間で成立した。本合意を受け、国連安保理は同年10月、UNMISSのマンデートに合意の履行支援などを加えた安保理決議第2241号を採択し、さらに、同年12月、国連安保理は同マンデートを16(同28)年7月末まで延長する安保理決議第2252号を採択した。その後、合意の履行に向けた取組が進められ、同年4月29日、キール氏を大統領、マシャール氏を第1副大統領とする国民暫定統一政府が設立された。

16(同28)年7月7日、ジュバでキール大統領の警護隊とマシャール第1副大統領の警護隊の間での発砲事案が発生した。11日夜にそれぞれが敵対行為の停止宣言を発出するまで、ジュバ市内で激しい銃撃戦が行われた。マシャール第1副大統領は、7月10日以降ジュバを離れ国外へ脱出したため、同月25日、キール大統領はマシャール第1副大統領を解任し、タバン・デン鉱物相(当時)を第1副大統領に任命した。マシャール氏の国外脱出により、反主流派45における求心力は7月以前と比べて低下していると指摘される。同氏は出国後、コンゴ民主共和国及びスーダン滞在を経て南アフリカに移動し、現在は南アフリカから南スーダンへの帰還の機会を伺っていると考えられている。

同年8月12日、国連安保理はジュバ及び周辺地域の安全の維持を目的にUNMISSのマンデート更新を決議46し、4,000名を上限とする地域保護部隊(RPF:Regional Protection Force)47の創設や一定の場合の武器禁輸48などの検討に関する条項を追加した。RPFの展開は南スーダン政府の積極的な協力を得られず先延ばしとなっていたが、同年11月25日、同政府はRPFを即時無条件に受け入れることを閣議決定した。これにより、受け入れの細部事項の調整が進められることとなった。17(同29)年4月20日、RPFとして最初の部隊であるバングラデシュ建設工兵中隊先遣隊が南スーダンに到着した。

16(同28)年12月16日、国連安保理はUNMISSのマンデートを17(同29)年12月15日まで1年間延長することを決定49し、30日、90日、6か月ごとに南スーダンの状況などについて国連事務総長が安保理に報告することが定められた。

16(同28)年12月、キール大統領は国民対話50を発表し、関連の共和国令を発出した。17(同29)年5月22日には、国民対話運営委員会の宣誓式が実施され、国民対話が開始されるなど、国内の安定に向けた政治プロセスに進展が見られている。

8 ソマリア情勢

ソマリアは、1991(同3)年に政権が崩壊して以降、無政府状態に陥った51。05(同17)年、周辺国の仲介により「暫定連邦政府(TFG:Transitional Federal Government)」が発足したが、これと対立する「イスラム法廷連合(UIC:Union of Islamic Courts)」などとの間で戦闘が激化した。06(同18)年、米国の支援を受けたエチオピア軍が軍事介入し、UICを駆逐した。07(同19)年には、アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)52が国連安保理の承認を受けて創設された。一方、UICの一部が独立したアル・カーイダ系過激派武装勢力「アル・シャバーブ」が中南部で勢力を拡大し、TFGに抵抗した。これに対してAMISOMなどへ周辺国が部隊を派遣し、12(同24)年10月、アル・シャバーブの主要拠点キスマヨを奪還した。14(同26)年8月、 AMISOMは「インド洋作戦」を開始し、アル・シャバーブの拠点であった中南部の一部都市の奪還に成功した。さらに翌月、米軍の攻撃によりアル・シャバーブの指導者、ゴダネが殺害された。この報復として、アル・シャバーブはAMISOM兵士への攻撃や53、AMISOM参加国に対するテロを頻発させており、これらを通じてAMISOM参加国を牽制しているとの指摘もある。

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っている54。現在も、引き続きソマリア沖での国際的な取組みが行われており、海賊被害の件数は低い水準で推移している。

ソマリアでは、12(同24)年8月、TFGの暫定統治期間が終了し、新連邦議会が招集された。同年9月には新大統領が選出され、同年11月には新内閣が発足し、21年ぶりに統一政府が成立した。16(同28)年10月には、北東部のプントランド及び中部のガルムドゥグ両自治州における武力衝突が激化するなど情勢の悪化もみられたが、同年11月には全国レベルで上院・下院議員選挙が行われた。17(同29)年2月には、16(同28)年10月から延期となっていた大統領選挙が上下両院議員の投票によって実施され、暫定政府元首相のファルマージョ氏が現職のハッサン大統領を破り新大統領に選出された。

9 マリ情勢

マリでは、12(同24)年1月、トゥアレグ族55の反政府武装勢力「アザワド地方解放国民運動(MNLA:Mouvement national de liberation de l’Azawad)」が反乱を起こし、イスラム過激派勢力「アンサール・ディーン(Ansar Dine)」などがこれに合流した。MNLAは北部の複数の都市を制圧し、同年4月に北部の独立を宣言した。その後、MNLAを排除したアンサール・ディーンや「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO:Mouvement pour l’Unification et le Jihad en Afrique de l’Ouest)」、「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ(AQIM:al-Qaida in the Islamic Maghreb)」などのイスラム過激派勢力がイスラム法に基づく統治を行い、マリ北部の人道・治安状況が悪化した。

これに対し、12(同24)年12月、国連安保理は決議第2085号を採択し、マリ軍及び治安機関の能力再構築や、マリ当局への支援などを任務とするアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA:African-led International Support Mission in Mali)56の展開を承認した。フランスによる部隊派遣やAFISMAの展開もあり、マリ暫定政府は北部の主要都市を奪還した。13(同25)年4月、国連安保理は、人口密集地の安定化とマリ全土における国家機能の再構築支援などを任務とする国連マリ多面的統合安定化ミッション(MINUSMA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali)の設置を決定する安保理決議第2100号を採択した。同決議に基づき、同年7月、AFISMAから権限を移譲されたMINUSMAが活動を開始した。MINUSMAの支援のもと、大統領選挙が平和裏に実施され、同年9月に新政府が成立した57

14(同26)年8月、フランス軍は、マリを含むサヘル地域58全体に拡がるテロの脅威に対して効果的に対処するため、マリ、チャド、ニジェールに展開する部隊を統合・再編し、地域全体にわたって作戦を展開する「バルカンヌ作戦」を開始した59。現在、フランス軍はMINUSMAや域内諸国の軍とともに、マリ北部を含むサヘル地域の安定化を図っている60

16(同28)年6月、国連安保理はMINUSMAのマンデートを17(同29)年6月まで更新する安保理決議第2295号を採択し、約2,500名の増員が決定された61。また、17(同29)年2月にはマリ和平合意62に基づくマリ政府・武装勢力の合同パトロールが開始された。

5 16(平成28)年1月の国連人道問題調整官の発表では、シリアの衝突による死者数は25万人以上とされている。また、シリア内戦開始以降で、約1,100万人以上の難民及び国内避難民(IDP:Internal Displaced Person)が発生している。

6 このほか、シリアでは、アサド政権による化学兵器使用問題が発生している。13(平成25)年8月にはシリア国内における化学兵器の使用問題を受け、軍事行動を主張する米国と、シリアの化学兵器を国際社会の管理下に置くとする露の対立が表面化する中、シリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器が使用され、多数の市民が死亡した。これを受け、従来から化学兵器の使用はレッドラインを越えるとしてきたオバマ米大統領が、シリア政府が化学兵器を使用したと評価するとともに、アサド政権に対して軍事行動を行うべきと決定したと述べたことなどにより軍事的な緊張が高まった。同年9月、ケリー米国務長官とラブロフ露外相による交渉の末、米露両国はシリア政府に対して化学兵器の完全な廃棄に向け、シリア政府の申告と国際的な査察受け入れなどを求める内容の枠組みに合意した。シリア政府は、保有する化学兵器のリストを化学兵器禁止機関(OPCW:Organization for the Prohibition of Chemical Weapon)に提出し、化学兵器禁止条約に加入するなど枠組みのもとでの対応をとったため、米国などによるアサド政権への軍事行動は回避された。化学兵器禁止機関の決定及び関連する国連安保理決議に従い、シリアの化学兵器廃棄に向けた国際的な努力が行われ、14(同26)年8月、米政府の輸送船「ケープ・レイ」で実施されていた廃棄作業が完了した。

7 ISILの組織上の特徴などについては3項「拡散する国際テロリズムをめぐる動向」を参照。

8 アラビア語で「後継者」を意味する。預言者ムハンマド没後、イスラム共同体を率いる者に対して用いられ、その後ウマイヤ朝やアッバース朝などいくつかの世襲王朝君主がこの称号を用いた。

9 イラクにおける対ISIL空爆には、17(平成29)年5月現在、米国以外に、英国、フランス、豪州、デンマーク、ベルギー、オランダ、ヨルダンが参加している。

10 オバマ米大統領(当時)は、ISILを弱体化させ、究極的には壊滅させることを目標に、軍事作戦の地域をシリアにも拡大し、広範な有志連合を率いて空爆のみならず、地上戦を担うイラク治安部隊やシリアにおける穏健派の反体制派への軍事支援などを行うことを表明した。なお、シリアにおける対ISIL空爆には、17(平成29)年5月現在、米国、英国、フランス、豪州、オランダ、デンマーク、バーレーン、トルコ、ヨルダン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が参加しているほか、ロシアも有志連合とは別に実施している。

11 有志連合による作戦で、31,822人のイラク治安部隊及びペシュメルガの訓練が終了している(16(平成28)年10月5日現在)。

12 奪還後はシーア派と地元スンニ派との間での対立など新たな問題が生起している。

13 ISILがイラク国内で支配する地域は40%(14年当時)から6.8%へと減少している(17(平成29)年4月イラク統合作戦軍発表)。

14 ロシアにとって、タルトゥースはシリア国内においてロシア唯一の地中海に面した海軍基地であり、艦船に対する燃料・食料などの供給や艦船の修理を実施出来るドックがあるとされている。

15 ラタキアのフメイミム航空基地に、Su-24、Su-25、Su-30などの固定翼戦闘機、Mi-24、Ka-52などの回転翼攻撃ヘリなどを派遣した。戦略爆撃機による空爆以外にも、カスピ海に配備された巡洋艦やシリア沖に展開していたとされるキロ級潜水艦から巡航ミサイル(カリブル)による攻撃が行われている。

16 ISILは支配する地域の50,000平方キロメートルを奪還されている(17(平成29)年:米国防省発表)。

17 ISILの財政力は2015年中期と比較して、16(平成28)年4月時点で約30%減少したと言われている。また、財政状況悪化により、比較的好待遇を受けてきた外国人戦闘員の中にも、脱出を図る者も発生しているとの指摘がある。さらに、国際的な規制の強化もあり、ISILに流入する戦闘員の数は、最盛期には毎月2,000人程度とされていたが、同年7月時点で毎月約20人にまで減少しているとされている。

18 国連安保理決議第2254号は、6か月以内の包括的・非宗派主義的な政府の樹立及び新憲法制定のプロセスの確定、新憲法に基づく18か月以内に実施される自由かつ公正な選挙に対する支持の表明などを内容とする。

19 米国はシリア政府がサリンによる化学兵器攻撃を実施したと述べる一方、ロシア政府は空爆地点に貯蔵してあった反体制派が保有する化学兵器に誘爆して、化学被害が発生したとして意見に食い違いが見られている。なお、17(平成29)年4月、化学兵器禁止機関(OPCW)は指定の研究所4ヵ所において、犠牲者から採取したサンプルを分析した結果、サリンまたはサリンに似た物質への暴露を示しているとの報告書を公表した。

20 米国は同飛行場が化学兵器攻撃を実施した航空機の拠点であり、化学兵器が貯蔵されていたとして攻撃を決断したと述べている。

21 一方で、ロシアによるシリア空爆が難民・移民をかえって増やしているとの指摘もある。

22 1981(昭和56)年に、防衛・経済をはじめとするあらゆる分野における参加国間での調整、統合、連携を目的として、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、カタール、クウェートによって設立された湾岸協力理事会(GCC:Gulf Cooperation Council)が、11(平成23)年4月に、大統領が副大統領に対して即座に権限移譲を実施するかわりに訴追が免除されるという条項を含むGCCイニシアティブを提示した。

23 イスラム教シーア派ザイド派教義を信奉するホーシー派は、イエメン北部サアダ州を拠点に04(平成15)年から10(同21)年、反政府勢力として武装蜂起し、イエメン国軍と武力衝突した。

24 同決議では、ホーシー派などに対する占拠した政府機関からの撤収、奪取したイエメン軍の兵器の返却、武器禁輸及び資産凍結などを定めている。

25 15(平成27)年6月、ホーシー派及びサーレハ元大統領支持派の軍部隊がサウジアラビア南部のハミース・ムシャイトに向けてスカッド・ミサイル1発を発射する事案が発生している。サウジアラビア軍はパトリオット・ミサイル2発で迎撃するとともに、サアダ州南部の発射地点を特定した上で破壊している。以降、同様の事案が複数確認されている。イエメンのスカッド・ミサイルは北朝鮮から購入されたものであり、ホーシー派を支援する一部のイエメン軍も発射に関与していると指摘されている。

26 その他、エジプトなどが海軍艦艇を派遣するなどしていた。

27 国連の仲介のもと第1回目となるイエメン和平協議がジュネーブで開催された。この協議には、イエメン政府及び反政府勢力の双方が参加し、間接的な協議を行ったものの最終的な合意には至らなかった。また、15(平成27)年12月にはスイスにおいて、イエメン政府及び反政府勢力との間で第2回和平協議を開催し、初めての直接協議が実現した。協議に先立ち、停戦が発効されていたが、敵対行為の停止に違反する事例が相次ぎ、協議は大きな成果を得ることができないまま中断した。

28 00(平成12)年10月、アル・カーイダが計画・実行した、米駆逐艦コールに対する、高火力の爆薬を搭載した小型ボートが衝突した爆弾テロが発生。米兵17人が死亡した。

29 ミリタリー・バランス2011及び2014によると、アラブの春以前は7.6万人だったリビア軍の人員が、14(平成26)年時点では7,000人へと減少している。

30 東部沿岸地域では、自治拡大を求める民兵組織が9か月にわたり石油関連施設を占拠していた。

31 12(平成24)年9月のベンガジの米国総領事館襲撃事件では、大使を含む4人の米国人が殺害され、14(同26)年1月、同事件に関与したとされるアル・カーイダ系の「アンサール・アル・シャリーア」を米国務省がテロ組織として指定した。

32 15(平成27)年1月、首都トリポリにある高級ホテルを武装集団が襲撃し、少なくとも13人が死亡した。「ISILのトリポリ州」が犯行声明を発出している。同年2月には、ISILに忠誠を誓う過激派組織がエジプト人コプト教徒21人を殺害したとみられる映像をインターネット上に投稿した。また、同年4月にISILに忠誠を誓うリビアの過激派組織が28人のエチオピア人キリスト教徒を殺害したとみられる映像が公開された。さらに、16(同28)年1月、西部ズリテン市内の警察官訓練施設に自爆トラックが突入し爆発、訓練生67人以上が死亡、120人が負傷した。同日、ISILが犯行声明を発出した。

33 16(平成28)年2月米国家情報長官による世界脅威評価についての議会証言による。

34 17(平成29)年2月現在、約13,000人が任務に参加しており、カブールを拠点として国内5カ所(カブール、マザリシャリフ、ヘラート、カンダハル及びラグマン)に展開。NATOによるRS任務についてはI部2章8節参照

35 15(平成27)年7月、タリバーンの最高指導者のオマル師の死亡が確認された。タリバーンは、後継者としてマンスール師を選出したが、マンスール師の支持派と反対派の間での内部抗争が確認されている。しかしながら、タリバーンは、首都のカブールに加えて、アフガニスタン北部、南部、西部で攻勢を仕掛け、事実上の支配地域を拡大させている。

36 米国家情報長官「世界脅威評価2016」(16(平成28)年2月発表)による。なお、地域紛争を研究するシンクタンクのソウファン・グループが15(同27)年12月に発表した報告書によれば、シリア及びイラクで活動するアフガニスタン出身のISIL戦闘員は約50人である。

37 イスラエルとパレスチナの間では、1993(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(同15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、イスラエル軍が、08(同20)年末から09(同21)年初めにかけてガザ地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を行い、12(同24)年11月にも同地区に対して空爆を行うなど、12(同24)年までに2度にわたる大規模な戦闘が行われたが、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

38 イスラエルとシリアの間には、第三次中東戦争でイスラエルが占領したゴラン高原の返還などをめぐる立場の相違があり、ゴラン高原には、イスラエル・シリア間の停戦及び両軍の兵力引き離しに関する履行状況を監視する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)が展開している。イスラエルとレバノンの間では、06(平成18)年のイスラエルとイスラム教シーア派組織ヒズボラとの紛争後、規模を拡大した国連レバノン暫定隊(UNIFIL:United Nations Interim Force in Lebanon)が展開している。同地域においては、国連休戦監視機構(UNTSO:United Nations Truce Supervision Organization)の軍事監視要員も活動を行っている。

39 1928(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプトで設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生した。

40 ISILシナイ支部の前身は、シナイ半島を拠点にイスラエルの打倒を目標に掲げるイスラム過激組織アンサール・バイト・マクディスとされる。同組織は13(平成25)年7月のムルスィ-政権崩壊後はエジプト治安当局を標的としたテロを活発化させたとみられている。

41 米国家情報長官「世界脅威評価2016」による。

42 15(平成27)年6月には検事総長を標的としたテロが発生したほか、同年7月にはイタリア総領事館付近で爆弾テロが発生した。

43 当初のマンデート期間は1年間で、最大7,000人の軍事要員、最大900人の警察要員などから構成された。UNMISSの役割は、南スーダン政府に対し、①平和の定着並びにそれによる長期的な国づくり及び経済開発に対する支援、②紛争予防・緩和・解決及び文民の保護に関する南スーダン政府の責務の履行に対する支援、③治安の確保、法の支配の確立、治安部門・司法部門の強化に対する支援などを行うこととされた。

44 1996(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダ、エリトリア、南スーダンの東アフリカ8か国

45 16(平成28)年7月にマシャール第1副大統領(当時)が解任され、反政府勢力側のタバン・デンが第1副大統領として暫定政府の一員となって以来、「反政府勢力」という呼称に変えて「反主流派」という呼称を用いている。

46 安保理決議第2304号(16(平成28)年8月)。マンデート期限は16(同28)年12月15日まで。

47 安保理決議第2304号によれば、地域保護部隊(Regional Protection Force)は、UNMISSの全軍司令官に報告し、ジュバ及び周辺地域に対して、安全な環境を提供する責任を有する。次の3つのマンデートを達成するために、必要な全ての手段を使用する権限を付与される。(a)ジュバへの出入り等における安全且つ自由な行動のための条件整備を支援する。(b)空港を保護し、空港が確実に運用を継続できるようにする。(c)国連及び市民に対する攻撃者に対して、迅速且つ効果的に対応する。

48 地域保護部隊の展開に対する政治面・運用面での妨害やUNMISSのマンデート遂行に対する妨害があると事務総長が報告した場合、安保理は報告から5日以内に武器禁輸を含む適切な手段を検討することとされている。

49 安保理決議第2327号(16(平成28)年12月)。マンデート期限は17(同29)年12月15日まで。

50 政治的な行き詰まりの打破など、国家の重要な移行期をマネージするための政治的プロセス

51 1991(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。1998(同10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

52 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニア及びシエラレオネが部隊の大部分を構成しており、13(平成25)年1月、エチオピアがこれに加わった。安保理決議第2124号(13(同25)年11月)により、部隊を17,731人から22,126人に増員することが決定された。

53 16(平成28)年1月、ソマリア南部のエル・アデにおいて、アル・シャバーブがAMISOM基地を襲撃し、多数の死傷者が出た。

54 防衛省・自衛隊及び各国の海賊対処への取組については、III部3章2節参照

55 サハラ砂漠を遊牧する少数民族で、マリ北部における自治を求め、以前からマリ政府と対立していたとの指摘がある。

56 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟国(ブルキナファソ、コートジボワール、ガーナ、ニジェール、ナイジェリアなど)などから派遣されている。

57 13(平成25)年6月、暫定政府とMNLAは、大統領選挙への北部の参加や、北部都市へのマリ軍駐留の容認などで合意した。

58 サヘル地域とは、サハラ砂漠南縁部を指す。サヘル地域の諸国としては、モーリタニア、セネガル、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャドなどがあげられる。

59 バルカンヌ作戦の総兵力は約3,500人である。チャドに司令部があり、マリ、ニジェール、ブルキナファソに基地を置かれ、機動的に部隊が各地に展開することによって作戦を遂行している。フランス軍はマリの北部においてはMINUSMAの部隊と、その他の地域においては域内諸国の軍と連携し、テロリストの掃討作戦や共同パトロールを主に実施している。

60 フランス軍は安保理決議で、事務総長の要請に基づき、緊急かつ深刻な脅威の下にあるMINUSMAの要員を支援するために必要なあらゆる手段を用いることが認められている。また、ドイツがマリでのMINUSMAの要員を拡大することでフランスの実質的負担軽減を図っている。

61 安保理決議第2295号(16(平成28)年6月)においては、マンデート期間を17(同29)年6月まで延長すること、軍事要員をこれまでの最大11,240人から最大13,290人へ、警察要員をこれまでの最大1,440人から最大1,920人へ、それぞれ増員させることが決定された。

62 15(平成27)年5月15日、マリ政府と「プラットフォーム」(マリ北部の親政府武装勢力)、6月20日、マリ政府と「アザワド運動連合(CMA:Coordination des Mouvements de l'Azawad)」(マリ北部の反政府武装勢力)のそれぞれの間で和平・和解合意に署名