陸自北宇都宮駐屯地(栃木県宇都宮市)
第12ヘリコプター隊 第1飛行隊飛行班長 3等陸佐 松下 保也(まつした やすなり)
私は、関東・東北豪雨災害派遣にUH-60JAの航空操縦士として参加しました。発災当日の9月10日、当初、偵察の任務を付与され現場に向かっていましたが、その途中、救助の必要性を察した飛行隊長より「偵察ではなく、救助にあたれ!」と命令を受けました。
実際、鬼怒川の決壊現場に到着してみると、そこには想像を絶する厳しい光景が広がっていました。まず、目に入ったのは電柱にしがみ付き救助を求める男性、次に「茶色い家屋」の2階のベランダから黄色いタオルを振る少年、その後も屋上で犬を抱きかかえる夫婦や白い2階建ての家屋から必死に助けを求める親子を確認できました。いずれも急を要する状況でありましたが、救助の優先順位を付けなければなりません。そこで我々は一軒の家に着目、それは1階部分の柱が折れ曲がり小刻みに振動している「茶色い家屋」であり、迷うことなく最初に救助することを決心しました。救助中に家ごと流される可能性と絶対に航空事故を起こしてはならないという重圧を背負いながらも、「我々自衛隊が最後の砦だ!」との強い使命感を原動力にして、少年を含む家族4名を濁流に押し流される直前の家屋から無事に救助し、その後、残る要救助者の方々を救助しました。
このように国民の生命を守ることができたのは、現場における的確な判断と乗組員全員が力を合わせ果敢に救助に挑んだ結果であると思います。日頃の地道な訓練が必ずや実を結ぶことを実感するとともに、改めて各種事態に備えた準備・訓練の必要性を感じました。
UH-60JAと筆者
ホイストによる救出の様子