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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 各地の紛争の現状と国際社会の対応

1 アフガニスタン情勢

アフガニスタンでは、「不朽の自由」作戦(OEF:Operation Enduring Freedom)の一環としてのタリバーンなどの掃討作戦や、国際治安支援部隊7(ISAF:International Security Assistance Force)およびアフガニスタン治安部隊(ANSF:Afghan National Security Forces)による治安維持活動といった取組が行われている。アフガニスタンの多くの地域で治安情勢は依然として予断を許さず、パキスタンと国境を接する東部、南部および南西部の治安は引き続き懸念すべき状況にある。

ISAFおよびANSFの活動により、タリバーンの攻撃能力は低下しつつあるものの、タリバーンはパキスタン北西部などに安全地帯を確保し、国境を越えて、アフガニスタン国内でテロ活動を行っているとみられている8

10(平成22)年のNATOリスボン首脳会合において、ISAFからANSFへの治安権限移譲を14(同26)年末までに完了することが合意された。治安権限移譲は五段階に地域を分けて行われており、11(同23)年7月、第一段階の治安権限移譲が開始された。カルザイ大統領は、同年11月に第二段階、12(同24)年5月に第三段階、同年12月に第四段階、13(同25)年6月に第五段階の治安権限移譲の対象地域をそれぞれ発表した。現在、15(同27)年にANSFがアフガニスタン全土における治安維持を全面的に担うようにするため、ISAFからANSFへの治安権限委譲が行われている。

ISAFは、その任務を戦闘からANSFの訓練、助言、支援に移行し、14(同26)年末に向け、段階的にその規模を縮小している。11(同23)年7月、米軍は撤収を開始し、14(同26)年6月までに約6万7,000人が撤収した9。さらに、14(同26)年5月、オバマ米大統領は、15(同27)年初めにはアフガニスタンにおける米軍の人員を約9,800人まで削減、同年末までにそれを半減させ、最終的には16(同28)年末までに大使館の治安支援要員のみとする撤収スケジュールを発表した。また、カナダ、フランスおよびオーストラリアが既に戦闘部隊の撤収を終了しているほか、他のNATO主要国も戦闘部隊の撤収方針を発表している。

治安権限移譲後は、ANSFがアフガニスタンの治安を全面的に担うことになる。ANSFの整備規模は目標をほぼ達成しており、その能力も向上を続けているものの、識字率の低さ、限定的な兵站(へいたん)能力、隊員の部隊離脱などの課題も多く、部隊を長期的に維持する能力がいまだ限定的であることから、ISAFは現在、それらの分野に重点を置いて支援を行っている。また、ANSFの維持にかかる費用は、その大部分を国際社会が負担しているが、14(同26)年末以降、ANSFの規模は縮小される予定である10

国際社会によるアフガニスタンへの支援は、14(同26)年末以降も継続することで合意しており、米国とNATOは、15年以降もANSFに対する支援や教育任務を担う部隊の駐留継続を決定している。12(同24)年5月のNATOシカゴ首脳会合では、14(同26)年末以降のアフガニスタンの治安へのコミットメントが再確認されたほか、12(同24)年7月の東京会合ではわが国を含む国際社会が総額160億ドルを超える規模の支援を表明した。また、米国、英国、フランスなどの各国は、14(同26)年以降の支援を盛り込んだ戦略的パートナーシップ協定11をアフガニスタン政府と締結している。

15(同27)年以降の米軍駐留の法的枠組みを定めた「米・アフガニスタン間の安全保障協定(BSA:Bilateral Security Agreement)」12については、カルザイ大統領が現在実施中の大統領選挙終了後までの署名の先送りを宣言している13一方、オバマ米大統領は同協定の署名を2015年以降の米軍駐留の条件としており、同協定の成否がISAF撤退後の米軍駐留計画の見通しに大きな影響を与えるとみられる。

本協定は、15(同27)年以降のNATO軍によるアフガニスタン支援任務のための地位協定(SOFA:Status of Forces Agreement)の基礎に位置づけられているものでもあり、米国やNATOは早期に締結する必要があるとしている。

アフガニスタンの問題は治安だけにとどまらず、その復興には、汚職の防止、法の支配の強化、麻薬対策の強化、地方開発の促進などの課題が山積している。同国の平和と安定は国際社会の共通の課題であり、国際社会がアフガニスタンに継続的に関与していくことが必要である。

説明を受けるオバマ米大統領の画像

アフガニスタンを訪問し、ダンフォードISAF司令官およびカニンガム駐アフガニスタン米国大使から説明を受けるオバマ米大統領【ホワイトハウスHP】

2 中東和平をめぐる情勢

中東では48(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた。イスラエルとパレスチナの間では、93(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(同15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、08(同20)年末から09(同21)年初めにかけて、イスラエル軍の同地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を、また、12(同24)年11月にも、イスラエル軍が同地区に対して空爆を行ったが、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

13(同25)年7月には、米国の強い働きかけにより、イスラエルとパレスチナによる中東和平協議が約3年ぶりに再開された。しかし、9か月間の協議の期限が迫った14(同26)年3~4月、イスラエルによる囚人釈放中止、パレスチナによる国際条約加入申請、ファタハを主流派とするPLO14とパレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマス15による国民融和内閣の組閣などの合意などを受け、和平協議は中断を余儀なくされ、今後の協議の再開の見込みは不透明である。

イスラエルとシリア、レバノンとの間では、いまだに平和条約が締結されていない。イスラエルとシリアの間には、第三次中東戦争でイスラエルが占領したゴラン高原の返還などをめぐる立場の相違があり、ゴラン高原には、イスラエル・シリア間の停戦および両軍の兵力引き離しに関する履行状況を監視する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)が展開している16。イスラエルとレバノンの間では、06(同18)年のイスラエルとイスラム教シーア派組織ヒズボラとの紛争後、規模を拡大した国連レバノン暫定隊(UNIFIL:United Nations Interim Forcein Lebanon)が展開している。

3 シリア情勢

シリアでは、11(同23)年3月以降、民主化、アサド大統領の退陣などを要求する反政府デモが各地で発生し、治安部隊との衝突により多数の死傷者が発生する事態となった。これを受け、シリア政府は複数の都市に軍や治安部隊を投入し、各地で軍と反体制派の衝突が継続している17

13(同25)年8月にはシリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器が使用され、多数の市民が死亡した。これを受け、従来から化学兵器の使用はレッドラインを越えるとしてきたオバマ米大統領が、シリア政府が化学兵器を使用したと評価するとともに18、アサド政権に対して軍事行動を行うべきと決定したと述べたことなどにより軍事的な緊張が高まった。一方、ロシアは軍事行動に反対するとともにシリアの化学兵器を国際社会の管理下に移すことを主張し、シリア政府はこれを受け入れた。同年9月、ケリー米国務長官とラブロフ露外相による交渉の末、米露両国はシリア政府に対して化学兵器の完全な廃棄に向け、シリア政府の申告と国際的な査察受け入れなどを求める内容の枠組みに合意した。シリア政府は、保有する化学兵器のリストを化学兵器禁止機関(OPCW:Organization for the Prohibition of Chemical Weapon)に提出し、化学兵器禁止条約に加入するなど枠組みのもとでの対応をとったため、米国などによるアサド政権への軍事行動は回避された。現在、化学兵器禁止機関の決定および関連する国連安保理決議に従って、シリアの化学兵器廃棄に向けた国際的な努力が行われている19

米国や欧州連合(EU:European Union)などは、アサド大統領の退陣を要求し、シリアからの石油輸入禁止などの累次の制裁措置を行っている。一方、シリア軍と衝突している反体制派には12(同24)年11月に設立された「シリア国民連合」に参加しないものもいる。その中には「アルカイダ」との関連があるとして米国がテロ組織に指定する「ヌスラ戦線」や「イラク・レバントのイスラム国(ISIL:Islamic State of Iraq and the Levant)」などがあり、そのような組織に武器が拡散する懸念があることから、欧米は反体制派への武器の供与に消極的である。また、「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」が他の反体制派の武器庫を襲撃するなど、反体制派同士の衝突が指摘されている。

こうした中、14(同26)年1月、スイスでシリアに関する国際会議が開催され、シリア情勢が悪化して以降、初のシリア政府と反体制派が直接対話する機会となったものの、両者は妥協点を見いだすことはできなかった。また、同年6月、大統領選挙が実施されアサド大統領が圧倒的な勝利を収めた。この選挙結果を受け、シリア政府は反体制派への攻勢を強化するとみられ、シリア情勢の今後の見通しは依然として不透明である。

4 エジプト情勢

11(同23)年1月、「アラブの春」20による民主化運動がエジプトに波及し、大規模な反政府デモが発生、30年に渡り独裁体制を敷いてきたムバラク大統領が辞任した。12(同24)年6月の大統領選挙の結果、ムスリム同胞団21出身のムルスィー氏が新たな大統領に選出されたが、13(同25)年6月、経済面での行き詰まりやイスラム主義勢力とリベラル・世俗勢力間での亀裂を背景とした、ムルスィー大統領退陣を要求する大規模デモが発生し、デモの一部と大統領支持派の衝突により多くの犠牲者が出た。そのような混乱が広がる中、同年7月には軍が介入し、ムルスィー大統領を解任、最高裁長官を暫定大統領とする暫定政府が発足した。そして、14(同26)年5月、暫定政府が作成した国民和解のための包括的な民主化プロセスであるロードマップ22に沿って大統領選挙が実施され、エルシーシ前国防大臣が当選した。

なお、軍の介入により選挙で選ばれた政権が崩壊したことを受け、13(同25)年10月、米国はエジプトに対する軍事支援を一部凍結するなど、暫定政府に対し民主化プロセスを進めるよう促している。

また13(同25)年11月には、エジプトとロシアの初の「2+2」協議が開催され、エジプト外相がロシアからの武器購入を検討している旨発言するなど関係強化の動きがみられる。

5 スーダン・南スーダン情勢

スーダンでは、83(昭和58)年から、北部のアラブ系イスラム教徒を主体とする政府と、南部のアフリカ系キリスト教徒を主体とする反政府勢力との間の南北内戦が継続したが、05(平成17)年、周辺国と米国などの仲介により南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)が成立し、内戦が終結した。11(同23)年1月、CPAの規定に基づいて南部スーダンの分離・独立を問う住民投票が行われ、同年7月9日、南スーダン共和国が独立した。また同日、国連安保理が採択した決議第1996号に基づき、平和と安全の定着および南スーダンの発展のための環境の構築の支援などを任務とする国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された23。独立後は、アビエ地域24の帰属を含む国境線画定や石油の収益配分25など南北間の未解決の課題について、AUをはじめとする国際社会の仲介により、スーダン・南スーダン間の交渉が続けられてきた。12(同24)年3月下旬以降、南北国境地帯において両国間の軍事的緊張が高まったが、国連安保理の勧告を受けて両国は、同年8月までに敵対行為を停止した。また両国は、同年9月には国境地帯の治安措置や石油などに関する一連の合意文書に、13(同25)年3月には合意履行日程を規定した文書に署名した。

南スーダンでは、13(同25)年7月に大統領が副大統領を罷免したことから、両者の政治的対立が表面化した。同年12月15日、首都ジュバにおいて大統領警護隊同士で戦闘が発生したのを契機に、政府与党内の派閥抗争の激化に発展した。その後、南スーダン政府と反政府勢力との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為が各地に拡大し、多数の死傷者、難民および国内避難民が発生した。同月19日には、東部ジョングレイ州のアコボにおいて、市民が避難しているUNMISSの施設が武装集団によって襲撃され、2名のPKO要員が死亡したほか、複数の死傷者が発生した。このような状況の中、同月24日、国連安保理は決議第2132号を採択し、軍事要員の上限を5,500人増員することなどを含むUNMISSの増強を決定した。また、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)26が、南スーダン指導者間の対話の開始や調停に向けた試みを主導し、14(同26)年1月23日、エチオピアにおいて、IGADの調停のもと、南スーダンにおける敵対行為の停止などに関する合意が両当事者間で署名された。さらに、同年3月、国連事務総長報告において、UNMISSの活動をこれまでの平和構築や政府機能構築などといった活動から、両当事者との関係で厳格な中立性を確保する活動に移行することが提案された。当該報告に基づき、同年5月27日、国連安保理はUNMISSのマンデートを文民保護、人権監視調査、人道支援促進支援および敵対的行為の停止合意の履行支援の四分野に限定することなどを定めた決議第2155号を採択した。

スーダン西部のダルフール地方では、03(同15)年頃から、アラブ系のスーダン政府と複数のアフリカ系反政府勢力の間で紛争が激化した。06(同18)年、政府と一部の反政府勢力との間でダルフール和平合意(DPA:Darfur Peace Agreement)が成立したことを受け、07(同19)年、国連安保理はダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID:AU/UN Hybrid Operation in Darfur)の創設を決定する決議第1769号を採択した。11(同23)年には政府と反政府勢力「解放と正義の運動(LJM:Liberation and Justice Movement)」が、ダルフール和平に関する合意文書(DDPD:Doha Document for Peace in Darfur)に署名した。しかし、同合意への署名を拒否している他の反政府勢力が、政府軍との戦闘を継続している。

6 ソマリア情勢

ソマリアは、91(同3)年に政権が崩壊して以降、無政府状態に陥った27。05(同17)年、周辺国の仲介により「暫定連邦政府」(TFG:Transitional Federal Government)が発足したが、これと対立する「イスラム法廷連合」(UIC:Union of Islamic Courts)などとの間で戦闘が激化した。06(同18)年、米国の支援を受けたエチオピア軍が軍事介入し、UICを駆逐した。07(同19)年には、アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)28が国連の承認を受けて創設された。一方、UICの一部が独立した過激派武装勢力「アル・シャバーブ」29が中南部で勢力を拡大し、TFGに抵抗した。これに対してAMISOMなどへ周辺国が部隊を派遣し、12(同24)年10月、アル・シャバーブの主要拠点キスマヨを奪還したものの、中南部を中心に依然として戦闘が継続している。13(同25)年11月、国連安保理は決議第2124号を採択し、AMISOM部隊の増員や国連による兵站支援の拡張を決定した。

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っている30

ソマリアでは、12(同24)年8月、TFGの暫定統治期間が終了し、新連邦議会が招集された。同年9月には新大統領が選出され、同年11月には新内閣が発足した。こうして21年ぶりに成立した統一政府が、情勢の安定化を目指している。

7 マリ情勢

マリでは、12(同24)年1月、トゥアレグ族31の反政府武装勢力「アザワド地方解放国民運動(MNLA:National Movement for the Liberation of the Azawad)」が反乱を起こし、イスラム過激派勢力「アンサール・ディーン(Ansar al-Dine)」など32がこれに合流した。同年3月には、一部の軍兵士らが首都バマコで騒乱を起こし、これに乗じてMNLAは北部の複数の都市を制圧し、同年4月に北部の独立を宣言した。その後、MNLAを排除したアンサール・ディーンや「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO:Movement of Unity and Jihad in West Africa )」、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM:al-Qaida in the Islamic Maghreb)」などのイスラム過激派勢力がイスラム法に基づく統治を行い、マリ北部の人道・治安状況が悪化した。

これに対し、12(同24)年12月、国連安保理は決議第2085号を採択し、マリ軍および治安機関の能力再構築や、北部地域の奪回およびテロ組織による脅威の低減のためにマリ当局を支援することなどを任務とするアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA:African-led International Support Mission in Mali)33の展開を承認した。13(同25)年1月には、アンサール・ディーンなどの中南部への侵攻といった事態を受けて、マリ暫定政府の要請を受けたフランスが部隊を派遣した。その後、AFISMAも展開し、マリ暫定政府は北部の主要都市を奪還した。一部の都市では自爆テロの発生などが伝えられているものの、フランスは任務の大部分は終了したとして、同年4月から部隊撤収を開始し、最大時約4,000人の兵力を1,600人規模に縮小した(14(同26)年3月現在)。13(同25)年4月、国連安保理は、人口密集地の安定化とマリ全土における国家機能の再構築支援などを任務とする国連マリ多角的統合安定化ミッション(MINUSMA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali)の設置を決定する安保理決議第2100号を採択した34。同決議に基づき、同年7月、AFISMAから権限を移譲されたMINUSMAが活動を開始した。MINUSMAの支援のもと、大統領選挙が平和裡に実施され、同年9月に新政府が成立した35。また、EUは12(同24)年12月、約500人規模のマリ軍訓練ミッションの設立を決定し、マリ軍に対する訓練や教育を行っている。

8 中央アフリカ情勢

中央アフリカ共和国では、60(昭和35)年の独立以降、度重なる軍事クーデターや反政府武装勢力の存在などにより政情不安が続いている。12(平成24)年12月、イスラム系反政府武装勢力「セレカ」36が、08(同20)年に政府との間で結んだ和平合意の履行状況などを不満として、同国北東部の複数の都市を制圧した。13(同25)年1月、中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS:Economic Community of Central African State)37などの仲介により、中央アフリカ政府とセレカの間で和平合意が成立したが、同年3月、セレカが同合意の政府側の不履行を理由として攻撃を再開し、首都バンギを制圧した。その後、セレカや、セレカに対抗するために形成されたキリスト教徒を中心に形成された自警団「アンチバラカ」など複数の武装勢力による、市民に対する殺害や略奪行為などが横行し、同国の治安と人道状況は急激に悪化している。

このような状況に対応するため、13(同25)年12月、国連安保理は決議第2127号を採択し、AU主導の「中央アフリカ主導国際支援ミッション(MISCA:Mission internationale de soutien à la Centrafrique sous conduite africaine)」の派遣と、それを支援するフランス軍部隊の強化を容認した。また、同決議は、ECCAS主導で同国内に展開していた「平和維持部隊(MICOPAX:Mission de consolidation de la paix de la Communauté économique des États de I'Afrique centrale en République centrafricaine)」の権限をMISCAに移譲することを要請するとともに、MISCAが最終的に国連PKOへ移行する可能性を示唆した。14(同26)年4月、国連安保理は決議第2149号を採択し、民間人の保護などを任務とする国連中央アフリカ共和国多角的統合安定化ミッション(MINUSCA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in the Central African Republic)の設立を決定した38。また、14(同26)年1月にはEUが治安維持部隊を派遣する方針を決定し、同年4月に活動を開始した。部隊は最大で1,000人規模となる予定である。

フランス軍とMISCAの兵士の画像

中央アフリカの首都バンギに展開するフランス軍とMISCAの兵士【仏国防省© Ministère de la Défense】

7 14(平成26)年6月現在、NATOを中心とする48か国から約5万人が派遣されている。

8 米国防省「アフガニスタンの治安と安定の進捗に関する報告書」(13(平成25)年11月)などによる。アフガニスタンをめぐるパキスタンと米国の関係については、I部1章6節2参照

9 14(平成26)年6月現在、ISAFに派遣されている米軍は3万2,800人である。

10 現在のANSFの整備目標は35万2,000人で、維持費は約60億ドルと見積もられている。なお、12(平成24)年5月のNATOシカゴ首脳会合では、財政支援を長期的に継続するため、17(同29)年をめどに22万8,500人まで削減し、維持費を約41億ドルにするとしている。

11 アフガニスタンと米国の永続的戦略パートナーシップ協定は、14(平成26)年以降も米国がアフガニスタンに駐留する可能性などを盛り込んでいる。

12 15(平成27)年以降のアフガニスタンにおける米軍の活動や施設の使用権などについて定めたもので、12(同24)年から協議が行われている。

13 カルザイ大統領は、13(平成25)年11月に行われたロヤ・ジルガ(国民大会議)において、協定締結を14(同26)年4月の大統領選挙以降に先送りすることを宣言し、同会議終了後、米国に署名のための条件(アフガニスタン人の家宅捜索中止、14(同26)年4月の大統領選挙への不干渉、グアンタナモにおける囚人の釈放)を提示した。

14 今回の和平協議では、主流派のハマスがイスラエルとの交渉を行っていた。

15 ハマスはイスラエルの存在を認めていない。

16 同地域においては、国連休戦監視機構(UNTSO:United Nations Truce Supervision Organization)の軍事監視要員も活動を行っている。

17 13(平成25)年7月25日の国連事務総長の発表では、シリアの衝突による死者数は10万人以上とされている。14(同26)年2月時点で死者は14万人以上との指摘もある。

18 13(平成25)年8月、米国は人的諜報、通信情報および公刊情報などに基づくオールソースの分析として、アサド政権が化学兵器攻撃を実施したことに「強い自信」を持っていると評価した。

19 13(平成25)年11月、化学兵器禁止機関はシリアが保有する化学兵器に関し,①未充填の砲弾:シリア国内において14(同26)年1月31日までに廃棄完了、②マスタード剤ならびにサリンおよびVXの主要なバイナリー物質(化学剤の原料):13(同25)年12月31日までにシリア国外に移動、③その他の化学剤:14(同26)年2月5日までにシリア国外に移動、④マスタードの保管用に使用されていた容器内のマスタードの残留物は14(同26)年3月1日までに廃棄することなどを決定した。また、シリア国外における化学兵器廃棄のスケジュールについては、①マスタード剤ならびにサリンおよびVXの主要なバイナリー物質:可及的速やかに廃棄を開始し,14(同26)年3月31日までに廃棄し,その結果生ずる化合物については,事務局長の勧告に基づき執行理事会が同意する日までに廃棄、②その他の全ての化学剤:可及的速やかに廃棄を開始し、14(同26)年6月30日までに完了することなどを決定した。

20 I部2章1節1脚注2参照

21 28(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプト設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生

22 14(平成26)年に議会選挙を実施予定

23 当初のマンデート期間は1年間とし、最大7,000人の軍事要員、最大900人の警察要員などからなる。UNMISSは南スーダン政府に対し、①平和の定着ならびにそれによる長期的な国づくりおよび経済開発に対する支援、②紛争予防・緩和・解決および文民の保護に関する南スーダン政府の責務の履行に対する支援、③治安の確保、法の支配の確立、治安部門・司法部門の強化に対する支援などを行う。

24 アビエ地域は南北内戦時の激戦地の一つで、豊富な石油資源が埋蔵されていることなどから南北双方が領有権を主張している。同地域の帰属を決める住民投票はいまだ行われておらず、帰属は確定していない。南部スーダン独立直前の11(平成23)年5月には、同地域において、スーダン政府軍(SAF)と南部スーダンの主要な軍事組織であったスーダン人民解放軍(SPLA)との間で武力衝突が発生した。同年6月、安保理は決議第1990号により、同地域に国連アビエ暫定治安部隊(UNISFA:United Nations Interim Security Force for Abyei)を設置した。

25 油田の大半が南スーダンに存在する一方、パイプラインの大部分や輸出港はスーダンに存在する。

26 96(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダなどの東アフリカ諸国

27 91(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。98(同10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

28 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニアおよびシエラレオネが部隊の大部分を構成しており、13(平成25)年1月、エチオピアがこれに加わった。安保理決議第2124号により、部隊を17,731人から22,126人に増員することが決定された。

29 I部2章3節2参照

30 防衛省・自衛隊および各国の海賊対処への取組については、III部3章3節参照

31 サハラ砂漠を遊牧する少数民族で、マリ北部における自治を求め、以前からマリ政府と対立していたとの指摘がある。

32 I部2章3節2参照

33 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟国(ブルキナファソ、コートジボワール、ガーナ、ニジェール、ナイジェリアなど)などから派遣されている。

34 当初のマンデート期間は13(平成25)年7月から1年間とし、最大11,200人の軍事要員、最大1,440人の警察要員からなる。また、フランス軍にはMINUSMAが急迫性のある危険に曝された場合、国連事務総長の要請に基づき、同ミッション支援のため、介入する権限が付与されている。

35 13(平成25)年6月、暫定政府とMNLAは、大統領選挙への北部の参加や、北部都市へのマリ軍駐留の容認などで合意した。

36 現地語で「同盟」の意。12(平成24)年12月、二つの主要な反政府勢力とその他の反政府勢力の連合体として結成された。ダイヤモンド鉱山が集中して存在する同国北東部を拠点としている。

37 81(昭和56)年12月に設立された。加盟国は、アンゴラ、ガボン、カメルーン、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、サントメ・プリンシペ、赤道ギニア、チャド、中央アフリカおよびブルンジ

38 当初のマンデート期間を1年間、最大派遣人員数を10,000人の軍事要員と1,800人の警察要員とし、14(平成26)年9月15日にMISCAから軍事・警察に関する権限を移譲されるとした。