中東地域は、アジアと欧州をつなぐ地政学上の要衝である。さらに、世界における主要なエネルギーの供給源で、国際通商上の主要な航路があり、また、わが国にとっても原油輸入量の約9割をその地域に依存しているなど、中東地域の平和と安定は、わが国を含む国際社会の平和と繁栄にとって極めて重要である。
一方、この地域においては、イスラエルとパレスチナ武装勢力間の衝突やホーシー派による船舶への攻撃などが発生・継続している。加えて、2024年4月には、在シリア・イラン大使館の領事部が攻撃されたことに対し、イランが同攻撃はイスラエルによる犯行であると断定した上で、報復としてイスラエルに向けて多数のミサイルや無人機を発射するなど、高い緊張状態が継続している。
中東和平プロセスが停滞するなか、パレスチナにおいては、ヨルダン川西岸地区を統治する穏健派のファタハと、ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが対立し、分裂状態となっている。
こうしたなかで、2017年、トランプ米政権(当時)が、米国はエルサレムをイスラエルの首都と認めると発表し、2018年には、駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転したことを受けて、ガザ地区を中心に緊張が高まった。2020年には、トランプ政権が新たな中東和平案を発表したものの、パレスチナ側はその案に示されたエルサレムの帰属やイスラエルとパレスチナの境界線などに反対し、交渉を拒否した。
一方で、トランプ政権は、イスラエルとアラブ諸国間の和平合意の実現に向けて積極的な働きかけを行い、同年8月以降、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコがイスラエルと相次いで国交正常化に合意するに至った。アラブ諸国とイスラエルの国交樹立は、エジプト(1979年)とヨルダン(1994年)以来であった。
2022年3月、イスラエル、バーレーン、エジプト、モロッコ、UAE、米国の各国外相がイスラエルで会談し、同年11月には、これらの国々の間で毎年外相会合を開催することや、地域安全保障を含む各種作業部会を設置することを含む文書が採択された。このように、イスラエルと国交正常化したアラブ諸国との間では、安全保障面での協力が拡大していく情勢であった。
イスラエルとパレスチナ武装勢力の間では、これまでたびたび衝突が発生しており、両者の緊張状態は継続していた。そうしたなか、2023年10月7日、ガザ地区のハマスなどのパレスチナ武装勢力がイスラエルに対し、数千発のロケット弾を発射した。また、多数の戦闘員がイスラエル領に侵入し、イスラエル軍兵士や外国人を含む民間人を殺害・拉致した。これを受け、イスラエル軍は同日、ガザ地区への空爆を開始した。その後、イスラエル軍は局地的な地上作戦を散発的に実行し、同月27日以降は、戦車やブルドーザーなどを投入し、継続的な地上作戦を行っている。同年11月24日から11月30日までの間、一時的な休戦が行われ、ハマスなどに連れ去られた人質の一部が解放されたが、同年12月1日に戦闘は再開した。イスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスを壊滅させ、人質の奪還を達成させると主張している。
パレスチナ自治区ガザ北部を走行するイスラエル軍の戦車(2023年12月)
【AFP=時事】
2023年10月にイスラエルとパレスチナ武装勢力の衝突が始まって以降、イスラエル北部では、レバノンの親イラン武装勢力であるヒズボラなどによる攻撃が頻発している。これに対し、イスラエル軍はヒズボラの軍事拠点に対する空爆などで応戦している。
また、イエメンの反政府勢力であるホーシー派も、散発的にミサイルや無人機などをイスラエルに向けて発射している。
米国は、中東地域における抑止力強化のために、空母打撃群や航空機の派遣など、米軍アセットを増強しており、ホーシー派が発射した無人機やミサイルの迎撃などを実施している。
イランの核問題に関する最終合意「包括的共同作業計画」(JCPOA:Joint Comprehensive Plan of Action)をめぐる状況が変化するなか1、湾岸地域では、軍事的な動きを含め様々な事象が生起している。2019年5月以降、米国は、自国の部隊や利益などに対するイランの脅威に対応するためなどとして、空母打撃群や爆撃機部隊などの派遣について発表した。同年7月には、2003年以来およそ16年ぶりにサウジアラビアに部隊を駐留させた。
こうしたなか、2019年6月、イランは、ホルムズ海峡上空における米国の無人偵察機の撃墜を発表し、米国は、同年7月、ホルムズ海峡上空で米強襲揚陸艦がイランの無人機を撃墜したことを発表するなどした。
同年10月以降は、武装組織によるイラクの米軍駐留基地などに対する攻撃が多発した。米国は、イランの関与を指摘し、イランが支援しているとされる武装組織の拠点を空爆した。さらに、2020年1月、米国は、さらなる攻撃計画を抑止するためとして、武装組織の指導者とともにイラク国内で活動していたイラン革命ガード・コッヅ部隊のソレイマニ司令官を殺害した。イランは、報復としてイラクの米軍駐留基地に弾道ミサイル攻撃を行ったが、その後、米国・イラン双方ともに、エスカレーションを回避したい意向を明確に示した。
こうした状況のなか、イラクの駐留米軍は、2021年1月までに2,500人に縮小され、同年12月末に戦闘任務を終了し、助言・訓練・情報収集の任務へ移行した。
同年4月以降、トランプ政権下で湾岸地域に派遣された戦闘機や防空アセットの一部の撤収が報じられ、同年9月に米空母「ロナルド・レーガン」が中東地域から離脱して以降、米空母が不在の状況が継続するなど湾岸地域における米軍のプレゼンスは縮小傾向にあったが、2023年10月にイスラエルとパレスチナ武装勢力との間の衝突が発生して以降、米空母「ドワイト・D・アイゼンハワー」の中東地域への派遣、航空機や防空アセットの中東地域への追加展開など、米軍のプレゼンスは強化されている。
2019年5月以降、中東の海域では、民間船舶の航行の安全に影響を及ぼす事象が散発的に発生している。
このように、中東地域において緊張が続くなか、各国は地域における海洋の安全を守るための取組を継続している。米国は2019年7月、海洋安全保障イニシアティブを提唱した後、国際海洋安全保障構成体(IMSC:International Maritime Security Construct)を設立して、同年11月にその司令部がバーレーンに開設された。IMSCには、米国に加え、英国、サウジアラビア、UAE、バーレーン、アルバニア、リトアニア、エストニア、ルーマニア、セーシェル、ラトビア、ヨルダンの計12か国が参加している(2024年3月現在)。
また、2020年1月、フランス、オランダ、デンマーク、ギリシャ、ベルギー、ドイツ、イタリア、ポルトガルの欧州8か国による共同支持宣言により、ホルムズ海峡における欧州による海洋監視ミッション(EMASOH:European Maritime Awareness in the Strait of Hormuz)が発足し、同年2月には、全面的な運用が開始された。
さらに、2023年11月以降、紅海やアデン湾で、ホーシー派による民間船舶への攻撃などが多発しており、同月19日には、わが国の船舶運航事業者が運航する船舶が拿捕された。こうしたことを受け、米国は、紅海からアデン湾にかけての海洋安全保障と能力構築のための活動を任務とする第153連合任務群の傘下に多国籍安全保障作戦である「繁栄の守護者作戦」(OPG:Operation Prosperity Guardian)を立ち上げ、紅海、アデン湾における巡回任務などを行うと発表した。さらに、2024年1月12日、米英軍は、カナダ、オランダ、オーストラリア、バーレーンの支援を受け、ホーシー派の軍事拠点などを攻撃した。以降も、米軍は、英軍との共同攻撃を含め、継続的にホーシー派の軍事拠点などを攻撃している。
わが国としては、引き続き、湾岸地域情勢をめぐる今後の動向を注視していく必要がある。
シリアにおいては、2011年3月以降、ロシアやイランが支援するシリア政府軍とトルコなどが支援する反体制派などの暴力的衝突が継続してきた。ロシアによるウクライナ侵略開始以降、ロシアが、シリアに駐留する部隊の一部をウクライナに再配置しているとの指摘もあるが、政府軍が国土の多くを支配しているとみられ、全体的にはアサド政権が優位な状況となっている。
こうした状況を背景に、シリア政府と、反体制派を支援してきたアラブ諸国やトルコが外交関係を改善しようとする動きもみられる。例えば、2023年5月、アラブ連盟の外相会合で、2011年に参加資格を停止していたシリアの復帰を認めることが決定され、同月に開催された首脳会議には、アサド大統領が出席した。
シリア情勢をめぐっては、2022年6月の国連人権高等弁務官事務所の推定によると、2011年3月から2021年3月までの間に、一連の衝突により、市民30万人以上が死亡した。
衝突が継続するなか、これまで和平協議や政治プロセスは実質的な進展をみせておらず、シリアの安定に向けて国際社会によるさらなる取組が求められる。
イエメンでは、2011年2月以降に発生した反政府デモとその後の国際的な圧力により、サーレハ大統領(当時)が退陣に同意し、2012年2月の大統領選挙を経て、ハーディ副大統領(当時)が新大統領に選出された。
一方、イエメン北部を拠点とする反政府武装勢力ホーシー派と政府との対立は激化し、ホーシー派が首都サヌアなどに侵攻したことを受け、ハーディ大統領はアラブ諸国に支援を求めた。これを受けて、2015年3月、サウジアラビアが主導する有志連合軍がホーシー派への空爆を開始した。これに対し、ホーシー派もサウジアラビア本土に弾道ミサイルなどによる攻撃を開始し、無人機や巡航ミサイルも使用するようになった。
2018年12月、ホーシー派とイエメン政府の間で、国内最大の港を擁するホデイダ市における停戦などが合意されたが、履行は進まなかった。一方で、2019年11月、サウジアラビアの首都リヤドにおいて、イエメン政府とイエメン南部の独立勢力「南部移行評議会」(STC:Southern Transitional Council)がリヤド合意2に署名し、2020年12月、その合意に基づき新内閣が発足した。2022年4月、ハーディ大統領は、「大統領指導評議会」を新設し、すべての権限を委譲することを発表した。この評議会は、ホーシー派を除くイエメン国内の政治勢力の代表者によって構成され、イエメン政府の統治強化やホーシー派との交渉の妥結を目指している。
同月、国連イエメン特使は、紛争当事者が2か月間のイエメン全土における停戦に合意したことを発表した。停戦合意は、同年6月と8月に更新された後、10月には更新されなかったことが発表されたが、停戦が発効して以降、イエメン国内における大規模な衝突、有志連合軍による空爆やホーシー派による越境攻撃は、ほとんど生起していない。こうしたなか、2023年12月、停戦実現などに向けたロードマップの作成を進めることで合意がなされたが、最終的な和平合意の締結の目途は立っていない。
アフガニスタンでは、2014年12月に国際治安支援部隊(ISAF:International Security Assistance Force)が撤収し、アフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)への教育訓練や助言などを主任務とするNATO主導の「確固たる支援任務」(RSM:Resolute Support Mission)が開始された頃から、タリバーンが攻勢を激化させた。一方、ANDSFは兵站、士気、航空能力、部隊指揮官の能力などの面で課題を抱えており、こうしたなかでタリバーンは国内における支配地域を拡大させた。
2020年2月、米国とタリバーンとの間で、駐アフガニスタン米軍の条件付き段階的撤収などを含む合意が署名され、同年3月、米国は、米軍の撤収を開始したと発表した。また、同年9月、アフガニスタン政府とタリバーンによる和平交渉がカタールで開始された。米国は、2021年8月末までに撤収を完了した。
こうした状況のなか、タリバーンは、アフガニスタン国内での支配領域をさらに急速に拡大し、同年8月、首都カブールを制圧し、同年9月、暫定内閣の設立を発表した。2024年3月現在、タリバーンの内閣は、いずれの国にも政府として承認されていない。ただし、タリバーンは、2023年9月に新しい中国大使の信任状を受理し、同年12月には、タリバーンが派遣した駐中国大使を中国が正式に受入れたと主張した。
タリバーンによる国内の統治やタリバーンと各国の交渉が注目される。
1 JCPOAは、イラン側が濃縮ウランの貯蔵量や遠心分離機の数の削減や、兵器級プルトニウム製造の禁止、IAEAによる査察などを受入れる代わりに、過去の国連安保理決議の規定が終了し、また、米国・EUによる核関連の独自制裁の適用を停止または解除すると規定している。2018年5月、トランプ米大統領(当時)はJCPOAからの離脱を表明し、同年11月、米国はすべての制裁を再開したうえに、その後も累次にわたり経済制裁を科した。これに対してイランは、2019年5月以降、JCPOAから離脱するつもりはないとしつつ、JCPOAの義務履行措置の停止を段階的に発表した。2021年1月に就任したバイデン米大統領のもとで、同年4月、米国・イラン間で核合意に関する間接協議が開始されたが、交渉妥結には至っていない。
2 イエメン政府と同国南部の自治を志向するSTCとの間で衝突が継続していたなかで、両者の衝突の収束などに向け、STC出身閣僚を含む新内閣の樹立などを規定。