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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 生物・化学兵器

生物・化学兵器は、比較的安価で製造が容易であるほか、製造に必要な物資・機材・技術の多くが軍民両用であるため偽装が容易である。たとえば、海水の淡水化に使用されるろ過器は生物兵器の製造を目的とした細菌の抽出に、金属メッキ工程に使用されるシアン化ナトリウムは化学兵器製造に悪用される可能性がある11。したがって、生物・化学兵器は、非対称的な攻撃手段12を求める国家やテロリストなどの非国家主体にとって魅力のある兵器となっている。

生物兵器は、①製造が容易で安価、②ばく露から発症までに通常数日間の潜伏期間が存在、③使用されたことの認知が困難、④実際に使用しなくても強い心理的効果を与える、⑤種類および使用される状況によっては、膨大な死傷者を生じさせるといった特性を有している13

生物兵器については、生命科学の進歩が誤用または悪用される可能性なども指摘されており、こうした懸念も踏まえ、たとえば、米国では09(平成21)年11月、生物兵器の拡散やテロリストによる同兵器の使用に対応するための指針を策定し14、病原菌や毒素の管理を徹底させる措置15をとることとした。

化学兵器については、イラン・イラク戦争中に、イラクが、マスタードやタブン、サリン16などを繰り返し使用したほか、1980年代後半には自国民であるクルド人に対する弾圧の手段として、化学兵器を使用した17。また、さらに毒性の強い神経剤であるVXや、管理が容易なバイナリー弾18などが存在していたとされる19。また、13(同25)年8月、軍と反政府派が衝突していたシリア・ダマスカス郊外において、サリンが使用された20。シリア政府は化学兵器の使用を否定したが、米露合意を受けて化学兵器禁止条約(CWC:Chemical Weapons Convention)に加入した。その後、OPCWの決定21および安保理決議22に従い、化学剤の国外搬出など国際的な努力が行われている23

CWCに加盟せず、現在もこうした化学兵器を保有しているとされる国家として、たとえば、北朝鮮がある。また、95(同7)年のわが国における地下鉄サリン事件は、米国における01(同13)年の炭疽菌入り郵便物事案や04(同16)年2月のリシン入り郵便物事案とともに、テロリストによる大量破壊兵器の使用の脅威が現実のものであり、都市における大量破壊兵器によるテロが深刻な影響をもたらすことを示した。

11 これらの生物・化学兵器の開発・製造に使用しうる関連汎用品・技術は、国際的な輸出管理を行う枠組み(オーストラリア・グループ)の合意に基づき、わが国を含む加盟国の国内法令によって輸出が管理されている。

12 相手の弱点をつくための攻撃手段であって、在来型の手段以外のもの。大量破壊兵器、弾道ミサイル、テロ、サイバー攻撃など

13 防衛庁(当時)「生物兵器対処に係る基本的考え方」(02(平成14)年1月)

14 09(平成21)年11月、生物兵器の拡散やテロリストによる同兵器の使用に対応するための指針である「生物学上の脅威に対する国家戦略」が発表された。オバマ米大統領は10(同22)年1月の一般教書演説で、生物テロや感染症に迅速かつ効果的に対応するための新たなイニシアティブを立ち上げていると述べた。

15 米大統領令(10(平成22)年7月2日)

16 マスタードは、遅効性のびらん剤。タブン、サリンは、即効性の神経剤

17 特に88(昭和63)年にクルド人の村に対して行われた化学兵器による攻撃では、一度に数千人の死者が出たとされる。

18 化学剤の原料となる比較的有害ではない2種類の化学物質を別々に充填した兵器で、発射の衝撃などでこれらが弾頭内で混合され、化学反応が起き、化学剤が合成されるように考案されたもの。当初から化学剤を充填したものに比較して貯蔵、取扱が容易である。

19 09(平成21)年2月、イラクは化学兵器禁止条約(CWC:Chemical Weapons Convention)の締約国となった。

20 「国連シリア化学兵器使用疑惑調査団最終報告書」(13(平成25)年12月12日)

21 OPCW執行理事会特別会合(第33回および34回)

22 国連安保理決議第2118号

23 シリア情勢についてはI部2章1節2参照