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<視点>偽情報を含む影響工作と「情報機関」による「情報戦」の論点

防衛研究所 サイバー安全保障研究室 瀬戸 崇志(せと たかし) 研究員

防衛研究所 サイバー安全保障研究室 瀬戸 崇志(せと たかし) 研究員

SNS(Social Networking Service)での偽情報の拡散など、外国政府の非公然な関与のもとでの影響工作は、選挙などの民主的制度の信頼性を損ね、また軍事的手段と非軍事的手段を混合した「ハイブリッド戦」の一部としても、自由民主主義国が直面する喫緊の安全保障課題といえます。特にデジタル空間を通じた影響工作は、様々な民間企業のサービスや、標的国に内在した政治・経済・社会的分断を悪用しながら展開されます。そのため、欧米諸国では影響工作への対策において、政府に加え、産業界・市民社会とも連携した「社会全体でのアプローチ」が重視されてきました。

こうした背景のもとで、各国政府は、偽情報を含む影響工作対策に向けた「社会全体でのアプローチ」を促すための体制整備を試みてきました。数ある取組のうち、政府による情報収集・分析機能と、その能力を梃とした戦略的な情報発信を含む「情報戦1」への対応基盤強化は、官民ならびに同盟・同志国との間の脅威状況把握の共有と政策協調の礎石として重要です。

こうした政府の情報収集・分析ならびに情報戦の体制整備には、大別して2つの方式があります。1つは、フランス国家国防安全保障事務局のVIGINUMのように、デジタル影響工作に特化した公開情報(OSINT:Open Source Intelligence)の収集・分析を通じた情報戦対応を任務とする専門機関の整備です。

もう1つは、各国の情報機関による情報戦対応の強化です。この方式を象徴するのが、2022年のロシアによるウクライナ侵略の開始に先立ち、米英の情報機関が自身の機密情報も活用し、ロシアによる偽旗作戦や偽情報拡散の兆候を暴露することで、2014年のクリミア半島「併合」のような電撃的な軍事目標達成を妨害した取組です。この他2010年代後半にかけ、米英がオランダなどの欧州の同志国とも連携し、外国の情報機関によるサイバー攻撃や伝統的な破壊工作を暴露・妨害し続けた国際的キャンペーンも、同種の取組の先例といえます。

こうした情報機関の能力による情報戦対応の意義について、近年の研究は主に2点を指摘します。1つはOSINTの範疇を超えて、各国の情報機関のみが扱いうる機密情報の収集・分析能力が、外国政府の影響工作の兆候把握や組織的関与の特定に資することがあります。これは情報機関の能力を、外国政府の影響工作に対する早期警戒用の「センサー」として用いる発想です。

もう1つは、国際的なメディアの注目を集めやすい情報機関の戦略的な情報発信を、産業界・市民社会との双方向的な関係での情報共有や言説の増幅に向けた「呼び水」とする機能です。例えば、ウクライナ侵攻前後での米英両国の対応は国際的な注目を集めるなか、これを契機としたBellingcatなどの各国調査研究機関によるOSINTでの追跡検証も、国際社会での脅威状況把握の共有やウクライナ支持をめぐる政治的連帯の強化に貢献しました。近年の各国情報機関による、外国政府のサイバー攻撃動向の技術的情報の公表も、産業界との双方向的な脅威情報共有の促進の要請に基づいています。

一連の事例は、情報通信技術の普及と影響工作への対応の要請から、情報機関が「社会全体」との関係での情報・言説のフィードバック・ループ構築に意義を見出してきたことを示唆します。それは同時に、伝統的には政府の意思決定を支える黒子として秘密主義的な組織文化を備える情報機関が、21世紀の情報環境に応じた産業界・市民社会との意思疎通や連携強化の方策を模索してきたことも意味します。近年の「情報戦」を取り巻く課題は、民主主義国の情報機関に対し、21世紀の情報環境に適合した自身の姿をめぐる根源的問いを突き付けるものともいえるでしょう。

1 防衛省・自衛隊での取組は、III部1章5節を参照。

(注)本コラムは、研究者個人の立場から学術的な分析を述べたものであり、その内容は政府としての公式見解を示すものではありません。