北極海では、近年、海氷の減少にともない、北極海航路の利活用や資源開発などに向けた動きが活発化している。カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン、米国の8か国からなる北極圏国は1996年、北極における持続可能な開発、環境保護といった共通の課題についての協力などの促進を目的とし、北極評議会を設立した5。
安全保障の観点からは、北極海は従来、戦略核戦力の展開または通過海域であったが、近年の海氷の減少により、艦艇の航行が可能な期間や海域が拡大しており、将来的には、海上戦力の展開や、軍の海上輸送力などを用いた軍事力の機動展開に使用されることが考えられる。こうしたなか、軍事力の新たな配置などを進める動きもみられる。
ロシアは、2021年1月に北洋艦隊を軍管区級に格上げし、2022年7月に発表した海洋ドクトリンでは、北極海を死活的に重要な海域に位置づけるなど、北極圏における国益擁護のための体制の構築を推進しており、各種政策文書において、北極圏におけるロシアの権益やロシア軍の役割を明文化している。また、北極圏沿岸部にレーダー監視網の整備を進めているほか、飛行場の再建や地対空・地対艦ミサイルの配備が進められている。活動面では、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN:Ballistic Missile Submarine Nuclear-Powered)による戦略核抑止パトロールや長距離爆撃機による哨戒飛行を実施するなど、北極海における活動を活発化させているほか、2022年9月には太平洋艦隊がチュコト海で総合北極遠征「ウムカ-2022」を、2023年9月にはチュコト海に加えてベーリング海を含めた海域で戦術演習「フィンヴァル-2023」を実施しており、海軍総司令官指揮のもとで対艦ミサイル発射訓練などを行っている。
米国は、2022年10月に発表した「北極圏国家戦略」において、北極圏でのロシアや中国との戦略的競争が激化しているとの認識を示した6。また、安全保障面では、北極圏における米国の利益を守るために必要な能力を強化することによって米国本土と同盟国に対する脅威を抑止するとともに、同盟国やパートナーと共通のアプローチを調整し、意図しないエスカレーションのリスクを軽減するとしている。2018年10月には、27年ぶりに空母を北極圏に進出させ、ノルウェー海で航空訓練などを実施したほか、2020年5月には、米英の艦船が冷戦終結後初めてバレンツ海で活動した。また、2021年3月にはB-1爆撃機を北極圏内に初着陸させ、2022年3月には、米海軍が北極圏における演習「アイスエックス2022」を実施し、ロサンゼルス級原子力潜水艦を参加させるとともに、カナダ海・空軍と英国海軍が参加した。
北極圏国以外では、日本、中国、韓国、英国、ドイツ、フランスなどを含む13か国が北極評議会のオブザーバー資格を有している。中国は、北極海に対して積極的に関与する姿勢を示しており、科学調査活動や商業活動を足がかりにして、北極海において軍事活動を含むプレゼンスを拡大させる可能性も指摘されている7。また、中国は2023年初頭時点で、「雪龍」、「雪龍2号」および「中山大学極地」の3隻の砕氷調査船を運行しており、2022年10月の北極遠征では、北極海に初めて自律型無人探査機(AUV:Autonomous Underwater Vehicle)を展開したと指摘されている8。
5 北極評議会の議長国は、2021年5月から2年間、ロシアが務めることとなっていたが、ロシア以外の北極圏国7か国は2022年3月、ロシアによるウクライナ侵略を受け、ロシアが議長国を務める北極評議会の全ての会合への参加を一時的に停止した。2023年5月にノルウェーが議長国に就任し、作業部会の再開に向け合意した。
6 ロシアについては、過去10年間、北極圏における軍事的プレゼンスに多大な投資を行う一方、北極圏における新たな経済基盤を整備し、北極海航路での過度の領海権主張により、航行の自由を束縛する試みを実施しているとの認識を示した。また、ロシアによるウクライナ侵略は、北極圏でも地政学的緊張を高め、意図しない紛争の新たなリスクとなり、協力を妨害しているとも指摘している。中国については、経済、外交、科学、軍事活動の拡大を通じて、北極圏における影響力を高め、より大きな役割を果たす意向を強調しているとの認識を示した。また、過去10年間、中国は重要な鉱物資源の採掘を中心に投資を倍増させ、北極圏での軍事利用のためのデュアルユース研究を実施しているとも指摘している。
7 米国防省「中華人民共和国の軍事および安全保障の進展に関する年次報告」(2019年)による。
8 米国防省「中華人民共和国の軍事および安全保障の進展に関する年次報告」(2023年)による。この報告書では、中国による北極圏への関与の拡大は、中国・ロシア間の新たな関与の機会を創出していると指摘している。