今年4月をもって平成は終わりを告げました。
令和元年版白書では、平成の防衛省・自衛隊の歩みを紹介します。
平成元年、ベルリンの壁が崩壊し、40年以上続いた冷戦は終結しました。それまでの米ソ両国を中心とした東西間の軍事的対峙の構造は消滅し、国際情勢が大きく変化する中で、自衛隊は、阪神・淡路大震災など大規模な災害への対応、カンボジアでのPKO活動など国際平和協力活動にも取り組みました。自衛隊に対する内外からの評価が高まり、防衛力の役割が広がりました。
地震発生当初から約100日間にわたり、最大時には1日約1万9,000人の自衛隊員が災害派遣に従事した。この活動の教訓を踏まえ、各種法律の改正及び地方公共団体との連携強化など災害派遣態勢の充実が図られた。
東京都内の地下鉄駅構内及び列車内でサリンを使用した無差別殺人事件が発生。陸上自衛隊の化学防護隊などが派遣され、霞が関や日比谷で毒性ガスの検知及び除染などを行った。
日米両政府は沖縄県に所在する在日米軍施設・区域にかかわる諸問題を協議するため、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」設置で合意した。SACOは翌8年に最終報告を取りまとめ、当時の沖縄県に所在する在日米軍施設・区域の面積の約21%を返還することに合意した。
平成10年代、わが国を取り巻く安全保障環境には大きな変化が生じました。特に、9.11テロをはじめとする国際テロ組織の活動が深刻なものとなり、これに加えて大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散が進展するなど、新たな脅威や多様な事態への対応が課題となりました。
自衛隊は、国際テロリズムに対して国際社会の一員として対処すべく、インド洋での補給活動を実施しました。
また、イラクでの人道復興支援活動などにも従事し、国際平和協力活動は、わが国防衛や公共の秩序の維持といった任務と並ぶ自衛隊の本来任務と位置づけられるようになりました。
弾道ミサイルの脅威に対しては、弾道ミサイル防衛(BMD)システムの整備に着手しました。
領海内で発見した不審船2隻に対処するため、初の海上警備行動が発令された。海自護衛艦による停船命令、警告射撃やP-3Cによる爆弾投下などを行った。その後、不審船は北朝鮮の工作船であると判断された。
米国同時多発テロに対応し、国際的なテロリズムの防止・根絶のための国際社会の取組に寄与するため、補給艦、護衛艦などが派遣された。派遣部隊は、米海軍艦艇などへの補給を行った。
フセイン政権崩壊後のイラクの被災民の救援や復興支援などのため自衛隊が派遣され、医療、給水などの活動を行った。
わが国に対する武力攻撃などへの対処に関して必要な法制として、15年に、基本法的な性格をもつ武力攻撃事態対処法など事態対処関連3法が、翌16年に、国民保護法など事態対処法制関連7法が整備された。
大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散が進んだため、平成19年のペトリオットPAC-3の部隊配備開始、イージス艦のスタンダード・ミサイル(SM-3)発射試験成功により、わが国独自の弾道ミサイル防衛体制が整備された。
日米両政府は、日米両国の共通戦略目標を達成するため、日米の役割・任務・能力の具体的方向性を示すとともに、普天間飛行場の代替施設設置をキャンプ・シュワブ沖にすることなどで合意した。
北朝鮮は日本海に7発の弾道ミサイルを発射するとともに、初の核実験の実施を発表。このような新たな脅威に対応するため、BMDシステムの整備などの体制確立が進められた。
平成20年代、中国、インドの発展に伴うパワーバランスの変化など、わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増し、様々な安全保障上の課題や不安定要因がより顕在化・先鋭化してきました。中国の軍事活動が活発化する一方で、北朝鮮の核兵器・弾道ミサイル開発が進展し、自衛隊は、周辺海空域での警戒監視活動を常時継続的に実施するとともに、弾道ミサイル防衛部隊を展開し、不測の事態に備えるようになりました。
また、一国のみでは対応困難なグローバルな課題に対応するため、海賊対処部隊の派遣、他国軍への能力構築支援といった国際的な活動にも取り組みました。一方で、国内では、東日本大震災をはじめとする大規模災害が続発し、自衛隊は、被災者救助や生活支援に当たりました。
ソマリア沖・アデン湾では海賊行為が多発・急増。わが国関係船舶を海賊行為から防護するため、海上警備行動が発令され、海自護衛艦・航空機などが派遣された。その後、海賊対処法が成立し、わが国船舶のみならず諸外国の船舶も護衛対象となった。
東日本大震災は、東北地方の沿岸部を中心に壊滅的な被害を及ぼした。防衛省・自衛隊は、最大時には10万人を超える態勢で人命救助、生活支援、原子力災害への対応などにあたった。
この際、米軍は最大で人員約1万6,000名を投入するなど大規模な支援活動を行った。(「トモダチ作戦」)
わが国政府による尖閣3島の所有権取得以降、中国公船が尖閣諸島周辺のわが国領海へ断続的に侵入するなど、中国の海軍艦艇や公船の活動が急速に拡大・活発化した。
相手国軍隊などが国際の平和及び地域の安定のための役割を適切に果たすことを促進し、わが国にとって望ましい安全保障環境を創出するため、能力構築支援への取組を開始した。
わが国の外交・防衛政策の司令塔として、国家安全保障会議が創設された。また、国家安全保障に関する基本方針として、わが国として初めて「国家安全保障戦略」が策定された。
戦後70年という節目に行われた日米「2+2」会合で、安全保障環境の変化や安保・防衛分野での日米の連携の強化などを反映し、新たな「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が発表された。
平和安全法制が成立し、わが国が対処すべき事態として新たに「存立危機事態」が追加されるとともに、「在外邦人等の保護措置」、「米軍等の部隊の武器等の防護」及びいわゆる「駆け付け警護」などを可能とする規定が新設された。
中国海軍の潜水艦が尖閣諸島周辺のわが国接続水域内を潜没航行した。中国海軍艦艇及び航空戦力は、太平洋や日本海においても軍事活動を拡大・活発化させている。
平成30年12月、新たな時代に対応するため、わが国の未来の礎となる防衛の在るべき姿についての新たな指針として、「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」が策定されました。