ソ連崩壊によって誕生したロシアでは、国民の多くの期待にもかかわらず、混乱と混迷の状況に陥った。そこで国民は「強い国家」こそが秩序と安定をもたらすと主張するプーチン候補を大統領として選択した。
00(同12)年5月に就任したプーチン大統領は、自由、繁栄、豊かさ、強さ、文明を国家目標として、ロシアの国益を追求する外交を推進し、各国と活発な首脳外交を行っている。また、98(同10)年に金融危機に陥ったロシア経済は、99(同11)年以降主要輸出品目である原油などの国際市場価格の値上がりなどにより、回復基調を維持している(注1−138)。しかし、依然として、国民全体の生活水準は十分ではなく、これを解決するため、経済の構造改革などの政策を進めている。
安全保障政策と国防政策
ロシアの安全保障全般の方針と原則に関する規定としては、00(同12)年1月に改定(注1−139)された「ロシア連邦国家安全保障コンセプト」(新コンセプト)がある。新コンセプトにおいては、現在の世界情勢では、ロシアをはじめとする国々による多極的な世界の形成を推進するすう勢と、米国をリーダーとする西側諸国による支配を確立しようとするすう勢という互いに相容れない二つのすう勢が発生しているとしている。また、ロシアは国際社会における大国の一つであり、その国益の実現は安定した経済発展を基盤としてのみ可能であるとした上で、独立、主権と領土の防護、侵略の防止などを軍事的な国益としている。これに対する国内外の脅威として、国際テロリズム、国連などの役割を低下させようとする動き、NATOの東方拡大、多極化世界の中心の一つとしてのロシアの弱体化を図る試み、独立国家共同体(CIS: Commonwealth of Independent States)統合プロセスを弱体化させる動き、ロシアに対する領土要求などを指摘している。さらに、西側諸国におけるハイテク技術を使用した兵器の増大がロシア軍の危機的状況とあいまって、ロシアの安全保障の弱体化につながっているとしている。このような認識の下、あらゆる規模の侵略を未然に防止するため、抑止力を実現するための措置を講じ、そのために核戦力を保有するとしている。
この新コンセプトの下、ロシア国防政策の基本理念に関する規定としては、同年4月に策定された「ロシア連邦軍事ドクトリン」(新ドクトリン)(注1−140)がある。この新ドクトリンにおいては、現代の政治・軍事情勢では核戦争を含む大規模戦争発生の危険性は低減しているとともに、直接侵略の脅威は核抑止力のため低減しているが、潜在的な国内外の脅威は存続しており、一部の分野ではむしろ増大する傾向にあるとしている。こうした認識の下、国防の目的を侵略の抑止、戦争・武力紛争の未然防止、国際安全保障と全面的平和の維持と位置付け、このために核保有国の地位を保持するとしている。核兵器については、核兵器などが使用された場合のみならず、ロシアの国家的安全にとって重大な状況下での通常兵器を使用する大規模侵攻に対する報復などのため、使用する権利を留保する(注1−141)としている。また、連邦軍などのほかに軍需産業の一部を国家の軍事組織として位置付けるとともに、軍の機構、編成及び兵員数をロシアの経済力を考慮に入れて発展させるとしている。このような軍の主要任務として、平素からの防衛・警備態勢の構築、ロシアと同盟国への侵略の撃退、テロ対策や治安維持、平和維持・回復活動を規定している。
軍改革
ロシアでは、ソ連崩壊後の軍再編は全般的に遅れていたが、近年、97(同9)年及び昨年に軍改革に関する大統領令が署名されるなど、さらなる兵員の削減と軍種の統合などの軍機構の改編、装備などの軍の近代化、即応態勢の立て直しなどが進められてきている。この結果、これまでに、ロシア連邦軍の定員の170万人から100万人への削減に関する大統領令の署名(注1−142)、3軍種制への移行により、軍種である戦略ロケット軍の改編に伴う戦略ロケット軍と宇宙軍の兵科としての再編(注1−143)、地上軍の整備のためには独立した司令部による統一した指揮が必要なことなどから参謀本部地上軍総局の廃止と地上軍総司令部の復活(注1−144)、空軍と防空軍の統合、ザバイカル軍管区とシベリア軍管区、沿ボルガ軍管区とウラル軍管区の統合などが行われ、機構改革の面では一定の進展があった。また、国内外の脅威に対処するため、これまで後回しにされてきた即応態勢の立て直しをさらに進める必要があることなどから、今年度の国防予算では名目30%以上の予算増加が決定されている。しかし、回復基調にあるものの、依然として厳しいロシアの経済・財政状況やチェチェン戦費の増大などの要因も重なり、今後も国防予算を増大し続けるか定かではなく、軍の効率化・近代化や即応態勢の立て直しを含めた軍改革の課題達成には今後とも困難が伴うものと考えられる。
独立国家共同体(CIS: Commonwealth of Independent States)との関係
ロシアは、経済、国防、安全保障などの自国の死活的利益がCISの領内に集中しているとし、グルジア、モルドヴァ、アルメニアとタジキスタンにロシア単独の部隊やロシア軍がその大多数を占めるCIS合同軍を派遣し、また、ロシアと他のCIS諸国との間で共同防空システム協定や国境共同警備条約を結ぶなど、軍事的統合を進めてきた。なお、99(同11)年末には、ロシアと緊密な関係を維持してきたベラルーシとの統一国家設立を目指した「連合国家創設条約」に調印している。
一方、99(同11)年には、アゼルバイジャン、グルジアとウズベキスタンがCIS集団安全保障条約(注1−145)から脱退し、さらに、上記3か国とウクライナとモルドヴァが、安全保障などにおける相互協力を独自に強化する動きを見せた。また、欧州安全保障協力機構(OSCE: Organization for Security and Co-operation in Europe)首脳会談では、グルジア、モルドヴァなどに駐留するロシア軍が今後撤退することが決定されている。このように、ロシアの軍事プレゼンスの低下と一部のCIS諸国のロシア離れの傾向が顕著となっている。こうしたロシア離れに対し、ロシアは、中央アジア・コーカサス地域におけるイスラム武装勢力の活動の活発化に伴い、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、キルギスなどとこの地域におけるテロ対策を中心とした軍事協力を進め、昨年、同地域における集団緊急展開部隊を創設し(注1−146)、求心力の回復に努めてきた。このような状況のなかで、米国での同時多発テロが発生し、米国などのアフガニスタンへの軍事行動が開始された。ロシア及び中央アジア諸国は、チェチェンや中央アジア地域などのイスラム武装勢力を支援しているとみられているアフガニスタンのテロ勢力を壊滅させることは自国にとっても望ましいことであるとして、ウズベキスタン、キルギス及びタジキスタンは米軍などに自国内での駐留を認めている。また、グルジアでは、同国軍のテロ対策能力向上を目的とする、米軍による対テロ訓練・機材供与プログラムが開始され、軍事教官が派遣されている。ロシアもこのような動きを容認する姿勢を示している(注1−147)。
NATOとの関係
ロシアは、旧ソ連諸国と中東欧諸国のNATOへの新規加盟については、自国の安全保障に対する懸念などから反対姿勢を維持する一方、97(同9)年には、NATOとの協力関係を規定する「基本文書」(注1−148)に署名した。この「基本文書」に基づき、ロシア・NATO常設合同理事会が随時開催されるなど、ロシアとNATOの関係は強化されつつあったが、98(同10)年の米英によるイラク空爆や99(同11)年3月から開始されたNATOのユーゴ連邦共和国への空爆により、ロシア・NATO間に軋轢(あつれき)が生じた。しかし、同年7月には、中断されていた理事会を再開し、00(同12)年2月に続き、昨年2月及び11月にもNATO事務総長が訪露(注1−149)するなど、関係改善が図られている。米国でのテロ事件発生後、ロシアはこれを契機としてNATOとの新たな協力関係を構築しようとする動きを見せ、昨年12月のNATO外相理事会において、NATOとロシアの20か国による共同行動を追求するためのメカニズムとしてNATO・ロシア理事会を設置することが合意され、本年5月ローマで開催されたNATO・ロシア首脳会議で設置が決定された。この理事会においては合意の原則に基づく運用がされることとなっており、また、NATOとロシアは、NATO・ロシア理事会の枠組において、共通の関心分野において対等なパートナーとして行動することとなっている(注1−150)。なお、NATO・ロシア理事会の設置により、従来のNATO・ロシア常設合同理事会は廃止されることとなった。ロシアは、こうしたNATOとの新しい協力関係を構築することにより、軍事機構であるNATOを質的に変化させ、今後予想されるNATO拡大による自国の安全保障への影響を低減しようとしていると考えられる。
武器輸出
ロシアは、財政事情の逼迫(ひっぱく)から外貨獲得の手段として、また、政治的影響力の確保を図るとともに、軍需産業維持のために兵器の輸出を積極的に行っており、近年、輸出額も大幅に増加している(注1−151)。中国にキロ級潜水艦、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦やSu−27及びSu−30戦闘機などを、マレイシアにMiG−29戦闘機を、インドにキロ級潜水艦、MiG−29、Su−30戦闘機などを、ヴィエトナムにSu−27戦闘機を、ミャンマーにMiG−29戦闘機を輸出しているほか、96(同8)年には、旧ソ連時代の借款(しゃっかん)の未返済部分の償還手段として韓国にT−80U戦車などを輸出した。また、昨年4月に北朝鮮との軍事技術協力に関する政府間合意などに、同年10月にイランとの軍事技術協力協定に調印した。なお、旧ソ連各国から核兵器などの大量破壊兵器に関連する物資や技術などが流出する可能性が国際的に懸念されている。
核戦力
戦略核戦力については、ロシアは、戦略核ミサイルの削減を徐々に進め、戦略爆撃機Tu−160ブラックジャックの生産も停止したと考えられるが、依然として米国よりも多くのICBM及びSLBMを保有している。さらに、旧式ICBMの耐久年数を延長したり、本年までに、SS−27(新型ICBM)24基を配備するなど、旧式ICBMから単弾頭・移動式のICBMへの更新を継続している。しかし、新型SSBNの建造は当初の計画から大幅に遅延していると考えられる。なお、天然ガス代金の債権回収の一部としてウクライナより戦略爆撃機の引渡しを受けた。
前述したように、本年5月の米露首脳会談でモスクワ条約が署名された。これにより今後米露両国は12(同24)年12月31日までに核弾頭を1,700〜2,200発まで削減することになる。ロシアは、この条約を国際社会の戦略的安定を促進するのに資し、軍縮分野に多大な貢献をもたらすとしている。今後、核兵器の廃棄が費用問題を含め順調に進展していくかどうかが注目される。
非戦略核戦力については、ロシアは、射程500km以上の地上発射型中距離ミサイルを中距離核戦力(INF: Intermediate-range Nuclear Forces)条約に基づき91(同3)年までに廃棄したが、短距離地対地ミサイル、中距離爆撃機、攻撃型原子力潜水艦、海上(水中)・空中発射巡航ミサイルなど多岐にわたる戦力を依然として保有している。なお、艦艇に配備されている戦術核については、92(同4)年に、米国と同様に各艦隊から撤去し、陸上格納庫に保管したことを明らかにしている。
また、ロシア軍においては、通常戦力の量的削減が続き、即応態勢の低下が見られる一方で、その近代化が必ずしも進んでいない状況にある。このようなことから、新コンセプト・新ドクトリンで核兵器の使用が詳述されているように、安全保障上核戦力を相対的に重視しており、核戦力部隊の即応態勢の維持に努めているものと考えられる。
その他
通常戦力については、90(同2)年以降、量的に縮小傾向が見られ始め、この傾向は現在も続いているが、一方で、限られた資源を優先的に一部の部隊に投入し、その即応態勢の維持に努めようとする動きがみられる(注1−152)。
しかし、依然として続く厳しい財政事情に加え、軍人の生活環境の悪化や軍の規律の弛緩(しかん)、徴兵(ちょうへい)忌避(きひ)などによる充足率の低下なども問題となっており、旧ソ連時代のような軍の活動水準を維持していくことは困難(注1−153)であると考えられる。なお、昨年10月、冷戦時代には東南アジア地域におけるプレゼンスの強化のための重要な軍事拠点であったヴィエトナムのカムラン湾にある基地からの部隊の撤退とキューバにある軍事施設の撤去が決定され、キューバ基地については昨年12月に撤収(てっしゅう)が完了し、カムラン湾基地からも本年5月に撤収(てっしゅう)が完了した。
ロシア軍は改革を進めている過程にあり、軍改革の課題を達成するためには、資源を優先的に投入していくことが必要である。一方、ロシアにおいては国内経済の安定化のため、経済の構造改革を進めていることもあり、今後ロシア軍に対して資源を充分に配分することが可能であるかは明らかでない。こうしたことなどから、ロシア軍の将来像は必ずしも明確でなく、今後の動向について引き続き注目していく必要がある。