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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

第5節 海洋をめぐる動向

わが国は、四方を海に囲まれた海洋国家であり、エネルギー資源の輸入を海上輸送に依存していることから、海上交通の安全確保は国家存立のために死活的に重要な課題である。また、国際社会にとっても、国際的な物流を支える基盤としての海洋の安定的な利用の確保は、重要な課題であると認識されている。

他方、海洋においては、既存の国際秩序とは相容れない独自の主張に基づいて自国の権利を一方的に主張し、又は行動する事例がみられ、「公海自由の原則」が不当に侵害される状況が生じている。また、各地で発生している海賊行為は、海上交通に対する脅威となっている。

1 「公海自由の原則」をめぐる動向

国連海洋法条約(UNCLOS:United Nations Convention on the Law of the Sea)1は、公海における航行の自由や上空飛行の自由の原則を定めている。しかし、わが国周辺、特に東シナ海や南シナ海をはじめとする海空域などにおいては、既存の国際秩序とは相容れない独自の主張に基づき、自国の権利を一方的に主張し、又は行動する事例が多く見られるようになっており、これらの原則が不当に侵害されるような状況が生じている。

(1)東シナ海

東シナ海においては、近年、航行の自由や上空飛行の自由の原則に反するような行動事例が多数見られている。例えば、13(平成25)年1月には、東シナ海の公海上で、中国海軍艦艇が海自護衛艦に対して火器管制レーダーを照射した事案(30日)及び中国海軍艦艇が海自護衛艦搭載ヘリコプターに対して同レーダーを照射したと疑われる事案(19日)が発生している。火器管制レーダーの照射は、基本的に、火器の使用に先立って実施する行為であり、これを相手に照射することは不測の事態を招きかねない危険な行為である2

また、13(平成25)年11月23日、中国政府は、尖閣諸島をあたかも「中国の領土」であるかのような形で含む「東シナ海防空識別区」を設定し、当該空域を飛行する航空機に対し中国国防部の定める規則を強制し、これに従わない場合は中国軍による「防御的緊急措置」をとる旨発表した。こうした措置は、東シナ海における現状を一方的に変更し、事態をエスカレートさせ、不測の事態を招きかねない非常に危険なものであり、わが国として強く懸念している。また、上空飛行の自由の原則を不当に侵害するものであり、わが国は中国に対し、上空飛行の自由の原則に反するような一切の措置の撤回を求めている。米国、韓国、オーストラリア及び欧州連合(EU:European Union)も、中国による当該「防空識別区」設定に関して懸念を表明した。近年、沖縄本島をはじめとするわが国南西諸島により近接した空域において、中国軍用機の活発な活動が確認されるようになっているが、こうした活動の拡大は、「東シナ海防空識別区」の運用を企図してのものである可能性がある。また、14(平成26)年5月及び6月には、東シナ海上空を飛行していた海自機及び空自機に対して中国軍の戦闘機が異常に接近する事案が発生している3

(2)南シナ海

南シナ海においても同様の行動事例が多数見られている。中国海軍艦艇による米海軍艦艇に対する航行妨害4や中国航空機による米軍機に対する飛行妨害などとされる事案が発生5しているほか、16(平成28)年12月には、南シナ海で米海軍所属の無人水中機が中国海軍艦艇によって一時奪取される事案も発生しているが、これらは、不測の事態を招きかねない危険な行為と言える。

また、中国は、南沙諸島にある7つの地形において、14(平成26)年以降、大規模かつ急速な埋立活動を強行してきた。16(平成28)年7月には比中仲裁判断において、中国が主張する「九段線」の根拠としての「歴史的権利」が否定され、中国の埋立てなどの活動の違法性が認定された。しかし、中国はこの判断に従う意思のないことを明確にし、砲台といった軍事施設のほか、滑走路や港湾、格納庫、レーダー施設などをはじめとする軍事目的に利用し得る各種インフラ整備を推進し、同地形の軍事拠点化を進めてきた。また、比中仲裁判断後の16(平成28)年7月及び8月には、中国空軍のH-6K爆撃機がスカーボロ礁付近の空域において「戦闘パトロール飛行」を実施し、今後このパトロールを「常態化」する旨、中国国防部が発表するなど、中国軍は南シナ海の海空域における活動も拡大している。こうした状況の下、中国の航空プレゼンスが一層拡大すれば、将来的には、「南シナ海防空識別区」設定の可能性も考えられる。

さらに、中国公船が当該地形などに接近する他国の漁船などを、威嚇射撃や放水などにより、妨害する事案も発生している。こうした中国による一方的な現状変更及びその既成事実化の一層の推進や、高圧的かつ不測の事態を招きかねない危険な行動に対しては、係争国のほか、米国をはじめとした国際社会からも繰り返し深刻な懸念が表明されている。

(3)不測事態の回避に向けた取組

こうした海洋及び空の安定的利用の確保に対するリスクとなるような行動事例が多数見られる一方で、近年、海洋及び空における不測の事態を回避・防止するための取組も進展している。まず、わが国と中国との間では、18(平成30)年5月9日の日中首脳会談において、自衛隊と人民解放軍の艦船・航空機による不測の衝突を回避することなどを目的とする「日中防衛当局間の海空連絡メカニズム」の運用開始で正式に一致した。

多国間の取り組みとしては、14(平成26)年4月、日米中を含む西太平洋海軍シンポジウム(WPNS:Western Pacific Naval Symposium)参加国海軍は、各国海軍の艦艇及び航空機が予期せず遭遇した際の行動基準(安全のための手順や通信方法など)を定めた「洋上で不慮の遭遇をした場合の行動基準(CUES:Code for Unplanned Encounters at Sea)」6につき一致した。また、同年11月、米中両国は、軍事活動に係る相互通報措置とともに、CUESなどに基づく海空域での衝突回避のための行動原則について合意したほか、15(平成27)年9月には、航空での衝突回避のための行動原則を定めた追加の付属書に関する合意を発表した。さらに、ASEANと中国との間では、「南シナ海に関する行動規範(COC:Code of the Conduct of Parties in the South China Sea)」の策定に向けた公式協議が行われてきている。

こうした、海洋及び空における不測の事態を回避・防止するための取組が、既存の国際秩序を補完し、今後、中国を含む関係各国は緊張を高める一方的な行動を慎み、法の支配の原則に基づき行動することが強く期待されている。

1 「国連海洋法条約(UNCLOS)」(正式名称「海洋法に関する国際連合条約」)は、海洋法秩序に関する包括的な条約として、1982(昭和57)年に採択され、1994(平成6)年に発効した(わが国は1996(平成8)年に締結)。

2 米国は、本事案について「このような行動は緊張を高め、事故又は誤算の危険性を増し、さらに地域の平和、安定及び経済成長を台無しにしかねない」(13(平成25)年2月5日の国務省定例会見)、「我々は同盟国・日本から説明を受け、同事案が実際に発生したと納得するに至った」(13(平成25)年2月11日の国務省定例会見)との見解を表明している。

3 この他にも、11(平成23)年3月、東シナ海において警戒監視中の海自護衛艦に対して、中国国家海洋局所属とみられるヘリコプターなどが近接飛行する事案が複数回発生した。また、16(平成28)年6月には、東シナ海上空で中国戦闘機が米軍偵察機に高速で接近する危険な行為を行った事案が、また、17(平成29)年5月にも、中国戦闘機が米軍機の進路を妨害する事案が発生したとされている。

4 09(平成21)年3月に、中国海軍艦艇、国家海洋局の海洋調査船、漁業局の漁業監視船及び漁船が、南シナ海で活動していた米海軍の音響測定艦に接近し、同船の航行を妨害するなどの行為を行ったほか、13(平成25)年12月には、中国海軍艦艇が南シナ海で活動していた米海軍の巡洋艦の手前を至近距離で横切るという事案が発生している。

5 14(平成26)年8月に、南シナ海上空で米海軍哨戒機に対し中国戦闘機が異常な接近・妨害を行ったとされる事案が発生したほか、16(平成28)年5月、南シナ海で中国戦闘機が米海軍の偵察機に対して約15メートルまで接近するという危険な飛行を行ったとされる事案が発生している。

6 本行動基準は、法的拘束力を有さず、国際民間航空条約の附属書や国際条約などに優越しない。