第I部 わが国を取り巻く安全保障環境 

6 フィリピン

 フィリピンは、国内の反政府武装勢力によるテロ活動を安全保障上の最大の脅威として認識している。また、04(同16)年以来、PDR:Philippine Defense Reformと呼ばれる国防改革プログラムに基づき、防衛計画、運用・訓練能力の向上、軍機構改革、軍の近代化などの分野で改革を推進中である。
 フィリピンと米国の関係は歴史的にも深く、従来から密接な軍事協力関係が維持されている28。92(同4)年に駐留米軍が撤退29した後も、相互防衛条約および軍事援助条約は維持され、両国間の協力関係は継続している。両国は、ASG:Abu Sayyaf Groupなどのテロリスト対策を目的とした大規模な演習である「バリカタン」を00(同12)年以降毎年行っているほか30、「バランスピストン」、「タロンビジョン」などの共同演習を行っている。また、米国は、フィリピンも「主要な非NATO同盟国(Major Non-NATO Ally)」に指定し、同国がアジアにおける平和と安定の基礎となっていると米国は評価している31


 
28)フィリピンは、憲法で、米比軍事基地協定が91(平成3)年に満了した後は、上院で適正に承認された条約で、さらに議会が要求する場合には国民投票により承認された条約によらない限り、「外国の軍事基地、軍隊、施設はフィリピン国内では認められない」としているが、米国との間では相互防衛条約および軍事援助条約のほか、98(同10)年に「訪問米軍の地位に関する条約」、02(同14)年には「相互補給支援協定」を締結して、米国との密接な軍事関係を維持している。

 
29)47(昭和22)年に締結された米比軍事基地協定が66(同41)年に改定された際、フィリピン国内の米軍基地の駐留期限が91(平成3)年までと設定された。90(平成2)年から軍事基地協定をめぐる交渉が開始されたが、交渉は難航し、さらに91(同3)年のピナツボ火山の噴火によりクラーク空軍基地は使用不能になった。同年、両国は米比友好協力安保条約に署名したが、フィリピン上院が同条約の批准を拒否し、代わりの行政協定締結交渉も合意に達しなかったため、同年12月、米国との合意の上、フィリピンは米国の軍事基地協定の事前終了通告を発出した。91(同3)年11月にクラーク空軍基地、92(同4)年11月にスービック海軍基地が返還され、両基地の駐留米軍部隊はグアム、沖縄などに移駐した。その後、両国は98(同10)年に「訪問米軍の地位に関する協定」に調印し、米軍がフィリピン国内で合同軍事演習などを行う際の米軍人の法的地位などを規定した。

 
30)「バリカタン」は91(平成3)年から行われているが、95(同7)年から99(同11)年の間はフィリピンの国内情勢により中断し、00(同12)年に再開された。

 
31)注23、24を参照。


 

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