第1章 わが国を取り巻く安全保障環境 

2 大量破壊兵器の移転・拡散など


 核・生物・化学兵器など大量破壊兵器が使用された場合、大量無差別の殺傷や広範囲にわたる環境汚染を生ずる可能性があることから、大量破壊兵器やその運搬手段である弾道ミサイルの移転・拡散は、冷戦後の大きな脅威の1つとして認識され続けてきた。特に、近年、大量破壊兵器の使用に対する抑止が働きにくいテロリストなどの非国家主体が大量破壊兵器などを取得、使用する懸念が高まっている。

(1)核兵器
 米ソ冷戦のさ中、62(昭和37)年のキューバ危機を経て、米ソ間の全面核戦争の危険性が認識されるなどし、68(同43)年に作成された核兵器不拡散条約(NPT:Treaty on the Non-proliferation of Nuclear Weapons)1の下、66(同41)年以前に核爆発を行った国2以外の国の核兵器保有が禁じられるとともに、相互交渉による核戦力の軍備管理・軍縮が行われることとなった3
 現在、189か国が締結しているNPTでは、米国、ロシア、英国、フランス、中国の5か国が核兵器国として認められている。かつて核を保有していてもこれを放棄して非核兵器国として加入する国がある一方で4、依然として加入を拒んでいる国5もある。また、核兵器の保有が認められている5か国のほかにも核兵器の保有・開発が疑われている国が存在している。

(2)生物・化学兵器
 生物・化学兵器は、比較的安価で製造が容易であるほか、製造に必要な物資・機材・技術の多くが軍民両用であるため偽装が容易である。したがって、生物・化学兵器は、非対称的な攻撃手段6を求める国家やテロリストにとって魅力のある兵器となっている。
 生物兵器は、1)製造が容易で安価、2)曝露(ばくろ)から発症までに通常数日間の潜伏期間が存在、3)使用されたことの認知が困難、4)実際に使用しなくても強い心理的効果を与える、5)種類および使用される状況によっては、膨大な死傷者を生じさせるといった特性を有している7
 化学兵器については、第一次世界大戦中から窒息剤であるホスゲンなどが知られていたが、イラン・イラク戦争中には、イラクが、イランに対して、びらん剤であるマスタード、神経剤であるタブン、サリン8などを繰り返し使用したほか、1980年代後半には自国民であるクルド人に対する弾圧の手段として、化学兵器を使用している9。こうした兵器のほか、さらに毒性の強い神経剤であるVXや、管理が容易なバイナリー弾10などが存在しているとされる。
 こうした兵器を求める国家として、たとえば、北朝鮮がある。また、95(平成7)年のわが国における地下鉄サリン事件は、米国における01(同13)年の炭疽(たんそ)菌入り郵便物事案や04(同16)年2月のリシン入り郵便物事案とともに、テロリストによる大量破壊兵器の使用の脅威が現実のものであり、都市における大量破壊兵器によるテロが深刻な影響をもたらすことを示した。

(3)弾道ミサイルなど
 弾道ミサイルは、重量物を遠距離に投射することが可能であり、核・生物・化学兵器などの大量破壊兵器の運搬手段として使用され得るものである。また、いったん発射されると弾道軌道を描いて飛翔し、高角度、高速で落下するなどの特徴を有しており、これに有効に対処し得るシステムの配備を現時点で本格的に完了した国はない。
 このため、武力紛争が続いている地域に弾道ミサイルが配備された場合、紛争を激化・拡大させる危険性が高い。また、軍事的対峙(たいじ)が継続している地域の緊張をさらに高め、地域の不安定化をもたらす危険性も有している。さらに弾道ミサイルは、通常戦力において優る国に対する遠距離からの攻撃や威嚇の手段としても利用される。
 近年こうした弾道ミサイルの脅威に加え、テロリストにとって比較的入手が容易な兵器として巡航ミサイルの脅威も指摘されている。巡航ミサイルは、弾道ミサイルに比して、速度は落ちるものの、発射時と飛翔中の探知が困難であるとされる11。また、弾道ミサイルに比して小型であるため、船舶に隠匿して、密かに攻撃対象に接近することが可能であり、弾頭に大量破壊兵器が搭載された場合は、深刻な脅威となりうる。

(4)大量破壊兵器の移転・拡散の懸念の増大
 自国防衛の目的で当初購入・開発を行った兵器であっても、ひとたびその生産に成功すると、輸出が可能になり移転されやすくなる。たとえば、通常戦力の整備に資源を投入できないためにこれを大量破壊兵器などによって補おうとする国家に対し、政治的なリスクを顧みない国家から、大量破壊兵器やその技術などの移転が行われている。大量破壊兵器などを求める国家の中には、自国の国土や国民を危険にさらすことに対する抵抗が少なく、また、その国土において国際テロ組織の活発な活動が指摘されているなど政府の統治能力が低いものもある。このため、大量破壊兵器などが実際に使用される可能性は高いと考えられる。
 さらに、このような国家では、関連の技術や物質の管理体制にも不安があることから、化学物質や核物質などが移転・流出する可能性も高くなっている。たとえば、技術を持たないテロリストであっても、放射性物質を入手しさえすれば、「汚い爆弾」12などをテロの手段として活用する危険がある。
 テロリストなどの非国家主体による大量破壊兵器の取得・使用については、各国とも懸念を表明している。こうした懸念を踏まえ、04(平成16)年4月には、大量破壊兵器およびその運搬手段の開発、取得、製造、所持、輸送、移転または使用を企てる非国家主体に対し、全ての国が支援の提供を控えるとともに、これらの活動を禁止するための適切で効果的な法整備を行うことなどを定めた安保理決議第1540号が採択された。また、昨年4月には国連総会で「核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約」が採択された。
 また、02(同14)年以降、これまで秘密裏に行われてきた各国の大量破壊兵器関連活動が明らかになってきており、特に核兵器関連技術の移転・拡散が進んでいることが明らかとなった。一方で、国際社会の安易に妥協しない断固たる姿勢は、こうした大量破壊兵器関連活動を行う国に対する大きな圧力となり、一部の国に国際機関の査察を受け入れさせ、または、大量破壊兵器計画を廃棄させることにつながっている。
 パキスタンは、隣国インドの核保有に対抗するために1970年代から核開発を開始したと見られ、オランダのウラン濃縮施設で勤務していたA.Q.カーン博士が所長である研究所が中心となって開発を進め、国内でウラン濃縮施設を運転し、98(同10)年には核実験を成功させた。しかし、03(同15)年以降、イランやリビアなどの核関連活動がパキスタンからの技術移転により行われた可能性が指摘され、04(同16)年2月には、A.Q.カーン博士ら科学者の個人的な行為により北朝鮮、イラン、リビアに主にウラン濃縮技術を中心とする核関連技術が移転されたことが明らかになった。これらの移転は、欧州やアフリカ、中東、東南アジアなど各地にまたがるネットワークを利用して、秘密裏に行われていたことが指摘されており、同年5月には、同ネットワークにおけるA.Q.カーン博士の右腕とされた男がマレーシアで逮捕された13。なお、IAEAのエルバラダイ事務局長は、同ネットワークに関連した国は30か国以上にわたると語ったとされる14
 現在、同ネットワークの実態解明に向けたIAEAや各国の努力は継続しているが、全容解明には至っておらず、パキスタン政府も、A.Q.カーン博士の外部との接触を認めていない。
 北朝鮮については、02(同14)年10月にケリー米国務次官補(当時)が訪朝した際、北朝鮮が核兵器用ウラン濃縮計画の存在を認めたと発表しており、北朝鮮がプルトニウム型だけではなくウラン型の核兵器開発を進めている可能性が明らかになった。
参照>本章2節
 弾道ミサイルについても、移転・拡散が顕著であり、旧ソ連などがイラク、北朝鮮、アフガニスタンなど多数の国・地域にスカッドBを輸出したほか、中国の東風3(CSS-2)、北朝鮮のスカッドの輸出などを通じて、現在、相当数の国が保有するに至っている。特に、パキスタンのガウリやイランのシャハーブ3は、北朝鮮のノドンが元になっているとされている15。また、大量破壊兵器計画の廃棄に応じたリビアから、北朝鮮の支援を受けたスカッドC生産ラインなどの施設が開示されたとされている16。さらに、01(同13)年頃、ウクライナより核弾頭搭載可能な巡航ミサイルがイランおよび中国に対し不正輸出されたとされる17

(5)イランの核兵器開発疑惑
 イランは、NPTの下で認められている原子力の平和的利用を掲げ、1970年代以降海外からの協力による原子力発電所建設計画を進めてきたが、02(平成14)年、秘密の大規模ウラン濃縮施設などの建設が報道された。その後、IAEAの調査を通じて、イランがIAEAに申告することなく核兵器の開発につながるウラン濃縮を含む活動を行い、IAEAの保障措置協定に違反していたことが明らかとなった18。その結果、イランの核兵器開発に対する各国の疑惑は高まり、IAEA理事会において、現在まで数次にわたるイラン非難決議が採択された。一方、問題解決に向けてイニシアティブを発揮した英仏独3か国(EU3)は、独自のルートでイラン側と同問題の解決に向けた話し合いを行い、04(同16)年11月にはウラン濃縮を含めたすべての核関連活動を停止する合意(パリ合意)がなされ、イラン側は、この合意に従い核関連活動を停止した。
 しかし、昨年8月、イランはウラン濃縮の前段階にあたるウラン転換活動の再開を決定するとともに、就任直後のイランのアフマディネジャド新大統領は、EU3が提示した長期的取極め(Long-Term Agreement)にかかる提案19を即座に拒否するなど再び強硬姿勢を取り始めた。これに対し、同年9月、IAEAは、国連安保理への付託を視野に入れたイラン非難決議を採択し、核関連活動の再停止を求めたが、イランは応じなかった。
 一方、軽水炉型原発建設などイランと緊密な原子力協力関係を築いているロシアは、同年10月、原子力発電用のウラン燃料の濃縮をロシア国内で行うとする妥協案を示した。このロシア提案については、欧米諸国も賛成し、イラン・ロシア間で話し合いが行われたが、合意には至っていない。
 本年1月、イランは、核燃料技術の研究開発活動を再開するとしてウラン濃縮活動の再開準備を発表した。これに対し、IAEAは、2月に緊急理事会を招集し、本問題を国連安保理に報告することなどを内容とする決議を賛成多数で採択した。国連安保理は、3月29日にイランに対しウラン濃縮を含む開発活動を停止することなどを求める議長声明を採択した。しかしながら、イランは、4月11日に低濃度(3.5%)のウラン濃縮20の成功を宣言するなど、濃縮活動を継続する方針を崩さなかった21
 現在、国際社会は、国連安保理常任理事国5か国とドイツが提示した包括的提案に対するイランの対応を注視している。この提案は、イランがウラン濃縮を停止した場合の見返りを含むとともに、停止しなかった場合の制裁の可能性を示唆するものである。なお、米国は、イランが濃縮関連活動を凍結し誠実に交渉に応じるならば、EU3とともに、イランとの交渉に臨む用意があるとの提案を5月末に行っている。


 
1)70(昭和45)年発効

 
2)米国、ソ連、英国、フランス、中国。ただし、フランスと中国のNPT加入は92(平成4)年

 
3)NPT第6条

 
4)南アフリカ、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ

 
5)主たる非加盟国は、イスラエル、インド、パキスタン

 
6)相手の弱点をつくための攻撃手段であって、在来型の手段以外のもの。大量破壊兵器、弾道ミサイル、テロ、サイバー攻撃など。

 
7)防衛庁「生物兵器対処に係る基本的考え方」(02年1月)

 
8)マスタードは、遅効性のびらん剤。タブン、サリンは、即効性の神経剤

 
9)特に88(昭和63)年にクルド人の村に対して実施された化学兵器による攻撃では、一度に数千人の死者が出たとされる。

 
10)2種類の化学剤を発射または爆発によって混合し、致死性の化学剤を生成する兵器。使用前は化学剤の致死性が低いため、貯蔵、取扱が容易である。

 
11)米国防省「拡散:脅威と対応」(01年1月)

 
12)放射性物質を散布することにより、放射能汚染を引き起こすことを意図した爆弾

 
13)バウチャー米国務省報道官(当時)は、「これは、マレーシア政府による断固たる行動である。彼は、実質的にネットワークの活動を動かしていた。彼の逮捕は、主要なステップであり、カーン・ネットワークを封鎖するための国際的な努力を促進させるものである。」と発言した(04年5月28日)。

 
14)日本人記者団との会見における発言(04(平成16)年9月29日)

 
15)ケリー米国務次官補(当時)は、04(同16)年3月の上院外交委員会公聴会において、公開の場で言えることは多くないとしながら「(北朝鮮と)パキスタンとの間で、現在、如何なる類の軍事取引も行われていない。しかしながら、常にそうではなかったことは確かである。…(北朝鮮と)イランとの間で、これまで何らかの種類の軍事的提携関係があった。」と述べている。

 
16)テネット米中央情報長官の上院情報委員会における証言(04年2月24日)

 
17)ウクライナ議会組織犯罪・汚職問題対策委員会副委員長の告発(05年2月2日)

 
18)IAEA定例理事会に対する事務局長報告(03年11月10日)は、「2003年8月のカライ電気会社への査察の際に採取した環境サンプルを分析した結果、高濃縮および低濃縮ウランの粒子が検出され、イランの申告と矛盾することが明らかとなった」と言及している。

 
19)イランに対し、軽水炉への燃料供給を保障する等の民生用原子力計画への支援、民間航空機(エアバス)やその部品の提供、および世界貿易機関(WTO)への加盟支持を行う代わりに核燃料サイクルの断念を迫るもの。

 
20)通常、原子力発電燃料用ウランの濃縮度は3.5〜5%、核兵器用ウランの濃縮度は90%以上とされる。

 
21)4月28日、IAEAのエルバラダイ事務局長は、イランの核問題に関する報告書を国連安保理およびIAEA理事会に提出し、イランが濃縮活動を継続、拡大している等指摘した。


 

前の項目に戻る     次の項目に進む