私は、先遣された応急医療チームの衛生運用幹部として、また本隊到着以降は医療援助隊の衛生補給幹部として本活動に参加しました。応急医療チームの活動環境は、気温40度を超え、激しいスコールの降る中での活動と非常に厳しい状況でした。また、言葉の壁に悩まされ、不透明な治安状況という環境の中、夜間は警備のための不寝番勤務やマラリアのおそれもあり精神衛生環境も厳しい状況でした。このような環境の中で診療支援及び本隊の受け入れ準備を実施して、1月27日本隊が到着し、本格的な医療活動は開始されました。
我々の医療援助隊の活動内容は大きく分けると、1)被災による怪我、病気をした方々を受け入れる診療施設を野外に開設してその治療を行うこと。2)避難所での感染症の蔓延を防止するためのワクチン接種、3)マラリアなどの発生を防止するための防疫剤の散布、4)被災国の医療施設の診療支援の4つでした。活動にあたって援助隊長から『「和顔愛語」の精神で臨みなさい。』との指導をいただきました。これは「被災された方々に接するとき、被災した方々の気持ちになり、笑顔をもって穏やかな気持ちで接しなさい。そうすれば言葉の壁などはあるが、必ず私たちの気持ちは伝わるはずだ。」というものでした。まさにその通りで、診療にこられた方は皆「テレマカシ」(ありがとう)と握手を求め、握手した手を自分の胸にもってゆき感謝の意を我々に示してくれました。
今回の派遣において私は2つのことを確信しました。一つは「心を持って接すれば必ずその気持ちは伝わるということ。」、もう一つは「今まで実施してきた訓練は間違いではないということ。」です。昨今を考えると、自衛隊の役割は有事の国土防衛のみならず、
PKO、災害派遣など国内外を問わないあらゆる分野においてその期待は高まっています。その様な中で国民の負託にいつでもこたえられるよう訓練をすることは、当然のことであり誇りにも思うところです。これからも日本と世界の安定と平和のため日々訓練に精進し、「和顔愛語」の精神を大切にして勤務していきたいと思います。
護衛艦「たかなみ」 久保田孝彦 1等海曹(現所属:第121飛行隊)
我々は、インド洋での任務を終了し帰国途上にありましたが、急遽今回の大規模な災害で被災された方々の捜索・救助のため、昨年12月28日から本年1月1日にかけてタイ王国プーケット島沖における活動に従事しました。
私の職務は、航空士としてSH-60J搭載ヘリコプターに搭乗し被災地の状況偵察、写真・ビデオ撮影、被災者の有無の確認、人員や物資の輸送、また洋上における被災者の捜索・救助活動でした。現地では、捜索・状況偵察・輸送の任務でいろいろな場所に出向きましたが、事前の情報が少なかったために、目的地が分からなかったり、着陸予定地が狭いために着陸できず他の場所を探し着陸したり、また学校のグランドに着陸した時は草や土埃(つちぼこり)で機内まで草だらけになったり、更に一度に10人以上の人間を乗せて運んだりと普段では考えられないことで、数えればきりがないほどの苦労がありましたが、今となっては貴重な経験になりました。また同時に、状況に応じて安全を確保しつつ任務を全(まっと)うすることの難しさなどを思い知らされました。
今回は悲しく辛い任務でしたが、「生存者を見つけ出し必ず助けてやるぞ!」という思いで任務を続けました。洋上での捜索活動は集中力が求められますが、3時間以上にわたる捜索で集中力を保つことは非常に大変なことでした。でも必ず助けるという気持ちがあればこの長い捜索も集中力を保って行うことができました。やはり気持ちというのは大切であると改めて思い知らされ、今後も気持ちを持ち続けることを大切にしていきたいと思います。ただ、実際には生存者を発見できなかったことは残念でした。
またピピ島で被災した少年の家族を捜索するため、別途日本から派遣されていた国際緊急援助隊援助チームをピピ島まで運んだ時に砂浜に着陸しましたが、その時砂浜に進入していると地元の人が浜辺に立って我々を誘導してくれました。地元の人も期待してくれていることを知り、感動しました。援助チームの隊員を下ろした際に、お互い「頑張ってください。」と握手して声を掛け合った事は今でも思い出します。世界中のいろいろな所で日本人が頑張っているのだ、我々もまだまだ頑張ろうと勇気づけられました。