第4章 国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取組 

インドネシア国際緊急援助活動に従事した隊員の声

 昨年12月から3月にかけて、インドネシア共和国、タイ王国などに国際緊急援助活動のため陸・海・空自衛隊合わせて約1,000名の隊員が派遣されました。本援助活動に従事した3名の隊員に現地の活動について聞きました。

医療援助隊 舘山尊義 2等陸尉(現所属:第7後方支援連隊衛生隊)

 
飯村インドネシア大使に状況説明を行う舘山2等陸尉(右)

 私は、先遣された応急医療チームの衛生運用幹部として、また本隊到着以降は医療援助隊の衛生補給幹部として本活動に参加しました。応急医療チームの活動環境は、気温40度を超え、激しいスコールの降る中での活動と非常に厳しい状況でした。また、言葉の壁に悩まされ、不透明な治安状況という環境の中、夜間は警備のための不寝番勤務やマラリアのおそれもあり精神衛生環境も厳しい状況でした。このような環境の中で診療支援及び本隊の受け入れ準備を実施して、1月27日本隊が到着し、本格的な医療活動は開始されました。
 我々の医療援助隊の活動内容は大きく分けると、1)被災による怪我、病気をした方々を受け入れる診療施設を野外に開設してその治療を行うこと。2)避難所での感染症の蔓延を防止するためのワクチン接種、3)マラリアなどの発生を防止するための防疫剤の散布、4)被災国の医療施設の診療支援の4つでした。活動にあたって援助隊長から『「和顔愛語」の精神で臨みなさい。』との指導をいただきました。これは「被災された方々に接するとき、被災した方々の気持ちになり、笑顔をもって穏やかな気持ちで接しなさい。そうすれば言葉の壁などはあるが、必ず私たちの気持ちは伝わるはずだ。」というものでした。まさにその通りで、診療にこられた方は皆「テレマカシ」(ありがとう)と握手を求め、握手した手を自分の胸にもってゆき感謝の意を我々に示してくれました。
 今回の派遣において私は2つのことを確信しました。一つは「心を持って接すれば必ずその気持ちは伝わるということ。」、もう一つは「今まで実施してきた訓練は間違いではないということ。」です。昨今を考えると、自衛隊の役割は有事の国土防衛のみならず、PKO、災害派遣など国内外を問わないあらゆる分野においてその期待は高まっています。その様な中で国民の負託にいつでもこたえられるよう訓練をすることは、当然のことであり誇りにも思うところです。これからも日本と世界の安定と平和のため日々訓練に精進し、「和顔愛語」の精神を大切にして勤務していきたいと思います。
護衛艦「たかなみ」 久保田孝彦 1等海曹(現所属:第121飛行隊)

 我々は、インド洋での任務を終了し帰国途上にありましたが、急遽今回の大規模な災害で被災された方々の捜索・救助のため、昨年12月28日から本年1月1日にかけてタイ王国プーケット島沖における活動に従事しました。
 私の職務は、航空士としてSH-60J搭載ヘリコプターに搭乗し被災地の状況偵察、写真・ビデオ撮影、被災者の有無の確認、人員や物資の輸送、また洋上における被災者の捜索・救助活動でした。現地では、捜索・状況偵察・輸送の任務でいろいろな場所に出向きましたが、事前の情報が少なかったために、目的地が分からなかったり、着陸予定地が狭いために着陸できず他の場所を探し着陸したり、また学校のグランドに着陸した時は草や土埃(つちぼこり)で機内まで草だらけになったり、更に一度に10人以上の人間を乗せて運んだりと普段では考えられないことで、数えればきりがないほどの苦労がありましたが、今となっては貴重な経験になりました。また同時に、状況に応じて安全を確保しつつ任務を全(まっと)うすることの難しさなどを思い知らされました。
 今回は悲しく辛い任務でしたが、「生存者を見つけ出し必ず助けてやるぞ!」という思いで任務を続けました。洋上での捜索活動は集中力が求められますが、3時間以上にわたる捜索で集中力を保つことは非常に大変なことでした。でも必ず助けるという気持ちがあればこの長い捜索も集中力を保って行うことができました。やはり気持ちというのは大切であると改めて思い知らされ、今後も気持ちを持ち続けることを大切にしていきたいと思います。ただ、実際には生存者を発見できなかったことは残念でした。
 またピピ島で被災した少年の家族を捜索するため、別途日本から派遣されていた国際緊急援助隊援助チームをピピ島まで運んだ時に砂浜に着陸しましたが、その時砂浜に進入していると地元の人が浜辺に立って我々を誘導してくれました。地元の人も期待してくれていることを知り、感動しました。援助チームの隊員を下ろした際に、お互い「頑張ってください。」と握手して声を掛け合った事は今でも思い出します。世界中のいろいろな所で日本人が頑張っているのだ、我々もまだまだ頑張ろうと勇気づけられました。

 
SH-60Jで飛行作業に従事する久保田1等海曹

インドネシア国際緊急援助空輸隊 上口哲司 1等空尉(現所属:第3輸送航空隊)

 現地では空輸隊本部の運用幹部として米軍などとの空輸全般に関する調整を行いましたが、バンダ・アチェ空港の地上では支援物資が山積みで、フォークリフトが走り回り、空では航空機が絶え間なく離着陸をくり返している状況でした。このため、航空機の運航は全く予定どおりには行かず、これらの状況に柔軟に対応するために非常に苦労しました。そのような状況の中で私自身、本活動に参加するに当たり、ペットボトルの水やビスケットを少しでも多く、かつ早く被災地まで届けることを常に念頭において業務を行うとともに、英語力を保つために諸々の努力を続け、円滑な調整が行えるよう心掛け、今回の任務を完遂できたことは大きな自信となりました。
 世界的に類を見ない今回の大規模災害において、同地での活動には現地の被災した人たちのために多くの国や団体が救援に参加しており、言葉が通じなくても一所懸命1つの目標に向かって調整し活動している姿に、国境を越えた援助活動の本来あるべき姿を見たような気がし、何か心温まる感じを覚えたことは、今回の派遣全般を通じて一番印象に残っております。
 自衛隊の任務は、活動の結果が目に見えにくいことが多いですが、今回の任務は地元のテレビなどで援助を必要としている人たちの映像や自分たちの活動が報道され、活動の必要性や重要性を身近に感じることができ、非常にやりがいがあるものでした。
 今回の派遣を通じ、日本国民の皆さんに我々の常日頃からの訓練成果並びに自衛隊の国際緊急援助に対する高い能力を見て頂けたのではないかと思います。
 今後も自衛隊の活動に対する暖かい応援をお願いします。

 
他国の関係者と調整を行う上口1等空尉(左から2番目)

 

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