コラム

<VOICE> PKO法に基づく初派遣を振り返って−カンボジアPKO−

元統合幕僚会議議長(カンボジアPKO派遣当時 陸上幕僚長)
西元 徹也(にしもと てつや)氏

92(平成4)年6月、PKO法が成立し、わが国初のカンボジアPKO参加から今年は、20年の節目の年に当たります。
PKO法成立から僅か3か月余の余裕しかなく、準備には大きな困難がありました。第1に、要員の選定、部隊の編成、訓練に苦慮しました。第2に、膨大な量の装備品などの準備と荷造り、これらを現地への輸送手段の手配など、膨大な準備が必要でした。第3に、初の自衛隊によるPKOとしての国外派遣にともなう隊員ご家族の不安の除去と派遣中の支援態勢の確立に万全を期す必要がありました。
現地では、道路や橋の建設・補修と各国部隊の撤収を容易にするための港の整備などを行い、高い評価を得て終了しました。
この間、93(同5)年4月に国連ボランティアの中田厚仁氏、5月に文民警察要員の高田晴行警視が殉職されるという緊迫した情勢の中で、カンボジア初の総選挙が行われました。この時、日本から派遣された41名の選挙監視員の安全確保が最大の問題となりましたが、法律上、警護ができない中で、投票所近傍で道路・橋を調査したり、食料や水などを差し入れてくれた隊員たちの存在が、この人たちの安全を確保することにつながったと思います。
これらを成し遂げたのは、派遣隊員の謙虚で献身的な活動と先輩たちが培ってきてくださった組織力以外のなにものでもありません。さらに海空自衛隊の兄弟たちの支援も忘れられません。これらのことは、いくら感謝しても感謝しきれない思いです。
その後、日本の国際平和協力活動は大きな進展を遂げました。天然資源が少なく貿易に頼らざるを得ない日本としては当然のことだと思います。その活動をさらに実効性のあるものとし、部隊・隊員の安全を確保するための必要な法整備などが強く望まれます。

元統合幕僚会議議長(カンボジアPKO派遣当時 陸上幕僚長)  西元 徹也(にしもと てつや)氏
陸幕長(当時)として訪れたカンボジアPKO活動現場(左から2人目)
陸幕長(当時)として訪れたカンボジアPKO活動現場(左から2人目)
 
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