コラム

<VOICE> 南スーダンPKOに派遣している隊員と家族の声

派遣隊員 中央即応連隊 最先任上級曹長 准陸尉 磯野 義浩(いその よしひろ)

今から15年ほど前に海外へ留学した際、隣国との国境線を研修しました。そこで目にした風景は、今でも心に残っています。国境のフェンスを境にした貧富の差を目の当たりにし、胸が潰れそうになるとともに、「もしフェンスの向こう側に生まれていたら…。」そう考えずにはいられませんでした。
それから13年後、第1次派遣国際救援隊としてハイチへ行き、現在は第1次派遣施設隊として南スーダンで、現地の人々の夢と希望が実現するよう、その手助けをしています。私は日本に生まれましたが、日本のような助ける側に生まれるのか、助けられる側に生まれるのかは、自分では決められません。
また、運よく助ける側の国に生まれたとしても、突然助ける側から助けられる側に変わることもあります。昨年の東日本大震災への災害派遣中には、この事を痛烈に感じました。助ける側に生まれた者が、人々の手助けをする機会を使命として与えられるということは、本当に光栄なことです。この立場にいることに感謝し、恩返しの気持ちで、今日もたっぷりと汗をかきます。

南スーダンの子供たちと筆者
南スーダンの子供たちと筆者
南スーダンPKOに派遣
真由美さん(右から2人目)とご家族
真由美さん(右から2人目)とご家族

妻 磯野 真由美(いその まゆみ)

南スーダン…初めて地名を聞いたとき、どこにある国なのか見当もつきませんでした。2年前のハイチ、昨年の東日本大震災に続いて、今回で3年連続の派遣になりました。
いつも心配なのは、健康面と精神面です。衛生状態、気温、食事…、そして現地の状態を目の当たりにしてショックを受けてないだろうか…。何かあったとき、すぐ会いに行けない程離れているということが、余計不安になります。
しかし、主人は行く前に、「大丈夫だよ。」と笑顔で出かけて行き、現地からは家族を気遣う言葉をかけてくれます。「困っている人たちのために行く。」、そんな主人の姿を見て、子どもたちは寂しい気持ちになるよりも、頑張ろうという気持ちになるようです。
派遣は、本人も家族も大変ですが、「誰かのために。」ということを考えさせてくれます。「体に気をつけて。お仕事頑張って!」いつもかけている飾り気のない言葉ですが、ただそれだけを祈っています。

 
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