コラム 

<解説>「トモダチ作戦」について

米軍による「トモダチ作戦」は、これまで50年間培ってきた日米同盟の絆の証左とも言えるものです。本コラムでは、本文で紹介しきれなかった「トモダチ作戦」に関するエピソードを紹介します。

○心のこもった支援
宮城県気仙沼大島は、震災と津波の影響により旅客船やフェリー用の大きな港が使用不能となり、孤立していました。支援のため大島に上陸した米海兵隊は、大きな港の清掃だけではなく、同様に使用不能となっている小さな漁港の清掃を行うことを申し出ました。大きな港の復旧には時間がかかるが、小さな漁港が使えるようになれば、島の住民が自衛隊や米軍に頼らず自らの手で人員や物資を輸送できるようになり、肩身の狭い思いをすることもなくなるだろう、との認識によるものです。
「自立」を尊重するアメリカ人としては自然な発想なのかもしれませんが、被災者の将来を見すえた「トモダチ」らしい心のこもった支援だったと言えます。
 
漁港の清掃作業〔米海軍〕
漁港の清掃作業〔米海軍〕

○力強く一体となった支援
各地で瓦礫の除去などに活躍した米軍ですが、米軍人の力強さに驚かされる場面もありました。たとえば、米海兵隊が瓦礫除去を行った小学校では、海兵隊員が素手でどんどん瓦礫を運び出し、トラックに積んでいましたが、その様子を見て、自衛隊やボランティアの高校生達も素手で瓦礫除去を行いました。また、工業高校での支援活動においては、生徒などと一体となって泥の除去や備品の搬出を行いました。このような力強く一体となった支援は「トモダチ作戦」の特徴の一つです
 
泥の除去作業
泥の除去作業
 
備品の搬出
備品の搬出

○「トモダチ」の心
仙台空港の復旧に携わった米空軍のある将校は、「我々を迎え入れてくれた友人であり隣人の日本の人々を支援できたのは我々にとって名誉だ」と述べています。加えて、使用可能となった仙台空港周辺を飛行中に、津波でなぎ倒された松の木を使ってかたどられた「ARIGATO」の文字を砂浜で見つけたことにふれ、「我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。」「日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません。」とも述べています*1。
北澤防衛大臣は、米空母ロナルド・レーガンの艦上で乗組員から直接話を聞き、「本当に『日本を救おう』とする気持ちが強いということが感じられた。今ほど米国が同盟国であったことを誇りに思ったときはない。」と述べました。これを受けて、「トモダチ作戦」を指揮するウォルシュ米太平洋艦隊司令官からは、「自衛隊の活動は大変勇敢で、世界中の軍人の尊敬を集めており、自衛隊と仕事をし、皆さんを『トモダチ』と呼べることを大変光栄に思っています。」といった趣旨の激励がありました。
「トモダチ作戦」における米軍の支援活動は、このような思いを持って行われていたのです。
 
松の木でかたどられた「ARIGATO」の文字〔米空軍〕
松の木でかたどられた「ARIGATO」の文字〔米空軍〕
 
米側から寄せ書きの贈呈
米側から寄せ書きの贈呈

*1<http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142

 

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