CH-47操縦席の筆者
私は、東日本大震災災害派遣にCH-47の航空操縦士として活動しました。発生当日の3月11日夜、仙台に到着後、情報が錯綜し混沌とする中、これまでにない被害の大きさに驚がくしながらも、傷病者や孤立した住民の輸送、救援物資の輸送、火災発生にともなう空中消火など、被災者のため、昼夜を問わず任務にまい進してきました。
同時に、福島第一原子力発電所における災害も発生したことから、原子力発電所の電源の代替用バッテリーなどの空輸、原子炉冷却のための空中からの水投下、原子炉温度計測のためのサーモグラフィーによる撮影など、複数の支援任務を行いました。
特に、原子炉への空中からの水投下は、水素爆発の危険性や強い放射線が予想される原子炉上空を低い高度で飛行する必要がありました。さらに、防護マスクや鉛の服の着用により、視界やクルー間の通話のみならず、操縦動作そのものが制限された中での操縦となりました。
操縦するヘリを含め2機で計4回、約30トンの水を原子炉に投下することができました。本任務で感じた事態の複雑性と重大性からくる責任の重さ、機長としてのクルーへの思いや不安などを後輩に伝えていきたいと思います。