第III部 わが国の防衛に関する諸施策 

3 ハイチでの国際緊急援助活動

(1)派遣の経緯など
 10(同22)年1月13日に発生したハイチにおける大地震は、首都ポルトープランスを中心に20万人以上の死者を発生させるなど「この10年で最悪の人道危機の一つ」とも言われる甚大な被害をもたらした。
 このようなハイチの惨状を前にして、国連を中心に国際的な支援が行われているが、防衛省・自衛隊としても地震発生翌日の14日に調査要員を2名派遣するなど迅速に対応し、その後のハイチ政府からの支援要請や外務大臣からの協議を受け、以下の活動を行った。
 
ハイチ国際緊急援助隊派遣に際しての防衛会議

(2)自衛隊の活動内容
 第1に、C-130H輸送機による空輸を行った。地震発生直後、ポルトープランスの空港は民間定期航空便の離着陸が停止されたため、わが国の支援要員や物資を輸送する手段を迅速に確保する必要性があった。このため、訓練実施のため米国アリゾナ州に滞在していたC-130H輸送機1機を同月15日に速やかに米国フロリダ州に移動、待機させ、米国からポルトープランスまでの空輸ができる態勢を整えた。同月17日には民間の医師などを中心とするわが国の国際緊急援助隊医療チームを米国フロリダ州からポルトープランスまで空輸した。また、その復路においては、ハイチから米国への退避を希望する多くの被災民が空港で待機していた状況を受け、国際緊急援助活動の救助活動の一環として、被災民34名を米国フロリダ州まで輸送した。
 第2に、医官など13名を含む104名により編成された国際緊急援助隊自衛隊医療援助隊を派遣し、地震による落下物などによりケガを負った住民や衛生環境の悪化により感染症にかかった住民に対する応急手当を行った。医療援助隊は、同年1月23日から2月13日までの間、首都ポルトープランスの西約40kmにあるレオガン市において活動し、のべ2,954名の患者を診察した。
 活動地となったレオガン市エピスコパル看護学校の敷地では、先に自衛隊C-130H輸送機にて現地入りしていたわが国の国際緊急援助隊医療チームが活動を実施しており、自衛隊医療援助隊はこの活動を引き継いだ。また、自衛隊としての医療活動終了後、自衛隊は日本赤十字の医療チームに活動場所を引き継いだ上で撤収した。これにより、わが国として切れ目のない援助活動を行うことができた。加えて、医療活動の実施に際しては、近傍で活動していたカナダ軍、米軍のほか、NGOとも連携するなど、他国軍のみならず文民組織とも連携し効果的な活動を行った。
 
被災した米国人を輸送する隊員
 
被災した現地の患者を診療する隊員

(3)活動に対する評価など
 こうした自衛隊の対応に関して、被災民の輸送については米国から、また、医療援助活動については、現地政府、現地に展開している国連平和維持活動の高官より謝意が表明されたほか、実際に診察を受けた現地住民からも自衛隊員の親切・丁寧な対応に感謝の声が多く寄せられた。

 

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