第III部 わが国の防衛に関する諸施策 

2 国連ハイチ安定化ミッション

(1)MINUSTAHへの派遣の経緯など
 10(同22)年1月13日、ハイチにおいて20万人以上の死者をもたらす大規模な地震が発生した。このハイチ大地震に対し、国際社会が緊急の支援を実施する中で、わが国も、地震発生の翌14日以降、民間の医師などを中心とした国際緊急援助医療チームの派遣や自衛隊の国際緊急医療援助隊の派遣などを行った(本節3参照)。
 また、ハイチにおいては、04(同16)年以降、ハイチの政治的・社会的な混乱に際してハイチ情勢の安定化を図るため、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)が展開していたが、10(同22)年1月19日、国連安全保障理事会(国連安保理)は、ハイチ大地震災害に対する緊急の復旧、復興、安定化に向けた努力を支援するため、決議第1908号により、ハイチに展開しているMINUSTAHの増員を決定し、加盟国に対し要員の派遣などについて要請を行った。
 これに対し、わが国は既に派遣していた国際緊急援助隊に加え、ハイチ大地震の甚大な被害にかんがみ、さらなる人的貢献を行うため、同月25日、国連に対し、同ミッションへの自衛隊施設部隊の派遣を行う意思がある旨通報した。
 防衛省としては、国連からの正式な要請に迅速かつ適切に対応するため、同月25日、北澤防衛大臣が各幕僚長などに対し、「国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に関する国際平和協力業務の準備に関する防衛大臣指示」を発し、情報収集、関係機関などとの調整、部隊の編成準備などを指示した。
 同月29日、国連から自衛隊施設部隊の派遣を喜んで受け入れる旨の回答があったことから、同年2月5日、政府は、閣議によりMINUSTAHへ陸自の部隊(約350名)などを派遣することを決定した。
 
ハイチ被災地の状況

(2)自衛隊の活動
 同年2月5日の閣議決定を受け、同日、北澤防衛大臣より自衛隊の部隊に対し、ハイチでの国際平和協力業務の実施について行動命令が発せられた。第1次要員は、中央即応集団の隊員を中心に編成され、防衛大臣の命令が発せられた翌日の同月6日には、本邦から現地へ向けて展開を開始し、同月14日までに展開を完了した。陸自部隊は、首都ポルトープランスに所在する各国PKO部隊の合同宿営地の隣接地に宿営地を造成しながら、同月16日には、国連PKO部隊としての任務を開始した。また、第1次要員に引き続き、同月24日以降、北部方面隊の隊員を中心とする第2次要員がハイチへの展開を開始し、同年3月19日をもって第1次要員から任務を引き継いだ。その後、8月7日以降、東北方面隊の隊員を中心とする第3次要員がハイチへ展開を開始し、任務を引き継ぐこととしている。こうした要員のハイチへの展開に当たっては、民間の輸送力を活用するほか、政府専用機や国際緊急援助活動の実施以降米国マイアミとポルトープランス間で輸送任務に当たっていた空自のC-130H型輸送機などにより、迅速に行われた。陸自部隊は、ドーザや油圧ショベル、トラッククレーンなどの重機類を含む多数の車両を装備し、地震によって発生した大量の瓦礫(がれき)の除去や被災民キャンプの整地など、ハイチの復旧・復興のための活動を行うことを任務としている。部隊としての最初の任務は、ポルトープランス空港内の国連世界食糧計画(WFP:United Nations World Food Programme)の用地の整地活動であったが、その後、避難民キャンプの造成・補修作業、ドミニカ共和国との国境へ通じる道路の補修作業、市内道路や倒壊した行政庁舎の瓦礫の片付けなどの活動を実施している。
 陸自部隊による真摯(しんし)な活動に対し、被災したハイチの住民や国連関係者から、感謝の言葉が伝えられている。
 また、国連から地震により被害を受けた建物の継続使用の可否を判断するための専門的知見を有する要員の派遣要請を受け、一級建築士などの資格を持つ防衛省職員の技官3名を派遣部隊の一員として派遣した。派遣された技官3名は同年3月19日から4月9日までの間に国連関連施設など40棟の建物診断を実施した。
 
出国行事で鳩山内閣総理大臣(当時)北澤防衛大臣との記念撮影
 
ハイチ到着後、隊員から報告を受けるハイチ派遣国際救援隊第1次要員隊長

 この活動については、国連からの要請に応えたのはわが国のみだったうえ、技官3名の働きぶりや報告書の質について、国連から高い評価を受けている。
 なお、自衛隊部隊の活動に際して、ハイチの復興支援に取り組んでいる他国軍などとの協力を実施している。たとえば、MINUSTAHに参加しているブラジルの施設部隊などと協力して作業を実施している。また、米軍との関係では、部隊派遣にあたり、ハイチへの中継地として米国マイアミにある米軍基地の使用やハイチ国際空港の使用に関する調整など運用面におけるさまざまな分野で協力を推進している。
 
WFP資材置場の整地作業

(3)今回の派遣の特徴
 ハイチにおける大地震は、首都ポルトープランスを中心に20万人以上の死者が発生するなど甚大な被害をもたらした。このようなハイチの惨状を前にして、国連を中心とした国際的な支援が行われている。
 今回の自衛隊の派遣はこのような国際的な支援の一環であり、被災地の甚大な被害状況にわが国として可能な限り対応するとの観点から、自衛隊としては、発災直後において、医療部隊などにより、国際緊急援助活動を実施した(本節3参照)。さらに、自衛隊としては、ハイチに展開する国連平和維持活動におけるハイチの復旧・復興支援のための要員の派遣要請に対しても、従来の派遣に比して迅速に現地に部隊を展開したところである。
 従来、自衛隊が国連平和維持活動に参加する場合、要員の選抜や予防接種、必要な装備の調達などに一定の時間を要することから、数か月程度の準備期間がかかっていた。しかし、今回の派遣の第1次要員については、防衛大臣からの派遣準備指示より約2週間後にわが国を出発している。このような早期派遣が可能となったのは、これまでの海外派遣経験が積み重ねられてきたこと、PKOなど各種事態への迅速な対応を任務とする陸自中央即応集団が06(同18)年に創設されており、平素より予防接種などの事前準備を行っている同部隊所属の要員から派遣部隊を編成したことなどがあげられる。
(図表III-3-1-5・6・7・8 参照)
 
避難民キャンプ排水設備補修支援
 
図表III-3-1-5 ハイチ周辺図
 
図表III-3-1-6 MINUSTAHの組織
 
国連関連施設の耐震診断
 
図表III-3-1-7 ハイチ派遣国際救援隊の概要
 
図表III-3-1-8 ハイチPKOにおける自衛隊部隊の活動状況(平成22年)

 

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