第II部 わが国の防衛政策の基本 

3 省移行に関する経緯

 防衛庁は、1954(昭和29)年に保安庁が廃止され、総理府の外局としての庁として発足した。庁から省への移行に関する議論は最近始まったものではなく、防衛庁発足以来、政治の場において繰り返し行われてきた。
 第1次防衛力整備計画が終了し、わが国の防衛力の一応の骨幹が整った64(同39)年には、防衛庁の省移行法案が閣議決定されたが、国会提出には至らなかった1
 その後、81(同56)年の行政組織全般の在り方を見直す第二次臨時行政調査会の議論の中でも、この問題が取り上げられた。
 また、97(平成9)年の行政改革会議の議論の中で省移行に関する議論がなされたが、その最終報告において、「現行の防衛庁を継続する」とされる一方、「別途、新たな国際情勢の下におけるわが国の防衛基本問題については、政治の場で議論すべき課題」とされた。この後も約8年にもわたり、政治の場で議論がなされてきた。その間、01(同13)年には「防衛省設置法案」が議員立法として国会に提出されるとともに、02(同14)年12月、自民・公明・保守の与党3党により、有事法制成立後において、防衛庁の「省」移行を最優先課題として取り組むことが合意された。しかしながら、03(同15)年10月、衆議院の解散に伴い、同法案は廃案となった。
 その後、03(同15)年および04(同16)年に有事法制が成立し、昨年3月には統合幕僚監部の新設による統合機能の強化がなされるとともに、昨年7月には内部部局の大規模な改編により政策立案機能が強化されるなど、省とするにふさわしい組織へのさらなる変革がなされた。また、昨年1月に明らかとなった防衛施設庁の入札談合等事案についても、国民の信頼を大きく損なうものと受け止め、再発防止策に取り組み、国民の信頼が得られるよう努力を行ってきた。このような状況を踏まえ、政治の場において、省移行問題に関する議論が続けられた。

参照>III部4章3節

 具体的には、05(同17)年11月22日、「自由民主党行政改革推進本部(衛藤征士郎本部長)」において、省移行法案を国会に提出し成立を目指す旨了承されたことを契機として、与党内での議論が開始された。
 以降、「与党安全保障プロジェクトチーム(山崎拓座長)」を軸に、自民党や公明党の関係部会などにおいて活発に議論が行われた。
 その過程において、1)関連法案は内閣より提出すること、2)関連法案に国際平和協力活動などの本来任務化を盛り込むこと、3)関連法案に安全保障会議に対する内閣総理大臣の諮問事項として国際平和協力活動などに関する重要事項を明示することを盛り込むこと、4)省の名称は「防衛省」とすること、5)関連法案に平成19年度に防衛施設庁の廃止・統合などの措置を実施することを盛り込むことなどの方向性が示された。
 このような政治の場での議論を経て、昨年6月、与党両党は、内閣による関連法案の提出を了承し(6月6〜8日)、これを受けて政府は、「防衛庁設置法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、同法律案を昨年の通常国会に提出した(6月9日)。しかし、通常国会終了に伴い同法案は継続審査とされた。
 その後、昨年秋の臨時国会において、同法案は、10月27日の衆議院本会議における趣旨説明、質疑を経て、衆議院安全保障委員会に付託され、審議が行われた。同法案は、同委員会において、同年11月30日に可決され、同日の衆議院本会議において、全体の約9割以上の賛成多数により可決され、衆議院を通過した。
 その後、同法案は、12月6日の参議院本会議における趣旨説明、質疑を経て、参議院外交防衛委員会に付託され、審議が行われた。同法案は、同委員会において、同年12月14日に可決され、翌15日の参議院本会議において、全体の約9割以上の賛成多数により可決され、原案どおり、成立した。同法は、同年12月22日に公布され、本年1月9日に施行された。


 
1)64(昭和39)年6月20日、衆議院内閣委員会において福田防衛庁長官(当時)は、国会提出に至らなかった理由について、「われわれといたしましては、省昇格はあらゆる点から見ても適切であり、必要であるという考えをいまだに強く持っておりますが、まことに残念ながら、時間の都合でいろいろ遅延をいたしまして、今国会の会期わずか、非常に余数も限られておりまして、まことに不本意、遺憾千万ではありますが、この国会には提出はきわめて困難の見通しであります。」と答弁している。

 

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