第4章 国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取組 

イラク人道復興支援活動に従事した隊員の声

 イラク及びクウェートにおいて、イラク人道復興支援特措法に基づく活動に従事した2名の隊員に現地の活動について聞きました。

イラク復興業務支援隊 技官 杉山真人(現所属:防衛施設庁)

 
現地スタッフと調整する杉山技官(左)

 私は、自衛隊などが使用する駐屯地や飛行場などの施設の建設を担う防衛施設庁建設部からイラクに派遣された初めての職員です。
 現地では、これまでの勤務で得た建設工事についての知識や経験を生かし、イラク人道復興支援のための建設改修や道路補修など、建設工事全般について、各事業を担当する派遣隊員や現地スタッフに対して、技術的なアドバイスを行う仕事をしました。特に技術的に難しい課題については、メールなどで東京の防衛施設庁の専門部署と相談を行いながら、1つずつ克服してきました。
 しかしながら、実際には苦労も多く、現在のイラクでは建設資材が不足しがちで、例えば鉄骨材では入手可能なものは限られ、事前に流通状況の調査を行わなければ設計できません。また産油国でありながらアスファルトが非常に不足しており、道路工事の進捗もままならない状況です。さらに、言葉の壁により施工業者との意志疎通が難しい状況で技術指導を行うなど、これまで経験したことが無い苦労がありました。また、これらに加え、気温が50度にも達する酷暑のなかの勤務ではありましたが、人道復興支援活動を通じて技術を教えることや工事現場に集まってくる子供達との触れ合いは、技術者として、また一人の人間としての喜びであり、日本の建設技術者の代表と思って臨んだ今回の派遣は、私の人生において大変意義深いものとなりました。

第5次イラク復興支援群 3等陸佐 荒木優子(現所属:中部方面衛生隊)

 
看護技術指導を行う荒木3等陸佐(右)

 サマーワでの人道復興支援活動に看護官として参加し、微力ながらも役立つ事ができたのだろうか、と自問しつつ現地の活動を振り返ってみました。
 自分なりには、今回の活動における衛生部隊の役割は大きく2つあると考えていました。1つは自隊衛生、もう1つは人道復興支援活動の一翼を担う医療支援です。看護とは、人の生活に密着したものです。かかわる人の背景にある社会・環境・文化などを大きく異にするこの地で、果たして日本の看護を伝えることができるのだろうか。当初は不安な気持ちが先行しました。
 市内の病院における、看護師を対象にした技術指導、宿営地内に救急車搭乗員を招いた搬送技術の教育、さらには病院や学校を訪れ、看護師や他の医療関係者に会うなどの機会を通じて、徐々にイラクの医療状況を理解しました。言い古された言葉ではありますが、「環境や文化が違っても看護の心は同じです。」という事を、皆が気持ちを1つにして現地の人々とかかわることで、伝えていきたいと思い勤務しました。アラビア語、英語が十分にできなくても、心は確かに伝わるのだと実感できました。
 自分と仲間を信頼すること。相手を尊重し心を伝えること。今回の派遣で学んだことです。

 

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