第5章 国民と防衛庁・自衛隊 


防衛施設行政にみる50年

 わが国の安全保障にとって、自衛隊や在日米軍の活動の基盤となる防衛施設(自衛隊施設や在日米軍の施設・区域)の安定的な使用の確保や在日米軍の円滑な駐留は極めて重要である。この目的実現のため、防衛施設庁は、時代の変化を踏まえつつ基地周辺対策などの諸施策に取り組んできた。

防衛施設庁の設置経緯
 52(昭和27)年のわが国の主権回復後、米軍により使用されていた土地は、引き続き在日米軍の施設・区域として使用された。この頃から、基地周辺住民による基地撤廃要求などが高まり、いわゆる基地問題が顕在化した。なかでも、米軍立川飛行場拡張問題は激しい反対運動を引き起こした(砂川事件55〜57(同30〜32)年)。他方、54(同29)年の自衛隊発足とともに、米軍施設・区域から自衛隊施設への転換が進み、自衛隊も基地問題に対応する必要に迫られるようになった。当初、米軍と自衛隊の基地問題は別個に対応していたが(米軍基地問題は総理府調達庁が担当。その後、58(同33)年に防衛庁に移管)、一元的・効果的に対応する必要性から、62(同37)年11月、防衛庁の建設本部と調達庁を統合し、防衛施設庁が発足した。

基地周辺対策の充実・強化
 防衛施設は、国の防衛のため不可欠な基盤であるが、基地周辺の地域にとっては騒音問題などが生じるとともに、地域開発を制約するなど負の側面も有している。このような相反する利害を調和し、防衛施設の安定的な使用を確保するため、53(昭和28)年以降、防衛施設の使用により生ずる損失の補償や騒音被害の軽減のための措置などを行ってきた。特に、昭和40年代半ば以降、わが国経済の飛躍的な成長に伴い、防衛施設周辺地域の市街地化が顕著に進み、航空機騒音などにより生活環境に深刻な影響を及ぼすようになったことから、「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」を制定し、基地周辺対策の充実に努めてきた。
 さらに、近年、国民の生活様式の高度化や価値観の多様化を踏まえ、太陽光発電システムの設置助成(モニタリング事業)や住宅の外郭防音工事の促進など基地周辺対策のニーズの変化に対応した施策に取り組むとともに、岩国飛行場滑走路沖合移設事業や艦載機着陸訓練場の確保などの抜本的施策にも取り組んでいる。
 
*施策の概要については、5章3節2(P296)参照

在日米軍駐留経費負担
 昭和40年代後半からわが国における賃金・物価の高騰や円高ドル安が進行したことにより、在日米軍の駐留に関して米国が負担する経費が圧迫を受けている状況を勘案し、わが国は、財政事情なども踏まえつつ、在日米軍の駐留経費を自主的にできる限り負担する努力を払ってきた。具体的には、78(同53)年以降、地位協定の範囲内で、また、87(同62)年から特別協定を締結し、その枠内で経費を負担してきている。
 
在日米軍駐留経費負担

在日米軍施設・区域の返還にかかる取組
 在日米軍の施設・区域については、52(昭和27)年以降、逐次返還が進められ、大規模なものとしては、57(同32)年以降の米地上部隊の撤退に伴う整理統合や73(同48)年からは関東地方の米空軍施設・区域の横田飛行場への集約などを行ってきた。
 とりわけ、米軍施設・区域が集中する沖縄県については、72(同47)年の復帰以降、施設・区域の返還を逐次進めてきたが、さらに、沖縄県の負担を軽減する必要から、96(平成8)年、日米間において、SACO最終報告を取りまとめ、現在、その着実な実施に取り組んでいるところである。

今後の課題
 狭隘な国土のわが国にとって、防衛施設の安定的な使用を確保することは容易ではない。最近では、従来からの防衛施設周辺地域の市街化に加え、生活様式の高度化や環境問題への意識の高まりなど住民意識の変化が見られ、防衛施設の安定的な使用の確保を図る上での課題はますます困難・複雑化している。このため、防衛施設庁は、周辺地域住民の理解と協力を得つつ、時代の変化に対応しながら、課題の克服に努力しているところである。


 

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