2 その他の主要国の国防政策
ロシア
(1)全 般
ソ連崩壊によって誕生したロシアでは、国民の多くの期待にもかかわらず、混乱と混迷の状況に陥ったことから、「強い国家」こそが秩序と安定をもたらすとするプーチン大統領の政策が国民に支持されている。同大統領は、本年5月に2期目の大統領として就任し、自由、繁栄、豊かさ、強さ、文明を国家目標として、ロシアの国益を追求する外交を推進し、各国と活発な首脳外交を行っている。
また、経済面では、99(平成11)年以降主要輸出品目である原油などの国際市場価格の値上がりなどにより、好調な傾向が継続している
1。しかし、依然として、国民全体の生活水準は十分ではなく、これを解決するため、経済の構造改革などの政策を進めている。
(2)国防政策
ア 安全保障政策と国防政策
ロシアの安全保障全般の方針と原則に関する規定としては、00(同12)年1月に改定
2された「ロシア連邦国家安全保障コンセプト」がある。この中で現在の世界情勢について、多極的な世界の形成を推進する趨勢(すうせい)と、西側諸国の支配を確立しようとする趨勢という2つの趨勢が発生しており、ロシアの国益の実現は安定した経済発展を基盤としてのみ可能であるとした上で、独立、主権と領土の防護などを軍事的な国益としている。これに対する国内外の脅威として、国際テロ、国連などの役割を低下させようとする動き、北大西洋条約機構(
NATO:North Atlantic Treaty Organization)の東方拡大
3などを指摘し
4、西側諸国におけるハイテク兵器の増大がロシア軍の危機的状況とあいまって、ロシアの安全保障の弱体化につながっているとしている。このような認識の下、あらゆる規模の侵略を未然に防止するため、抑止のための措置を講じ、そのために核戦力を保有するとしている。
この「コンセプト」の下、ロシア国防政策の基本理念として、同年4月「ロシア連邦軍事ドクトリン」が策定され、この中では、大規模戦争発生の危険性と直接侵略の脅威は低減しているが、潜在的な国内外の脅威は存続し、一部ではむしろ増大する傾向にあるとしている。こうした認識の下、侵略の抑止、戦争・武力紛争の未然防止、国際安全保障と全面的平和の維持を国防の目的と位置付け、核保有国の地位を保持するとしている。核兵器については、核兵器などが使用された場合のみならず、ロシアの国家的安全にとって重大な状況下での通常兵器による大規模侵攻に対する報復などのため、使用する権利を留保するとしている。また、軍需産業の一部も国家の軍事組織として位置付けるとともに、軍事力をロシアの経済力を考慮に入れて発展させるとしている。なお、02(同14)年10月に発生したモスクワ市劇場占拠事件を受けてプーチン大統領は、新たな国家安全保障コンセプトの策定を国防相らに指示している。
さらに、昨年10月、「ロシア連邦軍発展に関わる焦眉の課題」という文書が発表された。これは、新方針を策定したものではなく、先に述べた現行の安全保障コンセプトと軍事ドクトリンを前提として、その中での具体的な施策をまとめて公表したものとみられる。この中で、核抑止を効果的なものにするには強力な通常戦力の裏付けが必要であり、軍事力整備の重点を均衡のとれた近代戦遂行能力の向上におくとしている。また、軍の運用について、テロ対策には主体的には対処しないとする一方、平時における様々な作戦
5の実施など、国家防衛以外にも軍が使用される可能性などが指摘されている。このほか、ロシアの領土の広さから、常時即応部隊
6の戦域間機動の重要性が指摘されている。
イ チェチェン問題
ロシアは、99(同11)年、チェチェン武装勢力のダゲスタン共和国への侵入などを契機とし、この武装勢力に対する連邦軍による武力行使を開始した(第二次チェチェン紛争)。02(同12)年4月の年次教書演説でプーチン大統領は、「既に軍事的段階は終了」との認識を示したが、その後も武力行使は行われた。
このような中、同年10月にはチェチェン武装勢力によるモスクワ市劇場占拠事件が発生し、人質120名以上が犠牲となるなど、武装勢力側のテロ活動が頻発した。プーチン大統領は直ちにテロリスト対策を重視した新たな国家安全保障コンセプト策定を命ずるとともに、武装勢力掃討作戦を徹底し、
CIS、
NATOなどとも対テロ協力を推進している。
一方、チェチェン共和国内では、政治的安定を目指した共和国憲法草案が昨年3月に承認され、同年10月にはプーチン大統領の支持を受けたカディロフ氏が選出された。また、チェチェン共和国に展開しているロシアの兵力の削減が開始されている。
ロシアはチェチェン復興施策を具体化しており、最近は大規模な武力衝突は発生していない。さらに、ロシアは昨年以来、チェチェン共和国における対テロ作戦の指揮権をFSB(連邦保安局)から内務省に移管した。また、チェチェン共和国に駐留する兵力の削減が進められている。しかし、チェチェン武装勢力は完全には排除されておらず、依然予断を許さない状況にある。本年5月には、テロとみられるチェチェン共和国での爆発事案により、カディロフ大統領が殺害されるという事態に陥っている。
ウ 軍改革
ロシアでは、ソ連崩壊後の軍再編は全般的に遅れていたが、97(同9)年と01(同13)年に軍改革に関する大統領令が署名され、兵員の削減と軍種の統合、旧式装備の更新、新型装備の開発・導入を含む軍の近代化、即応態勢の立て直しなどが進められてきている。機構面では、3軍種制への移行
7、参謀本部地上軍総局の廃止と地上軍総司令部の復活
8、空軍と防空軍の統合、地上軍航空隊の空軍への移管
9、軍管区の統合などが行われ、ほぼ完了に近づいている。兵員については、05(同17)年末までを目標に100万人までの削減が予定されている一方で、軍人の質的向上を図り練度の高い軍を維持するために軍人を徴兵ではなく契約により採用しようとする契約勤務制度の導入に向けた努力が行われている
10。このように、国内外の脅威に対処するため、これまで後回しにされてきた即応態勢の立て直しも進められている。さらに、本年度の国防予算では名目で対前年度比約20%の予算増加が決定されている。しかし、経済は現在比較的好調ではあるものの、軍改革に必要な資金が軍に充分に割り当てられるかどうか定かでないとの指摘もあり、軍の効率化・近代化や即応態勢の立て直しを含めた軍改革の課題達成には今後とも困難が伴うものと考えられる。
エ 独立国家共同体(
CIS)との関係
ロシアは、自国の死活的利益が
CISの領内に集中しているとし、グルジア、モルドバ、アルメニア、タジキスタンとキルギスにロシア軍や同軍が主導する
CIS平和維持部隊を派遣し、
CIS諸国との間で共同防空システム協定や国境共同警備条約を結ぶなど、軍事的統合を進めてきた
11。
中央アジア・コーカサス地域においてはイスラム武装勢力の活動の活発化に伴い、テロ対策を中心とした軍事協力を進め、01(同13)年5月、同地域における合同緊急展開部隊を創設
12した。同年9月、米国同時多発テロが発生し、米国などのアフガニスタンへの軍事行動が開始されると、ロシアは、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、グルジアにおける米軍などの駐留や援助を容認する一方で、昨年10月には
CIS合同緊急展開部隊を強化するためキルギス領内に空軍基地を開設した
13。
また、02(同14)年、ロシアとグルジアの関係は、グルジア領内に存在するチェチェン武装勢力の掃討を巡り、一時緊張した。本年1月に誕生したグルジア新政権は、米国との関係強化を目指す一方、ロシアとは自国の領内に所在するロシア軍基地の撤退を求めつつ、協力関係の維持にも努めている
14。
オ
NATOとの関係
ロシアは、旧ソ連諸国と中東欧諸国の
NATOへの新規加盟については、自国の安全保障に対する懸念などから反対姿勢を維持する一方、97(同9)年
NATOとの協力関係を規定する「基本文書」に署名した。この「基本文書」
15に基づき、ロシア・
NATO常設合同理事会が随時開催されるなど、ロシアと
NATOの関係は強化されつつあったが、98(同10)年の米英によるイラク空爆や99(同11)年3月から開始された
NATOのユーゴ連邦共和国への空爆により、ロシア・
NATO間に軋轢(あつれき)が生じた。しかし、その後は関係改善が図られ、ロシアは米国同時多発テロ発生を契機として、
NATOとの新たな協力関係を構築しようとする動きを見せ、共同行動を追求するためのメカニズムとして
NATO・ロシア理事会の設置が決定された
16。この理事会は合意の原則に基づいて運用され、また、
NATOとロシアは、
NATO・ロシア理事会の枠組みで、共通の関心分野において対等なパートナーとして行動することとなった
17。
カ 武器輸出
ロシアの武器輸出は、近年、その輸出額が大幅に増加している
18が、その目的として、00(同12)年4月の「軍事ドクトリン」の中では、軍事産業基盤の維持、経済的利益のほかに、政治的影響力の確保といった外交政策への寄与も挙げられている。また、自国の安全保障上の影響も考慮して輸出品目を決定しているとされている。ロシアは、中国、インド、
ASEAN諸国に戦闘機や空母などを輸出し
19、また、01(同13)年には北朝鮮、イランとの間で軍事技術協力に関して合意している。なお、旧ソ連各国から核兵器などの大量破壊兵器に関連する物資や技術などが流出する可能性が国際的に懸念されている。
(3)軍事態勢
ア 核戦力
戦略核戦力については、ロシアは、戦略核ミサイルの削減を徐々に進め、戦略爆撃機Tu-160ブラックジャックの生産も中断したと考えられ、新型弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)の建造も当初の計画から大幅に遅延していると考えられる。しかしロシアは、依然として米国よりも多くの大陸間弾道ミサイル(
ICBM)と米国に次ぐ規模の潜水艦発射弾道ミサイル(
SLBM)を保有しており、さらに旧式
ICBMの耐用年数を延長している。だがその一方で、本年2月に行われた戦略核演習では、二度にわたり
SLBMの発射に失敗し、核ミサイルの老朽化が指摘されている。
前述したモスクワ条約は、昨年6月に正式に発効し、これにより今後米露両国は12(同24)年12月31日までに核弾頭を1,700〜2,200発まで削減することになる。今後は、費用問題も含め、核兵器の廃棄プログラムが順調に進展していくかどうかが注目される
20。
一方、02(同14)年6月の米国による
ABM条約の脱退成立宣言を受けて、ロシアは第2次戦略兵器削減条約(START II)の無効を宣言し、多弾頭核ミサイルの廃棄を中止するなど、対抗手段を講じることを明らかにした。
非戦略核戦力については、ロシアは、射程500km以上の地上発射型中距離ミサイルを中距離核戦力(
INF:Intermediate-range Nuclear Forces)条約に基づき91(同3)年までに廃棄したが、その他の多岐にわたる核戦力を依然として保有している。なお、艦艇配備の戦術核は、92(同4)年に、米国と同様に各艦隊から撤去し、陸上に保管したことを明らかにしている。
また、ロシア軍においては、通常戦力の量的削減が続いている一方で、その近代化も、必ずしも進んでいない状況にある。このようなことから、「コンセプト」「ドクトリン」で核兵器の使用が詳述されているように、安全保障上通常戦力の劣勢を補う意味で核戦力を重視しており、核戦力部隊の即応態勢の維持に努めているものと考えられる。
イ 通常戦力など
通常戦力については、90(同2)年以降、量的に縮小傾向が見られ始め、この傾向は現在も続いているが、一方で、限られた資源を優先的に一部の部隊に投入し、その即応態勢の維持に努めようとする動きがみられる
21。
しかし、依然として続く厳しい財政事情に加え、軍人の生活環境の悪化や軍の規律の弛緩(しかん)、徴兵忌避などによる人員確保なども問題となっており、旧ソ連時代のような軍の活動水準を維持していくことは困難
22であると考えられる。海外におけるロシア軍の駐留についても、キューバ基地からは01(同13)年12月に、カムラン湾基地からは02(同14)年5月に撤収が完了した。
ロシアは軍改革を進めている過程にあり、軍改革の課題を達成するためには、資源を優先的に投入していくことが必要である。経済は、現在比較的好調な状態にあるが、今後ロシア軍に対して資源を充分に配分することが可能であるかは明らかでない。
ロシア軍の将来像については、ロシア国内の不透明な政治・経済情勢や軍改革の動向とあいまって必ずしも明確でなく、今後の動向について引き続き注目していく必要がある。しかしながら、見通し得る将来において、ロシア軍が冷戦時代のような規模・態勢に戻る可能性は低いと考えられる。
2)97(平成9)年に策定された「ロシア連邦国家安全保障コンセプト」を00(同12)年1月に改定した。これは、NATO拡大、ユーゴ連邦共和国への空爆、NATOのいわゆる「新戦略概念」の発表やロシア内外でのイスラム過激派の台頭などの情勢変化に対応するためになされたもの。
3)NATO拡大に対するロシアの姿勢には、「国家安全保障コンセプト」が策定された当時と比較して変化がみられる。これまで、プーチン大統領やイワノフ国防相はNATO拡大を懸念する発言を繰り返してきたが、最近はNATOとの協力推進を重視する旨表明している。またロシア外務省は、NATOとの間で「兵力の地位協定」の締結に向けた作業が進行していると発表した。
4)ロシアに対する脅威としてこのほか、多極化世界の中心の1つとしてのロシアの弱体化を図る試み、独立国家共同体(CIS:Commonwealth of Independent States)統合プロセスを弱体化さ
せる動き、ロシアに対する領土要求などを指摘している。
5)平時における作戦として、国際テロリズムとの闘い、破壊活動の予防・阻止、戦略抑止能力の使用準備態勢の維持と使用、国連又はCISの委任による平和創設作戦、非常事態の予防とその被害の復旧などが列挙されている。
7)97(平成9)年の大統領令により、同年末までにABMを運用する防空軍のロケット・宇宙防衛部隊と宇宙飛翔隊の打ち上げ及び管制を担当する宇宙軍を、ICBMを運用する軍種である戦略ロケット軍へ統合。しかし、02(同14)年の大統領令により、同年5月末までに、戦略ロケット軍内の(旧)宇宙軍と(旧)ロケット・宇宙防衛部隊を統合して、兵科としての(新)宇宙部隊及びICBMを運用する兵科としての(新)戦略ロケット部隊に再編。これにより、ロシア軍は地上軍、海軍、空軍の3軍種、戦略ロケット部隊、宇宙部隊、空挺部隊の3独立兵科の体制に移行した。
10)01(平成13)年11月、契約勤務制への段階的な移行に関する安全保障会議の提案に大統領が署名し、昨年3月には契約勤務制への移行のための連邦特別綱領が制定された。
11)CIS諸国の一部には、ロシアとの距離を置こうとする動きも見られ、グルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、モルドバで形成するGUUAM諸国(これらの国々の頭文字)は、安全保障や経済面でロシアへの依存度低下を目指し、欧米志向の政策路線をとっている。
17)共通の関心分野として、1)テロとの闘い、2)危機管理、3)大量破壊兵器とその運搬の不拡散、4)軍備管理・信頼醸成措置、5)戦域ミサイル防衛、6)海洋における捜索・救助、7)軍相互の協力及び防衛改革、8)民間緊急事態への対応、9)新たな脅威と課題の9項目が示されている。
19)昨年から本年にかけて、インドネシア、マレーシア、ベトナムとの間でSu-27戦闘機などの売却契約が結ばれたほか、本年1月にはインドに空母「アドミラル・ゴルシコフ」を売却する契約も結ばれた。
20)02(平成14)年6月のカナナスキス・サミットでは大量破壊兵器拡散阻止のためとして、ロシアの化学兵器廃棄、退役原潜の解体、核分裂物質の処分などの支援のため、G8が今後10年間で200億ドルを上限とする拠出を決定した。
22)00(平成12)年8月、バレンツ海で、北洋艦隊の原子力潜水艦「クルスク」の沈没事故が発生した。01(同13)年10月には、艦首を除き、船体が引き上げられた。調査の結果、搭載していた魚雷に欠陥があり、この魚雷の爆発が原因である公算が大きいとすると共に、何年にもわたり緊急ブイの信号装置などの緊急救助装置を始動させずに航行しているなど北洋艦隊司令部や「クルスク」の乗組員に安全航行のための義務違反があったとされている。