第1章 国際軍事情勢 

5 東南アジア

(1)全般
 東南アジアは、マラッカ海峡、南シナ海やインドネシア、フィリピンの近海を含み、太平洋とインド洋を結ぶ交通の要衝を占めている。この地域の各国は、政治的安定と着実な経済的発展に努めるとともに、域内外の各国との相互依存関係を深めてきたが、1997(平成9)年の通貨・金融危機によって、この地域の順調な経済成長は停滞し、政治上、経済上の混乱が多くの国で発生した。地域の経済は回復基調に戻ってきており、多くの国では危機によって生じた混乱が徐々に収拾されつつあり、統治能力も向上にむかっている。一方、この地域には、南沙(なんさ)群島などの領有権をめぐる対立や、少数民族問題、分離・独立運動、イスラム過激派などの存在が依然として不安定要素として存在しており、船舶の安全な航行を妨害する海賊行為も発生している。

(2)テロ問題
 こうした状況のなかで、01(同13)年9月11日の米国での同時多発テロ以降、この地域における国際テロ組織が問題となっている。昨年10月には、フィリピン・ミンダナオ島やインドネシア・バリ島などで、イスラム過激派1によると思われる爆弾テロ事件が続発し、多数の死傷者が出ている。特に、バリ島の爆弾テロ事件では、日本人2人、オーストラリア人88人を含む24の国々の200人以上の死者を出すなど、同時多発テロ以降、最悪の事態となった。東南アジア諸国はテロ対策の充実を図ってきたが、特にバリ島での事件以降、多くの国がテロ対策の更なる強化に取り組んだ。テロへの取組について、地域における一層の協力と協調が重要との認識の下、わが国も含めた地域の関係国の間で様々な協議が行われているところである。
 また、関係国のテロ対処能力向上のため、米軍による協力の事例も見られる。昨年1月から7月の間、「バリカタン02−1」が、国際テロ組織「アブサヤフ」の掃討を念頭に置いたフィリピン軍の対テロ戦闘能力向上を目的にミンダナオ島サンボアンガ、バシラン島などで本格的に行われた2。本演習には、米軍660名、フィリピン軍3,800名が参加した。本年も同様の目的で、「バリカタン03−1」が、「アブサヤフ」の拠点と言われるスールー諸島ホロ島周辺を含むフィリピン南西部で本年6月以降に行われる予定である。なお、本演習では、米軍は直接戦闘行為に参加しないものとされている。また本年2月、米比対テロ合同軍事演習「バヤニハン」が1年間の予定で開始されている。
 テロは、この地域における政府の統治能力の問題、民族・宗教上の対立や、経済上の混乱による貧困層の存在などに起因するものと考えられ、テロ問題の根本的な解決には、こうした根源的な要因を解決することも求められている。

 
東南アジアにおける兵力状況(概数)
 

(3)軍事態勢
 ASEAN諸国においては、以前から、著しい経済の発展に加え、インフレなどの影響もあって国防費は高い伸び率を示しており、旧式装備の更新を主眼とした新型の戦闘機や艦艇の導入などの近代化が進められてきた3。97(同9)年以降の経済危機により、国防費を削減し、新型装備の導入の見直しや訓練費の削減などを行う国もみられたが、経済の回復基調に伴い、今後の近代化の動向が注目される。
 また、この地域においては、地域諸国間の共同演習4が行われているほか、米軍との関係強化を図る動きもみられる。シンガポールと米国は、98(同10)年、シンガポール国内に新たに建設している海軍基地に米軍艦艇の寄港を認めることについて合意し、01(同13)年3月には初寄港を果たしたほか、00(同12)年4月には、両国間で物品役務相互提供協定(ACSA:Acquisition and Cross-Servicing Agreement)への署名が行われた。また、99(同11)年にフィリピンと米国との間の「訪問米軍の地位に関する米比協定」が発効したことを受けて、00(同12)年の1月から3月にかけて、両国間の大規模な演習である「バリカタン」が、95(同7)年以降初めて行われた。
 タイと米国は、82(昭和57)年より、大規模な二国間演習である「コブラゴールド」を行っている。00(平成12)年より、シンガポールが本演習の一部に参加したことから多国間演習となり、本年5月にも行われている5
 また、ベトナムのカムラン湾に所在するロシア軍基地は昨年5月に撤収が完了した。なお、昨年3月、ベトナム国防相はロシアの撤収後もいかなる国にもカムラン湾基地を提供しない旨述べている。

(4)ASEANの動向
 ASEANにとって、99(同11)年のカンボジア正式加盟により設立後30年以上を経て「ASEAN10」が実現したことは、大きな節目であった。今後、ASEANが地域の平和・安定強化など各種の分野で協力していくことが期待されており、近年ASEANを中心として、地域の安定・発展を目指した積極的な動きがみられる。
 01(同13)年11月にも、ASEAN首脳会議やASEAN+3(日中韓)首脳会談など一連の会合が開催され、ASEAN首脳会議では「反テロ共同行動宣言」が採択された。ASEAN地域の軍首脳によるテロ対策会議では、地域におけるテロの脅威に対抗するため、「反テロ宣言」6が調印された。また、昨年5月にはASEAN対テロ特別閣僚会議が開催された7
 昨年7月から8月にかけて、ASEAN外相会議、ARF閣僚会合、ASEAN+3(日中韓)外相会議、ASEAN拡大外相会議など一連の会議で、経済問題やテロ対策などが協議された。この中でASEANと米国の間では対テロ宣言が調印された。昨年11月には、ASEAN首脳会議が開かれ、新たな対テロ宣言を採択した。
 また、本年6月に行われた、ASEAN外相会議、ARF閣僚会合、ASEAN+3(日中韓)外相会議、ASEAN拡大外相会議など一連の会議でも、テロ対策における国際協力の重要性が確認され、ARF閣僚会合においては、「海賊行為及び海上保安への脅威に対する協力に関する声明」及び「国境管理に関するテロ対策協力声明」が採択された。
 また、ASEANは、これまで、域内貿易の関税を完全撤廃するASEAN自由貿易地域(AFTA)を推進してきたが、本年6月のASEAN外相会議では、さらに「ASEAN経済共同体」(AEC)構想8の推進が表明されるなど、経済統合の一層の深化を目指している。中国との間では、昨年11月、10(同22)年までのFTAを目指す「ASEAN中国の包括的経済協力枠組み協定」を調印し、本年3月からFTA交渉を開始した。さらに昨年11月には、日本との首脳会議でFTA交渉を始めることに合意している。
 一方、ASEANの加盟国の拡大により、加盟国間の経済格差が拡大するとともに、域内での政治体制の相違も存在している。また、現在、指導者の世代交代がみられており、さらに、内政不干渉やコンセンサス方式などの従来の原則の見直しに関する議論も生じている。本年6月のASEAN外相会議の共同声明では、ミャンマーのアウン・サン・スーチー女史の問題や、北朝鮮の核問題についても言及されるなど、注目を集めた。ASEANは種々の課題に直面しているが、これらの課題の解決を模索しつつ域内の成長・発展の促進や安定の確保を図っていくことを目指している。

(5)南沙群島
 南沙群島は、南シナ海の中央に位置し、約100の小島及び岩礁からなる。この群島の周辺は、油田、天然ガスなどの海底資源の存在が有望視されるほか、豊富な漁業資源に恵まれ、また、海上交通の要衝でもある。この群島に対しては、現在、中国、台湾とベトナムが全部の、フィリピン、マレーシアとブルネイがその一部の領有権を主張している。この群島をめぐり、88(昭和63)年には、中越海軍が武力衝突し一時緊張が高まったが、その後、大きな武力衝突は生起していない。しかし、中国に対しては、92(平成4)年の領海法制定、95(同7)年のミスチーフ礁における建造物構築と98(同10)年から99(同11)年にかけての同建造物拡充などに関して、各国が反発している。
 また、99(同11)年には、マレーシアが新たな建造物を構築しているとして、フィリピンが抗議を行うなど、ASEAN諸国内での立場の違いも存在すると考えられる。
 一方、この問題に関しては、当初、中国は、二国間交渉を主張してきたが、その後、関係国全体として平和的な解決を目指す動きも見られるに至った。ARF閣僚会合の議長声明においても、この問題の平和的解決を図る各国の努力を歓迎する旨、毎年言及されているほか、ASEAN諸国は、新たな礁の占拠禁止などを内容とする「南シナ海の地域行動規範」草案を取りまとめた。この草案は、99(同11)年のASEAN・中国事務レベル協議において提案され、作業部会において協議が継続されているが、細部について意見の隔たりが大きく策定に至っていない。他方、昨年11月、ASEANと中国の首脳会議で、領有権問題の平和的解決へ向けた「南シナ海における関係国の行動宣言」9が署名された。
 南沙群島をはじめとする南シナ海では、依然として各国の利害が対立していることから、引き続き関係国の動向や問題解決に向けた協議の行方が注目される。

(6)インドネシア
 ASEANの中心的存在であるインドネシアは、世界第4位の人口を持つ大国であり、その政治・経済の動向はASEAN域内のみならず、アジア太平洋地域の安全保障に大きな影響を与える存在である。また、わが国にとっても重要な海上交通路に近接する国として、地政学上も重要な存在である。
 01(同13)年7月のメガワティ大統領の就任以降、米国政府は、東ティモールでの人権侵害を理由に99(同11)年から停止されていたインドネシア軍との軍事交流の再開に前向きな姿勢を示すなど、同国との関係改善に努めている。
 インドネシアは国内に民族上の対立などを抱えており、スハルト政権の崩壊後、これらの問題も顕在化してきている。現在、ナングル・アチェ・ダルサラム州(旧アチェ特別州)やパプア州(旧イリアンジャヤ州)などの地方で分離・独立を求める動きがみられているほか、マルク地方においては、イスラム教徒とキリスト教徒の間の抗争が継続している。
 ナングル・アチェ・ダルサラム州については、26年間にわたってインドネシア政府と独立派武装組織の間で衝突が続いてきたが、この間、ジュネーブにあるNGOを対話の推進役として両者間での対話も行われてきた。昨年12月には、インドネシア政府と分離独立派武装組織「自由アチェ運動(GAM)」は、地方選挙の実施、即時停戦、GAMの武装解除などを盛り込んだ和平協定に調印したものの、相互不信は根強く、双方が互いの「協定違反」を非難し続け、和平プロセスは崩壊の危機に面していた。本年5月、日米政府の後押しにより、両者の和平協議が東京で行われたが、交渉は決裂し、和平プロセスは破綻した。これを受けて、メガワティ大統領はナングル・アチェ・ダルサラム州に軍事非常事態を宣言し、インドネシア国軍は、GAMに対する軍事攻撃を開始した。一方、パプア州では、00(同12)年6月、住民組織がパプアの国家主権の確認などを盛り込んだ決議を採択した。さらに、01(同13)年11月の同州の独立運動指導者の不審死について住民は真相究明を要求している10
 本年3月、インドネシアは00(同12)年に国家警察が国軍から分離した後のインドネシアの国防戦略構想の重点を国民に理解させることを目的とし、「国防戦略白書」を発刊した。同白書においては、最近の分離・独立運動やテロなどの脅威11を踏まえれば、こうした面で果たすべき国軍の役割が、国軍から国家警察が分離された現在でも引き続き重要であることを指摘している12



 
1)フィリピン南部に本拠地を置く「アブサヤフ」、「モロ・イスラム解放戦線」、またバリ島爆弾テロ事件で関与が疑われている「ジュマ・イスラミーヤ」などがある。

 
2)本演習期間中、フィリピン軍によるアブサヤフ掃討作戦が行われた。アブサヤフは、オサマ・ビン・ラーデンや国際テロ組織「アル・カイダ」とも関係があると言われるイスラム過激派で、フィリピン南部で爆弾テロや誘拐を行っている。

 
3)マレーシアのMiG-29及びF/A-18戦闘機の導入、ベトナムのSu-27戦闘機の導入、タイの中国製フリゲート艦及びスペイン製軽空母の導入、シンガポールのスウェーデン製潜水艦の導入などの動きがみられてきた。

 
4)5か国防衛取極に参加しているマレーシア、シンガポール、英国、オーストラリア、ニュージーランドによる共同演習のほか、東南アジア・大洋州間の共同演習も行われている。

 
5)本演習には、昨年は、オブザーバーとして、日本など18か国が参加した。そのうち、中国、ロシア、ベトナムなどが初めて参加した。他方、本年は、イラク問題に関し米国と意見の対立が見られたフランス、ロシア、マレーシアなどが派遣を取り止め、オブザーバーは11か国にとどまった。(4章5節2(p234)参照。)

 
6)宣言は、テロに対する各国の軍機能強化と共有、テロリストやテロ組織に関する情報の速やかな交換、各国軍の相互的・多角的協力の強化など、6項目から成る。

 
7)共同声明では、マレーシアによる情報収集訓練の実施、シンガポールによる爆発物探知・処理などの訓練の実施、ASEAN加盟国による対テロ関連の連絡窓口の設置など、具体的な実施手段が決定された。

 
8)AECでは、AFTAのすすめる域内貿易の関税の撤廃に加え、域内経済統合の次の段階として、域内の資本や労働市場など幅広い分野での完全自由化を目指すとしている。

 
9)「南シナ海における関係国の行動宣言」には、南シナ海における問題を解決する際のおおまかな原則について明記されているが、政治宣言であり、法的拘束力はないことから、より具体的な行動を定め、かつ法的拘束力を有する「南シナ海の地域行動規範」策定に努力する旨も明記されている。

 
10)現在、この事件に関与したと見られる陸軍特殊部隊司令官らは、逮捕され軍法会議にかけられている。

 
11)これらの他に21世紀にインドネシアが直面する脅威として、海賊問題、違法な森林伐採、不法移民を挙げている。

 
12)2000(平成12)年4月、ワヒド大統領(当時)は、国家警察を国軍から分離することを決定し、国内治安における国軍の関与が低下したが、メガワティ大統領は、インドネシアの統一維持を政権課題としているため、自らの支持基盤である国軍を重視する傾向が強いとの指摘がある。


 

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