2022年2月24日、ロシアは、ウクライナに対する全面的な侵略を開始した。しかし、ゼレンスキー・ウクライナ大統領が早くから一貫してキーウに残留する意向を明確にする中、ウクライナ軍などがキーウ郊外においてロシア軍主力部隊の前進を阻止し、迅速なキーウ掌握を企図していたロシア軍などに多大な損害を与えた。同年3月末から4月初めには、ロシア軍などをキーウ正面から後退させたことで、ロシアが企図していたとみられるごく短期間でのゼレンスキー政権の排除は失敗に終わったとの指摘もある。
ウクライナ軍は、同国第二の都市であり、交通の要衝でもある東部ハルキウの防衛にも成功したが、南部においては、ロシア軍が他の地域に比べ迅速に占領地を拡大したものと考えられ、同年3月初旬にはドニプロ川の西岸に位置するヘルソン州の州都ヘルソンを占領するとともに、そのさらに西に位置するミコライウ州の州都ミコライウ方面に一時進出し、アゾフ海北岸のザポリッジャ州南部とドネツク州南部においても侵略開始当初に占領地を大きく拡大したものとみられる。
参照図表I-2-1(ウクライナの地図)
首都キーウの掌握に失敗したロシア軍は、2022年3月25日、それまでの軍事行動は「作戦の第一段階」であったとして、今後はウクライナ東部のドネツク州とルハンスク州の「解放」、すなわち両州における占領地拡大を作戦の主目標とする旨を発表し、戦線の整理を行った。
ロシア軍は、キーウ方面から後退させた部隊を再編成のうえ、ウクライナ東部へ順次投入し、ルハンスク州の臨時州都であったセヴェロドネツクとその周辺を同年6月下旬から7月上旬にかけて占領したとみられている。
ウクライナ南部においては、ロシア軍は、アゾフ海沿岸におけるウクライナ側の最後の拠点であったドネツク州南部マリウポリにあるアゾフスターリ製鉄所の制圧に戦力を集中し、同年5月、ロシア国防省は、ショイグ国防相(当時)がプーチン大統領に対し、同製鉄所構内のウクライナ軍などが投降し、マリウポリにおける作戦が完了した旨報告したと発表した。
ロシアは、マリウポリの占領により、アゾフ海沿岸全域を占領するとともに、クリミア半島との陸上交通路を確保した。
緒戦においてロシア軍によるキーウ、ハルキウなどの主要都市の制圧を阻止したウクライナ軍は、2022年4月以降、全正面においてロシア軍への抵抗を継続しつつ、反転攻勢に向けた準備攻撃とみられる動きを活発化させた。
ロシア軍が比較的大きな戦果を収めたとみられていたウクライナ南部においては、同年5月、国産地対艦ミサイル「ネプトゥーン」により、ロシア黒海艦隊の旗艦であるスラヴァ級ミサイル巡洋艦「モスクワ」を撃沈したとされている。同年6月、ザルジューニー・ウクライナ軍総司令官(当時)は、同軍の攻撃により、緒戦において占領された黒海のズミーニー島からロシア軍を撤退に追い込んだ旨発表した。
これらのウクライナ軍の攻撃は、ロシア黒海艦隊がウクライナ南部に構築していた防空網を破壊し、ロシア航空戦力の活動を困難にすることで、その後の同地域におけるウクライナ軍の反転攻勢を容易にする効果があったと考えられる。
さらに同年6月下旬以降、ウクライナ軍は、米国から供与されたM142高機動ロケット砲システム(HIMARS:High Mobility Artillery Rocket System)を実戦投入したものとみられ、同年7月にヘルソン州ノヴァ・カホウカに所在するロシア軍の燃料・弾薬集積拠点を攻撃した旨発表するとともに、南部における反転攻勢の開始に言及した。同地域においてウクライナ軍は、HIMARSなどの精密攻撃能力に優れた長距離火力を活用し、同地域一帯のロシア軍の指揮所や兵站拠点を攻撃するとともに、ドニプロ川の橋梁などを通行不能にした。これにより、補給が困難となったドニプロ川以北のロシア軍部隊の戦闘能力と士気を低下させ、反転攻勢のための条件を整えた。
発射されるウクライナ軍の高機動ロケットシステムHIMARS
(ウクライナ南部ヘルソン州)【EPA=時事】
2022年9月上旬、ウクライナ軍は、東部ハルキウ州における反転攻勢に成功し、同州のロシア軍占領地の大部分を奪還した。ウクライナ軍は、それまで反転攻勢の動きを顕著にしていた南部と異なり、東部においては反転攻勢企図の秘匿に努めたものとみられ、南部におけるウクライナ軍の反転攻勢に対応すべく東部のロシア軍部隊が転用され、戦力が手薄となったところを突くことで反転攻勢に成功したとの指摘もある。
一方、南部においては、ウクライナ軍は、ドニプロ川を利用したロシア軍の分断と弱体化に努め、同年11月中旬、ロシア軍に撤退を強いる形で州都ヘルソンを含むドニプロ川以北のヘルソン州などの奪還に成功した。
さらに、同年10月、ロシア南部クラスノダール地方とウクライナのクリミア半島を結ぶ橋で爆発が発生し、橋桁が損傷したが、ロシアはウクライナによるものと非難している。
ウクライナの反転攻勢の本格化を受け、ロシアは、兵力の増強やウクライナ領土占領の既成事実化をはじめとする各種の対応を取った。
兵力の増強について、2022年9月、プーチン大統領は、部分的動員に関する大統領令に署名するとともに、国民に対する声明においてその必要性を説明し支持を求めた。また、上記の動員について、ショイグ国防相(当時)は、30万人を動員する計画である旨述べた。
ウクライナ東部および南部4州の「編入」式典におけるプーチン大統領(中央)、
4州の「首長」および「行政長官」(2022年9月)【ロシア大統領府】
ウクライナ領土占領の既成事実化については、同月23日から27日にかけ、ルハンスク、ドネツク、ザポリッジャ、ヘルソンのロシア軍占領地域においてロシアへの「編入」の賛否を問う「住民投票」と称する活動を実施し、その結果に基づき、同月30日、これら4地域を違法に「併合」した。
そのほか、接触線全域で塹壕陣地、対戦車壕、通称「竜の歯」と呼ばれるコンクリート製の対戦車障害物、地雷原などからなる複合障害陣地を構築し、ウクライナ軍による反転攻勢に備えた。これらと並行して、ロシア軍は、ウクライナ全土に対するミサイル・自爆型UAV(Unmanned Aerial Vehicle)攻撃を強化しており、ウクライナ軍の防空ミサイルを消耗させるとともに、寒冷期の市民生活にとって重要なウクライナの電力網に被害を与え、非戦闘員の犠牲を拡大することで、ウクライナの継戦能力と抗戦意思の減殺を企図したものとみられる。こうしたロシア軍の攻撃によるウクライナの非戦闘員の犠牲者は、国連人権高等弁務官事務所によると2023年11月時点で少なくとも1万人を超えるとの見方が示されているが、戦闘が現在も継続しているため、正確な被害の実態は把握できておらず、実際の犠牲者はこれを大きく上回り、今もなお増え続けているとみられる。
2023年1月に入ると、ロシア軍や民間軍事会社「ワグネル」を中心とする勢力が東部ドネツク州における攻勢を強め、同年5月には同州の交通の要衝バフムトを制圧したとみられる。
2023年1月14日のロシア軍のミサイル攻撃により破壊された
ウクライナ中部ドニプロの集合住宅(2023年1月)
【ウクライナ政府Facebook】
ロシア軍などによるバフムト正面の攻勢で守勢に立たされるなか、ウクライナ軍は、西側諸国から「レオパルド2A6」や「チャレンジャー2」といった主力戦車や、「ストーム・シャドウ」といった空中発射型の長射程巡航ミサイルなどの各種装備品の供与を受けたうえで、部隊を新編し、欧州で兵員を訓練させることなどを通じて反転攻勢の準備を進めてきたとみられる。
ウクライナ軍は、2023年6月初旬にも反転攻勢に着手したとみられ、南部ザポリッジャ州正面を中心に複数の集落を順次奪還していったが、ロシア軍の敷設した大量の対人・戦車地雷や攻撃ヘリの対戦車ミサイルなどにより進軍を阻まれ、ウクライナ軍側も多大な人員と装備の損失を被ったとされる。
ウクライナ軍の反転攻勢のねらいは、南部ザポリッジャ州のロシア軍の防御線を突破し、アゾフ海に至るまで南進することによる、ロシア本土とクリミア半島を繋ぐロシア軍の陸上兵站ルートの遮断とされたが、当初想定されていた目標は達成されなかったとみられる。
ウクライナ軍の反転攻勢停滞の要因として、榴弾砲や迫撃砲をはじめとする火力、進軍する地上部隊を経空脅威から防護する短距離防空システム、地雷原を突破するための障害処理機材、十分な訓練を受けた兵士がウクライナ軍内で不足していたことなどが指摘されている。
同年10月、米国から地対地弾道ミサイル「ATACMS(Army Tactical Missile System)」がウクライナに供与され、ロシア軍の飛行場攻撃に成功したとされるほか、ウクライナ軍は国産のUSV(Unmanned Surface Vehicle)や巡航ミサイルを用いてロシア黒海艦隊の艦艇に損害を与えたとされているが、地上作戦における大規模な突破には至っておらず、同年11月、ゼレンスキー大統領が、ロシア軍の攻勢に備えた防御陣地の構築を指示するなど、ウクライナ軍が守勢に立たされているとみられる。
ロシア側は、2023年内に軍需産業の製造能力を4倍にしたとしており、各種装備品の修理・製造ペースを上げる中、今後ウクライナにとっては欧米各国の支援の拡充がより重要になってくることが見込まれる。
ウクライナ軍による反転攻勢に対し、周到に準備した防御陣地と地上・航空戦力により対応したロシア軍は、2023年10月以降、ドネツク州アウディウカ正面やバフムト正面、ハルキウ州クピャンスク正面などで攻勢を強化し、2023年末までにドネツク州マルインカを制圧したとされる。また、2024年2月、ロシア国防省は、アウディウカの占領を発表した。
また、2023年12月末以降、ロシア軍はウクライナ全土に対するミサイル攻撃を活発化させたが、2022年冬季のミサイル攻撃が電力網を狙ったものであるのに対し、2023年冬季のミサイル攻撃は、長期戦を見据えた上で軍事産業を標的としているとの指摘もある。同傾向は2024年春季も継続しているが、防空装備の不足がウクライナ側の被害を拡大させているとされる。
ウクライナ・ハルキウの被害状況(2024年1月)【AFP=時事】
ロシアは、ウクライナ侵略を継続するなかで、核物質や核施設をめぐる危険な行動を繰り返している。ロシアは、2022年2月にベラルーシ国境に近いチョルノービリ原発を占拠したほか、同年3月にはウクライナ南東部のザポリッジャ原発を占拠した。また、同月以降、実験用原子炉を有し、核物質を扱うハルキウ物理技術研究所が複数回にわたって攻撃された。
核兵器については、プーチン大統領は、同年4月にロシア軍が開発中の新型の大型ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)「サルマト」の飛翔試験を初めて実施した際、自国の核戦力を誇示する旨の発言をした。また、同年9月の部分的動員に関する大統領令の公布に際しての国民向け声明においては、核戦力を念頭に、自国の領土一体性が脅威にさらされた際には、ロシアが利用可能なあらゆる手段を用いる旨を述べており、他の高官によるものも含め、核兵器による威嚇とも取れる言動が繰り返されている。
化学兵器や生物兵器についても、ロシアは、ウクライナがこれらを使用する可能性があるとの主張を繰り返しているが、米国や英国は、ロシアによるいわゆる「偽旗(にせはた)作戦」の準備との評価を明らかにしている。また、2022年3月、バイデン大統領は、プーチン大統領がウクライナで生物・化学兵器の使用を検討している確かな兆しがあるとの趣旨の発言をしていたところ、2024年5月、米国務省は、ロシアが化学兵器を使用した疑惑を指摘している。
ウクライナ侵略をめぐる今後の動向については、予断を許さないが、動向に影響を与えるとみられるロシア軍とウクライナ軍双方の戦略・戦術や人的・物的な継戦能力について、様々な指摘がされている。
ロシア軍については、指揮統制をめぐる困難がとりわけ早くから指摘されてきた。侵略開始当初、ロシア軍は、平時の運用体制である統合戦略コマンド(軍管区)の指揮系統と所属部隊をそのまま各作戦正面に割り当てた結果、約20万人とされる機械化歩兵部隊に加え、陸・海・空のミサイル戦力、海空戦力などの投入戦力全体1に対する一元的な指揮統制を欠いたと指摘されている。2022年4月初旬には、ロシア軍の作戦全体を指揮する統合任務部隊司令官が任命されたと報じられ、軍種間や戦域間の連携改善を図ったものとみられる。また、2023年1月には、軍種間の連携改善、後方支援の質的向上や部隊指揮の効率改善を目的として、ゲラシモフ参謀総長が統合任務部隊司令官に任命された旨発表された。同年5月には、プリゴジン氏率いる民間軍事会社「ワグネル」の兵力も多数投入することで、東部ドネツク州バフムトの制圧に寄与したとされるが、その後、軍と「ワグネル」間の不和が原因となり、同年6月にはプリゴジン氏が「武装反乱」を起こし、「ワグネル」によるロシア国内への進軍を許す形となった。一時はモスクワまで200km圏内まで到達したとされるも、ベラルーシ大統領仲介の下で事態は収束した。こうした武装蜂起の再発を防ぐため、ロシア国防省は、元「ワグネル」の兵員らに軍との契約を促し、また、そのほかの民間軍事会社についても参謀本部の隷下で管理することで指揮命令系統の一元化を図っているとの指摘もある。
ロシア国旗を掲げる「ワグネル」戦闘員(2023年5月)
【AFP=時事】
ウクライナ軍については、2014年以降の東部における紛争に対処する中で、戦闘経験を有する予備役を多数確保したこと、NATO(North Atlantic Treaty Organization)標準を目指した国防省や軍の機構改革を受け、戦闘の中核となる下士官の養成が進んだこと、指揮統制支援ソフト「GIS Arta」や状況監視システム「デルタ」をはじめとする民間技術に基づく迅速性・精密性の高い火力調整システムを採用したことなどにより、質量ともに優位なロシア軍に対しても屈することなく、今日まで戦闘を継続している。
人的継戦能力については、2023年8月時点でウクライナ軍19万人、2024年5月時点でロシア軍46.5万人が死傷したとの指摘がある2。ロシアは、2023年6月に、重罪人を除く受刑者や被疑者の軍務契約を認める法律にプーチン大統領が署名し、同年10月には軍人登録規制が改正され、身体検査を受けずに受刑者を軍籍に登録する「特別軍人登録」について新たに規定するなど、受刑者などをより迅速に実戦投入する環境を整備することで人員の確保に努めているとみられる。ウクライナ側は、同年12月に軍が50万人の追加動員を求めているとゼレンスキー大統領が明らかにしているように、人員の確保について苦慮しているとみられており、欧米諸国から新兵への教育訓練支援を受けている。
物的継戦能力については、対ロシア経済制裁により、ロシア軍の装備品調達に支障が出ているとの指摘がある。一方、軍需企業の昼夜連続操業、対地攻撃用ではないミサイルの転用、イラン製UAVの調達、ベラルーシからの戦車の譲受、北朝鮮からの砲弾やミサイルの調達などにより、戦力を維持しているものとみられる。また、制裁下においても、弾薬や旧ソ連時代の技術水準の装備品は今後も十分に生産可能であり、長期にわたって戦闘を継続できるとの指摘もある。
一方、ウクライナ軍の装備の多くは、旧ソ連製であり、ロシア以外の国から調達できる部品や弾薬は限られている。さらに、自国内で修繕や調達が可能な装備についても、主要な軍需企業が立地するハルキウやドニプロはロシア地上軍の攻撃圏内にある。こうしたことから、継戦能力の確保のためには、国外からの装備・弾薬の提供と旧ソ連製装備からの転換にかかわる教育訓練支援が重要である。
ウクライナ北東部ハルキウへの攻撃で使用された北朝鮮製とされるミサイルの残骸を調べる検察関係者(ウクライナ・ハルキウ)(2024年1月)
【AFP=時事】
ウクライナ軍は、今後も強固な抗戦意思を持って領土奪還に向けた努力を継続していくとみられる一方、ロシア軍も兵力の増強に取り組んでいることを踏まえ、戦闘が長期化する可能性も指摘されている。