Contents

第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

2 侵略に至る経緯・契機・要因

1 冷戦終結後の欧州における安全保障環境とウクライナ
(1)ウクライナの領土保全と非核国の地位に関する国際合意の形成

1989年以降の東欧諸国における体制転換及び同年12月のマルタ会談による冷戦終結や、1991年のソ連解体は、欧州における安全保障環境を大きく変化させた。これにより、北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization)とワルシャワ条約機構(WTO:Warsaw Treaty Organization)の軍事的対峙が解消され、大規模戦争の危険性は減少したものの、ユーゴスラビア紛争やソ連解体前後からのナゴルノ・カラバフ紛争、チェチェン紛争といった、民族の分離独立問題の激化や旧ソ連の大量破壊兵器拡散への懸念といった新たな問題が生じることとなった。

1991年12月の国民投票において独立の意思を明らかにしたウクライナは、ロシア及びベラルーシと共にソ連解体のプロセスにおいて重大な役割を果たした。同月の3か国首脳による独立国家共同体(CIS:Commonwealth of Independent States)設立宣言は、ソ連解体を決定づけた。

独立国となったウクライナとロシアの間においては、ウクライナ南部のクリミア半島の領有権や同半島のセヴァストーポリを主要基地とする黒海艦隊の帰属も問題となった。1997年、両国は同艦隊の分割及びロシアによる20年間の基地使用を認めることで原則として合意するとともに、ウクライナの領土保全及び両国の国境不可侵を確認する友好協力条約に署名した。

また、ウクライナ、ベラルーシ及びカザフスタンにおいては、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)や戦略爆撃機といった旧ソ連の核戦力の管理が問題となった。1992年、ウクライナは、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン及び米国と共に、第一次戦略兵器削減条約(START I:Strategic Arms Reduction Treaty)に対するリスボン議定書に署名し、START Iの当事国となること及び非核兵器国として核兵器不拡散条約(NPT:Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)に加入することに合意した。ウクライナは、ベラルーシ及びカザフスタンと共に、領域内の全ての核兵器を撤去し、ロシアに移管することとなった。ウクライナ国内の核兵器は、モスクワを中心とする旧ソ連軍の指揮機構に組み込まれたものであり、ウクライナに独自の運用能力はなかったが、核廃棄の過程において、ウクライナは、核兵器撤去の引換えとして、自国の安全の保証や経済的支援を求めた。ウクライナの安全の保証については、1994年、ロシア、米国及び英国がブダペスト覚書に署名し、経済的支援については、わが国を含むG7諸国が中心となって実施した旧ソ連諸国の核兵器の解体及び廃棄支援の一環として、各種の支援が提供された。1996年には、ウクライナ国内の核兵器がロシアに全て移送され、ウクライナは非核兵器国となった1

(2)ウクライナ及びロシアとNATOとの関係

ソ連解体を経て、ポーランド、チェコなどの中・東欧諸国は、欧州統合に参加するため、また、歴史的経緯も踏まえ、自国の独立と安全を確保する観点から、NATO加盟を希望した。しかし、NATOは、ロシアとの協調を重視する立場から、中・東欧諸国のNATOへの即時加盟には消極的であった。NATOは新たな協力枠組みとして、1994年に平和のためのパートナーシップ(PfP:Partnership for Peace)を発表した。PfPには、他の中・東欧諸国に加え、ウクライナが、中立を維持しつつNATOとの協力を推進する立場から、他の旧ソ連諸国に先駆けて参加したほか、ロシアも参加した。

1999年、PfPに基づき、NATOとの相互運用性を向上させたポーランド、チェコ及びハンガリーがNATOに加盟し、いわゆる「NATOの東方拡大」が始まった。2002年、ウクライナも将来のNATO加盟意思を内外に表明し、NATOの協力を得た国防省・軍の改革が開始された。ただし、当時は、NATO加盟に関するウクライナ国内のコンセンサスが必ずしも形成されておらず、政権交代ごとにNATO加盟に対する姿勢が変化していたという事情もあり、2008年のNATOブカレスト・サミットにおいて、ウクライナの将来的なNATO加盟については合意されたものの、ウクライナのNATO「加盟行動計画(MAP:Membership Action Plan)」への参加は見送られた。

他方、当時のロシアとNATOは、ロシアのPfP参加やボスニア紛争におけるNATOとロシアの協調にみられるように、一定の協力関係にあった。また、ロシアは、NATOとの関係において、中・東欧諸国や他の旧ソ連諸国とは異なった待遇を受けており、1997年にはNATOの決定事項をロシア側に共有する枠組みとして、NATO・ロシア常設合同評議会(PJC:NATO-Russia Permanent Joint Council)が設置された。2002年にはPJCがNATO・ロシア理事会(NRC:NATO-Russia Council)に改組され、ロシアはNATOと対等なパートナーとして、共通の関心分野において一定の意思決定に参加することとなった。

このように、ロシアとNATOの間に一定の協調関係がある中、ロシアは、必ずしもNATO加盟国の東方への拡大に強く反対し続けてきたわけではない。ロシアは、2000年版軍事ドクトリンにおいて、ロシアの軍事安全保障を損なうような軍事ブロック及び同盟の拡大を脅威と位置づけ、2010年版以降においては明示的にNATOを脅威と評価していたものの、その間の2004年に実現したバルト三国のNATO加盟も最終的には受容しており、この当時、ロシアの大統領職にあったのは、今般のウクライナ侵略を主導したプーチン氏であった。2014年にロシアがウクライナ南部のクリミア自治共和国を違法に「併合」した結果として、NATOや欧州各国が、NRCの大使級会合を除き、軍事面を含むロシアとの実務協力を原則として停止するまでは、ロシアとNATOは空軍共同演習を実施2するなど、2008年のロシア・ジョージア紛争後の一時期を除き基本的には協力関係にあったことにも留意が必要である。

(3)クリミア「併合」とウクライナ東部紛争

2014年2月、ウクライナにおける政変と同時に、ウクライナ南部のクリミア自治共和国では、ロシア軍とみられる武装勢力が、同共和国の地方政府庁舎と議会の建物を占拠するとともに、空港やウクライナ本土に通じる幹線道路、主要なウクライナ軍の施設などを掌握した。クリミア自治共和国を事実上支配下に置いたロシアは、同年3月、同共和国における「住民投票」の結果を受けてクリミアを違法に「併合」した。

一方、同年4月には、ウクライナ東部において、分離派勢力などによるウクライナ暫定政権への抗議活動や攻撃が活発化し、地方政府庁舎などの建物が占拠された。これに対し、ウクライナ暫定政権は、このような事態にロシアが関与しているとして非難するとともに、軍などを投入して対処したが、事態の解決には至らなかった。同年5月には、ウクライナ東部のドネツク州及びルハンスク州の一部において、分離派勢力の管理下で自治権拡大の賛否を問う「住民投票」が行われた。その後もウクライナ新政権と分離派勢力との交渉が整わなかったことから、ウクライナ軍は、ロシアの直接的な介入とみられる各種支援を受けた分離派勢力との間で戦闘を継続した。

同年9月及び2015年2月には、欧州安全保障協力機構(OSCE:Organization for Security and Co-operation in Europe)、ロシア、ウクライナ三者が和平に向けて「ミンスク諸合意」3を結んだが、その後も、当該諸合意に定められた事項の多くにおいて履行の進捗が見られない状況が続いたまま散発的な戦闘が続き、犠牲者は1万人を超えたとされていた。

(4)2014年以降のウクライナの防衛努力

2014年のロシアによる違法なクリミア「併合」とウクライナ東部紛争の発生を受けて、ウクライナは防衛力強化のため、防衛政策を大きく変化させた。2013年に一度廃止された徴兵制が復活したほか、2014年までに約10万人規模に縮小される計画であった軍の定員が、2015年には総定員約25万人に拡大された。

NATOとの関係では、2014年12月、ウクライナはそれまでの中立政策を破棄し、NATOとの関係深化と加盟追求の姿勢を明らかにした。ウクライナは、NATO標準を目指した国防省及び軍の機構改革を加速し、米国、英国、カナダなどの教育訓練支援のもと、軍の能力強化に取り組んできた。また、2009年に創設が合意されながら実現していなかった、国際平和維持活動への参加を主目的とするリトアニア・ポーランド・ウクライナ旅団の創設が2014年から2016年にかけて実現したほか、また、1996年に開始されたウクライナ・米陸軍共同演習「ラピッド・トライデント」及び1997年に開始されたウクライナ・米海軍共同演習「シー・ブリーズ」をはじめとするNATO諸国との共同演習も引き続き実施され、NATOとの相互運用性の実質的向上に向けた取組が進展した。

2 2021年春以降のウクライナをめぐる情勢
(1)2021年春の軍事的緊張

今般のウクライナ侵略が行われる約1年前の2021年3月から4月にかけて、ロシアは、ウクライナ国境周辺及び違法に「併合」したクリミア半島において、多数の兵力を集結させ、同半島における着上陸・対着上陸対抗演習を含む大規模な演習を実施した。同年3月下旬以降、ロシア国防省は、南部軍管区及び西部軍管区における戦闘準備態勢検閲の実施状況を順次公表し、4月22日に終了を発表するまでの間、地域における軍事的緊張が高まった。また、終了に際しては、同年秋に実施予定の戦略演習「ザーパド2021」への参加を理由として、戦闘準備態勢検閲に参加した中央軍管区部隊の装備が残置され、ウクライナ国境周辺におけるロシア軍の展開準備態勢の強化が図られた。ウクライナ国防省は、集結したロシア軍部隊の規模が2014年から2015年にかけて以来の大規模なものであると指摘し、76個大隊戦術グループ(BTG:Battalion Tactical Group)4、約15万人が集結したとの評価を公表した。タラン・ウクライナ国防相(当時)は、ロシア軍の集結目的に関する各種の分析を述べる中で、クリミアの水源の確保やウクライナ東部の親露分離派勢力の支配地域拡大といった2022年のウクライナ侵略におけるロシア軍の作戦と一部符合するシナリオについて言及している。

(2)2021年夏以降の情勢

その後も、ロシアは、ウクライナ及びその支援国に対する圧力の強化とみられる各種の活動を継続した。2021年6月2日、ウクライナ・米海軍共同演習「シー・ブリーズ2021」の実施に先立って、ロシア国防省は同演習への対抗措置を予告し、その後、クリミア半島を含む黒海沿岸地域における各種の演習及び訓練の実施を公表したほか、同月25日には、在シリア・ロシア軍基地を拠点とした地中海東部における海軍と航空宇宙軍の統合演習の開始を発表した。

同年7月、プーチン大統領は「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」と題する論文を公表し、ウクライナがロシアとは別個の自立した国民国家として存在することを否定する独自の主張を明らかにした。

同年9月には、ウクライナと接するロシア西部軍管区及びベラルーシにおいて、戦略演習「ザーパド2021」が実施された。

ウクライナは、同年6月から7月にかけてウクライナ・米海軍共同演習「シー・ブリーズ2021」、同年7月に初のウクライナ・英陸軍共同演習「コサック・メース」、同年9月にウクライナ・米陸軍共同演習「ラピッド・トライデント2021」を、NATO諸国を主とする多数の参加国とともに実施した。

(3)2021年秋以降の軍事的緊張の再燃

戦略演習「ザーパド2021」の終了から1か月以上が経過した2021年10月末以降、米国や英国の情報当局は、同年春に同演習への参加を名目にウクライナ国境周辺に残置された中央軍管区部隊の装備が帰投しておらず、ロシア軍が2022年初頭にウクライナへ侵攻する可能性があるとの評価を明らかにし、これらを含め、ロシアのウクライナ侵略に関連する情報や分析を積極的に開示したことが指摘されている。また、ウクライナ国境周辺などにおけるロシア軍の増強の動きがその後も継続したことから、米国などの関係国は、外交努力によりロシアに緊張緩和を求めるとともに、武器の供与など、ウクライナへの部隊の派遣以外の手段により、ウクライナを支援する姿勢を示した。

ロシアは、ウクライナへの侵攻の可能性に関する米国などの関係国の指摘を一貫して否定していたものの、2021年12月、ロシア外務省がNATOの不拡大などを含む「安全の保障」に関する米国及びNATOとの条約・協定案を公表し、ウクライナをはじめとする旧ソ連諸国のNATO新規加盟を認めないと主張することで、米国などのNATO加盟国に対し、事実上、旧ソ連諸国をロシアの「勢力圏」として承認するよう要求した。2022年1月以降、ロシアは、これに関連する交渉を米国及びNATOと実施する一方、ロシア海軍の全艦隊が参加する演習や、鉄道輸送などにより極東からベラルーシに展開した東部軍管区部隊を主力とする「同盟の決意2022」演習、戦略核戦力を運用する部隊のほか、「カリブル」や「イスカンデル」といった通常弾頭型の対地ミサイル戦力も参加する戦略抑止力演習を相次いで実施し、地域における軍事的緊張を一層高めるとともに、これらの演習を、ウクライナ周辺への兵力結集の契機として用いた。

同年2月21日、プーチン大統領は、安全保障会議を開催し、ウクライナ東部の分離派勢力「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の承認に関するプーチン政権幹部の賛意を確認した後、「独立」を承認し、両「共和国」の「首長」との間で「友好協力相互支援条約」に署名した。また、同大統領は、両「共和国」から「友好協力相互支援条約」に基づく支援「要請」があったとして、ロシア国防省に対しこれらの「領土」においてロシア軍による平和維持を実施するよう命じ、連邦院(上院)に対し軍の国外派遣への承認を求めた。これにより、ロシアが少なくともウクライナ東部において軍事作戦を行う意思を有していることが明らかになったが、当時、ベラルーシ、ロシア及びクリミア半島には120個BTG、約17~19万人規模のロシア軍が集結しているとされ、ウクライナに対する全面侵攻が可能な状態にあるとみられていた。

ウクライナは、自国国境周辺及びクリミア半島におけるロシア軍の増強を受け、同年1月に予備役を主体とし、常備軍を補完する地域防衛軍(全国25個旅団)の編成を開始したほか、同年2月9日にロシア・ベラルーシ共同演習「同盟の決意」への対抗措置として指揮参謀部演習「ザメチーリ2022」を全土で開始し、ロシア軍の侵攻に備えた。

1 戦術核兵器は1992年5月までにロシアへの搬出が完了。戦略核兵器は、SS-19(130基)及びSS-24(46基)がウクライナ国内に配備されており、1996年6月までにロシアへの搬出が完了した。そのほか、核兵器の運搬手段である戦略爆撃機もウクライナ空軍遠距離航空集団に移管されたのち、すべて用途廃止となった。

2 2011年から2013年にかけ、NRCにおける協力の一環としてNATO・ロシア空軍共同演習「ヴィジラント・スカイズ」を実施。

3 2014年9月のミンスク合意は次の項目からなる。①双方による武器の即時使用停止、②武器の使用停止をOSCEが監視、③ドネツク州及びルハンスク州の特別な地位に関する法律を採択、④ウクライナとロシアの間に安全地帯を設置し、OSCEが監視、⑤全捕虜の即時解放、⑥ドネツク州及びルハンスク州事案に関連する起訴・科刑を禁止、⑦包括的な全国民的対話の継続、⑧ドンバスにおける人道状況改善施策の実施、⑨ドネツク州及びルハンスク州の前倒し選挙の実施、⑩ウクライナ領内の不法武装勢力・戦闘員・傭兵の撤退、⑪ドンバスの経済復興及び社会生活再建の計画立案、⑫本協議参加者の個人の安全を保証。

4 大隊戦術グループ(BTG)は、機動に任ずる1個自動車化狙撃兵(機械化歩兵)大隊(2~4個中隊で構成)を基幹として、1個戦車中隊のほか、本来は上級部隊である師団又は旅団に属する砲兵や多連装ロケットを大幅に増強(3個中隊以上)したロシア軍の諸兵科連合部隊。任務に応じて工兵、防空及び後方支援部隊を追加するなど、柔軟に編成され、600~1,500人規模とされる。BTGは、チェチェン紛争及びジョージア紛争の経験に基づき、軍の即応性や火力支援を高める目的で導入された部隊編成方式であり、2021年8月現在、ロシア軍全体で168個BTGが運用可能とされる。