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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

➒ 南スーダン情勢

1983(昭和58)年から続いたスーダンの第2次内戦は、05(平成17)年、南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)成立により終結した。11(平成23)年7月、南スーダン共和国はスーダン共和国から分離独立し、同日、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された。

しかし、独立後は、ディンカ族出身のキール大統領を中心とする主流派と、ヌエル族出身のマシャール副大統領を中心とする反主流派との間の政治的対立が生起した。

南スーダン指導者間の対話や調停に向けた試みは、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構」(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)の主導で始まり、14(平成26)年1月には、政府とマシャール派との間で敵対行為の停止などに関する合意の署名がなされた。

また、15(平成27)年8月には、暫定政府の設立などを柱とした「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意」が政府とマシャール派などとの間で成立し、16(平成28)年4月には、キール氏を大統領、マシャール氏を第1副大統領とする国民統一暫定政府が設立された。

16(平成28)年7月、キール大統領の警護隊とマシャール第1副大統領の警護隊の間での発砲事案がジュバで発生した。マシャール第1副大統領が国外へ脱出し、キール大統領がマシャール第1副大統領を解任すると、以降、政府とマシャール派の間で再び衝突が生起するようになった。

このような状況に対して、同年8月、国連安保理はジュバ及び周辺地域の安全の維持を目的に地域保護部隊(RPF:Regional Protection Force)を創設し、翌17(平成29)年4月から活動を開始した。さらに、同年12月、18(平成30)年2月及び5月には、IGAD主導でハイレベル再活性化フォ-ラムが開かれ、政府とマシャール派などの間で敵対行為の停止などが合意された。

これらの取組の結果、18(平成30)年6月には、キール大統領、マシャール前第1副大統領らが恒久的停戦などを取り決めた「ハルツーム宣言」に署名した。同年7月に治安取決め、8月には暫定政府の体制に合意し、9月には「再活性化された衝突解決合意」(R-ARCSS:Revitalized Agreement on the Resolution of the Conflict in South Sudan)に正式に署名した。当初、19(令和元)年5月までには新たな暫定政府が設立される予定であった。しかし、設立のための準備が完了せず、19(令和元)年5月、政府とマシャール派などの代表は、暫定政府の発足期間を6か月延長し、同年11月にはさらに100日間延長することで合意した。そして、期限最終日の20(令和2)年2月22日、暫定政府が設立された。

参照図表I-2-9-1(現在展開中の国連平和維持活動)
III部3章5節2項3(国連南スーダン共和国ミッション)

図表I-2-9-1 現在展開中の国連平和維持活動