第I部 わが国を取り巻く安全保障環境
2 パキスタン
1 全般

パキスタンは、約1億8,000万人の人口を有し、インド、イラン、アフガニスタンおよび中国と国境を接する地政学的にも重要な位置を占める南西アジアの主要な国家の一つである。また、アフガニスタンと国境を接するという地理的特性や、過去にはいわゆるカーン・ネットワークが核関連物資や技術の拡散に関与していたことから、国際的なテロとの闘いや大量破壊兵器などの不拡散をめぐる同国の取組にも、国際的な関心が高まっている。
08(平成20)年2月の総選挙で、パキスタン人民党(PPP)が第一党となり、同年3月にギラーニ首相(当時)、同年9月にザルダリ大統領がそれぞれ就任した。政権は発足当初から、米国主導の対テロ戦への協力と国内の反米感情1、武装勢力による報復テロなど国内治安情勢などの悪化によって困難な政権運営を余儀なくされていた。
12(同24)年4月、最高裁判所はザルダリ大統領の訴追問題に関し、ギラーニ首相(当時)に有罪判決を下し、同年6月には、ギラーニ首相(当時)の議員資格を遡及して無効とする判決を下した。これを受け、同月、下院議会において首相選挙が実施され、アシュラフ前通信情報相が新首相に任命された。このように、政権と最高裁判所の対立が先鋭化するなど、内政が混乱する場面もみられる。

2 国防政策

パキスタンは、インドの核に対抗するために自国が核抑止力を保持することは、安全保障と自衛の観点から必要不可欠であるとしている。
パキスタン軍は、陸上戦力として9個軍団約55万人、海上戦力として1個艦隊約50隻約9万4,000トン、航空戦力として12個戦闘航空団などを含む作戦機約480機を有している。
パキスタンは、近年、核弾頭搭載可能な弾道ミサイルおよび巡航ミサイルの開発も積極的に進めている。最近では、巡航ミサイル「バーブル」(ハトフ7)(11(同23)年10月および12(同24)年6月)、弾道ミサイル「シャヒーン1A」(ハトフ4)(12(同24)年4月)、「ガズナビ」(ハトフ3)、「ナスル」(ハトフ9)、巡航ミサイル「ラード」(ハトフ8)(いずれも同年5月)などの試験発射などを相次いで行っていることから、パキスタンは、弾道ミサイルおよび巡航ミサイルの戦力化を着実に進めているとみられる2
(図表I―1―6―1参照)

3 対外関係

(1)インドとの関係
第二次世界大戦後、旧英領インドから分離・独立したインドとパキスタンの間では、カシミールの帰属問題3などを背景として、これまでに三次にわたる大規模な武力紛争が発生した。
カシミールの帰属をめぐる問題は、インド・パキスタン両国の長年にわたる懸念事項であり、両国は、対話の再開と中断を繰り返している。
両国間の対話は、08(同20)年11月のインド・ムンバイでの連続テロを受けて中断していたが、11(同23)年2月に行われた外務次官協議の結果を受けて再開された。その後、11(同23)年7月、カル外相がインドを訪問、クリシュナ外相と会談し、両国間に存在する全ての重要問題を、協議を通じて平和的に解決することの重要性を確認した4。また、同年11月、パキスタンはインドに最恵国待遇付与を決定するなど、関係改善の姿勢を示している。さらに、同月、ギラーニ首相(当時)は、モルディブでシン首相と会談、対話継続を確認したと伝えられているほか、12(同24)年4月には、ザルダリ大統領がインドを訪問して、シン首相と会談し、対話プロセスが進展していることを強調した。

(2)米国との関係
パキスタンは、9.11テロ以降、米国などによるテロに対する取組への協力を表明している5。この協力は国際的に評価され、98(同10)年の核実験を理由に米国などにより科されていた制裁は解除された6。テロに対する取組を背景に、米国との軍事協力関係は、09(同21)年1月のオバマ政権発足後も、強化されてきた。
10(同22)年3月には、クレーシ外相(当時)がワシントンでクリントン米国務長官と初の戦略対話を行った。同対話は、同年7月および10月にも行われ、今後も米国がパキスタン支援を継続し、パキスタンがテロに対する取組を継続することを確認した。しかし同対話は、11(同23)年5月の米軍によるパキスタン領内におけるウサマ・ビン・ラーディン掃討作戦ののち中断している。両国はその後、戦略対話の継続7に合意していたが、同年11月、NATO軍によるパキスタン国境哨所の空爆によってパキスタン軍兵士が死傷する事案が発生し、両国関係は再び緊張している。パキスタンはこの攻撃を、自国の主権の露骨な侵害だとして強く反発し、パキスタン国内のアフガニスタンへの国際治安支援部隊(ISA:FInternational Security Assistance Force)の補給路を封鎖するとともに、NATO軍が対テロ作戦のために使用していたとされる、パキスタン国内の飛行場から米軍を撤退させるなどの措置を行った。

(3)中国との関係
パキスタンは、イスラム諸国との友好・協力関係を重視しつつ、インドとの対抗上、特に中国との間で緊密な関係を維持している。最近では11(同23)年5月、ギラーニ首相(当時)が中国を訪問し胡錦濤(こ・きんとう)国家主席と会談、戦略的パートナーシップを強化することで合意した8。ギラーニ首相(当時)は、同会談においてウサマ・ビン・ラーディン殺害後、中国がパキスタンの独立、主権、領土保全を支持したことに謝意を表明したほか、同年8月には、中国との関係はパキスタンの外交政策の重要な柱と発言した旨伝えられている。さらに、両国は軍事交流の面でも関係を強化しており、11(同23)年3月には、両国空軍としては初めてとなる共同訓練「雄鷹(シャヒーン)―1」を、同年11月には、対テロ共同訓練「友誼2011」9を共にパキスタン国内で行っている。


1)11(平成23)年5月の米軍によるパキスタン領内におけるウサマ・ビン・ラーディン掃討作戦や、NATO軍による同年11月のパキスタン国 境哨所の空爆により国内の反米感情が高まっていると指摘されている。
2)パキスタンが試験発射を行っている弾道ミサイルおよび巡航ミサイルについては、以下のような指摘がなされている。
「バーブル」(ハトフ7):射程約750kmの巡航ミサイル
「シャヒーン1A」(ハトフ4):射程約750km、移動型で1段式固体燃料推進方式の弾道ミサイル「シャヒーン1」の改良型
「ガズナビ」(ハトフ3):射程約290km、移動型で1段式固体燃料推進方式の弾道ミサイル
「ナスル」(ハトフ9):射程約60km、移動型で固体燃料推進方式の弾道ミサイル
「ラード」(ハトフ8):射程約50kmの巡航ミサイル
3)カシミールの帰属については、インドがカシミール藩王のインドへの帰属文書を根拠にインドへの帰属を主張するのに対し、パキスタンは48(昭和23)年の国連決議を根拠に住民投票の実施により決すべきとし、その解決に対する基本的な立場が大きく異なっている。
4)11(平成23)年5月に公表されたインドの「国防年次報告」では、インドはパキスタンとの対話を支持する。しかし、パキスタンはパキスタン領内を策源地としたテロに関するインド側の懸念を払拭するために、有効的な手段を講じなければならないとしている。
5)パキスタンは、米軍の対アフガニスタン作戦に対する後方支援、アフガニスタン国境沿いの地域におけるテロリストなどの掃討作戦を行ったほか、04(平成16)年4月以降はインド洋における海上作戦に艦船を派遣するなど、米国などによるテロとの闘いに協力している。こうした米国への協力を評価し、同年3月、米国はパキスタンを「主要な非NATO同盟国」に指定した。また、11(同23)年3月にパキスタンの主催で行われた第3回多国間海上共同軍事演習「平和(AMAN)11」には、オーストラリア、中国、フランス、ドイツ、日本、ロシア、英国、米国などの海軍が参加している。
6)同じく核実験を理由に米国などによりインドに科されていた制裁も、あわせて解除された。
7)11(平成23)年10月、グロスマン米国アフガニスタン・パキスタン特別代表が、パキスタンを訪問、ザルダリ大統領、ギラーニ首相(当時)、カル外相およびキヤニ陸軍参謀長と会談。会談後の共同記者会見で、対話を継続すると発表した。また、同月21日、クリントン米国務長官がパキスタンを訪問しカル外相と会談、会談後の共同記者会見で、テロは両国にとって脅威であり、我々はタリバーン、ハッカーニ・ネットワークを含む過激主義者を根絶するため協力したいと発表した。
8)ギラーニ首相(当時)は、温家宝(おん・かほう)総理とも会談し、「両国は、たとえ世界情勢がどのように変化したとしても、良き隣人であり友人でありパー トナーであり続けるとの認識で一致した」と発言している。
9)対テロ共同訓練は04(平成16)年8月から、これまで計4回行われている。
 
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