コラム 

<VOICE>松島基地の復旧に尽力した隊員の声
東日本大震災では、航空自衛隊(空自)松島基地も甚大な被害を受けましたが、支援物資輸送の重要拠点としての役割を果たしました。本コラムでは松島基地の復旧に尽力した隊員の声を紹介します。

第4航空団基地業務群施設隊 3等空尉 宮崎 幹己(みやざ きもとき)

発災直後には、津波があらゆるものを飲み込んでいく様子を歯を食いしばって見ているしかなく、悔しい思いで一杯でした。津波が引いた後、滑走路には大量の瓦礫などが堆積していました。滑走路が使えなくては空自の本領が発揮できないので、速やかに復旧するため、スコップや津波の被害を逃れた除雪車で泥を掻き出すのですが、作業がなかなか進みません。我々の頑張りが必ず後世に語り継がれると隊員を鼓舞し、余震が続く極寒の中、夜明けから日が暮れるまで必死に作業を続けました。
通行困難な道路の瓦礫を除去しつつ、入間基地、小松基地および百里基地から中部航空施設隊のブルドーザーなどの重機が次々に到着し、共に作業を行いました。その結果、発災から4日後には滑走路を復旧させることができました。救援物資を満載した輸送機が滑走路に無事着陸し、被災者に向けて救援物資が送り出される様子を見て、達成感を感じるとともに、引き続く作業への意欲が湧いてきました。
施設隊の任務は裏方的なものですが、我々の努力が自衛隊の迅速な被災者支援に繋がったと自負しています。また、どんな困難も乗り越えられる隊員間の絆の深さを感じました。この経験を活かし、更に国民のために貢献していきたいと思います。
 
松島基地の復旧(1)

航空保安管制群移動管制隊長 3等空佐 立石 敦(たていし あつし)
移動管制隊は、空自の各飛行場に設置されている管制塔やレーダーが使用不能となった場合などに、移動式の管制器材を展開させ、応急的に代替させることを任務とする空自唯一の部隊であり、茨城県の百里基地に所在しています。
悪天候下で航空機を運航できるよう、津波の被害で使用不能となった松島基地の管制用レーダーおよびタカン装置(航空機の運航を電波で支援する施設)を代替するため、人員・器材を車両により展開させました。松島基地に到着したのは深夜、折からの降雪で厳しい作業環境でしたが、速やかに管制機能を補完するという気概で、氷点下に近い寒さ、度重なる余震とそれにともなう津波の恐れなどと戦いながら、全隊員一丸となって作業に当たりました。その結果、松島基地に到着後約2日間で作業を完了し、発災から1週間後にあたる作業完了の翌日には、移動式管制器材の運用を開始することができました。
被災地の方々への支援が円滑に行われるような環境をつくるべく、今後とも隊員一同心を一つにして任務を行っていきます。
 
松島基地の復旧(2)
 
松島基地の復旧(3)

 

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