冷戦期においては、日米安保体制は、自由主義陣営としてのわが国の安全の確保とともに、地域の平和と安定に寄与してきた。
冷戦終結後、96(平成8)年には、日米両国首脳による「日米安全保障共同宣言」(「宣言」)を発表した。この中では、冷戦後のアジア太平洋地域の情勢を踏まえて、日米同盟の重要性を再確認するとともに、78(昭和53)年の「日米防衛協力のための指針」
1(「前指針」)の見直し、弾道ミサイル防衛(BMD:Ballistic Missile Defense)に関する研究、沖縄における米軍施設・区域の整理・統合・縮小、アジア太平洋地域における平和と安定の実現といった分野において、両国間の協力関係を前進させることとした。
翌97(平成9)年の「2+2」では、前年の「宣言」で示された協力関係前進の一環として、新たな「指針」が了承された。これにより、平素からならびに日本に対する武力攻撃および周辺事態に際してより効果的かつ信頼性ある日米協力を行うための基盤が整備され、また、平素からの、および緊急事態における日米両国の役割、協力や調整のあり方について、冷戦後の情勢の変化を踏まえた一般的な大枠と方向性が示された。
その後、01(同13)年の9.11テロや大量破壊兵器の拡散など安全保障環境のさらなる変化を踏まえ、日米両国は安全保障に関する協議を強化してきた。この日米協議においては、アジア太平洋地域の平和と安定の強化を含む日米両国間の共通戦略目標の確認(第1段階)、共通戦略目標を達成するための日米の役割・任務・能力の検討(第2段階)、兵力態勢の再編の検討(第3段階)、という三つの段階を経て日米同盟の方向性を整理した。その内容は、07(同19)年5月の「2+2」においても確認され、10(同22)年5月の「2+2」共同発表で補完されている。
(図表III-2-2-2・3参照)
参照
資料36、41〜46