第II部 わが国の防衛政策の基本 

(VOICE)省移行への道のり
大臣官房文書課 企画室先任部員 吉田孝弘(よしだたかひろ)
 
業務中の吉田先任部員

 本年1月9日、防衛庁は省となりました。国内外から多くの祝意と期待が寄せられましたが、その道のりは大変険しいものでした。
 昨年1月、与党での議論の本格化に合わせ、組織と法令を担当する官房文書課に省移行のためのチームができました。しかし、すぐに大きな壁に突き当たりました。防衛施設庁の談合事件とウィニーによる情報漏洩事案です。与党での議論は暗礁に乗り上げ省移行は絶望的となりました。法案見送りとの報道が多数なされました。しかしながら、庁を挙げて集中的に対策が検討され、3月下旬には再発防止策が打ち出されました。
 これを受け、与党での議論が再開されました。省の名称、法案の骨格、なぜ今なのか、など幾日にもわたり、与党内・政府部内で改めて活発な議論が行われました。そして、困難を乗り越えて与党合意が得られ、法案は通常国会の会期末間近の6月9日に国会へ提出されました。全省庁と調整を終えた内閣提出法案との形式でした。与党・政府による、このぎりぎりの意思決定は極めて異例のことであり、小泉政権最後の法案提出となりました。
 しかし、秋の臨時国会では更に大きな壁が待っていました。会期は短く、その中で教育基本法改正案などの重要法案の審議も必要でした。審議は難航に難航を繰り返しました。野党側は審議に応じない場面も多々あり、法案が成立せず廃案になってしまうのでは、と辛く苦しい場面が幾日も続きました。しかし、これも多くの方々の努力により途が開かれ、11月30日、衆議院で法案が可決されました。最終的には9割以上の賛成を得てのものでした。9月26日の開会から約2ヶ月間が過ぎており、閉会まで2週間、本当にぎりぎりのタイミングでした。
 参議院でも、一歩間違えば時間切れアウトという緊迫した状況の中で、厳しい質疑が行われました。しかし、これも乗り切り、臨時国会の閉会間際、12月15日、参議院でも9割以上の賛成を得て法案が成立することとなりました。
 私が属していたチームでは、このような政治的な動きの中で、さまざま業務を行ってきました。シビリアン・コントロールの枠組み、防衛大臣の権限、年度内の法律の施行、防衛施設庁の廃止・統合との関係、他の法律への影響など法案作成に係るさまざま論点は、綿密に整理していきました。一方、Q&Aやパンフレットの作成、地方説明会の方法などは、できるだけ分かり易くと工夫を重ねました。道のりが険しかっただけに、チーム全員で得た達成感も大きいものでした。
 省移行の大きな意義は、安全保障と国防に、より責任と積極性をもって政策を企画立案し、成果を出していくことだと思います。支援して下さった方々の熱意と努力をもって、そして防衛省・自衛隊への期待を込めて成し遂げられた省移行であればこそ、これから、その真価が問われると感じさせられました。

 

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