第1章 国際軍事情勢 

3 イラクをめぐる情勢など

 湾岸戦争の正式な停戦は、イラクが安保理決議第687号1を受諾することにより発効したが、以来10年以上にわたって、イラクは国際社会による様々な働きかけにもかかわらず、関連決議の完全な履行を拒み続けた。これに対し、02(平成14)年11月に採択された安保理決議第1441号は、イラクが、継続的な決議違反を犯していると決定し、決議履行の最後の機会を与えたが、イラクは、国連による査察に対する無条件、無制限の協力に応じることはなかった。このため、米国などは、昨年3月20日イラクにおける軍事作戦を開始した。
 米軍は、精密誘導兵器、無人偵察機などの先進的な兵器と特殊部隊を含む陸上兵力を組み合わせた、圧倒的な情報・スピードを重視した戦術によって、作戦開始以降3週間足らずでイラクの首都バグダッドに到達し、5月1日には、ブッシュ米大統領によって、主要な戦闘の終結が宣言された。こうして、過去20数年にわたりイラクにおいて独裁と抑圧を行ってきたフセイン政権は崩壊し、現在、イラクにおいては、国際社会の協力の下、イラク人による復興への努力が続いている。
 
(1)主要な戦闘終結後の治安情勢
 米国が主要な戦闘の終結を宣言した後も、米軍などに対するテロなどがイラク中部のいわゆるスンニ・トライアングル2を中心に継続し、イラクの治安情勢は全般的に予断を許さない状況が継続している。この背景としては、フセイン政権の残存勢力や国外から流入していると見られるイスラム過激派などが、連合暫定施政当局(CPA:Coalition Provisional Authority)による統治の失敗を内外に印象付けるとともに、イラク国内を混乱させ、イラク人による政府の樹立を含む今後の政治プロセスを妨げる目的で活動を活発化させていることなどがあると見られている。
 特に、昨年8月には、バグダッドにおいて国連本部事務所に対する爆弾テロが発生し、事務総長特別代表セルジオ・デ・メロ氏を含む多数の国連職員などが死亡した。この事件以降、同月のナジャフにおけるシーア派指導者に対する爆弾テロ、同年10月のバグダッドにおける赤十字国際委員会事務所に対する爆弾テロなど、米軍などに対するものにとどまらず、イラクの復興に貢献する国際機関や一般市民などのいわゆるソフトターゲットに対するテロも頻繁に発生し、テロの対象が拡大している。また、同年11月、イスラム教の聖なる月とされるラマダン(断食月)に前後して、バグダッドを始め各地でテロなどが多発し、それまで大規模な事件が発生していなかった南東部においても、ナーシリーヤに駐留しているイタリア軍警察部隊基地に対する大規模な自爆テロが行われ、多数の死傷者が発生するなどした3。航空機に対しても、携帯式地対空ミサイル(MANPADS)の攻撃により、米軍のヘリが撃墜されたり、固定翼機(C-17輸送機など)が被弾したりする事案が発生している4

(2)米軍による掃討作戦の強化
 昨年11月のテロの増加などの治安情勢を受けて、米軍は主要な戦闘終結以降はじめて空爆を行うなど、バグダッドやイラク北部などにおいて掃討作戦を強化した。この結果、同年12月以降襲撃などの件数は減少し、同月13日には、ティクリート近郊で、逃亡中のフセイン元大統領が米軍により拘束された5が、その後も依然としてスンニ・トライアングルを中心に米軍などに対するテロは継続している。
 さらに、本年3月末には、バグダッド西方の都市ファルージャにおいて米民間警備員4名が殺害され、その遺体が損壊された映像が放映されたことなどを受けて、米軍は、ファルージャを包囲し、武装勢力に対する攻勢を強化した。この結果、激しい戦闘が生起し、同年4月中の米兵の死者は100名を超え、武装勢力側にも多数の死傷者が発生した。その後イラク人司令官の下、イラク人活動部隊が米軍と協力しつつファルージャの治安維持にあたることとなり、本年5月末の時点では、事態は一定の安定化を示しているが、引き続き注視する必要がある。また、ほぼ同時期に、シーア派の急進的な指導者であるムクタダ・サドル師が、側近の拘束などを契機として反米活動などを呼びかけたことから、バグダッド、イラク中南部・南東部各地で、サドル師の民兵組織と米軍などの間で衝突が発生した。これ以降、サドル師の支持者はシーア派の聖地ナジャフやカルバラのモスクを占拠するなどし、本年5月末までに、1ヶ月以上にわたり断続的に米軍等との衝突を繰り返した。

(3)南東部ムサンナー県の情勢
 このようにイラクの治安情勢は全般に予断を許さない状況が継続しているが、その脅威の度合いは地域によって異なっている。陸上自衛隊が人道復興支援活動を実施しているイラクの南東部ムサンナー県については、オランダ軍がイラク警察とともに治安維持にあたっているが、イラクの他の地域と比べれば比較的安定しており、同じ南東部のバスラ県などに比べ事件数は少ない状況が継続している。
 しかしながら、ムサンナー県においても、これまでに次のような事案が発生しており、今後も同県においてテロなどが発生する可能性は否定できない。本年4月にはサマーワの陸上自衛隊宿営地付近で迫撃砲によるものと思われる砲撃があり、その後弾着地点などが発見される事案が2回発生し、オランダ軍宿営地に迫撃砲弾が着弾する事案が発生した。さらに5月には、襲撃によりオランダ軍兵士1名が死亡する事案、市内でサドル師支持者と思われる集団とオランダ軍、イラク警察との間の衝突が起きるなど注視すべき状況が継続している。

(4)イラク人による政府の設立に向けた動き
 フセイン政権崩壊後のイラクの統治は、安保理決議第1483号に従って施政を行うCPAを中心に進められてきたが、イラク人による統治権限の回復に向けてのプロセスも進められており、昨年7月には、イラク統治評議会6が発足し、同年9月には各省庁の閣僚が任命された。さらに同年11月に、CPAと統治評議会の間で今後の統治権限移譲プロセスについて合意がなされ、本年3月には「移行期間のための国家施政法」が制定された。これらにおいて、同年6月末までにイラク暫定政府が発足してCPAは解体され、来年1月末までに国民議会選挙が行われた後には、イラク移行政府が発足し、その後憲法制定などを経て、同年末までに恒久憲法に基づくイラク新政府が発足することとされた。このような政治プロセスを推進するため国連の調査チームもイラクで必要な調査を行っているが、本年4月27日、ブラヒミ国連事務総長特別顧問は、イラクの統治権限回復に向けた具体的な構想7を安保理に報告し、安保理はこれを歓迎する旨の議長声明を採択した。これに沿って、本年6月末のイラク暫定政府への統治権限移譲、本年末又は来年1月末までの国民議会選挙の実施など政治プロセスの進展に向けた各般の努力が進められており、本年6月1日には、イラク暫定政府のメンバーが発表され、同月8日には、イラク暫定政府設立の是認、多国籍軍の任務の明確化などを内容とする安保理決議第1546号が全会一致で採択されている。

(5)復興に向けた国際社会の取組
 イラクの復興は、CPAを中心に行われているが、安保理決議第1483号や1511号などを踏まえつつ、各国も二国間の支援や部隊派遣などを通じて復興に協力している8。本年5月末の時点で、イラク国内には約13万8,000名の米軍9と30カ国以上から約2万名以上の部隊などが展開し、治安維持や復興支援に当たっている10。米軍は主としてバグダッドとイラク北部・西部に展開し、イラク中南部にはポーランドを中心とする多国籍師団(中南部)(MND(CS):Multinational Division(Center South))が展開し、ウクライナ、ハンガリーなどがこれに参加している。イラク南東部には、英国を中心とする多国籍師団(南東部)(MND(SE):Multinational Division(South East))が展開し、イタリア、オランダなどがこれに参加しており、陸自が人道復興支援活動を行っているムサンナー県の治安維持はオランダ軍が担任している。また、隣接するディカール県ナーシリーヤには韓国軍部隊が展開し、施設整備、医療活動などを行っている。
 各国は、それぞれの事情に応じて様々な規模、任務によりイラクの復興に向けた活動を継続している。昨年3月の軍事作戦開始以来、1年以上が経過し、派遣予定期間の終了や財政的制約により撤収した国や政策の変更により撤退を決定した国もある一方、多くの国は引き続き、イラクへの部隊派遣の継続を表明している。

 
イラクに部隊を派遣している各国と主な派遣地域


 
1)91(平成3)年4月3日採択。国際的な監視の下、イラクが保有しているとみられる大量破壊兵器、射程150km以上の弾道ミサイルを廃棄することなどを定め、これをイラクが無条件に受け入れることを停戦の条件としている。

 
2)首都バグダッド、西部のラマーディ、北部のティクリート(サダム・フセインの生地)を結ぶ三角形を中心とした地域で、イスラム教スンニ派の住民が多く、旧フセイン政権を支持する者が多いとされている。

 
3)ラマダン期間中にテロが増加した原因としては、夜間外出禁止令が緩和されテロリストが活動しやすくなったことや宗教的感情の高揚などが挙げられる。

 
4)固定翼航空機が携帯式地対空誘導弾により撃墜された事案は発生していない。

 
5)本年5月末現在、旧政権の重要人物として指名手配されていた55名のうち43名が死亡し、または拘束されている。

 
6)イラクの多様性(シーア派イスラム教徒、スンニ派イスラム教徒、クルド人、トルクメン人、キリスト教徒など)を反映した法律家、医師、教師、宗教指導者など25名から構成。

 
7)大統領1名、副大統領2名を置き、暫定政府メンバーは来年1月の選挙に立候補を控えるべきとすることなどを内容としている。

 
8)安保理決議第1500号(2004.8.14)により国連イラク支援ミッション(UNAMI)の設立が決定され、国連も、当初より、イラクの復興に関与し、約400人の職員がイラク国内で活動していたが、バグダッドの国連本部事務所や赤十字国際委員会事務所への爆弾テロなどにより、文民の活動が困難な治安情勢となったため、国連は昨年9月以降、外国人職員のほとんどを国外に退避させている。

 
9)本年1月以降、米軍は現地に展開している部隊の大規模な交代を開始し、同年5月までに約11万5,000人規模とする予定であったが、同年4月、治安状況に対処するため、それまでに交代を完了していなかった約2万人の駐留期間を3ヶ月延長し、13万5,000人〜13万8,000人態勢を当面維持することを発表した。

 
10)昨年10月に採択された安保理決議第1511号により、イラク国内で活動する多国籍部隊に対し、治安の安定などのため必要な全ての手段をとる権限も認められている。


 

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