第5章 国民と防衛 

1 SACO設置以前における整理・統合・縮小への取組

 1972(昭和47)年、沖縄の復帰に伴い、政府は、日米安保条約に基づき、83施設、約278km2を在日米軍施設・区域(専用施設)として提供した。一方、沖縄県に在日米軍施設・区域が集中し、地域の振興開発や計画的発展の制約が生ずるとともに、県民生活に多大の影響が出ているとして、その整理・縮小が強く要望されてきた。
 このような状況を踏まえ、日米両国は、地元の要望の強い事案を中心に、整理・統合・縮小の努力を継続的に行ってきた。72(同47)年の佐藤・ニクソン共同発表における確認事項1を踏まえ、73(同48)年、74(同49)年、76(同51)年の日米安全保障協議委員会(SCC:Security Consultative Committee)において、沖縄県における在日米軍施設・区域の整理統合計画が了承された。また、90(平成2)年、いわゆる23事案については、返還に向けて必要な調整・手続を進めることにつき、日米合同委員会で合意した。一方、県民の強い要望である、いわゆる沖縄3事案2についても、95(同7)年の日米首脳会談での意見の一致により、解決に向けて努力することになった。
 以上のような取組の結果、沖縄復帰時に83施設、約278km2であった在日米軍施設・区域(専用施設)は、本年1月現在、36施設、約234km2となっている。しかしながら、依然、面積にして在日米軍施設・区域(専用施設)の約75%が沖縄県に集中し、県面積の約10%、沖縄本島の約18%を占めている状況となっている。

 
沖縄在日米軍施設・区域(専用施設)の件数及び面積の推移



 
1)「在沖米軍施設・区域、特に人口密集地域及び産業開発と密接な関係にある地域に所在するものが、復帰後できる限り整理縮小されることが必要である」(佐藤総理)こと。「双方に受諾し得る施設・区域の調整を日米安保条約の目的に沿いつつ復帰後行うにあたって、これらの要素は十分に考慮する。」(ニクソン大統領)こと。

 
2)那覇港湾施設の返還、読谷補助飛行場の返還と県道104号線越え実弾射撃訓練の移転。


 

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