第1章 国際軍事情勢 

第3節 アジア太平洋地域の軍事情勢

1 全般情勢

 アジア太平洋地域は、ユーラシア大陸の相当部分からなる大陸部、その一部である半島、わが国のような島嶼(とうしょ)、それらを結ぶ海洋など極めて広範な地理的環境の下に位置している。また、世界の人口の過半を占める巨大な人口を擁し、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など主要な宗教がすべて存在し、それぞれが多数の人口を占めている。多くの民族を有する国が多数あり、それぞれ異なる歴史を背景に、民主主義から軍事独裁、共産主義、王制など多様な政治体制の国々から構成されている。安全保障観も多様であり、近隣諸国よりも国内の反政府勢力をその安全保障上の課題としてとらえる国もあり、脅威認識も国により異なっている。このように、アジア太平洋地域は、欧州地域などとは明らかに異なる多様性と複雑さを有している。

 
アジア太平洋地域における主な兵力の状況(概数)

 この地域においては、対立関係にあった二国間関係の中で、90年代以降、関係が正常化し、又は大幅に改善されたものが多く存在するなど、外交関係にも変化が見られた1。近年では、さらに国家間の相互依存の拡大と深化に伴い、特に経済面を中心として二国及び多国間の連携・協力関係の充実・強化が図られている。自由貿易協定(FTA)の提案などの地域の経済的共生に向けた動きがそれである。
 経済がこの地域の安全保障に与える影響は大きい。この地域の多くの国々においては、これまでの著しい経済成長を背景に、国防費の増額や新装備の導入など軍事力の拡充・近代化が行われてきた。特に、中国は、社会主義市場経済を導入するなど改革・開放政策を推進し、その結果、政治的・経済的にもこの地域の大国として着実に成長し続けており、軍事においても、地域の各国がその動向に注目する存在となっている。他方、1997(平成9)年の金融・通貨危機は、この地域の順調な経済発展を停滞させ、経済上だけでなく政治上の混乱を生じた国も少なくない。経済的には回復基調に戻ってきているものの、経済危機によってもたらされた政治・社会上の不安定から脱却するためガバナンス(統治能力)の向上にいまだ努めている国も存在する。ガバナンスの向上は、軍などの治安維持能力の強化によってのみ図られるものではない。均衡のとれた安定的な経済成長が地域の多様性から本来的に生じやすい「格差」を補う1つの鍵となっている。豊かさの格差の拡大は地域の国家間及び国内の安定にとってマイナスであり、国家間の対立やテロリストの温床などにつながるものとなっている。この問題は、特に東南アジア諸国において重要である。分離・独立運動やイスラム過激派などが不安定要素として存在しているこの地域では、長期化する経済不況とそれにも起因する政府の統治能力の低下によって、昨年10月のインドネシア・バリ島での爆弾テロ事件にみられるように、国際テロ組織の活動が活発化している。
 アジア太平洋地域には領土問題や統一問題といった従来からの問題も残されている。朝鮮半島における軍事的対峙(たいじ)は依然継続している。中国と台湾の問題は、中国側から見れば、「国内問題」であるが、関係国から見れば、この地域の平和と安定を脅かしかねない安全保障問題としてとらえられる。また、インドネシア国内の分離・独立運動、南沙(なんさ)群島の領有権をめぐる対立などの諸問題も存在している。一方、わが国においても、北方領土や竹島の領土問題が依然として未解決のまま存在している。
 さらには、昨年来、北朝鮮による核問題に対して再び国際社会の懸念が高まっている。この問題は、東アジアの安全保障に深刻な影響を及ぼす問題であるのみならず、大量破壊兵器の不拡散の観点から、国際社会全体にとっても重要な問題である。また、北朝鮮については、国際社会との協力のもとに解決されるべき、工作船事案や日本人拉致問題などの懸案も存在している。特に、拉致問題は、わが国の国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすことから、テロともいうべきものである2。この問題については、昨年9月、小泉総理が訪朝し、日朝首脳会談を行った際に3、強く抗議したのに対し、金正日国防委員会委員長は日本人拉致問題や工作船事案を認め、再発防止を約束した。翌10月には、拉致被害者5人が帰国したが、北朝鮮に残っている拉致被害者家族の帰国問題や、安否が確認されていない拉致被害者の問題を含め、今回帰国が実現した5人以外の被害者に関するさらなる情報提供など問題が残っている。
 こうしたアジア太平洋地域は、ユーラシア大陸の中東から北東アジアにかけて広がる「不安定な弧」の一部として軍事的紛争の起こりやすい地域としてとらえられている4。このような戦略環境の下で、米国を中心とする二国間の同盟・友好関係とこれに基づく米軍のプレゼンスがこの地域の平和と安定に引き続き重要な役割を果たしてきているが、米軍の世界的な戦力展開態勢の中で、この地域の米軍のプレゼンスは、他の重要な地域に比べて、その地理的な大きさや安全保障上の不安定性などを考慮すると、必ずしも十分ではないと認識されている5。したがって、テロとの闘いなどを通じて、中央アジア、インド洋、東南アジアなどにおいて米軍は、一時的なものも含め、その多様なプレゼンスを増大させている。
 さらに、近年、この地域においても、国連による活動などがみられる。また、地域内諸国の二国間軍事交流の機会の増加がみられるほか、ASEAN地域フォーラム(ARF:ASEAN Regional Forum)のような地域の安全保障に関する多国間の対話の努力も定着しつつある。ARFは、この地域の信頼醸成を促進する上で、重要な対話の場であり、本年6月の第10回ARF閣僚会合でも北朝鮮の核問題やミャンマー情勢が議論されるなど、メンバー国を当事国とする問題を含めた率直な意見交換が行われるようになってきている。しかしながら、ARFなどの多国間対話の場は、あくまで関係国の対話や協議の場であり、アジア太平洋地域全体の平和と安定に責任を有する強制措置を伴う安全保障機構として確立していないこともあり、ある対立要因が紛争にエスカレートする危険性も存在しているのが現状である。また、地域内の各国とも利害を共有している海賊、麻薬対策への支援やテロ対策といった地域の秩序などの維持も軍隊の新しい役割として重要となってきている。こうした問題にいかに取り組んで行くか、今後の課題となっている6



 
1)1990年代以降、韓国と旧ソ連、韓国と中国の国交樹立、米国とベトナムの関係正常化、長年対立関係にあった中露間の大幅な関係改善などがあげられる。

 
2)小泉総理は、本年6月5日の衆議院本会議で、「北朝鮮による拉致は、国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすことから、普通には、テロと言えると思います。」としている。

 
3)日朝首脳会談後、両首脳は、日朝平壌宣言に署名した。特に、安全保障上の諸問題については、1)朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため関連する全ての国際的合意の遵守、2)核問題・ミサイル問題などに関し関係諸国間の対話の促進、3)北朝鮮によるミサイル発射のモラトリアムの2003(平成15)年以降の延長、4)安全保障にかかわる問題についての日朝間の協議の実施などがうたわれている。

 
4)米国防省「4年毎の国防計画の見直し」(QDR)(2001.10)

 
5)QDR(2001.10)

 
6)本年6月の第10回ARF閣僚会合では、「海賊行為及び海上保安への脅威に対する協力に対する声明」及び「国境管理に関するテロ対策協力声明」が採択されるなど、あらたな取組もみられている。


 

前の項目に戻る     次の項目に進む