第I部 わが国を取り巻く安全保障環境 

2 各国の国防政策

1 シンガポール
シンガポールは、狭隘な国土に国民とその財産が密集し、経済などの面で諸外国との相互依存が進んでいることから、平和と安定を維持するため、外交と抑止を国防の二本柱とし、国家予算のうち国防予算が約4分の1を占める1など、国防に高い優先度を与えている。国防政策としては、東南アジア地域内外の各国軍との対話、信頼醸成、協力の強化と「総力防衛(Total Defense)」2を推進することとしている。また、戦争、テロ、平和維持活動、人道的危機に適切かつ柔軟に対応する必要性に直面していることから、限られた資源で効果的に対応するため「第三世代シンガポール国軍」3への改編を行い、装備の近代化と運用能力の向上に努めている。
装備の近代化については、シンガポールは東南アジアで最も早く早期警戒機や空中給油機、潜水艦救難母艦を導入4するなど、積極的に取り組んでおり、運用能力の向上についても、狭隘な国土による訓練区域の制限を解消すべく、海外へ部隊を駐留させ、継続的に訓練を実施している5
シンガポールは、地域内外の各国と防衛協力協定を締結している6ほか、東南アジア諸国との友好協力関係を基軸とした地域協力に努力している。また、この地域の安定と発展のため、米国のアジア太平洋におけるプレゼンスを支持してきており、90(平成2)年には、両国は了解覚書を締結し、米国がシンガポール国内の軍事施設を利用することを可能とした。これにより、米軍は中東やアフリカの緊急事態にも迅速に対応できるようになっている。米国は、シンガポールを「主要な安全保障協力パートナー」と位置づけており、05(同17)年7月、両国は、「防衛および安全保障分野でのより緊密な協力パートナーシップのための戦略的枠組み協定」を締結し、反テロ、大量破壊兵器の拡散防止、共同軍事演習・訓練、政策対話などの分野における一層の協力強化に合意した。また、11(同23)年6月、ゲイツ米国防長官(当時)は第10回IISSアジア安全保障会議において、シンガポールに米国の沿海域戦闘艦(LCS:Littoral Combat Ship)を配備する方針を表明した。
シンガポールは国際平和協力活動にも積極的に参加しており、小規模ではあるものの、国連平和維持活動のほか、イラク、アフガニスタン、アデン湾などに人員、航空機および艦艇を派遣している7

2 マレーシア
マレーシアは、周囲をASEAN各国に囲まれていることなどから、自らの戦略的利益が周辺諸国のそれと不可分であるとし、ASEANおよびその構成国への脅威は、マレーシアへの脅威とみなすと認識している8
このため、マレーシアは、周辺諸国との二国間関係の強化、ASEANの強化、イスラム諸国との協力、南々協力、内政不干渉原則の維持などを外交政策の基本とし、国防政策については、「自立(Self-Reliance)」、「域内協力(Regional Cooperation)」および「域外からの支援(External Assistance)」を原則としている9。防衛構想としては「抑止」と「総力防衛(Total Defence)」を掲げ、侵略を拒否できる戦略と信頼性の高い軍事力の養成が重要であるとし、軍のみならず全国民の関与が必要であるとしている。
マレーシアは二国間での演習を実施し、米国や豪州、インドなど他国との軍事協力を進めているものの、「5か国防衛取決め(FPDA:Five Power Defence Arrangements)」以外の多国間演習には参加せず、FPDAを中心とした安全保障体制を維持している。
また、インドネシアやフィリピンといった他の東南アジア諸国同様、マレーシアも国連平和維持活動に積極的に参加しており10、アデン湾の海賊対策活動にも部隊を派遣している。

3 インドネシア
今後数年間、国外からの伝統的な軍事的脅威の兆候は見られないものの、近年、国境を越える安全保障上の脅威が増大してきているとの認識に立ち、インドネシアは非軍事的な安全保障上の問題も国防上の問題として扱うとしている11。このため、インドネシアは、全国民が全ての資源を用いてインドネシアの独立、国家主権、領土保全、国家統一を堅持するとの理念のもと、「軍事防衛」と「非軍事防衛」それぞれの活動を通じた「総力防衛(Total Defence)」を推進している。また、軍人による政治・ビジネスへの関与の禁止、軍と警察の分離などの国軍改革も実行中である。
外交政策としては、インドネシアは東南アジア諸国との連携を重視し、基本的理念として独立かつ能動的な外交を展開するとしており、国防政策においても、国家の安全を他国に依存することはないとしている。しかし、米国との防衛・軍事協力はインドネシアの国防力発展に重要であり、インドネシアの国益のみならず、地域の安全保障上の利益にとっても重要である12として、近年、軍事教育訓練や装備品調達の分野で協力関係を強化している。
東ティモールでのインドネシア軍の活動をめぐって、一時的に米国との「国際軍事教育訓練(IMET:International Military Education and Training)」などは停止されていたが13、米国は、05(同17)年にこれを再開し、インドネシアに対する武器輸出の再開も決定した。
09(同21)年1月、インドネシアは、米国との間で海軍特殊部隊による共同演習を行ったほか、10(同22)年6月には、両国間で「防衛分野における協力活動の枠組み協定(Framework Arrangement on Cooperative Activities in the Field of Defense)14を締結した。また、同年7月、ゲイツ米国防長官(当時)がインドネシアを訪問してユドヨノ大統領およびプルノモ国防大臣と会談し、インドネシア陸軍特殊部隊(KOPASSUS)との協力の開始を含む軍事協力の強化で合意した。
インドネシアは、国連平和維持活動への参加が国際社会での地位向上につながると認識し、積極的に要員を派遣している15

4 タイ
タイは、柔軟な全方位外交政策を維持しており、東南アジア諸国との連携や、わが国、米国、中国といった主要国との協調を図っている。タイの国防政策は、・軍の国防能力を向上させ、関連政府機関との調整・統合を行うこと、・近隣諸国、地域社会および国際社会との安全保障協力関係を強化することの2つの要素から成り立っている。その上で、「安全保障協力(Security Cooperation)」、「総合防衛(United Defence)」、「積極防衛(Active Defence)」の3つの柱から成り立つ国防戦略を採用16し、近隣諸国との緊密な協力、国防能力の整備、軍・国防省の改革を進めている。
タイは、大規模侵攻のような伝統的脅威のリスクは減少したものの、国際テロなどの非伝統的脅威のリスクは増加しており、特にタイ南部の分離独立主義武装勢力などによる治安悪化が、今後の国家的な課題であるとしている17。また、タイは隣国であるミャンマーおよびカンボジアとの間で国境未画定問題を抱えており、カンボジアとの間では、これをめぐって時折緊張が高まる場面も見られる18。タイにとっては、同国南部の治安情勢の悪化が現実的な懸念であるものの、国防能力の整備については、東南アジアで唯一の空母を保有19するほか、海・空軍を中心とした近代化が進められている。
安全保障協力の中核となる米国との関係について、タイはアジア・太平洋地域の米軍プレゼンスを、一部の国にとっては安全保障上の懸念であるものの、多くの国にとっては安全保障を担保するものであるとしている20。冷戦期からの協力の積み重ねにより、タイは米国と良好な関係を築いており、50(昭和25)年に軍事援助協定を締結して以降、協力関係を維持し、82(同57)年より合同軍事演習「コブラ・ゴールド」を行っている。同演習は、00(平成12)年以降、多国間演習となり、内容も人道支援活動、災害救援など戦闘目的以外の項目についての訓練も含まれている21
タイは国連平和維持活動を始めとして、これまでイラクやアフガニスタンなどにも部隊を派遣し、国際平和協力活動に積極的に取り組んでいる22。03(同15)年には、米国が主導するテロとの闘いに積極的に参加していることを評価して、米国はタイを「主要な非NATO同盟国(Major Non-NATO Ally)」23に指定している。また、タイは、10(同23)年10月、海賊対処のため、初めてソマリア沖・アデン湾に海軍艦艇2隻を派遣した24

5 ベトナム
ベトナムは、冷戦期においては旧ソ連が最大の支援国であり、02(同14)年までロシアがカムラン湾に海軍基地を保有していたが、旧ソ連の崩壊後、米国と国交を樹立するなど、急速に外交関係を拡大させた。現在、ベトナムは全方位外交を展開し、多国間参加型・多様性尊重といった外交政策を掲げ、全ての国家と友好関係を築くべく、積極的に国際・地域協力に参加するとしている。また、独立戦争の経験から、独立・国家主権・統一・領土保全などは他国から厳に尊重されなければならないと強調し、ベトナムはいかなる軍事同盟にも参加せず、国内において外国が軍事基地を保有することを認めないとしている。国防政策としては、「全人民による国防(all-people national defence)25」を旨とし、社会・経済発展のために平和で安定した環境を維持すること、工業化・近代化を達成すること、社会主義市場経済を建設することが重要な国益であり国防政策の目的であるとしている。
ベトナムは、東南アジア地域について、武力紛争に発展しかねない緊張状態が未解決のまま存在しており、領有権問題は複雑化し、特に南シナ海における主権と国益に関する問題が顕在化しつつあると認識している26。また、ベトナムは、国連と平和維持活動を高く評価しており、テロ対策や、テロとの闘いといった国際協力については、国連の枠組みのもとで、国連憲章と国際法を遵守して行われるべきものであるとしている。
ロシアとは冷戦期から国防分野を中心とした関係が深く、ベトナムはその装備品をほぼロシアに依存している。01(同13)年に、両国は「戦略的パートナーシップに関する宣言」に調印し、国防分野での協力を強化することで合意した。
米国との関係では、05(同17)年6月に「国際軍事教育訓練(IMET)」に関する署名が行われ、両国の軍事協力面において大きな進展が見られた。06(同18)年以降、米国防長官のほか、米太平洋軍司令官など米国防関係者が頻繁にベトナムを訪問し、07(同19)年4月には、米国はベトナムに対する武器禁輸措置を部分的に解除した27。10(同22)年8月、両国の国交正常化15周年を記念して米海軍のミサイル駆逐艦ジョン・マケインがベトナムに寄港したほか、初の次官級防衛対話が実施された。さらに、同年10月には、拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス)への参加のためゲイツ米国防長官(当時)がベトナムを訪問し、タイン国防相と会談している。

6 フィリピン
フィリピンは、国内の反政府武装勢力によるテロ活動を安全保障上の最大の脅威として認識している。また、04(同16)年以来、PDR(:Philippine Defense Reform)と呼ばれる国防改革プログラムに基づき、防衛計画、運用・訓練能力の向上、軍機構改革、軍の近代化などの分野で改革を推進中である。
フィリピンと米国の関係は歴史的にも深く、従来から密接な軍事協力関係が維持されている28。92(同4)年に駐留米軍が撤退29した後も、相互防衛条約および軍事援助条約は維持され、両国間の協力関係は継続している。両国は、即応体制や相互運用性の向上を目的とした大規模な演習である「バリカタン」を00(同12)年以降毎年行っているほか30、「バランスピストン」、「タロンビジョン」などの共同演習を行っている。また、米国は、フィリピンを「主要な非NATO同盟国(Major Non-NATO Ally)」31に指定している。11(同23)年1月には、キャンベル米国務次官補がフィリピンを訪問し、両国の間で初の戦略対話が行われた。また、同年6月に行われた両国の外相会談において、クリントン米国務長官は、南シナ海における最近の事案を踏まえて関係国に自制を求めつつ、フィリピンの防衛へのコミットメントを強調した。


 
1)国防予算が国家予算に占める割合は、00(平成12)年から11(同23)年まで24〜32%台で推移している。また、国防予算はGDPの6%以下とされており、00(同12)年から10(同22)年まで3〜5%台で推移している。

 
2)少ない人的資源と近代戦の性質変化という認識のもと、国防は通常の軍事力のみでは達成できないとの判断に立ち、心理、社会、経済、民事、軍事の五分野にわたって国民を組織化する「総力防衛(Total Defense)」を推進している。

 
3)「第三世代シンガポール国軍」では、統合化・ネットワーク化、全体的な能力向上、技術的な進歩の三点を重視している。

 
4)シンガポールは、87(昭和62)年に早期警戒機E-2C、97(平成9)年に空中給油機KC-135R、08(同20)年に潜水艦救難母艦を導入している。

 
5)米国アイダホ州でF-15SG、アリゾナ州でF-16を常駐させて飛行訓練を行っているほか、フランス、豪州、ニュージーランド、ブルネイなどに部隊を長期間派遣して訓練を行っている。

 
6)03(平成15)年にインド、05(同17)年にドイツ、08(同20)年に中国および豪州、09(同21)年には、ニュージーランド、ベトナムおよび韓国とそれぞれ防衛協力協定を締結している。また、同年12月には、わが国とシンガポールは防衛交流に関する覚書を締結した。

 
7)イラクには03(平成15)年11月から08(同20)年12月にかけて、揚陸艦や輸送機、空中給油機などを合計11回派遣した。アフガニスタンには07(同19)年5月から10(同22)年1月までの間に歯科医官や建設工兵隊などを派遣したほか、10(同22)年8月からは無人機タスク・グループを派遣し偵察任務に当たっている。さらに、09(同21)年4月以降、シンガポール国軍は揚陸艦を中心とした任務部隊を2度にわたりソマリア沖・アデン湾海賊対策に派遣し、11(同23)年4月からは空軍のF-50哨戒機1機を派遣し、CTF-151隷下で活動を行っている。

 
8)マレーシア国防省HPによる。

 
9)マレーシア国防省は「自立」、「域内協力」および「域外からの支援」について、次のように説明している。
・「自立」とは、戦闘部隊のみならず、兵站支援体制や防衛産業も自立できるようにすること。
・「域内協力」とは、ASEAN諸国内での強力な二国間防衛協力を推進すること。
・「域外からの支援」とは、特に脅威のレベルが自らの能力を超えるときに域外からの支援を求めることであり、「5か国防衛取決め(FPDA:Five Power Defence Arrangements)」の枠組みを活用するもの。

 
10)マレーシアは11(平成23)年5月末現在、UNIFIL(国連レバノン暫定隊)に781名、UNMIT(国連東ティモール統合ミッション)に232名など、合計1,098名を国連平和維持活動に派遣している。

 
11)「インドネシア国防白書2008」による。

 
12)「インドネシア国防白書2008」による。

 
13)IMETとは、米国の同盟国および友好国の軍関係者に対し、米国の軍教育機関などへの留学・研修の機会を提供するものである。
インドネシア当局による東ティモール独立運動に対する弾圧への措置として、米国は、92(平成4)年にIMETを停止し、95(同7)年に一部制裁措置を解除したものの、99(同11)年に再び停止していた。

 
14)具体的には、安全保障対話、教育訓練、防衛産業、軍事装備品の調達、海上安全保障、その他合意に基づく分野において、既存の協力活動を統合するものとされる。

 
15)11(平成23)年5月末現在、インドネシアは、UNIFIL(国連レバノン暫定隊)に1,434名、MONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)に192名など、合計1,799名を国連平和維持活動に派遣している。

 
16)「タイの国防2008」によると、「総合防衛」とは、国家防衛のために、軍事、政治、経済、社会心理、科学技術などの国力を軍が統合することであるとされる。また、「積極防衛」とは、軍が独力で抑止力として機能し、紛争解決ができるように、全ての軍事資源を準備、強化、発展、管理することであるとされる。

 
17)「タイの国防2008」による。
タイ南部では、タイからの分離独立を標榜するイスラム系武装集団によるとみられる襲撃、爆弾事件などが続発している。

 
18)プレアビヒア寺院およびその周辺地域などにおいて、11(同23)年2月および同年4月から5月にかけて、タイおよびカンボジア両国軍が衝突し、双方に死傷者が出る事態となった。

 
19)空母「チャクリ・ナルエベット」は、スペインで建造され、97(平成9)年に就役した。満載排水量約11,500トンで、全長約180m、全幅約30mである。捜索救難活動およびEEZでの監視が主な任務とされているが、予算不足のため、通常はほとんど航行していないと指摘されている。

 
20)「タイの国防2008」による。

 
21)11(平成23)年2月の同演習には、タイ、米国、日本、シンガポール、インドネシア、韓国、マレーシアなどが参加し、防衛省・自衛隊からは約60名が参加した。

 
22)11(平成23)年5月末現在、タイは、UNAMID(ダルフール国連・アフリカ連合合同ミッション)に821名、UNMIT(国連東ティモール統合ミッション)に18名など、合計866名を国連平和維持活動に派遣している。

 
23)「主要な非NATO同盟国」とは、米国の「1961年対外支援法」と「1987年ナン修正法」により定められたもので、指定国に対し装備品の譲渡など、軍事面での優遇措置を与えるもの。米国との緊密な軍事協力関係を示す象徴的意味合いも大きい。タイのほかには、オーストラリア、エジプト、イスラエル、日本、韓国、ヨルダン、ニュージーランド、アルゼンチン、バーレーン、フィリピン、クウェート、モロッコ、パキスタンの14か国が指定されている。

 
24)タイ外務省は、09(平成21)年にソマリア沖で海賊に襲撃された同国の商船、漁船が合わせて6隻に上ったことを踏まえ、同海域を航行する同国の艦船および乗員の護衛とともに、国際社会の一員として国際安全保障問題の解決に貢献し責任を果たすためとして、10(同22)年9月から11(同23)年1月まで、海軍艦艇および特殊部隊を派遣した。

 
25)全人民国防とは、ベトナム共産党の指導のもと、国民の団結と政治システムを結合し、国防力を構築するものであるとされる。

 
26)「ベトナムの国防2009」による。

 
27)武器国際取引規則を修正し、ベトナムに対する非殺傷性武器の輸出が、個別の許可・承認の条件のもとで可能になった。

 
28)フィリピンは、憲法で、米比軍事基地協定が91(平成3)年に満了した後は、上院で適正に承認された条約で、さらに議会が要求する場合には国民投票により承認された条約によらない限り、「外国の軍事基地、軍隊、施設はフィリピン国内では認められない」としているが、米国との間では相互防衛条約および軍事援助条約のほか、98(同10)年に「訪問米軍の地位に関する条約」、02(同14)年には「相互補給支援協定」を締結して、米国との密接な軍事関係を維持している。

 
29)47(昭和22)年に締結された米比軍事基地協定が66(同41)年に改定された際、フィリピン国内の米軍基地の駐留期限が91(平成3)年までと設定された。90(同2)年から軍事基地協定をめぐる交渉が開始されたが、交渉は難航し、さらに91(同3)年のピナツボ火山の噴火によりクラーク空軍基地は使用不能になった。同年、両国は米比友好協力安保条約に署名したが、フィリピン上院が同条約の批准を拒否し、代わりの行政協定締結交渉も合意に達しなかったため、同年12月、米国と合意の上、フィリピンは米国の軍事基地協定の事前終了通告を発出した。91(同3)年11月にクラーク空軍基地、92(同4)年11月にスービック海軍基地が返還され、両基地の駐留米軍部隊はグアム、沖縄などに移駐した。その後、両国は98(同10)年に「訪問米軍の地位に関する協定」に調印し、米軍がフィリピン国内で合同軍事演習などを行う際の米軍人の法的地位などを規定した。

 
30)「バリカタン」は91(平成3)年から行われているが、95(同7)年から99(同11)年の間はフィリピンの国内情勢により中断し、00(同12)年に再開された。

 
31)注23を参照。


 

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