資料編 

資料42 第3回IISSアジア安全保障会議における石破長官スピーチ(原文は英語)(2004(平成16)年6月4日防衛参事官代読)



 ご列席の皆様、本日は昨年に続き講演をする機会を得ましたことを光栄に存じます。この機会を設けていただいたことにつき、チップマン所長をはじめとする皆様に御礼申し上げます。
 本日は、冷戦後の国際社会における安全保障環境と9.11後における安全保障環境の変化に対する私の認識を申し述べました後、わが日本国が今後果たそうとしている国際的な役割についての私の考えを申し述べ、わが国の考え方につきご理解を賜りたいと存じます。

1 冷戦後の安全保障環境の認識について
 ベルリンの壁が崩壊し、ソビエトはじめ旧共産圏諸国が次々と解体したとき、世界の人々の多くは「これで冷戦が終わり、世界は平和になる。これからは平和の配当を受ける時代だ」との認識を抱きました。しかしながら一方において冷戦の終結が直ちに情勢の安定化をもたらしたのは欧州においてのみであり、他の地域においては冷戦の終結が平和の到来を意味するものではなかった、ということに着目しなければなりません。
 冷戦はイデオロギーの対立に起因するものでありました。自由主義対共産主義の戦いであり、世界は両陣営に分かれて対立を続けてきました。皮肉にもその両陣営の軍事力が核も含めてバランスしていたことにより、全面的な戦争のない時代でもありました。共産主義はその理念の崇高さにおいて、決して全面的に誤ったものではなかったと私は考えておりますが、しかし人間の本質を見誤ったため、権威主義的・官僚的・非効率的、という弊害を有するに至り、経済自体が崩壊することにより、国家の消滅という事態を招きました。いまや、ごく一部の国が国家運営の必要性から共産主義を維持しているものの、基本的に共産主義対自由主義という対立構造はこの全世界から消滅したものと考えます。
 イデオロギーの異なりによる対立はこのアジアにおいても解消したものと考えますが、国家間の紛争という典型的な国際紛争の要因は、宗教、民族、領土、政治体制、あるいは経済格差などの紛争要因がむしろ冷戦の終結によってさらに顕在化する危険性すら、アジア地域においては発生しています。加えて、全世界的に広がりつつあるテロの脅威は、我々の地域をも脅かしているものであり、アジアにおける安全保障環境はある意味で冷戦下よりも一層複雑なものになったものと私は考えます。

2 テロの本質と民主主義について
 私は、テロの本質は自由と民主主義を否定することにあると考えます。一部に言われるように、テロは貧困から生まれるのではありません。
 すなわち、民主主義の手法によっては自分たちの要求が実現しないため、恐怖を連鎖させることにより現在の体制を崩壊させ、自分たちの思いを遂げる、これがテロリズムの本質であることは現在も過去も変わりません。
 皆様方はご存じかもしれませんが、わが日本においても1995年、首都東京の地下鉄の車内で猛毒であるサリンを散布し、多数の死傷者を発生させた「オウム真理教事件」がありました。実は彼らはその数年前に政党を結成し、国政選挙に教祖をはじめとする多数の信者が立候補し、その主張を訴えましたが、全ての候補者が全く国民の支持を受けず惨敗を喫しました。民主主義においては自分たちの思いを遂げることができないと悟った彼らはテロ行為によって日本の国家体制を変えようと決意したのです。
 このような自由と民主主義を否定する集団から自由と民主主義の体制を守るためには、かかる集団との対話は意味を持ちません。力を含むあらゆる手段を用いて断固として闘う他はありません。テロリストに対する譲歩は彼らの増長をもたらしこそすれ、決して解決にはつながらないことを、ここにおられる皆様はよくご認識のことと存じます。
 一方、民主主義というものは必ずしも最も素晴らしいシステムではないということも認識しなければなりません。歴史が示すように、民主主義には欠点も存在します。しかしそれでも、それらの欠点を注意深く回避していけば、民主主義とは我々が現在望みうるベターな体制であると私は考えるものであります。
 我々がこの地域の平和と安定を築くために、民主主義が極めて重要であると申し上げるのは、民主主義を確固として確立することができれば、テロも、主権国家同士の戦いも、相当程度に回避することができると考えるからです。
 私は、それぞれの地域に相応しい民主主義の多様性を尊重するものでありますが、わが日本国がイラク戦争を支持し、今もイラクに人道復興支援のため自衛隊を派遣している大きな理由が、この民主主義の確立との目的を有するからに他なりません。
 イラク戦争の際、私のもとへ多くの旧東側諸国の大使が訪問され、イラクに自由と民主主義を確立することの必要性は長い間専制独裁政治に苦しめられてきた我々が一番よく知っている、と話していたのが極めて印象的でありました。

3 日本の防衛政策について
 私は防衛庁長官に就任して一年8ヶ月になりますが、その間多くの外国政府要人やマスコミから、日本の防衛政策は変わったのか、これから日本は何をしようとしているのか、そのような質問を多く受けて参りました。
 皆様ご存じのように、わが国は情報の開示による透明性、信頼性の確保に努めており、わが国の防衛予算の規模、保有する兵器やわが国の安全保障政策についてもよくご承知のことと存じます。わが国は、国連憲章第51条によって国家固有の権利として認められている集団的自衛権を行使できない、なぜならばそれは「自衛の最小限度」を超えるからだとの理由からであります。また、わが国は核兵器を保有せず、作らず、持ち込ませず、という非核三原則、さらには兵器を外国に輸出しない、という政策を長年堅持してまいりました。
 現在時点においても政府としてこれらの政策を変更することは考えておりません。一方、国会や国民の間においては、アジア太平洋をはじめとする世界の平和と安定により積極的な役割を果たすとの観点から集団的自衛権を見直すべきではないかといった意見をはじめ、様々な意見が表明され、議論が行われております。
 ここで明確に申し上げておきたいことは、わが国が核を保有することはわが国の国益に反するということであります。それは世界でただ一つ核兵器による大きな被害を受けた、ということのみならず、今後核兵器の世界への拡散、なかんずくテロ国家やテロリストに対する拡散を防ぐために、わが国として現在のNPT体制を堅持することが必要不可欠と考えるからであります。
 先般小泉総理が北朝鮮を再度訪問しました。その際、小泉総理からは、拉致問題の解決を要求するとともに、核問題については、北朝鮮による核開発は絶対に容認できず、国際的検証の下での完全な核廃棄が不可欠であること、及び六者会合での問題解決を追求することを主張し、また、ミサイル問題については、発射のモラトリアムを再確認しました。このように両首脳が率直かつ有意義な議論を行ったことは、一定の成果があったものと考えております。
 集団的自衛権や武器輸出については今後議会や国民の中で多くの議論が交わされることになるでありましょう。政府としての方針に現在変わりがないことは先ほど申し上げたとおりですが、集団的自衛権が行使できないから日本が国際社会における責任を果たせない、という考えには私は賛成いたしません。特にテロと戦争との区別が非常に難しい今日において、軍事力の警察権的な利用、という考えをさらに進めてゆくべきではないかと考えます。
 昨年私はこの場において、オーシャン・ピース・キーピング(OPK)の重要性を指摘いたしました。アジア地域の海洋の安全はわが国にとってもアジア各国にとっても死活的に重要な問題ですが、近年全世界における海賊行為の6割がアジア地域で発生していることに見られるように、この地域の安全は確実に脅かされつつあります。これに対処するために、各国の海軍やコーストガードが、単に二国間の協定にとどまることなく、広く協同して取り締まりを強化することが極めて重要であり、国際連合や関係国においても新たな条約や決議が議論されるべき時になっています。
 わが国は世界において、またこの地域において、応分の責任を果たすために、単なる資金提供国にとどまることなく、積極的に発言し行動して参りたいと願っています。このことが地域の平和と安全のための軍事力の警察的利用の一例になるものと考えます。

4 日米安全保障体制とBMDについて
 この地域をさらに安定させるために、私は日米安全保障体制をこの地域における公共財としてさらに信頼性と実効性を高めていくべきと考えます。複雑化する世界において、また冷戦後さらには新しい脅威の出現とも言うべき9.11後の国際社会において、信頼しうる二国間同盟の重要性はさらに高まるものと考えられます。それは、二国間においてのみの同盟に終わることなく、広く地域における公共財として活用されるべきものであります。
 現在、日本において開かれている国会で、新しく弾道ミサイル防衛システム導入の予算が認められました。いくつかの国からは、これが軍事拡大競争につながるとの懸念も示されていますが、私はそのようには考えておりません。極めて高速であり、目標が非常に小さく、核や生物・化学兵器を搭載すれば大きな破壊力を有する弾道ミサイルに対し、有効に対処する方策は弾道ミサイル防衛システムの他に存在しません。「恐怖の均衡」により戦争のない状態を維持するという考え方と比較をした場合、ただ防衛の目的にしか使用できない迎撃ミサイルシステムを保有し、抑止力を保持する、という構想は、より道徳的なものとして正当に評価されるべきものであります。
 また、本当に弾道ミサイルを迎撃できるかその効果が疑わしい、さらには費用と効果を比較した場合、その費用が莫大であり国民の負担が大きい、などという批判もありました。しかしここ数年の精密誘導兵器の技術の進歩は、戦争のあり方を革命的に変化させつつあります。また、費用と効果を比較するという考え方を唱える人に対し、私は国会において「費用は計算できるが、効果はどのようにして計算するのですか」と問うたことがあります。誰も反論はできませんでした。抑止力という点を取ってみても、また迎撃することによって助かる人命や財産を考えてみても、その効果は数字で表すことのできないほど大きなものだと考えます。

5 新たな防衛構想の策定に向けて
 現在、わが国は本年末を目指して新しい「防衛構想」の策定に向け、作業を行っています。従来わが国は、軍事よりも経済を優先させる、わが国が軍事大国となって周辺諸国に脅威を与えない、という二つの考え方の下、「わが国には特定の脅威は存在しないが、わが国が防衛力を持たないことにより、この地域における力の空白地帯となることによって、かえって不安定を招くことを避けるため、必要最小限の基盤的な防衛力を有するべきである」との構想に基づき、防衛力を整備して参りました。
 しかし、日本が世界におけるGDPの一割強を保有し、従来の核による抑止力という概念が変質しつつある新たな安全保障環境の下で、我が国の防衛力の在り方は、今、ほんとうにこのような考え方でよいのか、との議論も行われています。加えてこの十年間、革命的ともいうべき進歩を遂げた軍事技術に、的確に対応できる構想を実現することも重要です。
 日本政府としては、テロや弾道ミサイルなどの新たな脅威など多様な事態に対してより実効的に対応し、また、我が国を含む国際社会の平和と安定のための活動に積極的に取り組んでいくことが重要と考えています。日本政府内において、そして議会や国民世論において、新たな防衛構想について広く深い議論が行われることを望んでいます。
 因みに、私は、戦前における日本の軍隊は、その政策も予算もシビリアン・コントロールの十分に機能しない状況において決定されていたのに対し、現在のわが国の自衛隊は、国民の財産としてその行動も予算も全て透明性の確保された民主主義の統制下にあることを強調しています。

6 新しい歴史の創造に向けて
 私は、この世の中は決して理想郷ではなく人間の持つ愚かさも容易に改善されるものとは考えておりません。しかし我々は歴史に学ぶ知恵も持っています。自由や民主主義、そして正義が、口で唱えるのみにおいては無力であり、楽観主義が往々にして悲惨な結果を招いたことも歴史の教えるところです。正義は力そのものではありません。しかし力無き正義は同時に無力であります。その正義が、一部の支配者のみの独善によるものではなく、国民に対し、そして世界の人々に対し、正しい情報を発信し、多くの人々の支持を受ける決意の表明となったとき、歴史は間違いなく大きな転換を遂げるものと信じています。
 冷戦後、アメリカの学者フランシス・フクヤマ氏は、「歴史の終わり」という議論を展開しました。イデオロギーの対立が終わった、という意味では一つの時代は確かに終わりました。しかし、「歴史の終わり」は新たな歴史の始まりを意味します。我々はどのような歴史を創るべきなのでしょうか。 
 この二十一世紀を「文明の衝突」や「宗教の衝突」の時代にすべきではありません。各々の相違点を理解しつつ、「何が違うのか」ではなく「何が等しいのか」、それを追求するための努力がなされなくてはなりません。疑心暗鬼や相互不信を取り除くべく、最大の努力がなされるべきであり、避けることのできない戦いが終わった後の関係修復には最も深い配慮が行われるべきであります。

7 終わりに
 1868年の開国以来、130年あまり。この短い期間にわが国は多くの戦争を体験し、半世紀以上前の敗戦から今日の繁栄を築いて参りました。先日東ティモールにおけるPKO活動が終了いたしましたが、現地の人々から多くの賞賛を受けました。テロとの戦いにおいては2年以上にわたり灼熱のインド洋において、各国の艦船に対し補給活動を続けております。イラクのサマーワにおいては、600名弱の陸上自衛官たちが人道復興支援活動を継続しています。
 「我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」これが日本国憲法に掲げられたわが国の精神であり、これを実現することがわが小泉内閣の確固たる信念であります。今後とも本日ご参会の皆様方とともに、地域と世界の平和と安定のために、そして一人一人の人々の幸せの実現のために、わが国はその責任を果たして参りたいと考えます。

 

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