5 東南アジア
(1)全 般
東南アジアは、マラッカ海峡、南シナ海やインドネシア、フィリピンの近海を含み、太平洋とインド洋を結ぶ交通の要衝を占めている。この地域の各国は、政治的安定と着実な経済的発展に努めるとともに、域内外の各国との相互依存関係を深めてきたが、97(平成9)年の通貨・金融危機によって、この地域の順調な経済成長は停滞し、政治上、経済上の混乱が多くの国で発生した。地域の経済は回復基調にあり、多くの国では危機によって生じた混乱が徐々に収拾され、統治能力も向上にむかっている。一方、この地域には、南沙(なんさ)群島などの領有権をめぐる対立や、少数民族問題、分離・独立運動、イスラム過激派などが依然として不安定要素として存在しており、船舶の安全な航行を妨害する海賊行為も発生している。
(2)テロ問題
こうした状況のなかで、米国同時多発テロ以降、この地域における国際テロ組織が問題となっている。02(同14)年10月には、フィリピン・ミンダナオ島やインドネシア・バリ島などで、イスラム過激派
1によると思われる爆弾テロ事件が続発し、多数の死傷者が出ている
2。バリ島の爆弾テロ事件以降、同事件の関係者としてジュマ・イスラミーヤ(JI)の幹部がインドネシアのほかにフィリピン、タイ、カンボジアで次々と逮捕されるなど、東南アジア全体にJIのテロ・ネットワークが存在していることが明らかになってきている。また、昨年8月には、インドネシア・ジャカルタにある米系ホテルで新たな爆弾テロ事件も発生するなど、この地域におけるテロの脅威は依然として続いている
3。テロへの取組については、地域における一層の協力と協調が重要との認識の下、わが国も含めた地域の関係国の間で様々な協議が行われているところである
4。また、関係国のテロ対処能力向上のため、後述のように米軍による協力の事例も見られる。
テロは、この地域における政府の統治能力の問題、民族・宗教上の対立、経済上の混乱による貧困層の存在などに起因するものと考えられ、テロ問題の解決には、こうした根源的な要因を解決することも求められている。
(3)軍事態勢
ASEAN諸国においては、以前から、著しい経済の発展に加え、インフレなどの影響もあって国防費は高い伸びを示しており、旧式装備の更新を主眼とした新型の戦闘機や艦艇の導入などの近代化が進められてきた
5。97(同9)年以降の経済危機により、国防費を削減し、新型装備の導入の見直しや訓練費の削減などを行う国もみられたが、経済の回復傾向に伴い、今後の近代化の動向が注目される。
また、この地域においては、地域諸国間の共同演習
6が行われているほか、米軍との関係強化を図る動きもみられる。99(同11)年にフィリピンと米国との間の「訪問米軍の地位に関する米比協定」が発効したことを受けて、00(同12)年には、両国間の大規模な演習である「バリカタン」が再開され
7、02年には国際テロ組織アブサヤフの掃討を念頭に置いた「バリカタン02-1」が行われた。
タイと米国は、82(昭和57)年より、大規模な二国間演習である「コブラゴールド」を行っている。00(平成12)年より、シンガポールが本演習の一部に参加したことから多国間演習となり、本年5月にも行われている
8。なお、米国は、昨年、フィリピンとタイに対し「主要な非
NATO同盟国」
9の地位を付与している。
シンガポールと米国は、98(同10)年、シンガポール海軍基地への米軍艦艇の寄港を認めることについて合意したほか、00(同12)年4月には、両国間で物品役務相互提供協定(
ACSA:Acquisition and Cross-Servicing Agreement)への署名が行われた。さらに、昨年10月、両国はテロ対策や軍事協力を強化するために国防と安全保障に関する新協定の締結に向けて今後交渉に入ることに合意した。
ベトナムと米国は、95(同7)年に国交を正常化しているが、昨年11月にはファム・バン・チャー国防相による米国訪問、また、同月には米軍艦船によるベトナム寄港が、ともにベトナム戦争後初めて実現するなど軍事交流の進展が見られた。
ベトナムのカムラン湾に所在するロシア軍基地は02(同14)年5月に撤収が完了したが、同年3月、ベトナム国防相はロシアの撤収後もいかなる国にもカムラン湾基地を提供しない旨述べている。
(4)
ASEANの動向
ASEANにとって、99(同11)年のカンボジア正式加盟により設立後30年以上を経て「
ASEAN10」が実現したことは、大きな節目であった。今後、
ASEANが地域の平和・安定強化など各種の分野で協力していくことが期待されており、近年
ASEANを中心とした積極的な動きがみられる。
米国での同時多発テロ以降、
ASEANは首脳会議などで繰り返し「反テロ宣言」を採択し、02(同14)年8月には米国との間で対テロ宣言に調印した。また、
ASEAN外相会議、
ARF閣僚会合、
ASEAN+3(日中韓)外相会議、
ASEAN拡大外相会議など一連の会議においてもテロ問題は引き続き協議されている。昨年6月の
ARF閣僚会合では、「海賊行為及び海上保安への脅威に対する協力に関する声明」と「国境管理に関するテロ対策協力声明」が採択され、同年7月には、マレーシアにテロに関する研究や知識の普及を目的とする「東南アジア反テロ地域センター」も開設された。
また、
ASEANは、域内貿易の関税の完全撤廃などを目指し、経済統合の過程を進めてきたが
10、同年10月の第9回
ASEAN首脳会議において、経済のみならず、政治・安全保障をも含めた共同体の形成を志向した「
ASEAN第二協和宣言」を採択した
11。
同宣言では、「
ASEAN安全保障共同体」を目指すとしており、本年6月の
ASEAN外相会議において、具体的な「行動計画」が提出される予定である。
域外諸国との関係については、
ASEANは各国と良好な関係を維持することを重視し、日本、中国、インド、韓国などとFTA締結を積極的に推進する一方で、
ASEANの基本条約のひとつである「東南アジア友好協力条約」(TAC)への加盟を呼びかけてきた。中国とインドは、昨年10月同条約に加盟し、
ASEANとの間で経済面だけでなく政治・安保面での協力関係も進めている。わが国は、同年12月、「日本・
ASEAN特別首脳会議」を東京で開催し、日・
ASEAN関係の新たな指針となる「東京宣言」と同宣言の具体策を列挙した「行動計画」を採択するとともに、TACを締結する意図を表明した。
一方、
ASEANは、加盟国の拡大により加盟国間の経済格差が拡大するとともに、域内での政治体制の相違も存在している。また、これまで
ASEANにおいて主導的役割を果たしてきた指導者の世代交代や、内政不干渉やコンセンサス方式などの従来の原則の見直しに関する議論など、種々の課題に直面している。今後、
ASEANがこれらの課題の解決を模索しつつ、いかに「共同体」実現への歩みを進めて行くのか注目される。
(5)南沙群島
南沙群島は、南シナ海の中央に位置し、約100の小島と岩礁からなる。この群島の周辺は、油田、天然ガスなどの海底資源の存在が有望視されるほか、豊富な漁業資源に恵まれ、また、海上交通の要衝でもある。この群島に対しては、現在、中国、台湾とベトナムが全部の、フィリピン、マレーシアとブルネイがその一部の領有権を主張している。この群島をめぐり、88(昭和63)年には、中国とベトナムの海軍が武力衝突し一時緊張が高まったが、その後、大きな武力衝突は生起していない。しかし、中国に対しては、92(平成4)年の領海法制定、95(同7)年のミスチーフ礁における建造物構築やその後の同建造物拡充などに関して、各国が反発している。
また、99(同11)年には、マレーシアが新たな建造物を構築しているとして、フィリピンが抗議を行うなど、
ASEAN諸国内での立場の違いも存在すると考えられる。
この問題に関しては、当初、中国は、二国間交渉を主張してきたが、その後、関係国全体として平和的な解決を目指す動きも見られるに至った。
ARF閣僚会合の議長声明においても、この問題の平和的解決を図る各国の努力を歓迎する旨、毎年言及されているほか、
ASEAN諸国は、新たな礁の占拠禁止などを内容とする「南シナ海の地域行動規範」草案を取りまとめた
12。一方、02(同14)年11月、
ASEANと中国の首脳会議で、領有権問題の平和的解決へ向けた「南シナ海における関係国の行動宣言」
13が署名された。昨年10月の中国のTAC
14への加盟は、南シナ海の領有権問題の対話による平和的解決を可能にするものとして期待されているが、南沙群島をはじめとする南シナ海では、依然として各国の利害が対立していることから
15、引き続き関係国の動向や問題解決に向けた協議の行方が注目される。
(6)インドネシア
ASEANの中心的存在であるインドネシアは、世界第4位の人口を持つ大国であり、その政治・経済の動向は
ASEAN域内のみならず、アジア太平洋地域の安全保障に大きな影響を与える存在である
16。また、わが国にとっても重要な海上交通路に近接する国として、地政学上も重要な存在である。
01(同13)年7月のメガワティ大統領の就任以降、米国政府は、東ティモールでの人権侵害を理由に99(同11)年から停止されていたインドネシア軍との軍事交流の再開に前向きな姿勢を示すなど、同国との関係改善に努めている。昨年10月にはブッシュ大統領がインドネシアを訪問したほか、本年2月には、米太平洋軍司令官がインドネシアを訪問し、両国の軍事協力の強化について話し合った。
インドネシアは国内に民族上の対立などを抱えており、スハルト政権の崩壊後、これらの問題も顕在化してきている。現在、ナングル・アチェ・ダルサラム州(旧アチェ特別州)などで分離・独立を求める動きがみられる
17。
ナングル・アチェ・ダルサラム州については、26年間にわたってインドネシア政府と独立派武装組織「自由アチェ運動(GAM)」の間で衝突が続いてきた。この間、対話も行われ、02(同14)年12月には、両者は和平協定に調印したものの、その後も相互不信は根強く、昨年5月に東京で行われた和平協議
18が決裂したことから、和平プロセスは破綻した。これを受けて、メガワティ大統領はナングル・アチェ・ダルサラム州に軍事非常事態を宣言し、インドネシア国軍は、GAM制圧のための軍事作戦を行っている
19。
昨年3月に発刊された「国防戦略白書」においては、最近の分離・独立運動やテロなどの脅威
20を踏まえれば、こうした面で果たすべき国軍の役割は現在でも引き続き重要であると指摘されている
21。
2)特に、バリ島の爆弾テロ事件では、日本人2人、オーストラリア人88人を含む24の国々から200人以上の死者を出すなど、同時多発テロ以降、最悪の事態となった。
5)マレーシアのMiG-29とF/A-18戦闘機の導入、ベトナムのSu-27戦闘機の導入、タイの中国製フリゲートとスペイン製軽空母の導入、シンガポールのスウェーデン製潜水艦の導入などの動きがみられてきた。また、昨年は、ロシア製戦闘機などの導入による空軍力強化が図られ、同年4月にはインドネシアがSu-27、Su-30などの、同年5月にマレーシアが、同年12月にはベトナムがSu-30の契約を行っている。
6)5か国防衛取極に参加しているマレーシア、シンガポール、英国、オーストラリア、ニュージーランドによる共同演習のほか、東南アジア・大洋州間の共同演習も行われている。
7)「バリカタン」は95(同7)年以降中止されていたが、00年に再開した。「バリカタン02-1」は、02(同14)年1月から7月の間、ミンダナオ島やバシラン島などで米軍約660名、フィリピン軍約3,800名が参加して行われ、本演習期間中、フィリピン軍によるアブサヤフ掃討作戦が行われた。なお、過去のバリカタン同様、本演習では、米軍は直接戦闘行為に参加しないものとされた。アブサヤフは、ウサマ・ビンラディンや国際テロ組織アルカイダとも関係があると言われるイスラム過激派で、フィリピン南部で誘拐や爆弾テロを行っている。また、本年は、「バリカタン2004」が、フィリピン国軍の全般的なテロ対処能力の向上を目的として、同年2月末から3月上旬にかけて、フィリピン西部にあり南シナ海に面するパラワン島と同国北部にあり台湾との間に位置するバタン島で行われた。
9)「主要な非NATO同盟国(MNNA)」とは、米国の「1961年対外支援法」と「1987年ナン修正法」により定められたもので、指定国に対し装備品の譲渡など、軍事面での優遇措置を与えるもの。米国との緊密な軍事協力関係を示す象徴的意味合いも大きい。
10)ASEANは、これまで、域内貿易の関税を完全撤廃するASEAN自由貿易地域(AFTA)構想を推進してきたが、昨年6月のASEAN外相会議では、さらに「ASEAN経済共同体」(AEC)構想の推進が表明されるなど、経済統合の一層の深化を目指している。なお、AECでは、AFTAのすすめる域内貿易の関税の撤廃に加え、域内経済統合の次の段階として、域内の資本や労働市場など幅広い分野での完全自由化を目指すとしている。
11)ASEAN第二協和宣言では、ASEANは「政治・安全保障」「経済」「社会・文化」の三分野での協力を柱とする「ASEAN共同体」の実現を目指すこととしている。
12)「南シナ海の地域行動規範」草案は、99(平成11)年のASEAN・中国事務レベル協議において提案され、作業部会において協議が継続されているが、細部について意見の隔たりが大きく策定に至っていない。
13)「南シナ海における関係国の行動宣言」には、南シナ海における問題を解決する際のおおまかな原則について明記されているが、政治宣言であり、法的拘束力はないことから、より具体的な行動を定め、かつ法的拘束力を有する「南シナ海の地域行動規範」策定に努力する旨も明記されている。
14)TACは第4章で、紛争の平和的解決をうたっており、締約国間の紛争については、武力による脅威や武力の行使を慎み、常に締約国間で友好的交渉を通じて紛争の解決に当たることとしている。
16)本年4月、インドネシアでは総選挙が行なわれ、旧スハルト体制を支えたゴルカル党が得票率微減ながらも議席を伸ばして第1党に復帰し、メガワティ大統領が党首を務める闘争民主党は得票率を大幅に減らし、第2党に後退した。7月に予定される大統領選挙の行方が注目される。
17)パプア州(旧イリアンジャヤ州)などの地方で分離・独立を求める動きがみられている。パプア州では、00(同12)年6月、住民組織がパプアの国家主権の確認などを盛り込んだ決議を採択した。さらに、01(同13)年11月の同州の独立運動指導者の不審死について住民は真相究明を要求している。パプア州西部は昨年2月、インドネシア政府により西イリアンジャヤ州として分割された。しかし、パプア州の更なる分割(中パプア州設置)をめぐっては分割に反対する地元住民と賛成派住民の間で衝突が発生したこともあり、この分割は一時凍結されている。
19)当初6ヶ月の予定であった軍事非常事態宣言は、昨年11月、さらに6ヶ月の延長が決定された。本年5月、軍事非常事態宣言は文民非常事態宣言へと引き下げられた。
21)00(平成12)年4月、ワヒド大統領(当時)は、国家警察を国軍から分離することを決定し、国内治安における国軍の関与が低下したが、メガワティ大統領は、インドネシアの統一維持を政権課題としているため、国軍を重視する傾向が強いとの指摘がある。