第1章 国際軍事情勢 

軍事的対峙の継続

(1)中東
 中東においては、48(昭和23)年のイスラエル建国以降、イスラエルとパレスチナ人・アラブ諸国間で4次にわたる中東戦争が行われたが、イスラエルは、79(同54)年にエジプトと、94(平成6)年にはヨルダンと平和条約を締結した。
 イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO:Palestine Liberation Organization)との間では、93(同5)年に相互承認を行って以来、様々な合意が結ばれ、ガザ地区、ヨルダン川西岸から段階的にイスラエル軍が撤退し、パレスチナ自治区が拡大していった。また、両者は、聖地エルサレムの帰属をはじめ、難民、国境線、入植地の取扱などイスラエル・パレスチナ間の和平の最終的地位に関する交渉に取組んできたが、00(同12)年9月にシャロン・リクード党首(現首相)がエルサレムの「神殿の丘」2を訪問したことを契機に、イスラエル・パレスチナ間に衝突が発生した。事態収拾に向けた米国など国際社会の取組にもかかわらず、両者の衝突は激化し、一方で、パレスチナ過激派などによる自爆テロや銃の乱射、イスラエル政府要人の暗殺など3、一方で、イスラエル軍による自治区への侵攻や空爆、パレスチナ過激派幹部の狙い撃ちなど4、暴力の悪循環に陥った。
 01(同13)年3月に発足したシャロン内閣は、02(同14)年3月以降、2回にわたり、ラマッラで、アラファト議長府を攻撃・包囲し、同議長を監禁するなど5、パレスチナ自治政府に対し強硬姿勢で臨んでいる。一方、パレスチナ自治政府においては、昨年9月にアッバス首相(当時)が辞任し、同年11月にクレイ内閣が正式発足したが、依然として過激派によるテロが続いている。本年3月のテルアビブ南方のアシドッド港における10人の死者を出す自爆テロとこれに対するイスラエル軍の報復攻撃、イスラム過激派ハマスの最高指導者ヤシン師とランティシ氏の相次ぐ殺害など、暴力の悪循環は続いている6
 昨年4月、米国などから05(同17)年までのパレスチナ国家樹立を目指すことなどを含めた包括的和平への道程(ロードマップ)案が示され、同年5月末までに双方が一応の受け入れを表明したが7、同年12月にシャロン首相がパレスチナとの境界を一方的に画定する方針を表明し、ヨルダン川西岸に分離壁の建設を進めていることなどから8、ロードマップが実際に履行されていくかは不透明である9
 シリア、レバノンとイスラエルとの間では、いまだに平和条約が締結されていない。イスラエルとシリアの間にはゴラン高原からの撤退をめぐりその範囲や水資源問題などについて立場の相違があり、99(同11)年12月に再開された交渉も00(同12)年1月に中断し、その後、ハーフェズ・アサド前大統領の死去やイスラエル・パレスチナ間の衝突もあり、交渉は再開されていない。レバノンについては、同年5月、イスラエルは南レバノンから軍を撤退したが、依然としてヒズボラ10とイスラエル軍の間に武力衝突が散発している。

(2)インド・パキスタン
 第二次世界大戦後、インドとパキスタンは、旧英領インドから分離・独立したが11、両国の間では、カシミールの帰属問題などを背景として、これまでに3次にわたる大規模な武力紛争が発生した12
 47(昭和22)年、カシミールをめぐり、両国の軍隊が同地域で衝突し、大規模な武力紛争に発展した(第1次紛争(〜49(同24)年))。その後、第2次(65(同40)年)、第3次(71(同46)年)の紛争を経て、72(同47)年、現在の管理ライン(LOC:Line of Control)が画定した13
 カシミールの領有をめぐる問題は今日もなお続いており、インド・パキスタン両国の対立の原点ともいうべき懸案事項となっている。
 両国の対立関係は、核や弾道ミサイルの開発といった分野にも及んでいる。両国は、核不拡散条約(NPT)に加入せず、包括的核実験禁止条約(CTBT:Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty)にも署名しておらず14、以前から核兵器開発の動きが伝えられていたが、98(平成10)年、相次いで核実験を行い、わが国を含む国際社会の批判を浴びた15
 また、両国は、近年、核弾頭搭載可能な弾道ミサイルの開発も積極的に進めている。インドは昨年9月、中距離弾道ミサイル「アグニ2」が陸軍に引き渡され、実戦配備されることを公表した。一方、パキスタンは昨年1月、中距離弾道ミサイル「ガウリ」(ハトフ5)を部隊に配備しており、本年3月には中距離弾道ミサイル「シャヒーン2」(ハトフ6)の発射実験を初めて行った。
 両国の間では、対話の再開と中断が繰り返されてきたが、01(同13)年12月、インド国会議事堂が武装グループの襲撃を受けたことを契機に、両国はカシミールのLOC沿いや両国国境へ兵力を集結させたほか、対抗措置を相互に科すなど、両国間で緊張が急激に高まった16
 その後、パキスタン政府はイスラム過激派に対する取締りを強化するなどの措置を採り17、両国間の緊張はやや緩和したが、02(同14)年5月、カシミールのインド軍駐屯地が武装グループの襲撃を受けた18ことをきっかけに情勢が再び緊迫した。インド政府は、本事件はイスラム過激派の犯行であり、パキスタンが関与していると非難した。事件後、インド・パキスタン両国は警戒態勢を強化するなどさらなる兵力の増強を進めた。
 特に、両国とも核保有を表明していることなどから、軍事的衝突を懸念するわが国を含む関係各国によって、軍事行動の回避を含む緊張の緩和と対話の再開などを求める外交努力が集中的に行われた。同年6月には、米国による仲介努力が行われ、事態の緩和につながる動き19がみられ、両国間の軍事的緊張はやや緩和された20。一方で、政治的・外交的な対立関係は継続し、昨年1月に行われる予定であった第12回南アジア地域協力連合(SAARC:South Asian Association for Regional Cooperation)首脳会議の議長国であるパキスタンは、インドなどからの参加通知がないことを理由に会議を延期した。
 その後、同年4月、インドのバジパイ首相(当時)がカシミールを訪問した際に行った演説の中で、両国関係の改善に向けて前向きな発言を行い、これを契機に両国は大使の交換、両国間のバス、鉄道、航空路などの交通の再開を行うなど、両国の関係正常化に向けた進展が見られた。また、両国首脳による対話は、01(同13)年7月ムシャラフ大統領のインド訪問以降途絶えたままであったが、本年1月には昨年から延期されていた第12回南アジア地域協力連合首脳会議がパキスタンのイスラマバードで開催され、同会議に参加していたインドのバジパイ首相(当時)とパキスタンのムシャラフ大統領の間で約2年半振りとなる直接首脳会談が実現した。両国は関係正常化に向けてカシミール問題を含む包括的対話を継続することで合意し、同年2月には両国間で包括的対話が開始された21。これまで、カシミール問題に関する両国の主張には大きな隔たりがあり、同問題の解決は難しいとみられてきたが、今後、包括的対話が継続され、両国間の信頼醸成が進む中で将来的にカシミール問題の解決を図ることが可能かどうか、注目されている。

(3)朝鮮半島
 朝鮮半島においては、現在、韓国と北朝鮮を合わせて150万人程度の地上軍が非武装地帯(DMZ:Demilitarized Zone)を挟んで厳しく対峙している。このような軍事的対峙の状況は、朝鮮戦争(50(昭和25)年〜53(同28)年)停戦以降、現在においても続いている22



 
2)エルサレム旧市街にあるユダヤ教の神殿跡地で、ムハンマド昇天の地としてイスラム教の聖地でもある。

 
3)01(平成13)年12月、アラファト議長は、国際社会の圧力を受け、武装闘争の禁止を宣言したが、しばらくすると自爆テロなどが再び活発化した。

 
4)イスラエル軍は、戦車、戦闘機、武装ヘリコプターなどを投入している。

 
5)昨年9月、イスラエルは、アラファト議長を和平の障害として排除する方針を閣議決定した。

 
6)本年5月、ガザ地区のザイトゥーン地区とラファハ市において、イスラエル軍とパレスチナ人の間で衝突が生じ、その結果、双方に多くの死傷者が出ている。

 
7)昨年6月、ブッシュ米大統領、シャロン・イスラエル首相、アッバス・パレスチナ自治政府首相(当時)により、和平への道程の具体化へ向けての三者会談が行われた。

 
8)シャロン首相は、ガザ地区の全入植地やヨルダン川西岸の一部入植地を段階的に撤去する計画案を閣議に提出している。

 
9)本年4月、シャロン首相と会談したブッシュ米大統領は、ヨルダン川西岸の一部入植地の存続を事実上容認し、パレスチナ難民の帰還権を否定するとみられる表明を行い、パレスチナ側は強く反発した。

 
10)レバノンのイスラム教シーア派組織。

 
11)独立をめぐって、統一インドを主張するグループ(国民会議派)とパキスタンの独立を主張するグループ(ムスリム連盟)が対立していた。

 
12)カシミールの帰属については、インドがカシミール藩王のインドへの帰属文書を根拠にインドへの帰属を主張するのに対し、パキスタンは48(昭和23)年の国連決議を根拠に住民投票の実施により決すべきとし、その解決に対する基本的な立場が大きく異なっている。

 
13)両国軍隊による大規模な紛争のほか、99(平成11)年5月、インド側カシミールへ侵入したイスラム武装勢力とインド軍との間で武力衝突が発生した(カルギル紛争)。ただし、インド側は、武装勢力の侵入にはパキスタンが関与したとしている。

 
14)インドとパキスタンは、CTBT署名に関しては国内コンセンサスの構築に努めるとしている。

 
15)両国は核実験後、インドが近隣諸国の核をめぐる環境に対する懸念を表明する一方、パキスタンはインドの脅威を実施の理由とした。

 
16)インド政府は、国会襲撃事件はイスラム過激派の犯行であるとして、パキスタン政府にこれらの組織の活動停止や取締りを求めたほか、逃亡犯罪人の引渡しや越境テロの停止などを要求した。

 
17)パキスタンは、イスラム過激派の活動停止や過激派約2,000人を逮捕するなどの措置を採った。

 
18)この襲撃で女性と子供を含む34人が死亡した。

 
19)パキスタンはLOC越えの侵入停止の恒久化を米側に約束した。これに対し、インドは、国会襲撃事件後パキスタンに科していた同国航空機のインド領空通過禁止措置の解除を決定し、また、パキスタン沖に展開していたインド軍艦艇の引揚げを行った。

 
20)パキスタンにおける総選挙とジャム・カシミール州議会選挙を経て、02(平成14)年10月、インド・パキスタン両国は国境沿いに増強していた部隊を撤収することを決定した。

 
21)本年4月から5月にかけてインドでは下院総選挙が行われ、バジパイ首相(当時)率いるインド人民党を中心とした国民民主連合は敗北した。5月末、第一党となった国民会議派を中心とする新連立政権が発足したが、パキスタンとの関係について、引き続き包括的対話を進めるとしている。

 
22)本章3節2参照。


 

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