刊行によせて

 
大臣写真
 2001年から2003年にかけての3年間は、後世において「あのときを境に世界は変わった」といわれる歴史の転換点として記録されるに相違ない。

 第二次世界大戦後、長らく続いた冷戦時代は、結果として我が国近代史上にかつて例のない長期の「平和」(戦争のない状態、との意味で)をもたらすこととなった。東西陣営、就中(なかんずく)米ソの軍事力の均衡の下に、それ自体は道徳的に推奨すべきものではないにしても、相互確証破壊の理論に基づく「戦争のない時代」が継続したのであった。ソビエト連邦は、アメリカ合衆国のレーガン政権のSDI構想に対抗しうる装備を保有するに足る経済力を有することができず、ペレストロイカ、グラスノスチという急激な改革を行おうとしたこととも相俟(あいま)って崩壊し、西側陣営はイデオロギーの勝利だけでなく経済力・軍事力による勝利を収め、冷戦は終結したのである。
 一部の人々は「これで平和が到来した。これからは兵器の配当に代えて、平和の配当が享受できる」と期待した。しかし、軍事力の均衡の下に保たれていた「戦争のない状態」は、その崩壊とともに潜在化していた対立の要因を一気に顕在化させることとなった。すなわち、宗教、民族、政治体制、経済格差、領土問題等々の紛争の要因が、具体的な形となって出現するに至ったのであった。ポスト冷戦期は決して平和の配当を意味しないことにようやく世界が気づき始めた冷戦後10年を経て、2001年9月11日の同時多発テロが発生し、世界はポスト冷戦からポスト9.11へと世界史的な激変の中に突入した。それまでアメリカ合衆国は他国に勝る軍事力を保有していれば決して自国本土が攻撃されることはない、との抑止理論を信奉し、自国の安全保障と世界戦略とを構築してきた。それが一瞬にして崩れ去ったということの意味を、我々は強く認識すべきなのである。

 このような非対称的な脅威の存在と大量破壊兵器、そしてその運搬手段である弾道ミサイルの拡散がこの背景にあることは論を待たない。自らの死をも恐れない、国家ではないテロリスト集団や、国民の幸福を最優先の政治課題としない一部専制独裁国家の存在は、従来の抑止理論を根底から覆しかねないものである。平和を希求し、相互理解に努め、国連などを通じた国際的な平和構築の枠組みを形成するための努力は、引き続き最大限行わなければならないが、同時に「今、そこにある危機」にいかに対処するかは国の独立と国民の生命・財産を守る任にある者として当然の責務である。

 アメリカ合衆国はこの考え方に基づいて、国連決議のもとでテロに対する闘いを挑み、また度重なる国連決議に違背したサダム・フセインに攻撃を加えた。我が国は、自国の国益の確保と国際的責務の履行という主体的な判断に基づいてテロ対策特措法を成立させ、対テロ作戦を行っている各国に後方支援を実施しており、また、本年の第156回通常国会においてイラク人道復興支援特措法を成立させ、イラク再建のための国際社会の取組により積極的に寄与することとなった。
 他方、有事関連三法案が国会において9割という圧倒的多数の賛成を得て成立し、防衛庁内においては「防衛力のあり方」と「統合運用のあり方」につき精力的に議論を重ねている。これらはすべて国家として新しい時代に適切に対応すべき体制を構築するためのものである。

 今まで安全保障について正面から語ることは一種のタブーとされてきたし、またタブー視を可能にするような国際環境も存在していた。しかし「平和」を唱えているだけではそれは決して到来しない、という極めて当然のことに、今や多くの国民が気づいているに至っていると私は考える。
 今、政治がなすべきことは、国民に対する真摯な働きかけである。専守防衛構想に基づく我が国独自の防衛努力と日米安保体制を基軸とする我が国の安全保障構想を国民に明確に提示するとともに、それを可能にする法制度、予算、装備についても、我々は国民に対して説明責任を有している。

 我が国は先の大戦において筆舌に尽くしがたい惨禍を体験し、敗戦・占領という極めて厳しい状況の中から今日の人類史上稀にみる平和と繁栄を獲得した。しかし、歴史は常に過去の延長にあるのであり、先の大戦の教訓は、確かな形で生かされねばならない。なぜ民間人が多数犠牲になったのか、そのことに対する答えが今後整備すべき国民保護法制であり、また、世界の軍事の流れをかつて読み誤ったことに対する反省が「あり方検討」に生かされねばならない。
 この日本において、本来の意味における民主主義的文民統制を確立することが、先の大戦の教訓を生かすことである。主権者である国民と、それを代表する議員が構成する政治とが、正確な知識に基づいて的確な判断をしなくてはならないのである。それがこの国に真の平和をもたらす唯一の方策であり、「事に臨んでは危険を顧みず、身を挺して国民の負託に応える」旨宣誓している自衛隊という集団の信頼に応える途である。本書はこのような考え方に基づき執筆を心がけたつもりである。もちろん今なお完全なものではなく、今後とも日本国民、さらにはこれを読まれる各国の皆様のご叱正を賜りたいが、日本の安全保障体制がさらに前進し、世界と日本の平和に寄与することを願ってやまない。

 

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