10月7日午後9時(現地時間)ごろ、米軍はイギリス軍とともに、トマホーク巡航ミサイルや空母艦載機、爆撃機により、タリバーンとアル・カーイダに対する空爆を開始した(注1−43)。軍事作戦の目的は、アル・カーイダとこれを支援するタリバーンを排除し、アフガニスタンをテロの温床や基地としないこと、また、アフガニスタン国民に対する人道援助活動のための環境を整備する(注1−44)ことである。
米軍は、タリバーンの防空施設、指揮・通信施設、空港、駐屯地、武器弾薬庫、アル・カーイダのテロリスト訓練施設などを空爆した。特に当初はタリバーンの防空能力の排除に重点を置いた。空爆には、「バンカー・バスター」(注1−45)や「クラスター爆弾」(注1−46)といった爆弾も使用された。
米軍は、緒戦から数日で制空権をほぼ確保し、15日ごろからは、空爆の重点を固定目標から地上部隊や車両などの移動目標に移行した。19日夜には、特殊部隊を投入して初の地上作戦を行った。
10月下旬になると、米軍は北部のマザリシャリフや首都カブールの北方でタリバーンと対峙(たいじ)していた北部同盟に対する支援を強化した。タリバーンの前線部隊を重点的に空爆するとともに、北部同盟に武器・弾薬、食糧などを供与し、特殊部隊を派遣した。特殊部隊は、北部同盟の補給、訓練、戦術などを支援したほか、空爆目標に関する情報を航空機に伝達し、航空支援の要請に当たった。11月に入り、米軍の空爆は、破壊力の大きい「デージー・カッター」(注1−47)を使用するなど、激しさを増し、地上の特殊部隊との連携により、空爆の効果も著しく向上した。米軍は、タリバーンの指揮・通信や補給を寸断し、その軍事力を着実に弱体化させていった。
このような米軍の支援を受けた北部同盟は、11月9日、マザリシャリフの制圧に成功したのを皮切りに、北部から北西部、中部、西部へと諸州の制圧を進め、13日には首都カブールを制圧した(注1−48)。
カブール陥落後、東部や南部で地元パシュトゥン人の反タリバーン勢力が蜂起し、タリバーンは次々と撤退した。米軍は、本拠地カンダハルに展開するタリバーン部隊、東部のトラボラ地区などの洞窟・トンネルを重点的に空爆した。特殊部隊が南部にも本格的に展開し、地元の反タリバーン勢力(注1−49)を支援した。11月25日には海兵隊がカンダハル周辺に展開を開始した。このような米軍のタリバーンに対する圧力の強化、地元の反タリバーン勢力の前進を受け、12月7日、タリバーンはカンダハルを明け渡すに至った。さらに、12月半ば過ぎには、アル・カーイダの砦(とりで)となっていたトラボラ地区も制圧された(注1−50)。
こうしてタリバーンによるアフガニスタン支配は終わり、国民は抑圧的体制から解放されることとなった。アル・カーイダもアフガニスタン国内での活動が困難となりつつある。
しかし、ビン・ラーデン、オマルなどのアル・カーイダ/タリバーンの幹部はまだ捕まっていない。アフガニスタンやその周辺地域にはアル・カーイダ/タリバーンの残存勢力が残っている。彼らは、再結集し、米軍や移行政権などを攻撃する可能性があるなど、依然として危険な存在であり、米軍は引き続きその追跡・掃討(そうとう)を進めている(注1−51)。また、米軍は、アル・カーイダ/タリバーンのメンバーの拘束・尋問(注1−52)などにより、今後のテロを阻止するための情報収集を行っている。本年3月には、特殊部隊などを投入し、東部のパクティア州でアル・カーイダ/タリバーン兵の大規模な掃討(そうとう)作戦(注1−53)を行った。米国は、アル・カーイダ/タリバーンによる脅威を排除するまで、アフガニスタンでの作戦を継続する(注1−54)としている。
数多くの国が、部隊の派遣、領空通過や基地使用の容認などにより、米軍を支援している(注1−55)(わが国による協力については、3章1節参照)。
イギリスは、10月7日と13日の2回、潜水艦からトマホークを発射したほか、9日以降、空中給油機、早期警戒管制機(AWACS: Airborne Warning and Control System)、偵察機が米軍の作戦を支援した。イギリス、カナダ、オーストラリアなどはアフガニスタン国内に地上部隊(特殊部隊など)を派遣した(注1−56) (注1−57)。
また、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、カナダ、オーストラリアなどがアラビア海などに艦艇を派遣し(注1−58)、護衛、補給、哨戒(しょうかい)、テロリストの海路での逃走の阻止などに当たった(注1−59)。
アフガニスタンの周辺国では、パキスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスなどが米軍に領空通過や基地使用を認めた。
各国は、アル・カーイダ/タリバーンによる脅威を排除するため、米軍に対するこのような協力を継続している。