タリバーンとオサマ・ビン・ラーデン

(1) タリバーン

 アフガニスタンにおいては、89(同元)年のソ連軍の撤退、92(同4)年のナジブラ共産主義政権の崩壊の後、ムジャヒディーン(注1−34)各派による政権が成立したが、間もなく民族(注1−35)を異にする各派間の主導権争いから群雄割拠の内戦となり、国は乱れた。

 内戦が続く中、94(同6)年ごろ、ムラー・ムハンマド・オマルによって、イスラムに基づく統治の実現を目指すパシュトゥン人中心の武装勢力「タリバーン」(注1−36)が設立された。パキスタンなどの支援を受けたタリバーンは、当初は内戦と腐敗を嫌った民衆の支持を得て急速に勢力を拡大し、96(同8)年、首都カブールを制圧した。反タリバーンの各派は「北部同盟」(注1−37)を結成して対抗したが、タリバーンは、昨年9月の時点で、北東部などを除く国土の大半(約9割)を支配していた。

 タリバーンはアフガニスタンに秩序の回復をもたらしたが、抑圧的な体制により国民の人権を侵害した。国民は貧困と飢餓に苦しんだ。また、次のように、アフガニスタンを国際テロの温床、基地とした。

(2) オサマ・ビン・ラーデンとアル・カーイダ

 アフガニスタンでの対ソ戦に義勇兵として参加した経歴を持つサウディ・アラビア出身のオサマ・ビン・ラーデンは、湾岸戦争時とその後の米軍のサウディ・アラビア駐留をイスラム聖地の占領として反発し、米国に対する批判を激化していった(注1−38)。96(同8)年にアフガニスタンに戻り、それ以来、タリバーンの庇護(ひご)を受けた。

 彼が率いる国際テロ組織「アル・カーイダ」(注1−39)はアフガニスタンを本拠地とし、テロリスト訓練キャンプを運営した。世界各地のテロリストが同国内で訓練を受け、各地に散らばって行った。オサマ・ビン・ラーデンは様々なテロ組織に資金援助した。アル・カーイダは世界60か国以上にネットワークを有する(注1−40)とも言われ、アフガニスタンは国際テロの温床、基地となった。

 98(同10)年8月のケニア、タンザニアにおける米国大使館の爆破テロ(注1−41)、00(同12)年10月のイエメンのアデン港における米駆逐艦コールに対する自爆テロ(注1−42)はアル・カーイダが関与したものとされている。