2 国際連合などによる国際社会の安定化のための努力

 国連は、第二次大戦末期、当時の連合国を中心として戦後の国際の平和と安全の維持のために設立された。国連が国際的な平和維持機構として本来の機能を発揮するためには、特に安全保障理事会(安保理)を中心に、加盟各国の協力が必要であるが、国連設立後、東西対立が激化したこともあり、国連憲章に規定された平和維持の制度は必ずしも十分に機能しなかった。
 冷戦の終結により、東西対立の時代に比して、主要国間の協調が図られるようになり、安保理がより有効に機能し得るようになった。このため、地域紛争が発生する危険性が増大している状況の中で国連が国際の平和と安全を維持する役割を発揮することが期待されたところである。
 しかしながら、国連の平和維持活動については、能力的な限界が認識されつつあるほか、複雑な背景を有する地域紛争について、主要国の利害関係や思惑が錯綜している場合には、対応策について必ずしも合意が形成されない例が見られるなど、国連が十分にその機能を発揮するためには未だ多くの課題があることも同時に明らかとなってきている。

(1) 国連平和維持活動

(資料4参照)

ア 最近の国連平和維持活動

 国連平和維持活動は、伝統的には、停戦の合意が成立した後に、停戦監視などを中心として、紛争の再発を防止することを主たる目的として行われてきた。その結果、紛争当事者間で停戦合意が成立していること、紛争当事者の受け入れ同意があること、中立性を保つこと、自衛の場合を除いては武器を使用しないことなどの原則が慣行として確立していた。
 冷戦の終結により、地域紛争の処理や予防に関して、安保理を中心とする国連の役割に対する期待が高まると、国連による平和維持活動の任務は、武装解除の監視、選挙の実施や行政の監視、難民帰還、人道救援活動の支援、復興・復旧援助など、幅広い分野にわたるようになり、活動の規模も拡大した。
 さらに、必ずしも停戦合意が成立していない段階においても、国連憲章第7章の下で、武装解除などに関し強制措置を執り得るとされる活動や、紛争を未然に防止する目的を持った活動も実施されるようになった。
 しかしながら、強制措置の実施などが容認された第2次国連ソマリア活動(UNOSOM II)は、所期の目的を達成することなく1995年3月に完全撤収し、同年12月には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(ボスニア)に展開していた国連保護隊(UNPROFOR)が、その任務をNATO主体の多国籍軍であるIFORに引き継いだ。
 このように、冷戦終結直後、質的・量的に変化してきた国連平和維持活動は、停戦監視などの伝統的な活動内容に回帰しつつあり、ガリ事務総長(当時)も95年1月に安保理に提出した「平和のための課題−追補」の中で、極めて小規模の場合を除き、現段階では、国連には強制行動を行う能力がないことを認めた。
 また、同事務総長は、96年、ブルンディにおける「多国籍待機軍」を、国連憲章第7章の下で創設することを提唱し、安保理も、96年11月には隣接するザイール(現コンゴー民主共和国)情勢の悪化を受けて、東部ザイール地域に対して難民救済のために武力行使を容認された多国籍軍派遣を採択している。
 こうした結果、量的には、一時期7万人以上展開していた国連平和維持活動の要員も、UNPROFORなどの活動が95年に終了して以来減少し、昨年末には約1万4,000人となっている。
(第1-2図参照)

国連平和維持活動が行われている地域(1999.4.30)


イ 国連要員の安全確保

 国連平和維持活動における国連要員の犠牲者数は、強制措置を伴うUNOSOM IIやUNPROFORなどの活動が最盛期であった93年をピークに減少している。しかしながら、昨年までの犠牲者は1,500人を越え、国連平和維持活動などに携わる要員の早急な安全確保が望まれている。なお、国連タジキスタン監視団(UNMOT)では、昨年7月、日本人1名を含む4名が犠牲となった。
 94年12月、総会で採択された「国際連合要員及び関連要員の安全に関する条約」は、各締約国に対し、国連要員などに対する殺人、攻撃、誘拐などの行為を犯罪とすること、一定の場合に当該犯罪についての裁判権を設定すること、一定の場合に当該犯罪の容疑者を容疑者の引渡しを求めた国に引き渡すことなどを義務付けるものである。昨年12月には、この条約の発効に必要な22か国が締結し、本年1月に発効している。