第3章

自衛隊−変化への対応

 冷戦の終結は国際社会の枠組みに大きな変化を与える歴史的な出来事であった。

 現在、世界は冷戦後の新たな国際秩序を模索している。冷戦の間懸念されていた世界的規模の戦争が発生する可能性は遠のいたが、その一方でこれまで東西対立の下で抑え込まれてきた各種の対立が表面化あるいは尖鋭化しており、絶えざる努力なしには世界の平和と安定が得られないのが現実である。

 このような歴史的な変化の下で、わが国の安全保障の在り方、とりわけ防衛力の位置付けや今後の在り方が問われている。今後の防衛力のあるべき姿については、現在の中期切においで、計画の期間中(平成7年度まで)に結論を得ることとされており、現在政府は精力的に検討作業を進めている。

 本章では冷戦の終結を一つの契機として、防衛庁・自衛隊がその取り巻く環境をどう評価し、環境の変化にどう対応してきたか、また今後どう対応していこうとしているのかを説明する。

 その際、今後の在り方を考える際の資とするために、また、平成6年(1994年)が防衛庁・自衛隊の創設40年目に当たることもあり、現在の防衛庁・自衛隊がどのような環境、条件を背景に整備されてきたかを説明する。

第1節 自衛隊を取り巻く環境と今後の防衛力

1 自衛隊40年の変遷

(1) 自衛隊発足まで

 1945年(昭和20年)8月の第2次世界大戦の終結に伴い、わが国は連合国の占領下に置かれ、武装解除を始めとする体制の根本的な変革が進められた。

 一方世界では、同年10月に、戦後の安全保障を扱う枠組みとして国連が創設された。

 連合国のうち、米国は、第2次世界大戦の終結後、大規模な動員解除を行い軍事力を急速に縮小したが、ソ連は強大な軍事力を維持し、その軍事力を背景として東欧諸国などへの勢力の浸透を図った。これに対し、米国及び西欧などの自由主義諸国は強い危機感を抱き、各国の平和と独立を守り、同時に地域的な安定の確保に寄与することなどを目的として、米国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)(1949年/昭和24年に設立)などを結成した。ソ連は、このような西側の動きに対抗して、自己の勢力圏の結束を図り、ワルシャワ条約機構(WPO)(1955年/昭和30年に設立)などを結成した。

 こうして、政治・経済体制及びイデオロギーを根本的に異にする米国及びソ連を中心とする東西両陣営の政治・軍事的対峠という枠組みが形成され、国際情勢はその枠組みを中心に展開することとなり、国連の安全保障理事会を中核とする集団安全保障体制は十分な機能を発揮することはできなくなった。

 東西対立の流れの中で、アジアでは1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発した。極東の情勢がとみに緊張の度を加える中、わが国では、在日米軍の主力が朝鮮半島に展開したため国内の治安維持に不安を生ずるに至り、1950年(昭和25年)に治安維持を任務とする警察予備隊が創設された。

 1951年(昭和26年)には、対日講和条約と日米安全保障条約が調印され、翌年、わが国は主権を回復し、自由主義諸国の一員としての歩みを始めた。1952年(昭和27年)には海上保安庁に海上警備隊が設置されたが、陸海の警備力の一体化を図るために、同年に警察予備隊と海上警備隊を統合して保安庁が設置された。

 さらに、わが国の国力の着実な回復、東西両陣営の対立の激化、駐留米軍の漸減が進む中、戦後のわが国の防衛の在り方について種々の議論が重ねられた末、1954年(昭和29年)には防衛庁・自衛隊が設置され、ここに「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛すること」を主たる任務とする自衛隊が発足した。(第1回観閲式

(2) 防衛体制の基盤作り

 1950年代の国際情勢は、政治、経済、軍事すべての面で他の諸国を圧倒していた米ソ2大超大国の競争と対立を軸に推移していた。

 わが国は、1957年(昭和32年)にはその後の防衛政策の基本となる「国防の基本方針」を決定し、米ソを中心とする東西対峠の下、自国の防衛力の漸進的な整備と自由と民主主義という基本的な価値、理念を共有する米国との同盟体制を基本に国の安全を図ることを明確にした。

 同方針の下で、わが国は数次にわたる防衛力整備計画を策定し、防衛体制の基盤の整備に努めた。

 第1次防衛力整備計画(1次防)(昭和33年〜35年/1958〜60)は、急速に撤退しつつあった米国の在日地上軍の縮小に伴い、わが国の陸上防衛力を整備するとともに、海上及び航空防衛力についても一応の体制を造り上げること、すなわち骨幹防衛力を整備することを主眼として策定された。

 2次防(昭和37年〜41年/1962〜66)では、初めて防衛力整備の目標とする事態を通常兵器による局地戦以下の侵略に対処することと定め、これに対して有効に対処し得る防衛力を持つことが防衛力整備の目的であることを明確にした。同計画は、このための防衛体制の基盤を確立するため、骨幹防衛力の内容充実を図ることなどを主眼として策定された。

 3次防(昭和42年〜46年/1967〜71)は、通常兵器による局地戦以下の侵略事態に対し、最も有効に対応し得る効率的なものを目標とすることとし、この目標を漸進的に達成するため、計画時点の防衛力を基盤として、内外の諸条件を勘案しつつ、各自衛隊の内容の充実、強化を図ることなどを主眼として策定された。

 また、日米安保条約については、1951年(昭和26年)に署名された旧条約が、米軍の日本における駐留権に重点を置いたものであったため、わが国の実情に一層よく合うよう、わが国は条約の改定を提議し、1960年(昭和35年)、新たに現在の条約が締結された。

(3) 国際情勢の変化

 1960年代に入り、国際情勢の流れに2つの変化が見られた。

 1つは、東西間で対立が続く一方で、特に1962年(昭和37年)のキューバ危機を契機に、米ソ間で決定的な対立や破局への発展を回避するための対話・協調の努力が始められた。それは1963年(昭和38年)の部分的核実験停止条約締結、1972年(昭和47年)の第1次戦略兵器制限交渉(SALT)合意といった形で結実した。

 2つには、米ソ両陣営それぞれの内部で多極化傾向が進んだ。1966年(昭和41年)にフランスはNATO軍事機構から脱退し独自の軍事政策を推進した。NATOも米国ヘ一方的に依存する体制から米国と西欧諸国との協力を軸とする体制へと変化した。米国は、経済力の相対的低下もあり、自国の負担を減らすために同盟諸国に防衛努力を求めるようになった。東側では、中ソ対立が表面化、激化する一方、東欧で見られた自由化の動きは、1968年(昭和43年)のソ連等のチェコへの軍事介入により封じ込められた。

 このような国際情勢の流れの変化が明確になった時期に、4次防(昭和47年〜51年/1972〜76)が、3次防の考え方を継承して策定された。しかし、この4次防は、いわゆる第1次石油危機などを契機とする経済・財政事情の変動により、計画された主要装備の調達が遅れたこともあり、1975年(昭和50年)には、戦車、艦艇、航空機などの削減を内容とする計画の変更を行った。

(4) 防衛計画の大綱(資料24参照)の策定

 1970年代前半、米ソ間の対話が進展し、いわゆるデタントにより東西関係は安定的に推移した。わが国周辺地域では、中ソ対立の継続、1972年(昭和47年)の米中共同声明以降の米中関係改善のすう勢を背景に3極構造が見られるに至った。

 このような状況の下で、わが国の防衛力についても、特定の差し迫った脅威に対抗するのではない新たな考え方が求められた。

 そこで、第2章第3節で述べた「国際情勢の認識」を踏まえるとともに、人員の確保や用地の取得といった問題、経済財政事情等の国内的諸条件などを考慮の上、1976年(昭和51年)に「防衛計画の大綱」が策定され、今日までの防衛力整備の考え方の基本となってきた。

(5) 日米安全保障体制の信頼性の向上と大綱水準の達成

 1970年代前半のデタント期において米国が国防努力を抑制していた間にも、ソ連は一貫して軍事力を増強し続けた。同時にソ連は、米国の対外政策の間隙を突く形で東南アジア、アフリカなどの地域に進出を図り、その政治的影響力を拡大してきた。

 特に、1979年(昭和54年)のソ連によるアフガニスタン侵攻は西側諸国に大きな衝撃を与え、米国の力の相対的な低下が続く中、1981年(昭和56年)に誕生したレーガン政権は抑止と安定の強化を目指して軍事力の充実に努める一方、同盟諸国にも着実な防衛努力を求めた。

 このような情勢の流れの中で、わが国は2つの面での努力を進めた。

 1つは、わが国防衛の要である日米安保体制の信頼性の向上を図ることである。1978年(昭和53年)に「日米防衛協力のための指針」(資料23参照)を作成し、防衛協力をより実効あるものとするための各種研究作業を開始した。また、在日米軍の駐留をより円滑にするための施策として駐留経費の負担を開始した。

 2つには、わが国自衛のための防衛力の整備に努めることは、わが国の安全をより一層確実なものとするだけでなく、日米安保体制の信頼性の向上にもつながり、結果的に東西両陣営の軍事バランス面で自由主義諸国の安全保障の維持に貢献するとの考えに立ち、大綱に定める水準を速やかに達成する努力を続けた。その努力の結果、大綱に定める水準は、1985年(昭和60年)に策定された中期防衛力整備計画でおおむね達成された。

(6) 国際情勢の基調の変化/ソ連の解体

 西側が着実な防衛努力を続ける中、ソ連は、1985年(昭和60年)に誕生したゴルバチョフ政権の下で、国内改革(ペレストロイカ等)を推進する一方、西側との協調路線をとるに至った。その結果、東西間の軍備管理・軍縮が軌道に乗るとともに、ソ連の第三世界地域への影響力拡大に歯止めがかかった。

 その後、東欧諸国の民主化が進展し、1989年(平成元年)には、ベルリンの壁が崩壊し、マルタの米ソ首脳会談では「冷戦終結」宣言が出された。さらに、1991年(平成3年)には、ワルシャワ条約機構(WPO)が解体し、ソ連自体も解体した。ここに米ソ2大超大国が直接間接に世界の安全保障に大きな影響力を行使してきた冷戦時代は名実ともに終わりを告げた。

 現在わが国は、国際情勢の流れも踏まえつつ、大綱に定める防衛力の水準の維持に配意して1990年(平成2年)に策定された中期防衛力整備計画(平成3年度〜平成7年度)に従い、防衛力の整備を行っている。

 1992年(平成4年)12月には、中期防策定後の内外諸情勢の変化を踏まえ、より緩やかな形で防衛力整備を進めることとして中期防を修正した。さらに、国際情勢の変化、将来における人的資源の制約の増大等に的確に対応するため、今後の防衛力の在り方について同計画の期間中に結論を得るべく精力的に作業を進めている。

 また、わが国は、冷戦終結後の新たな国際環境の下で、国際社会の平和と安定の維持・回復に貢献する努力も行ってきている。湾岸危機では避難民の輸送に協力する態勢をとるとともに、正式停戦後はペルシャ湾において掃海作業を実施した。また、カンボディア、モザンビークにおける国連の平和維持活動にも参加・協力してきている。(マルタの米ソ首脳会議)(第3−1表 防衛力整備の推移

2 自衛隊を取り巻く環境

 防衛庁としては、わが国そして自衛隊を取り巻く内外環境の変化に対応して、新たな防衛力の在り方について検討作業を進めていることから、ここで最近の国際環境、軍事技術の動向、国内的諸条件について整理してみる。

(1) 国際環境

ア 全般情勢

 第1章でも述べたとおり、冷戦終結により世界的規模の戦争の可能性は遠のき、これを受けて米露の核戦力や欧州の厳しい対峠を前提としていた通常戦力について軍備管理・軍縮の動きが進展している。

 他方、これまで東西対立の下で抑え込まれてきた世界各地の宗教上や民族上の問題に起因する種々の対立が表面化し、紛争に発展する危険性が高まっている。

 また、大量破壊兵器や高性能兵器の移転・拡散により、地域レベルの軍事力のバランスが短期間に変化する危険性も高まっている。

 国連は、安全保障理事会に東西対立がそのまま反映されていた冷戦期に比べれば、各国の関係が協調的となっており、その安全保障面での役割への期待が高まっている。しかし、国連の機能も紛争を抑止するという性格のものではなく、また平和維持活動も一定の条件が揃っていなければ十分な成果を期待できないのが現実である。

 わが国周辺地域についていえば、伝統的に各国の国益や安全保障観が多様で地域的一体性に乏しいことなどから複雑な軍事情勢となっており、冷戦終結後も朝鮮半島や南沙群島、わが国の北方領土など未解決の諸問題が残されている。(頻発する地域紛争

イ 軍事力の位置付け

 米ソという2つの軍事大国が核戦力を中核とする膨大な軍事力をもって対立してきた構造が崩壊したことにより、世界的規模の戦争が発生する可能性は低下した。

 しかし、それは新たな国際社会において、平和と安定の維持のために軍事力が不要になったことを意味するものではない。東西対立に起因する地域紛争はなくなったが、地域紛争の原因となり得る民族、宗教、領土などの諸問題はかえって顕在化、複雑化している。各種の問題を抱えた現在の国際社会において、軍事力をその政策遂行の手段として用いる可能性がある国家が存在するのは厳然たる事実である。

 その意味で、冷戦後にあっても、侵略を未然に防止し、万一侵略を受けた場合にこれを排除するという軍事力の機能は、依然として他のいかなる手段によっても代替し得ないものであり、軍事力は国の安全保障を最終的に担保するものである。

 冷戦後の国際社会においては、国連の機能強化、軍備管理・軍縮などの努力がなされているが、いまだ確立した枠組みが存在せず、各国が、その置かれた国際的、国内的な条件を踏まえて、それぞれ自らの安全保障の道を求めていく傾向にある。また、その際、各国が、その保有する軍事力の透明性を高めるなどして、周辺諸国との信頼関係をより高めていく努力を行うことが特に重要となっている。

ウ 日米安全保障体制

 東西対立の下で西側の安全保障体制の一角を形成してきた日米安保体制は、新たな国際環境の下でもわが国への侵略の未然防止に寄与しており、同時に、東アジアの安定を維持する重要な要因であり続けている。さらに、自由と民主主義という価値を共有すると同時に、政治的にも経済的にも国際社会で重要な役割を担っている日米両国が緊密な紐帯(ちゅうたい)で結ばれていることは、東アジアのみならず世界の安定と繁栄に資するものである。

(2) 軍事技術の動向

 近年、エレクトロニクス技術や材料技術などの発展により、通常兵器の精密誘導技術、目標探知技術、指揮・通信技術などの格段の性能向上が図られた。特に、先の湾岸危機は近代兵器の威力を実証すると同時に、技術水準の差が軍事作戦の帰すうを決定付けることを如実に示した。その意味で、今後とも質の高い技術水準を維持することは、抑止力を高める観点からも非常に重要であり、各国とも冷戦終結後も技術水準の維持・向上に意を注いでいる。

 また、最近の技術動向の特徴としては、これまで別個に進展する傾向にあった軍事技術と民間技術が極めて接近しつつあり、軍、民両用に使える汎用技術の範囲が拡大していることが挙げられる。こうした状況を受け、各国では軍事技術の民需への転換や軍事技術における民間技術の使用の拡大を推進する動きが見られる。

(3) 国内的諸条件

ア 募集対象人口

 18歳以上27歳末満という2士男子の募集対象人口は、平成6年の約900万人をピークに、平成7年度以降においては、急激に減少する見込みである。

 今後の具体的な募集の可能性については、将来の労働需給状況や企業における採用計画等経済事情によるところが大きく、予想することは難しいが、長期的視点に立てば、絶対的な募集対象人口が減少していくと見込まれる。(第3−1図 自衛官募集対象人口(男子)の推移

イ 防衛施設

 わが国の地理的特性から狭い平野部に都市や諸産業と防衛施設が競合しており、特に、経済発展の過程において多くの防衛施設の周辺地域の都市化が進んた。この結果、防衛施設の設置や運用が制約されるという問題が多くなっており、防衛施設と周辺環境との調和を図るよう努めている状況にある。

ウ 国民意識

 ペルシャ湾における掃海作業、カンボディア、モザンビークにおける国連平和維持活動、各種の災害派遣などを通じて、国民の間に自衛隊の活動に対する認識が具体的なものとして広まっている。かつての「自衛隊は是か非か」という観念的議論からより具体的な活動への評価に国民の関心が移っているといえる。

 他方で、冷戦の終結という国際情勢の変化を受けて、わが国の防衛力をどう見直していくかに国民の関心が集まっている。

エ 経済・財政事情

 わが国財政は、巨額の公債残高に伴う国債費負担が、政策的経費を圧迫するなど、構造的にますます厳しさを増している。さらに、いわゆるバブル経済の崩壊後の景気の低迷による税収減もあり、わが国財政は極めて深刻な状況に立ち至っており、行財政改革の一層の推進等が求められている。

3 今後の防衛力の在り方の検討

(1) 検討の必要性

 冷戦の終結を受けて、米国、旧ソ連や欧州においては、東西対立を前提に構築された余剰戦力について、再編・合理化を行っており、また、戦略兵器削減条約(START)や欧州通常戦力(CFE)条約などの軍備管理・軍縮の動きも進展している。

 わが国の防衛力は第2章で概観したとおり、昭和51年に策定された「防衛計画の大綱」の下、わが国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりち、みずからが力の空白となって周辺地域の不安定要因とならないよう、独立国として必要最小限の基盤的な防衛力を保持するとの考え方に基づいて整備されてきたものであり、米国や西欧諸国の防衛力と一律に論ずることができないのは事実である。また、わが国は既に平成4年度に、現中期防策定後の内外諸情勢の変化を踏まえ、より緩やかな形で防衛力整備を進めることとして中期防の修正を行ってきている。

 しかしながら、東西対立という枠組みがなくなり、安定化のための新たな秩序を模索している国際社会にあって、わが国も、国際環境の変化などを踏まえ、今後のわが国の防衛力の在り方について更に積極的に検討を進める必要がある。

 このわが国の防衛力の在り方の検討は、先に述べた国際情勢の変化、将来の人的資源の制約の増大を始めとする国内的諸条件、技術水準の動向等多様な要素を考慮しつつ、自衛隊の組織・編成・配置を含め、幅広くわが国の防衛全般を対象として行うものである。

 かかる検討を行うに当たっては、先に述べた軍事力の位置付けを踏まえるとともに、防衛力は、その時々の情勢の変化に応じ一朝一夕に整備できるものではなく、長期的視点に立って、計画的にかつ継続的に整備する必要があることに留意しなければならない。

(2) 現在の検討状況

 細川前総理は、国際情勢の劇的な変化や科学技術の目覚ましい進歩等の状況の変化の中で、今後のわが国の防衛力の在り方について前広に所要の検討に着手し、「防衛計画の大綱」の基本的な考え方について整理し直す必要があるとの認識から、本年2月、現在の「大綱」に代わる新たな考え方の骨格について有識者の方々から意見を聴取することを目的とした総理の私的懇談会「防衛問題懇談会」を開催することとし、現在、羽田総理の下、引き続き同懇談会で熱心な議論が行われている。

 防衛庁においても、防衛力の在り方の検討については現中期防期間中に結論を得ることとされていることから、事務的な検討作業を続けてきた。平成5年6月には、広く国民各層の意見に耳を傾けることが重要との観点から、防衛局長の下に私的懇談会「新時代の防衛を語る会」を発足させ、同年の12月まで6回の会合を開催した。この「語る会」においては、わが国を取り巻く国際情勢、わが国の安全保障、わが国の国際貢献、国民、社会と自衛隊のかかわり等、わが国の防衛を考える際に基本となるテーマが取り上げられ、幅広い観点から議論がなされたところである。

 「防衛問題懇談会」が開始された本年2月には、防衛庁としても長官の下に庁内体制を整えて検討を進め、もって政府としての検討に資するため、長官を議長とする「防衛力の在り方検討会議」を開催し、現在、精力的に検討作業を行っている。

(注) ソ連がキューバに中距離核ミサイルを配備しつつあることが判明し、米国がキューバに対する海上隔離等によりミサイルの配備を撤回させた事件

第2節 国際貢献

 冷戦終結後の国際環境においては、厳しい東西対立の中で抑え込まれてきた地域レベルの種々の紛争・対立要因が顕在化してきている。このような中で、国際連合(国連)は従来にも増して国際社会の平和と安全を維持する機能を期待されており、第1章で述べたように国連の活動の在り方が模索されている。また、世界の各国は、何らかの形で地域の安定の維持・回復に貢献することが求められてきている。

 このような状況を踏まえ、わが国は、湾岸危機に際し、正式停戦後の平成3年4月ペルシャ湾に掃海部隊を派遣し、ペルシャ湾に残存していた機雷の除去及びその処理に当たった。この派遣は、自衛隊にとって初の国際的な人的貢献であった。

 さらに、平成4年6月、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」及び「国際緊急援助隊の派遣に関する法律の一部を改正する法律」が成立し、わが国が国際貢献活動における人的な面での協力に積極的に取り組むための体制が整備された。

 これにより、自衛隊は、国際緊急援助活動に備えた行機態勢を整えるとともに、平成4年9月から平成5年10月にかけてカンボディアヘ部隊等を派遣し、国連平和維持活動に従事したほか、平成5年5月から現在に至るまで引き続きモザンビークヘ部隊等を派遣しており、現地政府はもとより諸外国からも高い評価を得ている。

 ここ数年間のわが国の国際貢献の充実・拡大という変化の中で、自衛隊は国際貢献活動への参加という新たな役割に積極的に取り組んでいる。国際社会においてこのような貢献を行っていくことは、わが国の国際的責務であり、この努力は国際社会の平和と安全に寄与し、ひいてはわが国の安全保障にも資するものである。

 ここでは、国際貢献活動の実績、現状、課題などについて説明する。

1 国際平和協力業務

(1) 国連平和維持活動

 国連平和維持活動は、本年4月末現在世界の66か国から約7万人の参加を得て17の活動が展開中であり、また、1988年にはその実績が評価され、ノーベル平和賞を授与されている。その活動は、伝統的には平和維持隊、停戦監視団、選挙監視などその他の活動の3つに大別することができる。

 平和維持隊や停戦監視団は、紛争地域の停戦の監視などを任務とし、選挙監視は自由かつ公正な選挙の実施を監視するものである。また、これらの活動は、紛争当事者の間で停戦の合意が成立し、紛争当事者がその活動に同意していることを前提として行われる。その際、中立、非強制の立場で国連の権威と説得により停戦の確保や選挙監視などの任務を遂行する。平和維持隊は武器を携行するが、その使用は厳に自衛のためだけに限られている。実際のところ、武器を携行していても、武器を使用したことはないという国は多い。

 なお、最近、国連平和維持活動には新たな動きが見られ、その在り方をめぐっては広範な議論が行われている。

(2) 国際平和協力法

 わが国の国際平和協力業務は、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法:平成4年6月15日成立、同年8月10日施行)に基づいて行われている。

 この法律は、国連平和維持活動及び人道的な国際救援活動に対し適切かつ迅速な協力を行うための国内体制を整備すること、特に人的な面を中心により積極的に国際社会へ寄与することを目的としている。さらに、この法律の施行の3年後に、法律の実施状況に照らして法律の実施の在り方について見直すことが定められている。

 国会の審議過程において、国連平和維持活動への協力のため、自衛隊の部隊等を他国へ派遣することは、憲法の禁じる「武力の行使」に当たるのではないかという議論があった。しかしながら、伝統的な国連平和維持活動は、(1)で述べたように、強制的手段によって平和を回復しようとするものではない。これを踏まえ、国際平和協力法は、平和維持隊への参加に当たっての基本方針(いわゆる5原則)に沿って法制化されている。したがって、この法律に基づき自衛隊が参加することは、憲法第9条に禁止された武力の行使、あるいは、武力の行使の目的をもって武装した部隊を他国に派遣する、いわゆる海外派兵に当たるものではない。(第3−2表 平和維持対への参加に当っての基本方針

(3) 自衛隊参加の意義

 国連平和維持活動と人道的な国際救援活動への協力に当たって、自衛隊の参加を得ることとされているのは、国の防衛という基本的な任務を果たすため日夜厳しい訓練を通じて培っできた自衛隊の技能、経験及び組織的な機能を活用することが最適であると考えられたからである。

 すなわち、平和維持隊や停戦監視団には軍事的専門知識や経験が必要であり、国連はこれらの業務に各国が協力する場合には、各国の軍事組織に属する者の派遣を求めている。また、国連平和維持活動は、その活動地域で直前まで紛争が行われていたため、必要な生活基盤や施設の多くを欠いた厳しい環境での活動となることから、みずから食事、通信、輸送手段などを手当てすることが必、要な場合が多い。このような環境に耐え得る自己完結的な能力を有する組織は、わが国には自衛隊しかないと判断されている。

 また、人道的な国際救援活動についても、紛争による被災地域の厳しい環境の中で医療活動、被災民の収容や輸送、食糧の配布などの活動を効率的に行うため、自衛隊が持つ経験と組織としてのカを活用することが期待されている。

(4) 自衛隊に関連する国際平和協力業務

 自衛隊に関連する国際平和協力業務は、自衛隊の部隊等が自衛隊の業務として行う業務と国際平和協力隊へ派遣された自衛隊員が個人単位で参加する業務に区分される。

 自衛隊の部隊等は、国際平和協力法第3条第3号に列挙された業務のうち、自衛隊の任務に支障を生じない限度において、第3−2図に示す業務を実施することとなっている。この中には、選挙監視・管理、警察行政事務に関する助言、指導等の一般行政事務は含まれていない。

 このうち、国連平和維持活動のために実施される業務は、平和維持隊のいわゆる本体業務と平和維持隊後方支援業務に分けられる。

 ここでいう平和維持隊とは、通常武器を携行しない停戦監視団要員は別として、部隊等が参加する国連平和維持活動の組織を一般的に指すものであり、その本体業務とは、武装解除の監視、駐留・巡回、検問、放棄された武器の処分などの業務をいい、その後方支援業務とは、本体業務を支援する輸送、通信、建設などの業務をいう。

 自衛隊の部隊等による平和維持隊本体業務については、国会で、の審議の過程で、内外の一層の理解と支持を得るため、別途法律で定める日までの間は、これを実施しないこととした(いわゆる凍結)。また、その凍結が解除され、本体業務を実施することとなった場合及びこれを2年を超えて引き続き実施する場合には、国会承認の対象とすることとされている。

 自衛隊は当面、医療、輸送、建設などの後方支援業務及び人道的な国際救援活動への協力を行うこととなっている。

 また、このほか、自衛隊員が国際平和協力隊員として停戦監視団などへの個人単位の参加を行うこともできることとなっている。

(5) カンボディアにおける活動と教訓・反省

ア 経緯

 20年余にわたる戦乱と国内混乱が続いていたカンボディアでは、国連カンボディア暫定機構(UNTAC)が設立され、世界の各地域から派遣された2万人を上回る要員が参加して、大規模な国連平和維持活動が行われた。

 わが国は、国連からの要請に基づき、自衛隊の部隊により道路・橋等の修理等の後方支援分野における国際平和協力業務を実施するとともに、停戦監視分野、文民警察分野及び選挙分野における同業を行った。(第3−3図 UNTACの概要

イ 自衛隊の活動(資料40参照)

(ア) 道路・橋等の修理等の後方支援分野の活動

 陸上自衛隊で編成された第1次・第2次カンボディア派遣施設大隊(各600名、以下「施設大隊」という。)は、タケオに宿営それぞれ約6か月間業務に従事した。その内容は、内戦などで荒廃した国道2号線及び3号線の道路・橋等の修理等のほか、UNTAC構成部門等に対する給水、給油、給食、医療、宿泊施設の提供や物資等の輸送、保管などであった。修理した道路は延べ約100km、橋は約40か所に及んだ。また、施設大隊からは、連絡幹部3名がUNTAC司令部に派遣され、同司令部との連絡・調整や情報収集を行った。

 こうした施設大隊による業務実施の支援などのために、海上自衛隊及び航空自衛隊も活動を行った。

 海上自衛隊の輸送艦2隻及び補給艦1隻から成るカンボディア派遣海上輸送補給部隊は、施設大隊の派遣及び撤収の際、同部隊の人員、資機材の一部の海上輸送を行うとともに、シハヌークヴィルにおいて、同部隊に対する宿泊、給食などを提供した。

 航空自衛隊第1輸送航空隊のC−130H型輸送機6機は、第1次施設大隊の派遣の際に、同部隊の先遣隊の人員、車両などを空輸したほか、毎週1回程度の頻度で連絡便を運行し、同部隊の補給品などを空輸した。さらに、UNTACからの要請に基づき、UNTACが使用する輸送用の資材などの空輸も実施した。(第3−4図 カンボディア派遣施設大隊、停戦監視要員の配置等)(道路補修作業)(輸送艦内で食事する隊員

(イ) 停戦監視活動

 陸上自衛官8名から成る第1次・第2次停戦監視要員は、各国要員混成の数名でチームをつくり、それぞれ約6か月間業務に従事した。

 その内容は、それぞれ勤務するチームによって異なるが、武装解除した武器の保管状況の監視、外国軍の侵入や武器・弾薬の持ち込みの監視、停戦状況の監視などであった。(ミーティング中の停戦監視要員

ウ 教訓・反省事項

 自衛隊の部隊が実施したカンボディア国際平和協力業務は、自衛隊にとって初めての経験であり、その準備や業務の実施において、手探りの部分がなかったとは言い切れない。しかしながら、道路・橋の修理を始めとする各種の業務において大きな成果を上げることができ、全体として見れば、非常にうまくいったといえる。これは、国の防衛という基本的な任務を果たすため、日夜厳しい訓練を通じて培っできた自衛隊の技能、経験及び組織的な機能が、国際貢献の場においても十分にいかされたものである。

 カンボディア和平のため各国と共に行ったわが国の努力は、カンボディア政府の評価を含め国際的に高い評価を得ており、国内においても国民の理解と支持が深まっている。(第4章第3節「国民から見た自衛隊」参照)

 このようなカンボディア国際平和協力業務を通じて得られた主要な教訓・反省事項としては、

 派遣部隊に対する継続的な補給や派遣隊員の留守家族支援などにおいて、防衛庁・自衛隊という組織を挙げての対応が不可欠であったこと

 業務を実施する上で、現地住民や各国からの派遣隊員との積極的な交流が有益であったこと

 UNTAC司令部とより一層緊密に意思疎通を図るためには、司令部要員の派遣が望ましかったこと

 個々の隊員の判断によるものとされている武器使用について、隊員の心理的負担が大きかったこと

 語学能力の向上や現地の状況の周知徹底などの教育訓練を今後さらに充実させる必要があること

などが挙げられる。

 防衛庁としては、カンボディアにおける活動を通じて得られた貴重な経験を今後の活動にいかすべく、必要に応じ国際平和協力本部事務局などとも調整しつつ、これらの教訓・反省事項への対応について検討を進めている。なお、これらの事項の中には、例えば、モザンビーク国際平和協力業務の実施に際して、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)司令部に司令部要員を派遣したように、既に改善策を講じたものもある。

(6) モザンビークにおける活動の現状

 自衛隊は、現在、モザンビークにおいて国際平和協力業務を行っている。この業務は、昨年10月にカンボディアにおける国際平和協力業務が終了して以来、自衛隊が実施している唯一の国際平和協力業務となっている。

 モザンビ−クでは、包括和平協定に示されている和平プロセスに基づき、新たな国づくりが進められている。和平プロセスの進展は、政府軍とモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)軍の武装解除の遅れなどにより、当初の計画から大幅に遅れている。しかしながら、1993年(平成5年)10月のガリ国連事務総長とチサノ大統領、デュラカマ議長の会談により、ようやく主要な問題が解決され、選挙は、1994年(平成6年)10月27日及び28日に実施する旨の大統領令が発布された。

 このような中、ONUMOZの設置期間は、1994年(平成6年)11月15日まで再延長され、わが国も実施計画において、国際平和協力業務を行うべき期間を1995年(平成7年)2月15日まで再延長している。

 1994年(平成6年)5月末現在、陸・海・空自衛官で編成された第2次モザンビーク派遣輸送調整中隊(第2次輸送調整中隊)48名と陸・空自衛官から成る司令部要員5名が国際平和協力業務に従事している。これらの派遣人員数は、自衛官全体から見れば極めて少数ではあるが、その活動は多くの部隊の支援を受けて成り立っており、その意味で自衛隊の組織力があって成し遂げられているものである。

 ここでは、派遣部隊等の活動状況について紹介する。(第3−5図 ONUMOZの概要)(第3−6図 輸送調整中隊の編成

ア 自衛隊の活動経過

 当初派遣された輸送調整中隊(第1次輸送調整中隊)は、先遣隊と本隊に分かれ、平成5年5月11日及び15日にそれぞれ出国し、13日及び17日にモザンビークに到着して活動を開始した。その後、約6か月半にわたり国際平和協力業務を実施した同中隊は、12月3日無事帰国し、各隊員はそれぞれの部隊に復帰した。同日防衛庁内で行われた部隊廃止式において、その功績をたたえ、内閣総理大臣から、同中隊に対して特別賞状が授与され、併せて国際平和協力本部長表彰も実施された。

 第2次輸送調整中隊は平成5年11月17日に編成され、同日、防衛庁長官から第1次輸送調整中隊との交代の命令を受領した。

 同中隊は11月22日に出国し、23日にモザンビークに到着、第1次輸送調整中隊から業務を引継ぎ、30日から輸送調整業務を実施している。

 なお、平成6年6月6日に第3次モザンビーク派遣輸送調整中隊が編成され、同月中旬に第2次輸送調整中隊と交代すべく、8日にモザンビークヘ向けて出国した。

 また、平成5年12月29日から平成6年1月7日にかけて、輸送調整中隊及び司令部要員に対する物資の補給のため、航空自衛隊のC−130H型輸送機1機を派遣した。(第2次輸送調整中隊の編成完結式)(マプト空港に到着した C−130H

イ 輸送調整業務

 南部地域に配置された中隊本部及び2個小隊は、マトラに宿営し、マプト空港などにおいて輸送調整業務を実施している。また、中部地域に配置された1個小隊は、本年5月までドンドに宿営し、ベイラ空港などにおいて輸送調整業務を実施していたが、同月下旬ベイラに宿営地を移転させ、引き続き業務を実施している。

 輸送調整中隊の業務は、輸送手段の割当て、通関の補助その他輸送に関する技術的調整に係る国際平和協力業務であり、実施に当たっては、軍事部門参加国にとどまらず、国連の輸送手段利用者すべてに対し公平かつ厳格な対応が要求されている。

 空港などにおける業務の内容としては、乗客の確認、文民の輸送調整部門(査証取得手続き等を実施)への通報、乗客の空港到着からONUMOZ手配の車両までの誘導、物資等の確認、文民の輸送調整部門(通関手続き等を実施)への通報、物資等の積載及び卸下の際の各種調整(倉庫への搬出入の際の誘導、輸送手段の誘導等)、その他、現地における連絡調整、などである。

 業務の特性上、調整の相手がONUMOZ司令部本部、各地域司令部、各国の部隊・要員、空港・港湾の事務所など広範多岐にわたっており、言語の違いもあって、問題が発生することもあるが、各隊員は粘り強く調整を重ね、問題点の改善に努力しており、輸送調整業務の効率化、簡素化を図っている。

 第1次及び第2次輸送調整中隊の5月末現在の輸送調整業務実績は、人員約6万7千人、貨物約7,100トンである。(輸送調整業務を行っている隊員)(第3−7図 ONUMOZの配置

ウ 現地活動の基盤

 自衛隊の組織の特性は自己完結性にあることは言うまでもないが、輸送調整中隊は、派遣前の国連との調整の過程で、活動の基盤となる後方支援機能は国連に依存する形での派遣となった。現実には、給食、給水、電力の供給など大半の後方業務についてポルトガル部隊やイタリア部隊などの支援を受けている。

 一方、衛生については、自衛隊の医官2名が、中隊の隊員に対する診療、防疫、健康管理、医薬品の補給などの業務を実施している。さらに、国際平和協力業務の円滑な実施を図る観点から、現地に支援チームが派遺されているが、これには、自衛隊員も総理府事務官を兼職の上参加しており、輸送調整中隊などの業務を側面的に支えている。(ポルトガル部隊の食堂での食事風景

エ 司令部要員の活動

 輸送調整中隊以外に、ONUMOZの司令部要員として5名の自衛官が派遣されている。司令部要員は、司令部本部及び中部地域司令部に各2名、南部地域司令部に1名が配置され、それぞれ司令部の幕僚として、中長期的な業務計画の立案並びに輸送の業務に関する企画及び調整に係る国際平和協力業務を任務として活動している。(国連メダル授与式に臨む司令部要員)(子供たちとともに

2 自衛隊の実施する国際平和協力業務に関する議論

 国際社会の平和と安全の維持については、国連平和維持活動を抜きにしては考えられないのが現状である。わが国が国際社会の一員として存立していくためには、今後ともこの活動に参加していくことが必要であり、その際、カンボディアやモザンビークで明らかになったように自衛隊の参加の意義は極めて大きい。

 ここでは、自衛隊の実施する国際平和協力業務に関する国内での議論について説明する。

(1) 平和維持隊本体業務の凍結解除及び国際平和協力法の見直しに関する議論

 自衛隊の部隊等による平和維持隊本体業務(第3−2図参照)については、国際平和協力法案の国会審議の過程で、内外の一層の理解と支持を得るため、別途法律で定める日までの間は、これを実施しないこととされている(いわゆる凍結)。

 また、国際平和協力法については、法律の施行後3年を経過した場合において、法律の実施状況に照らし、その実施の在り方について見直しを行うものとされている。

 したがって、平和維持隊本体業務の凍結解除を含めた国際平和協力法の実施の在り方の見直しについては、カンボディアやモザンビークにおける国際平和協力業務の実施によって得られた各種の経験反省事項をも踏まえつつ、十分に議論を尽くす必要があると考えている。

(2) 国際平和協力業務の自衛隊法における任務の取扱いの議論(いわゆる本来任務化)

 自衛隊法第3条は、「……直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る」ことが自衛隊の本来の任務であると規定している。

 一方、自衛隊の部隊等に国際平和協力業務を行わせることは、自衛隊が長年にわたって蓄積してきた技能、経験、組織的な機能の活用を図るものであることから、自衛隊法第8章(雑則)に規定されている他の業務と同様、いわゆる付随的任務の位置付けとしたものである。

 この任務をどう取り扱うかは、わが国の国際平和協力業務に対する取組みの姿勢と自衛隊の存立目的にかかわる重要な問題であり、次に述べる組織の在り方とも関連し、十分に議論を尽くす必要があると考えている。

(3) 国連平和維持活動参加に関する組織の在り方(いわゆるPKO別組織論)

 カンボディア及びモザンビークへの自衛隊の部隊等の派遣に当たっては、自衛隊は、その任務規定にかんがみ、現行の組織をもって要員の選考、部隊の編成など諸準備を行い、現地における活動を支援してきている。

 一方、国連平和維持活動には、自衛隊の本来任務であるわが国の防衛には見られない専門的な部分があることも確かであり、組織の在り方について、自衛隊とは別の組織を設置すべきとの議論や、自衛隊内に専門組織を設置すべきとの議論があることも事実である。

 これらのうち、自衛隊とは別の組織の設置については、わが国の協力を実効性あるものとするため、自衛隊の能力を活用することが適当であり、

 平和維持隊や停戦監視団には各国の軍事組織に属する者の派遣が求められていること

 武力紛争終了直後の厳しい環境下で行われる国連平和維持活動には、自己完結的な能力を有する組織の参加が求められていること

 派遣された部隊が十分にその能力を発揮するためには、補給や輸送などの面で組織的な支援が必要であり、派遣部隊を別に設立するだけでは不足すること

 自衛隊がカンボディアやモザンビークにおいて、その能力や実績を示しているにもかかわらず、これを無視することは自衛隊の名誉や士気に多大な悪影響を与えること

などの問題もあることから、自衛隊とは別の組織を設置する必要はないとする主張もある。

 また、自衛隊内における専門組織の設置については、自衛隊がどのような形で業務を行うのが最も適切であるのか、組織面も含め、十分に検討すべき問題であると考えている。

3 国際緊急援助活動

(1) 国際緊急援助隊法

 昭和62年9月に「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(国際緊急援助隊法)が施行されて以来、わが国は海外、特に開発途上にある地域において大規模な災害が発生した場合には、被災国政府等の要請に応じ、国際緊急援助活動を行ってきた。しかし、これまでの活動を通じ、災害の規模によっては更に大規模な援助隊を派遣する必要があること、被災地において自己完結的に活動を行い得る体制を充実すべきこと、輸送手段の改善を図る必要があることなどの課題が明らかとなった。

 そこで、このような問題点の解決を図るため、自衛隊が国際緊急援助活動やそのための人員などの輸送を行うことができることとした「国際緊急援助隊の派遣に関する法律の一部を改正する法律」が平成4年6月15日に成立し、同月19日に施行された。

(2) 自衛隊の役割

 自衛隊が行う国際緊急援助活動については、個々の具体的な災害の規模及び態様、被災国からの要請内容、実施される援助活動の内容など、その時々の状況により異なると考えられる。しかし、これまでの国内における各種災害派遣活動の実績から見て、

 応急治療、救急車による患者の輸送、防疫活動等の医療活動

 ヘリコプタ−などによる物資、患者、要員等の輸送活動

 浄水装置及び給水タンク等を活用した給水活軌

などの面で協力が可能であり、また、輸送の面については、自衛隊の輸送機・輸送艦などを活用して、人員・資機材を被災地まで輸送することが可能である。

(3) 自衛隊の対応

 陸上自衛隊は、医官20名による活動を最大限とする医療活動、多用途へりコプタ−(UH−lH)6機、輸送へリコプタ−(CH−47J)4機を最大限とする空輸活動、浄水セット2セットによる活動を最大限とする給水活動、医療、空輸又は給水を組み合わせた活動について、それぞれ必要に応じ自己完結的に実施できるよう各方面隊が、4半期ごとに持ち回りで態勢を保持している。

 海上自衛隊は、輸送艦(LST)2隻、補給艦(AOE)1隻により、 国際緊急援助活動を実施する部隊(援助活動部隊)の海上輸送、援助活動部隊への補給品等の海上輸送、自衛隊以外の国際緊急、援助隊の人員又は物資の海上輸送を実施できるよう、自衛艦隊、各地方隊が態勢を保持している。

 航空自衛隊は、C−130H型輸送機6機により、援助活動部隊の航空輸送、援助活動部隊への補給品等の航空輸送、自衛隊以外の国際緊急援助隊の人員又は物資の航空輸送を実施できるよう航空支援集団が態勢を保持している。

 態勢の具体的内容として陸・海・空各自衛隊は、災害発生に即応できるよう、要員の指定、要員に対する予防接種、情報収集、装備品等の整備・調達・集積等、教育訓練などに関し、それぞれ必要な措置を構している。

 なお、援助活動などを実施する部隊の規模については、保持している態勢の範囲内において、被災国の政府や国際機関からの要請の内容、被災地域の状況、被災地域において得ることが可能な支援、民間輸送手段の活用の可否及びその規模などを踏まえ、外務省との協議によりその都度判断することとなる。(援助活動部隊の訓練

第3節 安定的な安全保障環境構築のための勢力

 冷戦が終結した後でも、地域紛争の原因が解決されず、軍事力を政策遂行の手段として用いる可能性のある国がなくならない限り、必要最小限の軍事力は国際社会の安定維持の上で不可欠な役割を果たしている。

 同時に、各国がその保有する軍事力の透明性を高め、防衛当局間で対話・交流を行うなどして相互の信頼関係を深めることが、無用な軍備増強や不測の事態における危機の拡大を抑え、地域及び世界の安定をより確かなものとする。

 また、大量破壊兵器などの紛争地域や潜在的な紛争地域への拡散を防ぐことは、地域の不安定化を局限する上で大きな意義を有している。

 現在の国際社会に新たな安定的な安全保障環境をもたらすためには、これらの努力を地道にかつ着実に行っていく必要がある。このような観点からの防衛庁・自衛隊の取り組みを説明する。

1 安全保障対話の充実

 アジア・太平洋地域では、民族、歴史の多様性や経済発展の格差などにより、各国の置かれた安全保障環境や安全保障観は多様であり、安全保障面での地域的一体性に乏しい。また、朝鮮半島や南沙群島、わが国の北方領土など未解決の諸問題が残されている。

 こうした事情により、この地域には欧州のNATO、CSCE(欧州安ば全保障・協力会議)のような多国間の安全保障のメカニズムは存在しておらず、地域の平和と安定を担う核心となってきたのは、米国を中心とする二国間の安全保障取極である。米国の存在と関与は、軍事上のみならず政治的にも地域の安定要因と認識されており、冷戦の終結後も、このような構造に基本的変化はない。

 同時に、この地域においては、冷戦の終結後、地域の安全保障に対する関心が高まっており、二国間や多国間の対話を活用しながら、域内諸国間の相互理解を深めていくことは、地域の平和と安定に資するものである。このような観点から防衛庁としても近隣諸国との対話を拡充することが必要と考えている。

(1) 韓国

 わが国の防衛政策について、わが国の最も近くに位置する友好国である韓国の理解を促進するとともに、日韓双方が共に関心を有する安全保障上の諸問題について意見交換を行い、相互理解を深めることは、朝鮮半島を含む東アジア全域の平和と安定に資するものであり、日韓双方にとって有意義である。

 このような観点から、わが国と韓国との間では、防衛庁長官が昭和54年7月及び平成2年12月の2回韓国を訪問して、韓国国防部長官と会談したほか、参謀長・幕僚長クラスが相互訪問するなど、各レベルにおいて防衛分野での人的交流が進められてきた。さらに、平成6年4月には、韓国国防部長官が初来日し、留学生交換の推進、練習艦隊の相互訪問の実現、政策担当実務者の対話の進展などについて合意された。(日韓防衛首脳会談

(2) 東南アジア諸国

 海上交通上の要衝を占める地域に位置し、わが国と密接な経済関係を有する東南アジア諸国との間で、アジアの安全保障上の諸問題について対話を推進し、相互理解と信頼を増進することはわが国及び東南アジア地域の諸国の双方にとって有意義である。

 防衛分野での人的交流としては、東南アジア諸国側からは、昭和63年6月にインドネシア国防治安相が、平成元年6月にシンガポール国防相が、平成3年4月にフィリピン国防相及び平成4年11月にシンガポール国防相がそれぞれ訪日し、日本側からは防衛庁長官が昭和63年6月〜7月にインドネシア及びシンガポールを、平成2年5月にタイ及びマレーシアを、平成4年10月にタイをそれぞれ訪問しているほか、各レベルにおいて進められている。

(3) 中国

 日中間では、昭和50年代半ば頃から徐々に防衛分野での人的交流が始まり、昭和59年の中国国防部長の訪日、昭和62年の防衛庁長官の訪中などが行われたが、平成元年の天安門事件以来、実質的な交流は中断していた。

 昨年5月、日中外相会談で安全保障に関する対話の必要性について基本的な合意ができたことを契機として、本年3月に北京において両国防衛当局が相互理解の促進のための対話を実施した。この対話では、アジア・太平洋地域の安全保障環境や双方の防衛・国防政策などについて自由な意見交換を行い、また、相互理解を進めるため、今後も防衛当局間の交流を進めていくことが基本的に合意された。

(4) ロシア

 日露防衛当局間の交流は、安全保障分野での相互理解の促進を目的として一昨年に本格化して以来、着実に進展してきている。交流の進め方については、あくまで日露関係全般の進展状況と整合性を保ちつつ一歩一歩進めることとしており、具体的には次のような措置をとってきている。

ア 日露政策企画協議への参加

 外交当局間の協議に、双方の防衛当局も参加するもので、これまで平成4年6月及び本年2月の2回実施された。協議においては、アジア・太平洋地域の情勢や双方の安全保障政策について自由な意見交換が行われている。

イ 日露海上事故防止協定の締結

 領海外及びその上空において、自衛隊とロシア軍の艦船及び航空機の衝突等の事故を未然に防止するための規範や情報交換の方法等を定める協定であり、平成5年10月のエリツィン大統領訪日の際に締結され、同年11月に発効した。この協定には、その実施状況等を検討するための年次会合を開催することも定められている。このような場は、防衛当局を含めた両国の対話の機会を提供することにもなる。

ウ 日露研究交流

 研究者の立場で泊由な意見交換を行うものであり、防衛庁側は防衛研究所を実施主体としている。これまで、平成5年2月、9月、本年3月の3回行われたが、東京で行われた第3回交流の際には、ロシア軍参加者による自衛隊の部隊視察も初めて実施した。

 なお、これまでロシア側は極東地域の軍事力の全体像につき明らかにしておらず、日露防衛交流において防衛庁はロシア側に対し、相互理解を更に進めるためには極東ロシア軍に関する透明性を向上させることが重要である旨を一貫して主張しているところである。(日露研究交流の様子

2 国際連合の軍備管理・軍縮努力に関する協力

 わが国は、軍備管理・軍縮の分野でも新たな安全保障環境をつくるための努力を行ってきた。

 冷戦の終結後、東西の厳しい対立の中で抑え込まれてきた種々の紛争・対立要因が表面化、顕在化する危険性が生じてきている。平成3年に発生した湾岸危機では、高性能兵器、大量破壊兵器を含む兵器全般が、このような紛争地域や紛争・対立要因を潜在的に抱える地域に拡散し、又は無秩序に移転して、それらの地域の平和と安定をかく乱する危険性が強く認識された。これを契機として通常兵器の拡散、移転問題、大量破壊兵器の問題への対応は、国際社会の平和と安定にとって差し迫って重要な課題となってきた。

 わが国は、軍備管理・軍縮分野において国連の行う活動に対する支援を含め、さまざまな形で努力してきている。その中で防衛庁が協力してきたものとしては、例えば次のようなものがある。

(1) 化学兵器禁止条約

 1992年9月、ジュネーブ軍縮会議で進められてきた化学兵器禁止条約の交渉が終了し、1993年1月のパリにおける条約署名式を経て、1994年5月現在、わが国を含む157か国が同条約に署名している。この条約では大量破壊兵器の一つである化学兵器の開発、生産、取得、貯蔵、保有及び使用を禁止し、化学兵器の廃棄を義務付けるとともに、条約の目的達成を確保するため広範かつ厳重な検証制度を定めたものであり、長年にわたり国際社会の安全保障上の懸案であった化学兵器の廃絶を目指すものとして高く評価されている。

 わが国としては、同条約の重要性にかんがみ、これまでこの条約の作成作業はもとより、現在ハーグで行われている化学兵器禁止機関設立のための準備委員会の作業にも積極的に参加している。

 化学兵器禁止条約の交渉の作業は1980年に本格的に着手されたが、陸上自衛隊の化学防護の専門家が随時外務事務官を兼職の上、交渉の場に派遣され、ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部の防衛駐在官とともに、わが国代表団の一員として専門的見地から条約案作成に当たってきたところである。また、ハーグの準備委員会の作業にも同様の専門家をわが国代表団の一員として派遣し、専門的見地から検討作業に貢献しているところである。

(2) 国連軍備登録制度

 わが国は、通常兵器の移転等の透明性を確保するため、EC(ヨーロッパ共同体)諸国などとともに、国連に通常兵器の国際間の移転等の状況を報告する仕組みを提案し、1991年12月の国連総会で採択された「軍備の透明性」決議により、1992年1月より本制度が国連本部に設置された。通常兵器の移転という、多くの国の安全保障にとり、極めて機微な分野において、圧倒的多数の賛成を得て本制度を発足させたことはわが国の多国間軍備管理・軍縮外交の大きな成果である。

 1992年8月に制度の細目を定めた政府専門家パネル(わが国を含む17か国で構成)の報告が提出されたが、その審議に当たり防衛庁を含む関係者庁の担当者も参加し、専門的見地からの助言を行った。

 この制度では、戦車、装甲戦闘車両、大口径火砲システム、戦闘用航空機、攻撃ヘリコプター、軍用艦艇、並びにミサイル及びミサイル発射装置の7種類の装備品の年間輸出入数量が登録対象となる。

 わが国は、1993年4月、国連に対して本制度に基づく第1回の登録を行った。同年10月には、国連が83か国の登録内容を取りまとめた第1回報告が公表された。さらに、わが国は、1994年4月、93年分の登録を国連に対し行ったところである。

 なお、わが国の場合は、防衛白書などに従来から自衛隊の保有する装備の種類や数量、調達についての情報を毎年公開し、高い透明性を確保しており、また、武器輸出三原則などの政策から、輸出については登録対象はなく、輸入については一部の装備が登録対象となっている。

(3) イラクの大量破壊兵器の廃棄に関する国連特別委員会

 国連は、湾岸危機終結のための安全保障理事会決議687を踏まえ、1991年5月、イラクの大量破壊兵器及びミサイルの脅威を除去することを目的として、特別委員会を設置した。

 わが国は、財政面及び人的側面でこの特別委員会の活動にさまざまな貢献を行ってきたところであるが(活動経費として250万ドルの拠出及び委員の派遣)、国連から要員派遣の要請があった化学兵器査察チームに対しては、1991年に1回、1993年の1月からはこれまで3回継続してほぼ半年交代で要員を派遣している。

 いずれの場合も化学兵器の防護の専門家である陸上自衛官2名が外務事務官を兼職の上、派遣されたものである。1991年の派遣(10〜11月)は、イラク領内に存在する化学兵器の状況の調査であり、1993年1月以降の派遣は、イラク自身が行う化学兵器の廃棄の監視を目的とするものであり、わが国要員の活動に対し、国連からは高い評価が与えられている。(イラクで化学剤の充填量をチェックする自衛官

3 日々の国際交流

(1) 防衛当局間の日常的な交流

 最近では国際社会の多元化、政治、経済等チェックする自衛官の面でのアジア地域の重要性の増大、国際社会におけるわが国の地位の高まりなどを反映して、諸外国の防衛関係者のわが国に対する関心が高まっている。わが国にとっても、新たな安全保障環境の下で、より多くの国と防衛分野で交流を深めることは、相互の信頼関係の構築につながるのはもとより、わが国の当局者により幅広い視野を提供する機会ともなっている。

 信頼関係を深めていくためには、種々の機会を通じてお互いが何を考えているかを知り合うことが重要であり、防衛庁としても、先に述べた安全保障対話の充実に加え、防衛駐在官を通じての交流や防衛研究所における研究交流などを通じ、諸外国の防衛関係者との意見交換に積極的に取り組んでいるところである。(来日したインドネシア陸軍参謀総長

(2) 留学生の交流

 防衛庁では、以前から外国留学生を受入れるとともに、最新の軍事技術の習得などのため諸外国に隊員を留学させている。このような活動によって、能力や技量の向上が図られることはもちろん、修学、研修期間を通じた人間関係のつながりは、相互の国を理解することにも役立っている。

 留学生の受入れ

 防衛大学校では、昭和33年以来、タイ、シンガポール、インドネシアなどの諸国から留学生を受入れ、日本人学生と一緒に全く同一の教育を実施するとともに、事前の日本語教育も行っている。外国人の留学生は、帰国後それぞれの国の軍隊で活躍しているが、防衛庁では、これらの卒業生の一部を再度日本へ招聘し、その後の自衛隊の施設や活動を視察する機会を作るなど、交流を継続することにも努めている。

 また、防衛研究所、各自衛隊の幹部学校、幹部候補生学校等でも米国、タイ、韓国などから留学生を受入れ、わが国の学生と同様の教育を行っている。

 これらの留学生は、留学後「日本及び自衛隊を理解する上で有効であった。」、「多くの友人を持つことができた。」などの感想を持つ者が多い。このように、留学生の受入れは、人的交流を通じて日本人学生の国際的視野を広め、相互啓発を促すという教育効果が期待できるだけでなく、留学生派遣国との相互理解や友好親善を増進し、わが国の防衛政策及び自衛隊の実態などに対する諸外国の理解を深める上で大きな意義を持つものである。

 留学生の派遣

 防衛庁は、海外の軍関係機関や一般大学に留学生を派遣している。その留学生の態様は、

ア 各種装備の操作、維持管理についての最新の知識を導入するための留学

イ 最新の指揮運用思想を導入するための留学

ウ 国内で実施困難な又は経済的に引き合わない要員養成のための留学

などである。

 このような留学生の派遣により、自衛隊の近代化、精強化などに寄与させるとともに、実際に外国で生活し外国人と交流することにより、国際的感覚と広い視野を備えた隊員を育成することができる。

 また、留学生の派遣は、受入れ国の自衛隊に対する理解の促進及び相互の密接な人間関係の育成という観点からも、極めて有意義であると考えている。

(3) 訓練を通じた交流

 自衛隊が日米共同訓練を行っていることは第2章で述べたが、このほか、初任幹部の教育訓練や国際親善を目的とした遠洋練習航海及び国内において訓練施設の制約のため行うことができない教育訓練を米国の訓練施設を使用して行うなど、教育訓練の場においても諸外国との交流の機会がある。さらに、諸外国の艦艇が遠洋航海等で来日した時には、親善訓練などの場を通じて交流に努めている。また、外国から新装備を導入した際には、導入に伴う教育などをその国に委託している。

 このような教育訓練の場は、部隊及び隊員の能力の向上を図るのみならず、訓練等に参加した軍関係者及び現地の人々との交流を深め、友情と信頼感の醸成にも役立っている。(米軍人と図上演習を行う自衛官

第4節 防衛力を支える基盤を確保するための努力

 防衛力を支える基盤としては、技術力を背景に優れた装備品等を供給し得る防衛生産、人材の確保・育成、自衛隊の活動を支える国民や社会の支援・協力などが挙げられる。これら防衛力を支える基盤が確立して初めてバランスのとれた防衛力の整備・運用が可能となり、いざというときにその真価を発揮できるものである。

 しかしながら、国際情勢や財政事情の変化、科学技術の進歩、将来における募集対象人口の減少など、防衛力を支える基盤、特に防衛生産、人材の確保・育成をめぐる環境も変化しつつある。

 本節では、このような変化を踏まえ、防衛生産、人材の確保・育成の在り方を検討している状況などについて説明する。

1 防衛生産と研究開発

(1) 防衛生産

ア 現状

(ア) 装備調達の概要

 自衛隊の装備品等は、その発足当初は米国からの無情援助を中心として調達されていた。昭和30年代以降はわが国の産業の復興に伴い、国内の民間企業いわゆる防衛産業において、米国からの技術導入などにより生産が開始され、これ以降、現在まで、米国などから輸入を行いつつも、わが国の装備品等は、国産あるいはライセンス生産という形により主に防衛産業から調達されている。平成4年度における防衛庁の調達は、国内調達が1兆7,676億円、輸入が1,486億円、計1兆9,162億円となっている(資料41参照)。

(イ) 防衛産業

 装備品等の生産には、機械、電子、電気、素材など多種多様な分野の最先端技術を結集していくことが要求されている。このため、一般的に、装備の面から見た防衛力は、工業力を中心としたその国の産業力を基盤としているといえよう。

 わが国の防衛産業の特色としては、まず、航空機や艦艇から被服や食品まで含む非常に幅の広い各種の産業分野から構成されていること、主契約の企業だけではなく各種の部品の製造を行う下請けなどの関連企業が多数存在しており、極めて裾野の広いことなどが挙げられる。また、武器輸出三原則などの政策により、その需要が国内に限定され、防衛庁の装備調達の動向により大きく影響を受けることが挙げられる。

 わが国の防衛生産の総額が国内の工業生産に占める割合は、おおむね0.6%程度であり、防衛産業各社の売上高に占める防衛生産の割合も、平均数パーセント程度にとどまっているが、航空機や武器弾薬の産業分野では、防衛庁の装備調達に需要の大半を依存している(資料42参照)。(掃海艦の建造風景

イ 防衛生産をめぐる環境の変化

 国際情勢の変化や厳しい財政事情に対応して、近年の防衛予算は抑制傾向にあり、平成4年12月の中期防衛力整備計画の修正などにより、装備調達の数量は全体として減少傾向にある。このため、防衛産業は、現下の経済不況とあいまって極めて厳しい環境に置かれており、防衛部門の統合、生産ラインの縮小、人員の再配置、設備投資の抑制など、合理化に取り組みつつある。

 なお、欧米諸国においては、安全保障政策が見直され、兵力再編、国防費の削減などが進められる一方、技術的優位の維持を前提とした産業基盤の確保が重要であることを明確にしている。このような状況の下、各国とも調達手続きの簡素化・合理化、軍用規格の一般規格化、競争原理の一層の導入など、調達の合理化・効率化を進めている。

ウ 変化への対応

 防衛庁としては、このような装備品等の調達・生産をめぐる変化に対応し、調達の合理化・効率化を通じて、生産基盤の継続的維持に資するため、平成5年3月に装備局長の下に私的懇談会として民間有識者から構成される「防衛装備品調達懇談会」を発足させた。この「懇談会」では、幅広い観点から議論が重ねられ、同年12月に今後の装備調達の方向に関する報告書がまとめられた。

 同報告書では、装備品等の調達に当たっては、中長期的観点に立ち、円滑な調達を確保し、防衛産業基盤の維持・確保を図るため、コストの節減、調達の合理化・効率化を進めることが重要であり、このため、適切な競争と協調に配意しつつ、安定的な調達基盤の確保、企業における合理化の推進、調達業務の改善、装備品等の仕様の標準化・汎用化の推進などを図ることが望ましい旨提言されている。

 防衛庁としては、健全な防衛産業の存在が、最適な装備の取得、装備の適切な維持・補給、あるいは緊急時の装備の急速取得など、防衛力の整備を図る上で重要であるとの基本的考え方の下に、前に述べた防衛生産をめぐる環境が変化している状況下において、諸外国の動向に配意し、上述の「懇談会」の提言をも参考にしつつ、調達の合理化・効率化を通じ、健全な防衛生産基盤が確保されていくことが重要であると考えている。

(2) 研究開発

ア 研究開発の重要性

 最近の科学技術の進歩に伴う装備の高性能化には著しいものがあり、今や最先端技術を有していることが抑止力の向上につながるといっても過言ではない。また、自主技術による国産装備は、国土・国情に適し、改良・改善、維持・補給が容易といった利点もある。これらの理由から、わが国も諸外国と同様に、最先端技術を応用して装備の研究開発に努めている。

イ 現状

 わが国は、先端技術の研究開発を独自に進めることのできる優れた工業力を有しており、防衛庁は従来からこの優れた民間技術力を積極的に活用して研究開発を行っている。先端技術、特に汎用の先端技術の装備に占める役割が増大している現在、こうした優れた民間技術力は、防衛庁における装備の研究開発を進める上で力強い基盤となっている(資料43、資料44、資料45参照)。

 この民間技術力を将来の先進的な装備に適合できるシステムにまとめあげる研究開発の一例として、わが国では民需の分野で発展した複合材料を応用したローターシステム(ブレード(羽)とその取り付け部の可動機構を含む回転翼全体)を有するとともに、赤外線技術などを応用した高性能センサーを搭載する新小型観測ヘリコプターがある。

ウ 研究開発をめぐる環境の変化と今後の対応

 国際情勢の変化や厳しい財政事情を踏まえて近年の防衛予算が抑制傾向にあることや前に述べた装備品等の調達の削減など、研究開発をめぐる環境の変化により、防衛産業内の技術者の整理、研究開発投資の抑制傾向など、研究開発の円滑な推進にとって困難な状況が生まれつつある。このような状況の中で、わが国の技術基盤及び質の高い防衛技術水準の維持が、緊急の課題となっている。

 防衛庁としては、以上のような変化を踏まえ、防衛技術基盤維持に効果的な研究開発の推進の方策などを検討するため、平成5年3月に装備局長の下に私的懇談会として民間有識者から構成される「防衛産業技術懇談会」を発足させた。この「懇談会」では、研究開発に関する中長期的な展望の明確化、技術基盤維持に効果的な研究開発の推進、研究開発体制の整備及び支援、研究開発の効率化などのテーマについて活発な議論が重ねられ、本年3月に今後の研究開発の方向に関する報告書がまとめられた。

2 人材の確保・育成

(1) 現状

 隊員は、防衛力の重要な要素である。自衛隊は、優れた隊員に支えられてこそ、わが国の平和と安全の確保という責務を全うできるのであり、人材の確保・育成のための努力を怠ることはできない。

 自衛隊では、その精強性を維持するため、自衛官について一般の公務員より若い年齢で退職する若年定年制と2年又は3年を勤務年限として採用する任期制という制度をとっている。このため、年間約1万1千名の自衛官を募集するとともに、退職自衛官の再就職を援護している。また、退職自衛官を志願に基づいて予備自衛官として採用している。さらに、一般社会において、女性があらゆる分野へ進出しつつある状況を踏まえ、自衛隊においても女性を積極的に登用しており、平成6年3月末現在、約9千名が婦人自衛官として在職している。

(2) 人材の確保・育成をめぐる環境の変化

 最近の募集状況は、隊員の処遇改善施策の効果や景気低迷に伴う雇用情勢の悪化の影響などにより、好転をみている。しかし、長期的には、第1節で述べたとおり絶対的な募集対象人口が減少していく見込みであり、さらに、高学歴化や地元への就職志向が強まっていることなどから、募集環境は厳しさを増すことが予想されている。

 また、若年層については、核家族化の進展に伴い、個人のプライバシーを尊重し、かつ、快適な生活を追求する性向が強まっているとともに、体格や視力など身体的特性にも変化が見られる。女性については、全般的にその就業分野は広がりつつあるといえる。

 一方、近年における自衛隊の装備の高性能化及び自衛隊の国際的業務への対応などの状況から、隊員には、体力的、精神的な面での資質・能力に加え、従来にも増して技術力や国際性といった資質・能力が求められている。

 なお、就職援護については、ここ数年厳しい条件下にあり、今後更に企業などにおける新規採用意欲の低下が進んだ場合、就職援護環境はますます悪化すると予想される。

(3) 変化への対応

 このような変化を踏まえ、中長期的な人材確保施策について検討を行うため、平成4年7月防衛庁内に「人材確保対策会議」を設置し、隊員の任用制度、処遇改善施策、募集体制など人材確保に資する施策について幅広く検討を行い、平成5年6月にその成果を取りまとめた。その結果、自衛隊員に求められる資質の内容が多様化しているとの認識の下に、婦人自衛官の職域の拡大、自衛官の一部階級の定年延長の実施などにより、一層の人材の活用を行うとともに、自衛隊を魅力ある職場にするなどの施策を推進することとした。

 これを踏まえて、人材育成の面については、操作に高度な技術・知識を要する装備を運用し得る隊員や国際的業務を遂行し得る隊員の育成に資するための施策を推進しているところである。

 長期的には絶対的な募集対象人口の減少が見込まれる中、今後、防衛力の在り方についての検討状況も踏まえつつ、募集・採用、就職援護、隊員の処遇、教育訓練など幅広い分野にわたり、人材を確保・育成するための施策について引き続き検討していくこととしている。