第4章

ミグ25事件

1 事件の概要

2 防衛庁のとった措置

3 事件の教訓等

 

 昭和51年9月6日,ソ連の最新鋭ジェット戦闘機であるミグ25が突如として日本の領空を侵犯し,函館空港に強行着陸した。その後防衛庁は,領空侵犯,強行着陸の背景状況解明のため機体を調査し,11月14日ソ連側に引き渡しを行った。

 以下,事件の概要,防衛庁のとった措置,事件の教訓等について述べることとする。

1 事件の概要

 この事件の概要は次のとおりである。

9月6日

○ ミグ25は,午後1時22分30秒北海道茂津田(もつだ)岬(小樽市南西約20キロメートル)の沖合上空でわが国の領空を侵犯し,午後1時50分頃函館空港に強行着陸し,乗員(ベレンコ中尉)は米国への亡命と身体の保護を申し出た。

O ソ連側は,6日夕外務省に対して乗員との面会,乗員の身柄の引き渡し,機体の早期返還等について要求してきた。

9月7日

○ 外務省は,ベレンコ中尉の米国への亡命の意志を確認したので,ソ連側に対し,その旨伝達するとともに米国大使館を通じ米国との折衝を始めた。

○ 政府は,第1回目の関係省庁による対策会議を開き,対策を検討した。

○ ベレンコ中尉が函館から東京ヘ移送された。

○ ソ連外務省は,重光駐ソ大使に対し,乗員との面会と身柄の引き渡し,機体の早期返還,機体の不可侵性の保証等について要求した。

9月8日

○ 米国は,外務省に対し,ベレンコ中尉の米国への亡命を受け入れることを通告してきた。

○ 防衛庁長官は,記者会見で,ミグ25の領空侵犯によって,わが国の防空体制に欠陥のあることが明らかになったので,今後万全を期するためにも防衛庁独自の調査が必要であることを表明した。

○ 防衛庁は,領空侵犯の事実を解明するためベレンコ中尉からの事情聴取を行った。

9月9日

○ ソ連側は,外務省に対し,乗員と航空機の引き渡しに関するソ連政府の抗議声明を伝達した。

○ ベレンコ中尉は,ソ連大使館員と面会し亡命の意志を伝えた後,午後7時28分東京国際空港から米国に向け出発した。

9月10日

○ 10日深更,ミグ25が法務省から防衛庁へ移管された。

 また,翌11日より同機を航空自衛隊の基地へ移送するための調査検討が開始された。

9月18日

○ 防衛庁は,ミグ25の移送のため,自衛隊の能力の足らざるところを補う必要最小限の範囲内で米軍のC−5大型輸送機及び所要の技術要員等を自衛隊の指令・監督の下に提供を受けることとし,その旨在日米軍に要請を行ったところ在日米軍司令官より所要の輸送機,技術要員等を,自衛隊側の申出のとおり提供する旨の回答がなされた。

9月19日

○ ミグ25を航空自衛隊百里基地ヘ移送するための解体作業に着手した。

9月20日

○ 外務省は,ソ連側に対し,9月9日付のソ連の抗議声明に反論し,ベレンコ中尉の亡命は自由意志によるものであること,今回の事件は,ソ連機がわが国の領空に侵入し,わが国の安全に対する侵害があったとの疑いを抱かせる事件であり,日本政府は当該機について必要な措置をとっていることを内容とする日本政府の立場を表明した。

9月22日

○ ソ連側は,外務省に対し,9月20日表明された日本政府の立場に反論するソ連政府の声明を手渡した。

9月24日

○ 米軍のC−5大型輸送機により,25日未明にかけてミグ25を函館空港から航空自衛隊百里基地ヘ移送した。

9月25日

○ 百里基地においてミグ25の調査を開始した。

9月26日

○ 防衛庁は,ミグ25の調査のため,自衛隊の能力の不足する技術的な面について必要最小限度の範囲内で米軍の技術要員及び機器等を自衛隊の指令・監督の下に提供を受けることとし,その旨在日米軍に要請を行ったところ,在日米軍司令部より所要の技術要員及び機器を自衛隊側の申出のとおり提供する旨の回答がなされた。

9月28日

○ ソ連外務省は「ベレンコの妻と母」の記者会見を行い,モスクワ放送で海外と国内に向け報道した。

9月29日

○ 小坂・グロムイコ会談がニューヨークの国連ソ連代表部で行われた。この会談において小坂外相は,近く機体をソ連側に返還する用意がある旨を伝達した。

10月2日

○ 外務省は,ソ連側に対し,10月15日以降機体をソ連側に引き渡す用意があることを伝えた。

10月4日

○ ミグ25返還のため,百里基地において機体の解体・梱包作業を開始した。

10月9日

○ ソ連側から外務省に対し,機体を引き取ることについて回答があった。じ後機体の引き渡しに関する技術的な事項等について,日本側とソ連側の折衝が進められた。

11月12日

○ 百里基地から茨城県日立港へ梱包された機体を移送した。じ後ソ連側による機体の確認作業が行われた。

11月14日

○ 機体の確認作業が終了し,ソ連側に機体を引き渡した。

11月15日

○ ミグ25を積載したソ連貨物船タイゴノス号は日立港を出港しソ連へ向った。

2 防衛庁のとった措置

(1) 領空侵犯に対する措置

昭和51年9月6日午後1時11分,航空自衛隊の奥尻レーダーサイトは北海道西方約180キロメートルのところを高度約6,000メートル,時速約800キロメートルで東進中の識別不明機を発見した。

この識別不明機に対し,1時20分F−4EJ(ファントム)2機を航空自衛隊千歳基地から緊急発進(スクランブル)させた。

この識別不明機は高度を下げつつ更に東進を続けたので,奥尻レーダーサイトでは国際周波数を用いて,日本の領空を侵犯するおそれがあるので注意するよう警告した。

しかし,同機はそのまま飛行を続けl時22分30秒,北海道茂津田岬(小樽市南西約20キロメートル)の沖合上空でわが国の領空を侵犯した。その後,同機は針路を南方に変え,更に高度を下げたため1時26分頃各レーダーサイト(奥尻,当別,大湊及び加茂)のレーダーから機影が消滅した。

一方,千歳基地より緊急発進したファントムは,この識別不明機に接近しながら1時25分頃機上レーダーで同機を捕えたが30秒程で機上レーダーから機影が消滅した。

奥尻レーダーサイトでは,識別不明機が領空侵犯したあとも約10分間(1時22分30秒〜1時32分)にわたり,同機に対し日本の領空を侵犯していること及び同機は直ちに退去すべきであることをロシア語と英語で警告した。

また,ファントム及び各レーダーサイトは,引き続き識別不明機の捜索に努め,1時35分頃レーダーサイドのレーダーにより奥尻島東方の海上で同機を一瞬捕えたがすぐ機影は消滅した。

識別不明機が高度を下げたこと,気象条件が悪かったこと(高度3,000メートル付近に雲がたちこめていた),海面や陸上からの電波反射の影響を受けたことにより,その後同機をレーダーにより捕えることはできなかった。

その後,航空自衛隊は函館空港事務所より「函館上空をジェット戦闘機が飛行しているが当該機に関する情報が入っているか」との照会を受け,1時49分ファントムを同方向に飛行させたが,1時57分頃識別不明機が函館空港に強行着陸したことを確認したので,ファントムを千歳基地に帰投させた。

識別不明機の領空侵犯の経路と緊急発進したファントムの経路はおよそ第20図のようになる。

なお,その後のベレンコ中尉の供述から次のことが判明した。

○ 飛行経路については,9月6日12時50分(日本時間)サカロフカ基地(ウラジオストクの北東約220キロメートル)を離陸し,いったん高度5,000メートルまで上昇したのち,高度を50メートルまで下げ,高速で海岸線から200キロメートルまで飛行しソ連のレーダー覆域外に出た。

○ その後約8,500メートルまで上昇して北海道方向に飛行し,北海道に接近したところで高度を下げた。

○ 当初は千歳に向かう計画であったが,千歳方向は雲で覆われていたため断念し,高度を下げ雲の下を飛んでいたところ飛行場が見えたので着陸した。

○ 飛行中,一部の機器のスイッチを切っていたため日本側の警告は知らず,日本機をレーダーで見ることもなかった。

(2) 着陸後の措置

ア 実況見分に対する技術的支援

ミグ25のパイロットであるベレンコ中尉の行為は,出入国管理令,航空法等の国内法に違反する容疑があったので,まず,捜査当局がベレンコ中尉の取調べを行うこととし,その証拠物件としてミグ25の機体を領置し,実況見分を行った。その際,防衛庁からも要員を派遣し,北海道警察函館方面本部が9月7日に実施した実況見分及び引き続き函館地方検察庁が9月8日から実施した実況見分に際して,要請に応じ必要な専門技術的知識を提供した。

イ 百里基地への移送と調査

(ア) 移送の必要性と移送先の選定

上記の捜査当局の取調べの終了に伴い,防衛庁としては,ミグ25を函館空港にいつまでも置いておくことは,同空港が民間飛行場であり,民間航空機の運航に支障をきたすおそれがあったこと,必要な格納庫等の施設や器材がないこと等から機体の保護,警備等を十分適切に行いがたい上,防衛庁としての必要な調査も同空港では十全を期しえられないとの判断の下に,保管,調査のための条件が備っている航空自衛隊の基地へ移送することの検討を開始したが,移送先については,将来,機体をソ連に返還する場合のことをも考え,あらゆる角度から検討を加えた結果,百里基地が最も適当であるとして選定された。

(イ) 百里基地への移送

函館空港から百里基地への移送については,当初防衛庁独自で輸送方法を検討した。

しかしながら,機体をあまり細かく解体せず,またできるだけ早期に函館空港から運び出すためには,自衛隊は十分な能力を有せず,結局,米軍のC−5(ギャラクシ−)という大型輸送機を使用する必要があると判断され,米軍に要請を行うことになった。

C−5で運ぶとしても,主翼,尾翼の収外しなど最小限の解体を必要としたが,自衛隊では何分ソ連の新鋭戦闘機にふれることは初めての経験でもあり,特に機体の一部には自爆装置が仕込まれているとの情報もあり,短時日の間に解体するためには,自衛隊の能力の足らざるところを補う必要最小限の範囲で米軍の技術要員及び機器の提供を受ける必要があると判断され,米軍に併せ要請を行った。

こうして9月19日から米軍の機器及び技術要員の提供を受けてミグ25の解体作業にとりかかり,9月24日までに移送に必要な範囲で解体作業を完了,同日深夜から25日未明にかけてC−5により百里基地へ移送した。

(ウ) 機体調査の概要

ミグ25の調査は,百里基地において9月25日から10月3日までの間行われた。

この調査は,ミグ25のわが国に対する領空侵犯及び強行着陸の背景状況を解明することを目的としていた。そのために必要な範囲において,機体,エンジン,各種とう載電子機器等に関しミグ25がレーダー網や要撃機に捕捉されずに低高度でわが国の領空に侵入してきた事情を調査した。

この際,同機によりわが国の防空能力等に関する資料が収集,記録されていないかどうかについての確認も行った。

ウ 機体の引き渡し

昭和51年9月29日,ニューヨークにおいて行われた小坂・グロムイコ会談のあとを受けて,10月2日外務省はソ連大使館に対し,ミグ25の機体を10月15日以降いつでも茨城県のしかるべき港においてソ連側に引き渡す用意がある旨伝えた。

その後ソ連側との間で機体引き渡しの技術的な手続き,方法などについて折衝が続けられた結果,11月12日茨城県日立港において機体をソ連船に引き渡し,その後船上においてソ連側が点検確認を行うことで合意に達した。

一方,防衛庁は日ソ間のこのような話し合いの進展にいつでも応じうるようあらかじめ機体の梱包を終えるとともに,百里基地から日立港までの輸送ルートの実地調査をしたり,警備上の問題について警察当局と打ち合わせをしたり引き渡しの諸準備を進めていた。

こうして11月12日未明,25個に厳重に梱包された機体及び燃料タンクは,8両のトレーラやトラックに積まれて,日立港に運ばれ,同日朝,機体の日立港到着とほとんど同時刻に日立港に入港したソ連の貨物船タイゴノス号に船積みされた。

梱包された機体の船積みが完了するや直ちに日本側係官立会いの下で,ソ連側技術者による機体の点検確認の作業が始められた。

この作業は,ソ連船に乗込んでいた20数人のソ連側技術者を中心に行われたが,数人ずつ幾つかのグループに分かれて,それぞれあらかじめ用意されていたチェックリストと照合しながら機体の各部について相当念入りな点検が行われた。

11月14日,ようやくこれらの作業が終了し,双方で合意された手続きを経て,ミグ25は正式にソ連側に引き渡された。

そして翌15日,ミグ25の機体をのせたタイゴノス号は,日立港を出港していった。

エ 防衛庁がとった措置の根拠

ミグ25事件は,ソ連軍用機が,わが国領空に不法に侵入し,わが国民間空港ヘ強行着陸したことにより,わが国の意思とは関係なく発生した偶発的事件であった。

これに対してわが国がとった措置,すなわち領空侵犯及び強行着陸の背景状況,なかんずく,わが国の安全を侵害する事実があったか否かを解明するために所要の調査を行い,その後機体をソ連に返還したことは,国際法にも,国際先例にも合致する主権国家として当然の措置であった。

また,この事件は,わが国において初めてのケースであり,当初の段階における措置について,関係省庁間の度重なる連絡協議を必要としたのであるが,かかる機体の保管・調査等の措置に当たる責任と権限は,当然,わが国の平和と独立を守り,国の安全を保つことを目的とし,領空侵犯に対処する任に当たる防衛庁に属するものである。

今後,この種の事件がそう頻繁に起るとも考えられないが,今回の体験を無にすることのないよう,その円滑な処理のため,対処要領を具体的に定めておくことも必要であろう。

3 事件の教訓等

(1) 低空侵入対処における問題点とその対策

日本は細長い島国であり,防空にとって非常に難しい地形的特性をもっている。したがって,航空機の侵入を防ぐためにはできるだけ早く発見しこれに対応する必要がある。

このため航空自衛隊は,全国28箇所に配置されたレーダーサイトにおいて,わが国とその周辺上空を飛行する航空機を昼夜の別なく警戒監視しており,不審機の発見に努める一方,不審機を発見した時は,即座に緊急発進を行いうるよう要撃機とパイロットを地上待機させている。

自衛隊は,このような態勢をとっていながらなぜミグ25の侵入を許したのか,また領空侵犯に対処するための態勢にどのような問題点があったのか等を調べてみるとおおよそ次のような点が指摘される。

○ 低空侵入に対する早期警戒監視機能の欠落

○ 要撃機のルックダウン能力の不足

これらの問題点の細部については,その対策を検討する際に併せて触れることにする。

ア 早期警戒監視機能の欠落とその対策

レーダーは世界各国で防空に役立っているが,その原理上避けられない欠点もあり,これは各国共通の悩みでもある。

レーダーは,直進する電波を利用して目標を捕える仕組みになっているため,見通し線以下の飛行物体に対しては発見が不可能である。

低空侵入しようとする航空機を早期に発見するためには,早期警戒機(AEW機)の導入が考えられる。

この早期警戒機というのは,簡単にいえば「空飛ぶレーダーサイト」であり,航空機にレーダーをとう載して空中から監視するものである。早期警戒機を必要な空域に飛行させることにより,レーダーサイトで発見できない見通し線以下の飛行物体を早期に発見することが可能となる。

また,早期警戒機は自ら飛行できるので,警戒地点を変更して所望の地点で警戒監視を行うことが可能であり地上レーダーに比べて融通性もある。

低空侵入に対処する問題については,防衛庁は以前から検討してきたが,「防衛計画の大綱」において,低空侵入に対する早期警戒監視の任務に当たる1個警戒飛行部隊を保有することが決定された。

今回のミグ25事件により明らかとなった低空侵入機に対する警戒監視機能の欠落を解消するため,早期警戒機が早期に導入されることが期待されている。

低空侵入に対する警戒監視の手段として,前記の早期警戒機の配置のほかにレーダーを装備した船舶の海上配置,戦闘機による空中パトロール等の手段が考えられるが,これらの手段は,現時点では効率等の点で早期警戒機の配置に劣るものである。

なお,航空自衛隊が現在装備しているサイトのレーダーは,逐年更新されてはいるものの旧式装備もあり,これらはクラッター現象を除去する能力,レーダー覆域等が十分ではないため,引き続き能力の改善を図っていく必要がある。

イ 要撃機のルックダウン能力の不足とその対策

千歳基地から緊急発進したファントムは,いったん機上レーダーでミグ25を捕えていながら約30秒程でレーダ−から機影が消滅している。

これはミグ25が急激に高度を下げ低空飛行に移ったため,ルックダウン能力(航空機自体の低空捜索能力,すなわち海上又は地上からの反射電波の中から目標を区別してとり出す能力)の低いファントムの機上レーダーがミグ25の機影を見失ったものと思われる。

識別不明機が発見された場合は,通常まずレーダーサイトが,わが要撃機を識別不明機の近くまで誘導し,その後は要撃機自らが機上レーダー等により識別不明機に更に接近して対応措置をとることとなる。このため,要撃機の対応措置は機上レーダーの性能に左右される。特に今回の事件のように,いったん捕捉した識別不明機を低空飛行に移った際見失ったことを考えるとルックダウン能力の優れた要撃機の装備が必要であり,防衛庁としては,このような性能を満たす新戦闘機を装備したいと考えている。

(2) 領空侵犯機に対する強制着陸等

通常の領空侵犯は,航法ミス,緊急避難などの理由による場合である。これらの理由による通常の領空侵犯機に対しては,自衛隊機の緊急発進,適切な警告等により,領空外ヘ退去させる等のことはそれほど困難ではない。

しかし,領空侵犯がいかなる事情によって生じたかは,領空外ヘ退去させた後の関連する情報等により判明するのが通常であり,緊急発進した自衛隊機が領空侵犯機を確認し捕捉した瞬間には,自衛隊機も領空侵犯機も高速で飛行することや,また,相互の交信が必ずしも容易でないこともあり,これを明確に把握することは困難な場合が多い。このような実情の下で,わが方の再三の警告にもかかわらず,そのまま領空侵犯を継続するような場合,特にそれが軍用機であるときには,場合により偵察や侵攻目的による領空侵犯のおそれをも考慮して対処せざるをえない。このような領空侵犯機に対しては,単に領空外に退去させるのではなく,これを強制的に着陸させ,所要の調査を行うことも必要となろう。

いずれにせよ,その時その時の具体的な状況に応じて対処することとなるが,航空機のスピードは極めて速いため,事態は,分秒のうちに推移する性格のものであり,適時適切な対処は決して容易でないであろう。上記のような事態はめったに起こりえないことであろうが,そのような場合に,いかに有効な対処措置を確保するかについては,今後とも検討を続けて行くべきものと考える。

(3) 連絡体制等の整備

ミグ25事件の発生から防衛庁長官(新幹線車中)への報告まで約1時間半を要したこと等,事件発生当初における庁内の連絡体制等が必ずしも十分でなかったことが指摘された。

防衛庁としてこれらの点については謙虚に反省し,連絡体制等について改善を図るべく検討中である。

平時において全庁的な立場から対処を要する際の連絡体制等については,この度の教訓を生かしその構成,運営要領,連絡手段等総合的に検討を行っている。

また,有事における指揮機能の強化についてもその見直しを始めている。