第1章

 国際情勢と軍事力

1 世界の軍事構造
2 北東アジアの軍事環境

 

 昭和51年度版「日本の防衛」において,米ソ両国は核戦力の充実に伴い巨大な破壊力の相互使用への恐怖が増大し,核戦争及びそれに発展しかねない通常戦争の回避を図らざるをえないとの共通認識を持つようになり,東西関係では「共存と抗争」という二つの現象が併存している旨述べた。

 更に、核時代の今日において,いわゆる大国以外の国々もそれぞれしかるべき軍事力を持って,いわば力の空白地帯をつくらないよう努め,いずれの国からも軍事力で挑戦できないような連結した国際的な体制を作っていくことが重要であり,またそうすることがその地域の安定的均衡を維持し,国際の平和に役立つものであるという「軍事力の今日的意義」についても言及した。このような判断はもちろん,今日においても変わりがないし,また近い将来大きく変わることも考えられない。

 そこで本年度版「日本の防衛」においては,このような判断の基礎となった国際情勢の軍事的側面すなわち「共存と抗争」を支える米ソを中心とした世界の軍事力の実態とその構造についても敷衍して説明し,その中でわが国及びその周辺地域がどのような位置づけにあるかといった問題をとりあげることとした。その理由は,次のとおりである。

ア 現在の国際社会にあっては,軍事力の影響があたかも地球をとり巻く磁力線のように世界のすみずみまで及んでおり,自ら軍事力にたのむところがないからといっても,好むと好まざるとにかかわらず外部からの軍事力の影響を免れることはできない。したがって,単に安全保障の問題に限らず,一般に国際情勢をみる場合,そこに存在する軍事力の機能―単に軍事面での役割だけでなく国際政治上の意味あい―を無視しては国際情勢の動きを的確に把握することはできない。

イ 更に,国の安全のすべてが防衛又は軍事力の動向に左右されるものではないし,軍事的観点だけから考えられるべきものでないことはいうまでもないが,国の安全を考える場合,最も重要な要素の一つである世界の軍事力の実態を見極め,国の安全にかかわる具体的な条件を冷静に受け止めることから出発しなければならない。

  また,防衛あるいは軍事力は,その力そのものや軍事的事象を個人に眺めるだけでなく,世界の軍事的な構造について総合的な理解の上に立って考えなければならないものと思われる。

 本章では以上のような観点に立って,国際情勢を軍事的な側面から概観することとした。

1 世界の軍事構造

(1) 戦後における特微

戦後における主要な軍事的環境の特徴を戦前のそれと比べれば,以下述べるような特色があると思われる。

ア 第2次大戦前の主要国はいずれも圧倒的な軍事力を持つに至らず,相互に桔抗する存在であった。しかし,「今日の世界には,もはや多くの軍事大国は存在せず,二つの大国,米国とソ連が存在するのみである」(1978年度米国防報告)といわれるように,米ソ二つの軍事大国の存在が,戦後における一つの軍事的特色となっている。

第2次大戦後,米ソ両国は他に抜きん出て国際的地位を高めたが,政治,経済体制を異にする両国の間には不信と警戒の念が常に介在しており,双方は基本的には対立関係にある。このような環境の下に米ソ両国は自国及び同盟国の安全保障を確保するために,また主要各国は米ソ両国の巨大な軍事力を前にして自国の安全を図るために,米ソを中心とする集団安全保障体制を築きあげた。戦後の集団安全保障体制は,戦前の同盟関係がいわば流動的な面を持っていたのとは異なり,NATOやワルシャワ条約機構のように,おおむね東西関係に従って形成されてきた。また,このような集団安全保障体制に属さない国々の多くも,なんらかの形で米ソ両国と軍事的なかかわり合いを持つに至っている。この結果,世界の軍事的事象の多くが多かれ少なかれその影響を受けることとなった。(第1図 世界の集団安全保障体制

イ 核兵器を擁する米ソの巨大な軍事力と集団安全保障体制の存在は,諸国間に万一武力衝突が発生した場合に,その規模と損害が甚大となる可能性を高めている。このことは,少なくとも主要国間の直接的な軍事力の行使に極めて大きな制約を与えている。

集団安全保障体制が主要国間の軍事的紛争を強く抑止する効果をもつことは,これまでの実績からも,国際的には当然の認識として受け止められており,このことは,いうまでもなく日米安全保障体制についても当てはまるといえよう。

ウ 第2次大戦後の今日,こうした軍事力行使の制約要因が存在するにもかかわらず,世界各地では大小さまざまな局地的軍事紛争が現実に発生している。このことは,世界の軍事構造の上で前記の条件が成り立たない部分が存在しているということである。

もともと世界各地には領土,民族,宗教,イデオロギーその他の紛争要因が数多く存在しており,しかも国際社会の複雑化に伴って多様化する傾向にあり,その中には従来ならば容易に軍事紛争に発展するような要因も含まれている。したがって前述の抑止機能が及ばない場合には,内戦や二国間以上にまたがる国際的な軍事紛争が往々にして発生している。

この場合,軍事力の行使が強く抑制されている主要国同士が直接衝突するという可能性は少なくなっているが,しかしそのためにかえって,このような局地的な紛争に東西いずれかの主要国が直接的あるいは間接的に介入し,局地的な紛争を増大させたり長期化させるという事態も発生している。

平時又は紛争時における軍事援助による影響力の行使などに加えて,最近ではアンゴラ紛争におけるキューバ人の参加にみられるように,主要国以外の軍事力を直接に介入させるという方法もとられている。平時においても演習その他によって軍事力の存在を誇示したり,また特に誇示することがなくても,強力な軍事力の存在そのものが,相手に対して必ずしも自由には振舞えないということを強く認識させることによって,軍事力を政治的な影響力に転化させるという傾向も増大している。このように軍事力の本格的使用が制約されている反面,軍事力の使用の態様は複雑化する傾向を示している。

究極のところ,軍事力の役割ないし機能は相手の軍事力の行使を直接阻止あるいは抑止することにあるものの,それ以前の段階のものとして,相手の軍事力の存在が一方的に政治的な影響力に転化することを防止するということにあることも重視されなければならない。

このように本来,軍事力は,それが直接に行使される場面のみに着目することにとどまらないで,行使される以前のその影響力にも着目することが必要である。

エ これらの軍事力を全体として眺めると,後に具体的に述べるように米ソ両国の巨大な戦略核戦力の存在と,主として欧州と極東におけるソ連の兵力の集中に対する米国の兵力の前方展開及び米本土からの海上交通路の確保とが世界の軍事態勢の主要な骨格を形作っている。

このような軍事的構造の下にこれまで米ソ両国の戦略核戦力の面では相互抑止が確保され,通常戦力の面では主として海空軍力による米国の優位の下で西側の安全が維持されてきた。

オ これに対してここ10年程のソ連軍の著しい増強ぶりは,それまで圧倒的優位を保ってきた米国の軍事力の同時期における量的低下傾向と対照的であり,ソ連に対する米国の軍事バランスは依然維持されているものの最近における世界の軍事情勢のもう一つの大きな特色となっており,世界の軍事的構造とそこから導き出される西側の安全保障にかかわる具体的な軍事的条件に及ぼす影響という面でその帰すうが注目される。

米国は,西側の同盟国や友好国等が安全を全うすることがすなわち米国の安全を確保することでもあるとの認識から,基本的にはその対外コミットメントそのものを維持することに変わりはないものと思われる。しかしながら,米国は軍事的な領域のすべてにわたって,従来と同じような密度で,一方的に西側諸国に対して防衛力を提供する余力を持ちえなくなっているとの立場(1978年度米国防報告)から,必要な規模の軍事力の維持に努めるとともに,自らの軍事力を均衡のとれかつ柔軟なものとすることによって効率化を図る一方,西側同盟諸国各々による自国の防衛のための努力と相互の安全保障上の有効な協力関係を強く期待している。

カ 各国は適切な防衛力を整備することによって,集団安全保障体制に基づく戦争抑止の構造を支えるために必要な機能を備えることが望ましい。すなわち,今日の軍事力は,通常一国のみの軍事力によってその周辺の軍事力に対抗するといった性格のものではなく,集団安全保障体制全体として戦争を抑止し安全を維持するための国際的な条件を形成するといった性格が強い。これが今日の軍事態勢の下における安全保障のあり方といえるであろう。

(2) 米ソを中心とする軍事態勢

ア 米ソの戦略核戦力と相互抑止関係

米ソ両国の戦略核戦力は,その構成戦力におけるウエイトの置き方に幾分の相違がみられるものの,ICBM(大陸間弾道ミサイル),SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル),戦略爆撃機という3本柱から構成されている。

そして今日,米ソ両国は,いずれも相手側の先制攻撃を受けた後においても相手側に耐え難い被害を与えることができるいわゆる第2撃能力を保有することによって核戦争を相互に抑止し合う関係にある。1972年の戦略兵器制限交渉における米ソ間の合意は,このような両国間の核抑止関係をより安定化させるため行われ,現在もその努力が継続されている。

また,このような核戦力によって,米ソ両国は核を持たない友好国に対する「核の傘」を提供している。

(ア) ソ連

ソ連は戦略核戦力の整備において,まず陸上を基地とするICBMを重視して弾頭威力の大きい大型ミサイルを開発するとともに,次いでSLBMの開発も進め,とりあえず米国との核均衡を達成することを目標として,この10年間ほどミサイルの大幅な数的拡大を続けてきた。しかも近年に至り,ソ連は戦略核戦力の質的改善にも力を入れている。また,核戦争が起きた場合に備えて民間防衛計画,産業疎開計画に年間10億ドル程度といわれる資金を投入する等被害局限能力の向上にも力を入れている。これらのことから米国では,ソ連は核戦争の場合にも,それに耐えうる能力を目指しているのではないかという見方も出ている。(第2図 米ソの戦略核ミサイル

(イ) 米国

米国は,核戦争をいかに抑止するかという観点から戦略核戦力を整備してきた。そのために先制攻撃を受けた後においても相手に耐え難い被害を確実に与えることができるいわゆる確証破壊能力を保有することを主眼とし,ICBM,SLBMのランチャー数は1960年代後半以降,今日に至るも変わっていないが,ミサイルのMIRV化などの質的改善により戦力の充実を図ってきた。また米国は,ソ連のように被害局限能力の強化には現在それ程大きな努力を払っていない。

しかしながら,今日ソ連の戦略核戦力が多くの分野において米国より数的に優位にあり,かつ質的向上もめざましいものがあることから,戦略核戦力の非ぜい弱性の維持を図るため,いわゆる3本柱の近代化にいかに取り組むかが緊急課題とされている。

イ ソ連の兵力集中と米国の前方展開

今日の米ソ二大国を中心とする軍事態勢の基本構造は,前述の米ソ両国の戦略核戦力による相互抑止関係を背景に,欧州及び極東におけるソ連の兵力集中に対する米国の兵力の前方展開という形でとらえることができる。このような基本構造は,必ずしも偶然に成立したものではなく,米ソ両国がよって立つ戦略的,地勢的な理由によるものと思われる。

(ア) ソ連の兵力集中

第2次大戦終了後,米国が原爆の独占等を背景として動員を解除し,欧州とアジアの駐留兵力を大幅に縮少した過程にあっても,ソ連は欧州と極東の自国及び友好国の広大な領域に地上軍を中心とするぼう大な軍事力を維持することによって安全を図る政策をとり,基本的には今日に至るも継続されている。

今日ソ連は,欧州における戦略上不可欠の要域とされる中部ヨーロッパ地域,特に東独を中心に質的にも最も高度な陸空軍戦力を配備するとともに東欧諸国に隣接する自国領に多大の兵力を控置し,周辺海域には強力な海軍力を維持している。

更にソ連は,中ソ対立が国境付近における軍事的紛争に発展するに至って,極東においても兵力増強の必要性を認め,欧州正面の兵力規模をも増大させながら,大きな兵力を中ソ国境周辺に配備してきた。(第3図 世界の軍事力(通常兵力)の対峙

(イ) 米国の兵力の前方展開

米国は,ソ連と異なり両次の大戦で参戦に至るまで十分な時間的余裕を持ちえた経験及び原爆の独占を背景として,第2次大戦が終了すると,平時に大規模な軍備を維持する必要性はないとの判断の下に,動員を急速に解除した。

しかしながら米国は,ソ連が前に述べたような政策をとったことから,西側同盟国が東側の軍事力に十分対抗できる実力を持たず,万一の場合には米国に動員のための時間的余裕を与えてくれることが期待し難いことを認識し,平時においても相当な戦力を備えておく必要に迫られ,現役兵力を増強するとともに欧州とアジアの前線に必要な戦力をあらかじめ配置しておくいわゆる前方展開戦略を採用することとした。

このような経緯を経て,今日米国は欧州においては寸土も譲らないという防衛方針の下に,ワルシャワ条約軍の桃戦に対処できる十分な規模でかつ即応可能な形で適切に配置された軍事態勢を維持することに努力し,NATO諸国とともに阻止戦力を構成している。

一方,米国はアジアにおいて,伝統的に特定国による支配的影響力の確立を防止することをこの地域の平和と安定ひいては米国自身の安全のための不可欠の条件とし,その条件を脅やかすおそれのある紛争の発生を抑止することを主眼として,主として北東アジアに海空軍を主体とした抑止態勢を維持してきている。

同時にこうした前方展開戦略を支えるために,米本土から前方展開地域への海空交通路の安全確保が不可欠であるとされている。

ウ 軍事バランスの変化

かつて,米国は核戦力,海軍及び空軍における軍事優位を背景として強大な地上兵力を持つソ連の周辺地域への進出をせき止めるための政策―いわゆる封じ込め政策をとり,米本土のみならず欧州からアジアに至るソ連の周辺地域に米国の基地網,特に航空基地を展開し,かつ,米本土からこれらの基地に対する海空交通路を平・戦時を問わず確保していた。米国の圧倒的な軍事技術優位と集団安全保障体制に支えられたこのような対ソ政策によって,ソ連は周辺地域への進出が阻まれるとともに,ソ連の軍事力の性格もあって遠隔地における行動の自由を制約されていた。

以上のような,米国の優位にある軍事力の展開が西側の防衛態勢の大きな支えとなり,西側の安全はこのような状況の下に確保されてきたものといえる。

しかし,1960年代以降におけるソ連の軍事力増強は,このような制約の下にあったソ連の安全保障上の立場を改善するのみならず,米ソ間の軍事バランスとその構造の内容にある程度の変化を及ぼしつつある。

今日,ソ連は米国に対する核抑止態勢を拡充するとともに,本土防空能力の向上,地上軍と戦術空軍の近代化,海軍力の増強と外洋進出の達成等によって,欧州及び極東地域における軍事態勢をより強固なものとしており,特に兵力規模の面では米国を上回り,また米本土からの海空交通路の安全について問題が生じつつある。このような状況の下において,西側諸国では米国との協力を緊密化することによって,これらの地域の防衛態勢を維持,強化する必要があるとの認識があらためて明らかになりつつある。

更にソ連海軍力の増強により,民族解放闘争支援を対外政策の一環とするソ連が遠隔地域に対する介入,支援を行う能力を強めたとみられ,アンゴラを含むアフリカ南部等の緊張と紛争にみられるように,米ソ間に新たな対立の要因をもたらすに至った。

(3) ソ連の軍事力増強と西側の対応努力

ア ソ連の軍事力増強と西側の懸念

キューバ危機(1962年)が一つの契機となっているといわれるソ連の急速かつ著しい軍事力の増強の前に,もはや米国のかつての圧倒的な軍事力の優位は失われつつあり,この事態を深刻に受けとめた米国は,1976年以来国防予算の低落傾向をくい止め,バランスの確保に努力し始めている。

同時に西側諸国もソ連軍を中心とするワルシャワ条約軍の増強をまのあたりにして,そのバランスを確保し,また核が容易に使用されないようにするためにも通常戦力の整備に努力し始めている。

(ア) ソ連の戦略核戦力の増強については,従来からの量的優位の重視に加えて,最近における新型ICBM,SS−17,18,19の配備及びD級弾道ミサイルとう載原子力潜水艦に装備された新型SLBM(SS−N−8)の展開,命中精度の向上,MIRV化など米国の予想を上回るスピードで行われている質的改善並びに各種の民間防衛施策などに努力が払われている。これらの結果として,米国では核抑止態勢の下におけるソ連の相対的優位が実現すれば,場合によってはソ連を政治的に強い立場に置くのみならず,米国に対する西側諸国の信頼に影響を与えるという懸念もみられる(1978年度米国防報告)

(イ) ソ連陸軍の増強については,特に中部ヨ−ロッパにおける最新型戦車T−72の配備を含む機甲戦力の強化,従来比較的小型であったソ連師団の大型化による火力,機動力の向上などがみられ,ワルシャワ条約軍が大規模な動員,増援なしでNATO地域への攻撃を可能にする能力を築きつつあるのではないかとの不安が示されている。なお,NATO諸国とワルシャワ条約諸国との間における中欧相互均衡兵力削減交渉(MBFR)はいまだ目立った進展がみられない。

(ウ) ソ連の航空戦力のうち,西側で注目を集めているのは,バックファイアー爆撃機及びSU−19に代表される新型の戦闘爆撃機である。前者は第2次戦略兵器制限交渉との関係で,米国の巡航ミサイルとともに規制の対象とするか否かで注目されており,また対艦ミサイルをとう載した場合に米空母にとって脅威を高めるものとして懸念され,そのぜい弱性に関連して空母の価値及び戦力構成における位置づけが論争の的となっている。

従来のソ連の戦闘爆撃機が小型,軽量で航続力,とう載量とも限られ,主として地上軍の支援に用いられていたのに対し,SU−19,MIG−23などの新型戦闘爆撃機はエンジン,電子装備などの技術進歩を背景に従来と異なった設計思想で造られており,長大な航続力,優れたとう載量,進歩した電子装備による優れた低空侵入能力を持ち,西側の防空体制に深刻な問題を提起している。

(エ) 1950年代までは沿岸防備海軍であったソ連海軍は,今日では各種のミサイルを装備した大型水上戦闘艦艇,原子力潜水艦,爆撃機などを保有し,外洋での行動も活発となっている。

特に米国内では,西側の制海能力及び海上交通に対する脅威が増大することによって,前方展開戦略の基礎をゆるがしかねないとの懸念がみられ,またソ連の遠隔地への介入能力などに関心が集まっている。

1976年,初めて地中海にその姿を見せたソ連の新型空母キエフは,米国の攻撃空母とは性格,能力が異なり,対潜水艦戦を主任務とし,併せて防空及び対艦・対地攻撃の能力も有するとみられているが,上陸作戦にも使用可能と推定されている。

(オ) このようなソ連軍事力増強の意図について,1978年度米国防報告は,政治的圧力による西側諸国の結束の分断第三世界における影響力の拡大ソ連と西側の政策が競合する地域における西側の軍事的優位の無力化とそれに伴うソ連の発言力増大西側との軍備管理交渉におけるソ連に有利な内容での軍事バランスの固定,などの点を指摘しており,ソ連はいわゆる緊張緩和政策の推進により米国との核戦争の発生を防止しながら,軍事力増強によって米国が対決を回避した地域に対する影響力の増大及び西側あるいは第三世界に対する政治的発言力の強化などを意図しているとみられている。

イ 西側の対応努力

西側諸国特に米国では,このようなソ連の軍事力増強の実態と将来における政治的影響を深刻に受け止めており,1976年から質的な改善を中心とする真剣な対応努力が強化されている。

(ア) 戦略核戦力については,ソ連の増強に対応してそれを構成する3本柱の残存性を高めることを主眼として,移動可能なMX(ミニットマンの後継ICBM)及びICBMに匹敵する長射程のトライデントミサイル(潜水艦発射ミサイル,ポセイドンの後継SLBM)の開発を推進し,強力な防空網の突破能力に優れた戦略爆撃機B−1についても試作機を完成したが,その本格的生産についてはなお検討が行われている。

(イ) 中部ヨーロッパにおけるワルシャワ条約軍の増強に対応するため,米国は過去2年間に現役師団数を13個から16個に増強するとともに,米本土から2個旅団を西独に増派し,戦車の装備密度の高いソ連地上軍に対抗するため特に対戦車能力の強化に意を用いている。

この地域において約3対1でNATO側に劣勢な戦車数のアンバランスを埋めるために,現用の対戦車攻撃へリコプターAH−1コブラに加えて,より射程が長く射撃速度の速いレーザー誘導対戦車ミサイルとう載のへリコプターAAHの開発を進めるとともに対戦車用ミサイルとう載の対地攻撃機A−10の欧州派遣を予定している。

(ウ) 防空対策としては,ソ連の爆撃機及び戦闘爆撃機が低空でNATO領域に侵入することが可能となったので,従来の地上設置レーダーサイトでは目標の探知が困難となったのみならずレーダーサイトそのものが破壊されやすくなった結果,NATO諸国は地上のレーダーシステムを補完する目的から,いわば空飛ぶレーダーサイトともいうべきAWACS(航空機による空中警戒管制及び指揮統制システム)の導入を計画し,1980年代前半に装備する予定である。大規模な地上軍の侵入に伴って生ずると思われる航空侵攻に対処するため,NATO防衛地域特に西独においては前方に地対空ミサイルにより構成される防空帯を形成し,その後方には戦場上空の制空権獲得を含めた広域防空能力の改善のために新鋭戦闘機のF−15を配備し,加えてF−16などの導入によって防空能力に厚味を加えようとしている。更に航空基地の抗たん性を高めるために,戦闘機などの防護用掩体の建設が進められている。

また,航空戦力増強のために米国は今年中にF−15,F−111各1個航空団の欧州派遣を予定している。

(エ) ソ連の海軍力増強の主要なねらいの一つは,西側の制海権への挑戦,特に米本土からの補給,増援の阻止を目的とする海上交通の遮断にあるとみられており,その主要な手段は,潜水艦,航空機及び水上艦艇から発射される対艦ミサイルといわれ,これに対する米側の防御能力の強化が図られつつある。

特に,水中からこの種ミサイル及び魚雷を発射しうる原子力潜水艦は水上艦や航空機に比べて探知が困難であり,ソ連海軍はこの種潜水艦を主要な戦力として重視しているところから,西側では重大な脅威とみなしており,その対策に力を入れている。

西側特に米国の対潜システムは,ますます総合化する傾向にあり,基本的には海底固定遠距離潜水艦探知システムによって潜航中の潜水艦の概略位置を知り,水上艦艇,対潜哨戒機,対潜へリコプター,対潜用潜水艦などにより,目標の精密な捕捉と攻撃を行うシステムがとられている。近年は原子力潜水艦がその優れた水中運動性能及び進歩した探知,攻撃システムによって対潜手段としての役割を増大しつつあり,米国は最新鋭のロスアンゼルス級攻撃型原子力潜水艦の大量建造を開始している。

(注) 戦略兵器制限交渉(SALT Strategic Arms Limitation Talks) 米ソ間の核戦争発生の危険を減少させ,核軍備競争を抑えるために戦略兵器を制限しようとする交渉であり,両国間の諸交渉の主要な柱となっている。1969年11月に交渉が開始され,1972年5月にABM制限条約及び戦略攻撃兵器の制限に関する暫定協定及び同議定書(以上SALT)が結ばれた。

1972年11月から第2次交渉(SALT)に入り,暫定協定により広範囲の戦略攻撃兵器を対象とする協定の締結をめざして交渉が続けられている。1974年11月ウラジオストクにおける米ソ首脳会談で,おのおのが保有できる戦略攻撃兵器(ICBM,SLBM及び長距離爆撃機)の総数を2,400とすること及びMIRV(独立して別々の目標に到達する複数の弾頭)を装着するミサイル(ICBM及びSLBM)の総数を1,320とすることが合意されたものの,爆撃機(バックファイアー),巡航ミサイルの取扱い等をめぐって意見が対立してきた。1977年10月3日の暫定協定の期限切れをひかえ,米ソ両国は,1977年に入って新協定作りに努力してきたが,3月のモスクワにおける外相会談を経て5月の外相会談(ジュネーブ)において,暫定協定にとって代わる新たな協定の早期締結を目的として協議を続けることが合意され,以後米ソの接触が続けられている。

(注) 中欧相互均衡兵力削滅交渉(MBFR Mutual and Balanced Force Reductions) 中欧における関係国の兵力,軍備を東西双方が均衡的に削減し,より低い兵カレベルで安全保障を維持することを目的とし,NATO側が1968年欧州安保協力会議(CSCE)とからめて提案し,ソ連が本交渉に応じたものである。参加国は,NATO側,ワルシャワ条約側計19か国(内8か国はオブザーバー)で,1973年1月から6月の予備交渉後,本会議は1973年10月からウィーンで開かれているが,「東西の戦力を段階的に削減し,最終上限兵力を同数とする」という西側の立場と「削減兵力は同数又は同率とすべきである」という東側の立場に基本的な相違があり,実質的な進展はみられていない。

2 北東アジアの軍事環境

(1) 主な特徴

ア 地理的特性と兵力構成

欧州と北東アジアを軍事的な観点から比較すると,欧州特にその中央部は欧ソ,ポーランドからフランスにかけて,大部隊の機動的な作戦行動に適する連続した大平原が地勢の中心を占め,その周辺に海洋が存在している。その結果,欧州では陸続きという条件並びにNATO軍及びワルシャワ条約軍ともに同種兵力の対峙ということから緊張,対立が厳しいものとならざるをえない。

これに対し北東アジアは,大別して大陸部と海洋とからなり,それは大陸部,半島,島嶼,海峡,海洋などの異なった地理的環境を含んでいる。その結果,相対する軍事力の構成においては,陸続きの中ソ国境及び朝鮮半島では欧州と同様,陸軍と戦術空軍がその中心となるが,その他の海峡,海洋においては,海軍及び海軍航空兵力を含む空軍が主力となる。

陸続きの中ソ間及び朝鮮半島では同種兵力の対峙であり,緊張,対立が厳しいが,米ソ,米中間にあっては海をはさむという地理的環境の差異もあって異種兵力の対峙であり,緊張,対立の厳しさは大陸部や半島の場合と異なっている。

しかしながら,最近におけるソ連は,海軍力の増強と外洋進出によりこの地域における米軍兵力と直接対抗しうる兵力を持つ傾向にあり,米ソの軍事的対峙が厳しさを増してきている。「米国はかつて日本海で圧倒的な制海権を持っていたが,今日では我々が日本海で行うどんな作戦も,ソ連軍が大目にみてくれなければできない」というハロウェー米海軍作戦部長の米議会における証言(1976.2.2)は,このようなソ連太平洋艦隊の実力の向上と軍事的な環境の変化について表現したものである。(第4図 わが国周辺における兵力配備状況(概数)

イ 米中ソの3極構造

欧州における国際関係の基本構造はNATOとワルシャワ条約機構の対立という形で2極化されているのに対し,北東アジアでは,中ソの対立に伴って米中ソの3極構造が形成されている。

3極のてい立関係は,2極の場合に比べると,一国は他の二国の動向及び相互関係を常に計算に入れなければならないことから,各々の行動は自制的かつ慎重なものにならざるをえず,したがって欧州のような2極構造に比べると対立が決定的に進行しにくい面もある。

ウ 戦略上の位置づけ

(ア) 北東アジアは,欧州とともにユーラシア大陸において軍事的にはいわば二つの重要な正面を形成している。

米ソ間の相互抑止機能は二つの重要正面の一つである北東アジアにおいても,米国のこの地域におけるコミットメント遵守の強い決意と米軍事力の存在とによって,欧州と同様に有効に働いており,わが国とその周辺地域の軍事的安定に寄与してきたものといえよう。

また,これら両地域が軍事的には別個に存在している地域ではなく相互に関連性を持っているということはいうまでもない。

したがって,欧州の情勢を勘案することなしに北東アジアで本格的な軍事行動を一方的にとることには相当の制約があるであろうし,また,「欧州における戦争は性格上世界的規模の戦争になり勝ちである」(1977年度米国防報告)という認識にみられるように,わが国の安全を考える場合にも欧州等における軍事情勢を念頭において考える必要があろう。

(イ) また,朝鮮半島の情勢に関しては,南北間の緊張と対立が依然続いており,中ソ対立以降はそれまでの世界的な東西対立の一環という位置づけよりはややローカルな性格を強めたとはいえ,北東アジアにおける不安定要因であることには変わりがない。

歴史的にも朝鮮半島は,わが国の安全にとって重要な関係を占めてきており,朝鮮半島における平和と安定の維持がわが国の安全にとって重要であることは現在も変わらない。

(ウ) 中ソ両国が,国境周辺に配備している兵力は,欧州におけるNATO軍とワルシャワ条約軍の対峙兵力に次いで多く,当面中ソ間における大規模武力紛争の発生は予想し難いものの,万一の場合には,その影響するところが大きいので軍事的にも注目を要するところである。

一方,アジアの大陸部に存在する中ソの巨大な軍事力は互いに相対することによって,アジア大陸周辺部よりは,その内部に対して指向されており,西大平洋地域における米軍事力の存在等とあいまって,この地域の軍事的安定にとって無視しえない要因となっている。

(エ) ソ連海軍力の増強は,これまでに述べた北東アジアの軍事構造にある種の変化を及ぼすことになる。

アジア大陸から海で隔てられている島嶼地域がこれまで享受してきた安全保障上の有利な立場は,米国の圧倒的な制海能力に負うところが大きいが,このような米国の制海能力はソ連が海洋において米国と軍事力をもって対抗するようになったことによって,特にソ連周辺海域において制約を加えられることになる。

インド洋におけるソ連海軍力のプレゼンスの増大に伴って,同海域の自由使用に安全保障上の関心を有するオーストラリアは,これまでほとんど米海軍によって行われていた海上哨戒任務を自らも実施することにしている。

このような変化は,米ソの全世界的な規模での相互抑止及び北東アジアにおける米中ソの3極構造の下において,これら地域に対するソ連の政治的影響力を高める上でも無視しえない要因であるといえよう。

また,ソ連海軍の外洋進出は,外洋への通峡ルートに隣接するわが国をはじめとする関係各国の安全保障上の関心を一層高めている。

(2) 米国の戦略と兵力配備

ア 米国は従来から伝統的に東アジアに対して自国の安全保障という立場から深い関心を抱いている。

その基本的な考え方としては,この地域が特定の勢力に支配されることになれば,東アジアにおける米国の利益が排除されるのみならず,フィリピン,グアムなどの太平洋における米国と伝統的なきづなを持つ地域が侵食され,やがて米本土自身の安全保障にも重大な影響を及ぼすおそれがあるので,これを防止するというものであったが,このような考え方は現在も受け継がれている。(第5図 わが国周辺の米軍配置

イ 1950年代から1960年代前半までのいわゆる冷戦時代において,米国は,中ソ両国を結合した脅威とみなして,その勢力拡大の阻止に意を用い東アジアの国々と安全保障条約を結び,多くの米軍兵力をこの地域に展開してきた。

ベトナム戦争当時の1968年には,米国は約54万人の在ベトナム兵力を含め東アジア,西太平洋地域に約83万人の兵力を展開していた。

ウ しかし,1960年代以降における中ソ対立の顕在化,1970年代に入っての米中接近の動きなどによって情勢が変わり,中ソはもはや結合した脅威とはみなされなくなった。

その結果,この地域における米国に対する脅威は当面,減少したものと受け取られ,米軍事力の相対的な減少も加わって,米国は欧州とアジアの二正面同時対処の2戦略から欧州又はアジアのいずれか一方の大規模紛争に対処する1戦略をとるに至った。

米国のこのような戦略の変更に伴い,この地域における米軍展開兵力は減少傾向をたどり,また,ベトナム戦争の終了とともに米国のアジア防衛の重点は北東アジアに移された。

エ この地域における兵力配置の主眼は北東アジア特に朝鮮半島における紛争発生を抑止すること,万一紛争が生じた場合の初期防衛力を提供すること,及び米本土からの速やかな増援を実行するための輸送ルートと基地網を確保することなどにあるとみられる。

これらの点はNATOにおける防衛戦略が紛争の抑止のみならず,紛争発生後における侵攻を阻止することに重点を置いているのに対し,東アジアにおける米国のそれが特定国による支配的影響力の確立をもたらす紛争を防止するといういわゆる抑止戦略に基づいていることによるとみることができよう。

オ 1977年3月現在,米国は北東アジア,西太平洋地域において日本,韓国,台湾,フィリピン,グアム及び洋上の第7艦隊等に海空軍を主体とする約12万人の兵力を展開しているが,その兵力は今なお減少しつつある。

例えば,1976年6月から1977年3月の間に7,000人以上の減少がみられたが,このような兵力の減少は,これら地域に展開された主要戦闘部隊の基本編成を損なうことなく,日本,韓国における後方部隊の合理化や基地,施設の整理,統合によってもたらされたものである。

(3) ソ連の戦略と兵力配備

ア 欧州からアジアにまたがる広大な国土を持つソ連にとっては,北東アジアはソ連の安全保障の見地からみると欧州正面に次ぐ重要な正面を形成している。しかし極東ソ連地域は,ソ連の工業中心地から遠く離れ,半ば孤立した地域である。
イ 1960年前後のこの地域における地上軍の兵力規模は,おおむね現在と同じ30個師団程度であったが,その配置は対米,対日に相当のウエイトをかけていたもののようであった。その後,1960年代中頃までには,一時的に師団数,兵力数ともかなり減少したが,中国の文化大革命中の1967年にはモンゴルへの駐兵が行われ,また,1969年の珍宝島(ダマンスキー島)における武力衝突とともに中ソ対立が軍事的にも決定的になるに従い,中国を意識したと思われる兵力の増加が目立ち,現在はバイカル湖付近から東に30個師団以上の兵力が展開し,新型装備の導入も逐次行われている。特に中国東北地方に接した地域での兵力増加が目立つ。その兵力配備は中国に対し大きな圧力となっているとみられている。

近年における師団数の増加とともに,空軍特に地上軍の支援に当たる前線航空部隊の勢力増大及び性能が格段に向上した新型機種の配備がみられる。

また防空軍においても配備機数にやや減少の傾向が認められるものの,MIG−25を含む新型機が配備されている。

ウ 極東ソ連軍はまた,北東アジア及び太平洋全域に展開した米軍とも対峙しており,近年はこの方面においてもシーパワーにおける対米バランスの改善を主眼とした海軍の増強が目立ち,艦艇の大型化に加えて原子力潜水艦,ミサイルとう載艦の増勢がみられる。

極東を根拠地とするソ連太平洋艦隊は,伝統的な沿岸防備の任務に加えて米国に対する核攻撃力及び抑止力(SLBM),制海権打破能力,海上交通遮断能力,周辺地域に対する揚陸能力などを保有し,近年その増勢と質的向上には著しいものがある。

特に潜水艦,航空機,水上艦艇から発射される各種の対艦ミサイルは,この方面に空母を持たないソ連海軍にとって強力な対水上打撃力となっている。

また,太平洋艦隊に配備されている125隻程度の潜水艦のうち約50隻は原子力潜水艦で占められており,それらの相当数が海上交通遮断能力を持っているとみられる。この任務に従事する在来型の攻撃型潜水艦の隻数は,老齢艦(特にW級)の退役により減少する傾向がみられるが,逐次原子力潜水艦に転換されており,遮断能力は向上している。

更に,新型揚陸艦の配備にみられる揚陸作戦能力の近代化は,水上戦闘艦艇の増強,航空機の性能向上とあいまって,周辺地域に対する上陸作戦能力を向上させる傾向にある。

エ ソ連海軍の外洋行動も目立っており,例年日本近海において外洋演習が行われている。例えば,1976年7月上旬から中旬にかけて,九州西方及び南東海域においてミサイルとう載巡洋艦1隻(クレスタ級)及び駆逐艦2隻(カシン級及びカニン級)からなるソ連艦隊が航空機も加えて各種の洋上演習を行い,この間7月10日には長崎沖及び7月15日には屋久島付近に接近するのがみられた。更に1977年4月から5月にかけて沖縄南東海域において同一規模の演習が実施された。

また,ソ連艦艇のわが国近海における情報収集活動も活発に行われており,特に1976年6月上旬にはオケアン級の情報収集艦が房総沖30キロメートルに出現し,わが国の護衛艦に近接して4日間にわたり同海域を遊よくし,情報収集を実施しているのが観察されたほか,多くの情報収集艦が集中して日本沿岸に異常に接近するという状況もみられた。(第6図 わが国周辺におけるソ連艦艇の活動状況

なお,対馬,津軽,宗谷の3海峡におけるソ連艦艇の通峡隻数は,1976年中に確認されたものが約300隻に達し,前年より増加している。

また,わが国のタンカールートであるインド洋では,1976年中は常時20隻以上のソ連艦船の活動がみられたが,その多くはウラジオストクを基地とするソ連太平洋艦隊に所属するものである。これら一連の行動は,ソ連海軍の練度の維持,向上を図るとともに軍事情報の収集に従事しているものと思われるが,更にこの地域における米国のシーパワーに対する制約や,海上プレゼンスの増大によるアジア地域への政治的,心理的な影響力の増大をねらっているものとみられる。

オ ソ連艦艇の外洋進出と並行して航空機(大部分はソ連海軍航空部隊所属)の洋上への進出も増加しており,1976年中に約180回(1975年中は約160回)の本邦接近飛行がみられた。そのうち,約80%は[日本海側からのものであるが,太平洋方面への飛行のうち,いわゆる「東京急行」,紀伊,四国沖及び南西諸島方面への飛行回数は,1976年中は21回で,過去数年間の年平均に比べてほぼ4倍に増加している。

更に航空活動の多様化もみられ,空中給油を伴う東京急行の活発化,高度100メートルから160メ−トルという超低空飛行の増加,わが国の要撃機に対する電子妨害(ECM)の実施などが行われた。

これらの飛行目的としては,ソ連航空部隊の練度の維持,向上のほか,わが国の防空能力や米海軍の行動の把握などが考えられる。このようなソ連航空機を含むわが国への近接飛行に対して,航空自衛隊は1976年中に459件の緊急発進(スクランブル)を実施しており,この件数は1975年中の281件に比べて大幅な増加となっている。(第7図 わが国周辺におけるソ連軍用機の行動概要

(4) 中ソ対立と両国の軍事態勢

ア 中ソ対立

ブレジネフソ連書記長は,1976年2月の第25回党大会において,「北京が社会主義世界との連帯の道を進むなら,良好な関係が発展する可能性がある。問題は中国側次第である」と述べているように,ソ連は自らの条件によって厳しい対立状態にある対中関係の打開と改善を目指す方針をとってきた。特に1976年9月の毛沢東主席死去後においては,前記路線を本質的には維持しながらも,中国非難を停止し,中国の出方によっては関係改善の用意があることを頻繁に強調した。しかし,1977年2月の中ソ国境交渉の中断に示されるように,現体制下における中国の対ソ態度には大きな変化はみられず,ソ連も中国指導部非難を徐々に復活させるに至った。

このような中ソ関係は,当面大幅に改善される見通しはなく,軍事的対峠の緩和や「結合した脅威」としての中ソ関係の復活は予想されない。

イ ソ連軍の態勢

(ア) ソ連は,地上軍の総兵力168個師団,約183万人のうち,43個師団,約40万人を中ソ国境付近に配備しており,そのうち30個師団以上,約30万人がバイカル湖以東特に中国東北地方を馬てい型に取り囲む地域を中心に国境近くに展開している。

装備の面でもT−62型戦車(115mm砲とう載),BMP−76装甲歩兵戦闘車(76mm砲及び対戦車ミサイルとう載),BM−21多連装ロケット(122mm40連装),FROG−7戦術核ロケット等が1970年頃から極東ソ連軍にも装備され,その後数量が増加している。

これらの結果,この方面におけるソ連地上軍の機動打撃力,装甲防護力及び火力が一段と強化され,進撃速度が向上したものと推定される。

(イ) 航空兵力については,全ソの作戦機約8,600機のうち,その4分の1程度に当たる約2,000機が極東ソ連に配備されており,その内訳は爆撃機約500機,戦闘機約1,400機,哨戒機等約150機である。

機種の点でも従来から配置されていたTU−16中型爆撃機,MIG−17,19,21戦闘機のほかに航続力,速度,とう載量,電子戦能力などの点で大幅に改善された新型機への転換が図られており,相手の後方深く脅威を与える侵攻能力の向上を含む航空戦力の質的強化が進められている。

極東ソ連空軍のうち,配備機数が最も多い前線航空部隊は地上軍の戦闘に直接協力する任務を持っており,中ソ国境に多数配置されたソ連地上軍を支援することを主たる目的としていると思われ,機数の増加とSU−19,MIGー23などの大幅に性能が向上した新型機も配備されている模様である。遠距離航空部隊は,対米任務に指向されるほか,中国及びアジア周辺部を行動半径におさめているが,その兵力に目立った変化はみられない。

海軍航空部隊は,主として西太平洋に行動する米海軍を念頭において行動しているものと思われ,新型機の配備はみられないようであるが,とう載機器の性能は逐次向上しつつある。

なお,戦略核戦力として,内陸部のシベリア鉄道の沿線にSS−11を含む各種のICBMが配備されており,また太平洋艦隊は,Y級を主力とする潜水艦にとう載されたSLBMを保有しており,これらは,ソ連全体の戦略核ミサイルのおよそ30%に当たるものとみられる。(第8図 中ソ国境兵力配置

ウ 中国軍の態勢

(ア) このような極東ソ連の軍事態勢に対して,中国は戦略核抑止力の開発に努力するとともに,東北,華北地方を重点に兵力を配置している。中国陸軍は総兵力300万人,約140個師団のうち,藩陽軍区(東北地方)に20個師団以上,首都北京を含む北京軍区(華北,内蒙古地方)に約30個師団,更にその西方の蘭州及び新彊軍区にも多くの師団を配置しており,中ソ国境全体に75個師団程度の兵力を展開しているとみられる。しかし,中国陸軍は大部分が歩兵師団であり,戦車師団及び自動車化狙撃師団が主体のソ連陸軍に比べると機甲,対機甲及び防空戦闘能力などの点で大きな格差があると思われる。

中国は装備の近代化を図っているが,過去1〜2年の間に顕著な装備の改善はみられなかった。

中国側は,このような装備の格差と防衛地域が広大なことなどの理由から,部隊の主力は国境から間合をとってやや後方に下げた位置に配備しているようであり,また正規軍のほかに数百万人といわれる練度の高い武装した民兵を直ちに動員しうる体制を備えている。

(イ) 中国軍の航空兵力も地上兵力と同様に対ソ配備に重点を置き,約5,000機の作戦機を保有しているとみられるが,その主力はソ連の設計になるMIG−17,19及びMIG−19に中国独自の改良を加えたF−9などの戦闘機であり,国土防空を主要な任務とし,併せて対地支援の任務をも有するものとみられている。更に比較的少数の中型爆撃機(TU−16),軽爆撃機(IL−28)を保有しているが,総じて米ソの第一線機に比べると性能等の面で不十分である。

これらの点を補うために,例えば英国製ロールスロイス・エンジンの輸入等にみられるような西側からの技術導入を図っている。

また,レーダー,防空ミサイル,指揮,通信組織などからなる全国的な防空組織も,まだ質,量ともに十分な状態のものとはみられていない。

(ウ) 中国海軍は,約1,500隻の小型哨戒艦艇を主体として,沿岸防備を主任務としているが,ソ連海軍の増強と外洋進出に対応して,近年はミサイル駆逐艦,攻撃型潜水艦,ミサイルとう載艇等の建造にも乗り出しており,現在は原子力潜水艦1隻を含む65隻程度の潜水艦を保有している。

しかし,対ソ防衛重視の観点から巨額の経費を必要とする陸軍と空軍の近代化に迫られていると思われ,過去1〜2年間に海軍力は漸増したが,目立った増強はみられず,中国が近い将来に外洋海軍の建設に本格的に乗り出す余裕は少ないものとみられる。

海軍航空隊も約700機の作戦機を保有しているが,その主体は沿岸防空用の戦闘機であり,ほかに沿岸防備用の軽爆撃機も保有しているが,艦艇も含めてそれらの行動範囲はおおむね中国沿岸に限られているようである。

このようにみれば,中ソの軍事バランスは兵員数では中国が上回るものの,近代戦力の総合バランスではソ連が優位であり,中国の対ソ防衛能力向上のためには西側の技術導入,あるいは自力開発等による近代化の余地が依然大きいものと思われる。

(5) 中国と米中関係

ア 東アジアにおける大国間の安全保障という観点からすると,1950年代を中心とする中ソ一枚岩の時代においては,中国は米国の眼からみるとソ連と一体となった「結合した脅威」として映っていたとみられるが,1960年代以降に中ソ対立が顕在化するにつれて,米国のこのような認識は変化し,中国自体も対ソ防衛を重視するようになり,ニクソン米大統領の中国訪問が実現し,ともに対ソ配慮もあって米中関係の改善が始まった。

中国は,その経済力がなお米ソを下回り,軍事力の近代化にもいまだ相当の余地があると思われる現状では,経済の近代化のみならず,対ソ防衛上も米国を含む西側諸国との関係改善を望んでおり,今日の中国は米ソの「世界支配体制」に反発する発言を示しながらも,対ソ防衛を優先させるアジアの地域大国として行動しているものとみられる。

イ このような中国の基本姿勢は華国鋒体制下にあっても大筋において変化はないものとみられており,今後の米中関係は各種の問題を克服しながら徐々に国交正常化という最終目的に向かって動いていくものとみられている。

なお,米国の対中国戦略の一環として朝鮮戦争直後の1954年に設立されたSEATO(東南アジア条約機構)が1977年6月に解体されたが,これはベトナム戦争終了後の米国のアジア政策の一つの変化の現れとみられる。

(6) 朝鮮半島の情勢と在韓米地上軍撒退問題

ア わが国と一衣帯水の間にある朝鮮半島では,朝鮮戦争以後,長さ約250キロメートル,幅わずか4キロメートルの非武装地帯(DMZ)をはさんで,韓国と北朝鮮の対立状態が続いており,今日でも世界で最も軍事的対立と緊張の厳しい地域の一つになっている。近年における北朝鮮の武装ゲリラの侵入,DMZに掘られたトンネルの発見,更に1976年8月の板門店事件などはその現れといえる。
イ しかし,同半島における緊張の国際的な性格や位置づけは長い目でみれば変化しているようである。

中ソ両国が「結合した脅威」とみられていた冷戦時代にはグローバルな東西対立の一環であったものが,1960年代以降,米ソの共存関係に加えて中ソ対立,米中接近の傾向がみられるようになった今日の時代においては,米中ソ三国が半島の安定を志向するようになった結果,南北間の対立そのものがややローカルな性格を帯びてきたものとみられる。

北朝鮮が1960年代初めに打ち出した「全人民の武装化」,「全国土の,要塞化」などの軍事路線は,中ソ対立に巻き込まれないで軍事力の整備に努めたいとする自主独立路線の現れとみられている。

それでも現在,米中ソの三国がいずれも非平和的手段による朝鮮半島の大幅な現状変更を欲していないことがこの地域における外わくからの紛争抑止力として作用しているものといえよう。他方,1972年7月4日の南北共同声明を契機に開始された南北対話は,その後中断されたまま進捗をみておらず,南北対話再開をめぐる双方の主張には大きな隔たりがある。朝鮮問題の解決方式について,北朝鮮は米国との直接交渉を唱えており,韓国を文渉の相手としないという政策を変えてはいない。また,1977年に入ってからも韓国は南北不可侵協定の締結を,北朝鮮は政治協商会議の開催を各々提案したが,いずれも相手方から拒否され,依然対立と緊張が続いているのが実状である。

ウ 北朝鮮の軍事力は,主としてソ連から供与された兵器を中心に編成,装備されており,地上兵力を主体として陸軍24個師団,約43万人及びMIG−21,19が主力である空軍作戦機約600機が主要な戦力であり,ほかにミサイル哨戒艇,魚雷艇及び潜水艦を主力とする沿岸防備的性格の海軍を保有している。北朝鮮は打撃力を重視した集中的な戦車部隊(戦車師団2,独立戦車連隊5)を編成しており,強力な砲兵に支援された約14個師団がDMZからおおむね数10キロメートル以内に展開している。なお,一部の砲兵及び地対地ミサイルはソウルを射程下におさめているといわれる。

また,労農赤衛隊を中核とする強力な予備及び後方警備兵力を保有している。兵器の国産能力では,北朝鮮は韓国を上回っており,依然として軍事力増強の努力を続けているが,ソ連が北朝鮮への最新兵器の供与を差し控えていることもあり,過去1〜2年間において戦力は逐次向上はしているが,兵力配備の面で大きな変化はみられないようである。(第9図 朝鮮半島の軍事力

エ 韓国は,米韓防衛協力体制の下で経済の高度成長を背景として国防力の充実を図っているが,陸軍18個師団,約52万人,F−4,F−5が主力である空軍作戦機200機以上を保有し,そのほかに駆逐艦級及び新型のミサイルとう載艇を主力とする沿岸防備的性格の海軍を持っている。部隊の装備品及び後方支援は米軍に大きく依存しているが,徐々に兵器の国産化を図り,また自前の補給体制の整備に努めており,米国の援助を受けつつ1980年までの軍近代化計画を推進中である。

韓国の軍事力の中核をなしている陸軍は,大部分が歩兵師団であり,北朝鮮のような戦車師団を保有していない。また,韓国陸軍の戦車部隊は独立戦車旅団,同大隊に分散編成されており,戦車の用法については防御的な運用に重点がおかれているのが特色である。陸軍の予備兵力においても直ちに正規軍化が可能な能力という面でみれば韓国は北朝鮮に比べ劣っている。韓国陸軍の配備は,18個師団がDMZからおおむね数10キロメートル以内に展開している。ソウルとDMZの間は,近いところで約40キロメートルしか離れていないが,この間には河川障害,隘路が存在し,また人工の防御施設も設けられており,防御体制の強化が図られている。

オ 在韓米軍は,約3万9千人の兵員を数え,このうち約3万2千人が陸軍兵力である。陸軍の主要部隊は,DMZとソウルの間の2本の主要な接近経路に沿って展開している第2歩兵師団のほか第4ミサイルコマンド,第38防空砲兵旅団,第19支援コマンドなどである。韓国の空軍力を補完している在韓米空軍にはF−4(ファントム)約60機からなる第314航空師団が配置されているが,航空兵力については空母部隊を含め近隣地域及び米本土からの増強が可能である。このほか,「戦術核兵器も展開されている」(シュレシンジャー米国防長官,1975.6.20)といわれ,これらの在韓米軍の存在は朝鮮半島における紛争抑止の上で大きな役割を果たしてきた。
カ カーター米大統領は,近い将来において在韓米地上軍を引き揚げる旨表明しており,1977年3月22日の日米共同声明においても,「在韓米地上軍の撤退に関連して米国が韓国とまた日本とも協議の後に同半島の平和を損なわないような仕方でこれを進めていくであろう旨述べた」が,撤退の時期,内容,代替措置などについてはいまだ明らかにされていない。

在韓米空軍が引き続き駐留し,かつ韓国軍の近代化計画が達成されるならば,近い将来に米地上軍が引き揚げられても,紛争の抑止及び阻止能力に重大な影響を与えることはないというのが米国政府の判断のようである。

いずれにしても,朝鮮半島における平和と安定の維持はわが国の安全にとって重要な関連があるので今後の推移を見守る必要があろう。

 

 以上述べてきたことから,わが国の安全にかかわる国際環境を整理すれば以下のとおりである。

 米ソ両国の核相互抑止関係及び両国を中心とする集団安全保障体制の存在によって,主要国間の軍事力の行使が大きく制約されている。更に北東アジアでは,中ソ対立の継続及び米中関係改善のすう勢を背景として3極構造がみられ,米中ソ三国は各々他の二国の動きを考慮に入れる必要からおのずとその行動を慎重ならしめている。その結果,欧州に比べこの地域では対立が決定的に進行しにくいという面もみられる。

 また,中ソ両国の対立関係によって中ソ両国が展開している巨大な兵力は,両国の国境近辺において相対することによって,アジア大陸周辺部よりはその内部に対して指向されており,周辺地域の軍事的安定にとり見逃すことができない要因となっている。

米国が西太平洋地域に一定の兵力を展開し,日米安全保障体制が存在することは,核の傘の提供,前方展開戦略の継続によって,抑止力及び初期防衛力の提供を可能とし,わが国を含む北東アジアの安全と安定に不可欠の前提となっている。このような国際環境は現在のところ大きな変化は予想されない。

 しかしながら,当面,注目を要するものとしては,ソ連の軍事力増強及び在韓米地上軍の撤退問題があげられる。前者は,特に海軍力の増強によりソ連周辺海域における西側制海権に対する影響,わが国を含む西側諸国の安定を支えている米国の前方展開戦略の維持,更にはソ連の政治的姿勢の変化などの問題をもたらすこととなり,米国を中心とする西側諸国はこれに対する対応措置をとり始めている。

 在韓米地上軍の撤退問題については,それが北朝鮮に与える政治的,心理的な影響が注目されるが,米中ソ三国が武力による朝鮮半島の現状変更を望まず,更に米国の対韓防衛コミットメントの継続,在韓米空軍の駐留,韓国軍の近代化計画の推進などにより,依然小規模紛争発生の可能性は排除できないものの当面大規模紛争が発生するとは考えにくい。

 わが国としては,このような国際環境の中にあって日米安全保障体制を堅持しつつ自ら応分の防衛努力を続けること,具体的には,第2章に述べる基盤的防衛力の整備を着実に進めることが,わが国周辺の安定的均衡を維持し,ひいては世界の平和と安全に役立つことになると考える。

(注) 戦略と1戦略 1970年2月18日,ニクソン米大統領(当時)は,初めて議会に提出した外交教書「1970年代の米国の外交政策−平和のための新戦略−」において,米国の通常戦力態勢について次の通り述べている。「1960年代の米国の通常戦力態勢は,いわゆる2戦略の原則に基づいたものであった。この原則によれば,米軍は,通常戦力によって,3か月間NATO防衛に当たり,同時に中国の全面攻撃に対して韓国又は東南アジアを防衛し,更に小規模紛争()に対処できる兵力を維持することになっていた。しかしながら,このような兵力水準に到達したことはなかった。我々は,原則と能力を調和させるため,1戦略ともいうべき原則を採用した」

 1970年代以降の米国は,通常戦力態勢については,「同盟国と協力して,(ソ連軍の介入しない中東での紛争のような)小規模な紛争が先行する(欧州と朝鮮を二つのテストケースとする)一つの大きな紛争に対応できなくてはならない,という前提の上に計画されている」(1978年度米国防報告)とされている。