第3章

国民と自衛隊

 自衛隊は国民のものである。

 国民ひとりひとりが安全に毎日を過せるようにするために,国民によって作られ動かされる組織である。分野こそ違うが,警察や消防と異なるところはない。

 しかし欧米諸国においても指摘されているように,現代の防衛問題は一般の人々の理解を困難にする要因をもっている。非軍事的分野の政策との複雑な絡み,国際的な集団安全保障体制とのかかわり合いや軍事技術の急速な進歩とそれに伴う戦略の変化などである。

 地続きの国境をもたない島嶼国家であるというわが国の特殊な条件,第2次世界大戦での苦い経験並びに戦後の安定した平和を享受していること等から,国民の間には防衛問題に対して無関心ないし感覚的に拒絶する風潮がかなりある。

 しかし最近では,防衛問題を現実に即してとらえようとする傾向も強まっており,防衛力が戦争のための手段ではなく,戦争を起こさせないための,即ち平和維持のための手段であるという意義もようやく認められつつあると考えられる。

 いうまでもなく自衛隊は,国民の理解と支持がなければその任務を有効には遂行できない。隊員も国民から信頼されているという実感によってはじめてその士気が高まり,自信をもって任務を遂行できるのである。

 国民と自衛隊との間にわずかの隔たりもなく,互いに信頼し合う関係が必要と思われる。

1 シビリアン・コントロール

(1) 国が軍事力をもつのは国自身の安全のためであるが,この特別に強い力の運用を誤れば逆に大きな不幸を自ら招くおそれがある。

政治が軍事をつねに適切に管理できる体制を保持することは,洋の東西を問わず,国家にとって大きな課題の一つであった。

 旧憲法下において,わが国は苦い経験を味わった。いわゆる統帥権が一般的な行政権から独立し,軍事に関する事項について政治の統制の及び得ない範囲が広く,軍事は国政に不当な影響を与えた。このような状況となるのを避けるための「シビリアン・コントロール」という考え方が欧米の民主主義国でははやくから根強く保持されており,主権者たる国民の意思によって選ばれた政治的代表者によって軍事を完全に統制できるよう,政治制度上の周到な努力が払われてきている。ことに現代では,軍事は安全保障の一要素にすぎず,むしろますます比重を高めつつある政治,経済,外交といった非軍事的な要素とともに総合的な検討を経て,その中に正しく位置づけられるべき性格のものである。

(2) 自衛隊は国民のものであり,その意思によって存在し,維持され,運用されなければならない。

 このため,自衛隊は,まず国民の代表たる国会によってそのコントロールを受けている。自衛隊の定員,組織,予算等重要な事項は,国会で議決され,防衛出動については国会の承認が必要とされていることなどのほか,自衛隊の諸問題に関しては絶えず国会で審議されている。現在防衛庁を所管する委員会は内閣委員会であるが,所管事項が多いので防衛問題の審議をより濃密にするため,防衛庁を専管する委員会を設けるべきであるとの意見もあるが,未だ実現をみるには至っていない。

 国会に対して連帯して責任を負う内閣は,長期防衛力整備計画のほか,重要な防衛にかかわる方針事項を決定している。この内閣を構成する内閣総理大臣その他の国務大臣は,憲法上の文民でなければならないことになっている。内閣総理大臣は,内閣を代表して自衛隊に対する最高の指揮監督権を有しており,自衛隊の隊務を統括する防衛庁長官は国務大臣をもって充てられる。

 内閣には,国防に関する重要事項を審議する機関として国防会議が置かれている。国防会議は,内閣総理大臣を議長とし,防衛庁長官,外務大臣,大蔵大臣,経済企画庁長官等を議員として構成し,防衛計画の大綱,防衛出動の可否等基本的な問題のほか,常時重要な事項を審議している。

 防衛庁には,文民たる防衛庁長官を補佐する機関として,専門的事項について,陸・海・空幕僚監部及び統合幕僚会議が置かれているが,一方隊務全般にわたる基本的方針について,文官で構成される内部部局が特に置かれている(第9図)。

(3) 以上のように,自衛隊に対するシビリアン・コントロールの制度は一応整備されているが,その実を確保するためには,政治,行政の両面における運営上の努力が今後とも必要であることはもとより,国民全体の防衛に対する深い関心とシビリアン・コントロールに対する隊員自身の正しい理解と行動が必要とされるところである。

2 「防衛を考える会」

(1) 目的・性格など

 「防衛を考える会」は,防衛庁が4次防以後の防衛政策を検討するに当たって,国民の率直な意見をその過程に反映させる努力をしたいという坂田長官の発想によって生れたものである。

 国民の平均的な考え方を代表する有識者を幅広い分野から選び,自由な立場で活発に討議してもらい,その中から参考となる見解や示唆を引き出すことをねらいとした。メンバーは,ジャーナリズム,外交,経済,軍事,科学技術の各分野に明るい人々と特に女性の立場からの意見を求めて,次の諸氏(50音順)の参加を得た。

荒 井   勇 氏(中小企業金融公庫副総裁)
荒 垣 秀 雄 氏(評 論 家)
牛 場 信 彦 氏(外務省顧間)
緒 方 研 二 氏(日本電信電話公社総務理事)
金 森 久 雄 氏(日本経済研究センター理事長)
高 坂 正 堯 氏(京都大学教授)
河 野 義 克 氏(東京市政調査会理事長)
佐 伯 喜 一 氏(野村総合研究所所長)
角 田 房 子 氏(評 論 家)
平 沢 和 重 氏(評 論 家)
村 野 賢 哉 氏(ケン・リサーチ社長)

 昭和50年4月7日から同年6月20日まで3か月間にこの「防衛を考える会」の会議は,合計6回開かれたが,特に会としてのまとまった結論を求めず,各メンバー個人としての全く自由な意見交換となるよう,運営にも配慮がなされた。

(2) 主な意見

 主な意見は次のようなものであったが,これらは前に述べた基盤的防衛力の構想等に大きな影響を与えている。

ア わが国のように重要資源のほとんどを海外に依存している国は,世界のどこかで紛争が起きると直ちに影響を受ける。それに,わが国は経済などの面で国際的に大きな影響力を持っている。だから,ある種のバランスの上に成り立っている国際間の平和の維持は,わが国にとって極めて大切である。防衛力をもっていると,むしろ危険だという論議もあるが,わが国が完全に非武装の状態になると,たとえある国が,自らわが国を支配下に置こうとする意思はなくとも,どこか他の国が侵略するのではないかと恐れるために,かえって国際社会に不安と混乱を起こすことになりかねない。このような要因を作らせないためにも,わが国は,必要最小限の防衛力を保持して国際的な平和維持の責任を果さなければならない。

イ わが国の防衛力は,日米安全保障体制がなければ有効に機能するとは思えないが,その意義と重要性に対する国民の認識が十分であるとはいえない。

日米安全保障体制の役割は,第1に,アメリカの軍事力が背景にあるので,わが国への侵略が抑止される。第2に,アメリカの軍事力によってアジアの戦略的バランスが保たれている。第3に,わが国に対する侵略が仮にあってもアメリカの軍事力との対決を避けるために,使用する軍事力の上限は低く抑えられる。第4に,万一の場合には,侵略を排除するため,アメリカの協力が得られることである。

この中で基礎になるものは,第4の有事の際の協力であり,そのためには,平素から相互の信頼関係を高める努力をしなければならない。

ウ 一般に,戦争を抑止する軍事力の機能を「抑止力」と呼ぶが,これは核兵器が中心になっている軍事力により相手に恐怖を与えることによって,行動を思いとどまらせる力を意味する概念である。

この抑止力は,日米安全保障体制に依存すべきであり,この体制が有効に維持されている限り,わが国が持つ防衛力は,小規模の侵略に対して領土占領などの既成事実を簡単に作らせないようにすることを基本的な考え方とした「拒否能力」(又は「防止力」)であればよい。

エ 「拒否能力」がその効果を発揮するためには,万一の事態に有効に機能するものでなければならない。その規模等を具体的な数量で表わすことはむずかしいが,GNP1%以内で今後の情勢に適応させていくことが大切である。

オ 防衛力の整備について過去20数年間一貫して漸増の方針が採られてきたが,最近の国内事情などを考えるとこの方針の踏襲はむずかしい。

わが国の条件に最も適した防衛力は何かという原点に立ち返って,編成,装備などの基本的事項についても再検討を加える必要がある。

防衛力の質と量はどちらか一方に偏ると,その有効性が低下する。今後,質の向上に重点をおいて,「小粒でもピリッと辛い」防衛力にすることが必要である。

カ わが国には自然の脅威がもたらす災害が多い。その上石油コンビナートや工場地帯などに発生する大事故のような特殊な災害も少なくない。このような大規模な災害に対し国民の生命と財産を守るには,自衛隊の組織と装備と行動力は他の機関にはない能力を発揮する。

災害復旧機能の強化は今までも重視されてきたが,いわば損害限定能力として重要であり,地震など大規模な災害があったとき政治,経済などの諸活動を麻痺させないためにも欠くことのできないものであろう。

3 国民の理解と関心

(1) 関心の高まリ

 防衛問題に対する国民の関心は,石油危機以後諸情勢が厳しさを加えたこともあって次第に高まってきているように思われる。昨年の主要な国際的諸問題,特にベトナム戦争の終結,核防条約の批准問題,朝鮮半島の緊張,「覇権」問題をめぐっての中ソの対立,日米首脳会談,ソ連海・空軍のわが国周辺における活発な行動等は,いずれも論議を呼び,わが国の防衛についての関心を高める契機となった。

 これらの問題に対して,報道機関は,これまでになく積極的な姿勢をとっており,特集記事の連載や,論評等が著しく増加している。また,政党の防衛政策その他についても,昨年秋以降次のような動きが現われている。

 たとえば,社会党は昨年8月,18年ぶりに党代表団を米国に派遣して,安全保障問題等に関し,各界関係者と意見を交換した。また同党は,「日米安保条約の廃棄」と「非武装・中立」を基本政策としているが昨年12月には,党内の一部議員によって,「安保廃棄にいたる三段階構想試論」という提言がなされている。

 公明党は,従来,「日米安保条約の即時廃棄」を政策としてきたが,昨年10月の第13回党大会においては,「外交交渉による合意を踏まえた廃棄」と「日米友好不可侵条約締結」の方針を打ち出した。

 民社党は,「日米安保条約は,当面基地と駐留の排除を実現しつつ,段階的解消の方向を推進する」方針をとっているが,昨年11月の同党安全保障シンポジウムでは,「当面現行安保条約の機能を認めつつ,その運用の改善をはからなければならない」とする路線が提起された。

 以上のような動きは,国民各層の防衛問題に対する関心の,一層の高まりを反映したものとみることができよう。

(2) 世論調査に見られる国民意識の状況

 防衛問題に関する最近の世論調査としては,昨年10月内閣総理大臣官房広報室が実施したものがある。

 その主なものについて見ると,次のような結果が出ている。なお,( )内は前回(昭和47年)の数値(%)である。

ア 自衛隊に対する支持

自衛隊はあった方がよいか,ない方がよいかという問いに対しては,あった方がよいとするものが79%と大多数を占め,自衛隊が広く支持されていることを表わしている。(第10図 自衛官の必要性

イ 自衛隊に対する印象

概して自衛隊はよい印象をもたれており,少なくとも悪い印象はもたれていない。ただし,「規律正しく」,「頼もしく」感じられている反面で「親しみやすくない」という印象の方も強く,まだ国民の中に完全に融け込んでいない一面をのぞかせている。(第11図 自衛隊に対する全般的な印象度)(第12図 規律正しさ,親しみやすさ,頼もしさ

ウ 自衛隊に期待する仕事

自衛隊に期待し,今後も力を入れてほしいとする分野は,災害派遣,国の安全の確保,国内の治安維持,民生協力など多方面にわたるが,中でも災害派遣について強い期待が寄せられている。(第13図 自衛隊が今後力を入れていったらよいと思う面

エ 自衛隊の規模と防衛費の増減

自衛隊の規模と防衛費の増減について意見を求めた結果は,次図のとおりであり,今の程度でよいとするものが半ばを占めている。(第14図 防衛力の増減)(第15図 防衛予算の増減

オ 戦争に対する不安感

わが国が武力攻撃を受けたり,戦争に巻き込まれたりする危険については,全く不安を感じない人が約3分の1を占めるが,はっきり不安感を持つ人と危険を否定しきれない人とをあわせた数は,前者をかなり上回っている。(第16図 戦争に対する不安感

カ 侵略に対する態度

もし外国から侵略されたとき,どのような態度をとるかについては,過半数の人がなんらかの形で抵抗しようとする意思を持っていることが示されている。(第17図 外国からの侵略に対する態度

キ 防衛体制のあり方

わが国を防衛し安全を守るためのあり方については,日米安全保障体制と自衛隊とによるべきであるとする意見が過半数を占めている。

 以上にみられるとおり,大勢として国民は,自衛隊が健全であるという印象をもち,また自衛隊を日米安全保障体制とともに,わが国を防衛し安全を守る柱であると評価している。

 そして,戦争の不安を払拭できない現在の複雑な国際環境の下では,このような防衛体制を保持しつつ,自衛隊がおおむね現状程度の規模を維持し,国の安全の確保(侵略抑止)や治安維持に加えて災害派遣等を含む広い分野において活躍することを期待しているといえよう。

 なお,最近ある新聞社の行った同種の世論調査においても,ほぼ同様の傾向がみられる。(第18図 防衛体制のあり方

(3) 隊員の士気に影饗を及ぼす諸問題

 以上のように国民の理解と関心は次第に深まりつつあるが,一方,依然として自衛隊に対する否定的態度も国民の一部に根強く存在しており,隊員の士気の維持に暗い影を落している。

ア 憲法解釈上の問題

自衛隊の必要性を認める世論は,過去10数年70数%以上の高い水準を保っているのに対し,それを否定するものは10%前後に止まっている。しかし,自衛隊を憲法第9条との関係でどのようにみるかについては,やや異った傾向が示されており,昭和49年2月にNHKの行った調査によれば,自衛隊を合憲とするもの40%,違憲とするもの17%,「どちらともいえない」35%,「わからない」8%となっている。そして,周知のとおり,国会に議席をもつ政党のいくつかは,自衛隊を違憲としており,また自衛隊を違憲とする訴訟も行われている。

このように,現実の自衛隊の必要性は認めつつも,その憲法上の正当性については懐疑的な世論がかなり存在していることは,隊員の士気に少なからぬ影響を及ぼしている。

この点についての国民的合意が望ましい方向で形成されていくことを期待しつつ,防衛庁としては,隊員に対して現行憲法の積極的意義と憲法の下における自衛隊及び隊員の正しいあり方について十分に教育し,隊員が自信をもって服務できるよう努めている。

イ 教育等の場における問題(その1)

戦後の国民,特に若い層に社会や国家に対する観念の薄いことは,日本だけの問題ではないにしても,わが国ではその傾向が特に強い。昭和49年2月の内閣総理大臣官房広報室の調査によれば,国民は国に対する気持として「国から何かしてもらいたい」48%,「国のために何かをしたい」9%,「(国から何かしてもらいたい気持と国のために何かをしたい気持と)同じくらい」25%,「わからない」18%という態度を示し,総じて,社会や国を愛し,それに積極的に貢献しようとする気風には乏しいといえる。

家庭,学校及び社会等の種々の教育の場で,若い世代の国民的自覚を高める教育が次第に重視される方向にあるが,さらに多くを今後に期待したい。

自衛隊自身としては,隊員が,国家,国民に心から献身できるよう,民主主義を基調とする現行憲法下における防衛の理念,自衛隊存立の本義や指導理念などを,さらに徹底していくよう努めていきたい。

ウ 教育等の場における問題(その2)

昭和47,48年に,ある市で隊員の住民登録の受付が拒否されたことがあったが,最近でも自衛隊員であることを理由に,一般の市民と異なる取り扱いを受けることがある。こうした事例は,偏見によるものであり,ごく一部の人々の行動ではあるが,隊員の基本的人権の侵害につながるもので,隊員の士気に悪い影響を与えており,その是正が必要である。

(ア) 入学拒否等

防衛庁では,職務上の必要から,隊員を国内の大学院等において研修させているが,受験の際その辞退を求められたり,願書が返送されたりするといった事例は,昭和39年から46年までの間に,延べ約50人に及んだ。最近は,表面上少なくなっているが,これはトラブルの予想される大学には出願を避けている等の理由によるものであり,今なお,希望の学校,科目等を自由に選べない実情にある。

また,私費で,夜間に大学等ヘ通学したり,通信教育により勉学に励んでいる隊員は,昭和50年度において約1万2,300人に達する。この場合ですら,例えば某県であった例のように,自衛官であることを理由として高校通信課程の転入学を拒否され,あるいは大学入学後自治会学生等に1年間にわたってその通学を妨害され,現地の地方法務局に人権侵犯問題として申告した事例等がある。

(イ) 国民体育大会の出場辞退等

隊員の中には,国民の1人として,国民体育大会の各都道府県代表チームの選手となって出場する者も多く,毎年,夏季と秋季の大会で計130人前後,冬季の大会で50人前後に達する。また,オリンピック競技大会その他の国際的運動競技会にも数多く出場している(メキシコ・オリンピック13人,ミュンヘン・オリンピック11人,札幌・冬季オリンピック7人,インスブルック・冬季オリンピック5人,テヘラン・アジア競技大会14人)。

しかしながら,国民体育大会の県代表チ−ムの選手として隊員が内定したことから,その隊員の出場辞退,出場取消し又はチーム全員の不参加を招いている事例がある。

(4) 交流とふれあい

 しかし,全般的にみれば,国民と自衛隊との間のふれあいは,徐々にその親密の度を加え,相互の連帯感も高まってきている。

ア 後述する災害救援活動では,苦境に陥った人々とこれを助ける隊員との間に自然に深い人間的交流が生れている。また,自衛隊の各部隊は,地方公共団体等の要望により,地域の市民と一体となってスポーツ,祭典等各種の公的行事に参加したり,それらの支援を行い,あるいは青少年,婦人に駐とん地の体育施設を開放するなど,地域社会に根づいて活動している。

防衛庁は,昨年の自衛隊記念日(11月1日)に,新聞を通じ,「町で自衛官をみかけたら,気軽に話しかけてみてください。」との呼びかけを行ったが,これは国民とのふれあいの場をさらに多くしようとする趣旨であった。

イ 一方,自衛隊における生活を体験して,自衛隊への理解を深め規律ある行動や団体生活のあり方を体得しようと希望する市民も多く,いわゆる体験入隊は,最近では年間平均で約2,000件,約6万5,000人とかなりの数にのばっている。

ウ さらに,任期満了,停年等により自衛隊を退職する者は,毎年約3万人(うち,士の退職者は約2万7,000人),累計で60万人を越えているが,これらの元自衛隊員は,指導力,責任感,規律正しさ,協調性,体力等を発揮し,社会のあらゆる分野で目ざましい活躍をして,自衛隊が一般社会に融け込んでゆくために大きく貢献している。

自衛隊は,このように次第に深まりつつある国民とのふれあいを今後とも大切にし,自衛隊に対する国民の好意と期待に応えたいと考えている。

4 防衛施設と周辺地域との調和

 自衛隊や米軍の飛行場,港湾,隊舎,演習場,通信所,補給所等の防衛施設(自衛隊施設及び米軍施設)は,わが国を防衛するために適した位置を選んで配置されるものであり,防衛行動の拠点又はこれを支援する後方業務の拠点となる。平時においても,部隊が配備され,教育訓練や後方業務を行う場であり,定められた任務を行う拠点である。さらに,米軍施設については,日米安全保障条約に基づき,米国に提供しているものであり,米軍の駐留は,非常の際,米国の支援が確実,迅速に行われることを明示するものであって,わが国に対する侵略を抑止する上で大きな意義を持っている(第4表第5表)。

 このように,防衛施設は,わが国の安全保障に欠くことのできないものであって,常に十分に整備され,支障なく運用できる状態になければならない。

 一方,防衛施設の設置や運用が,周辺地域の住民の生活や事業活動に少なからぬ負担をかけたり,地域の振興を阻害する結果を招くことがあり,いわゆる基地問題が生ずる場合も決して少なくない。基地問題を円滑適正に処理し,防衛施設の機能の維持と周辺地域の民生安定等との調和を図ることは,近年ますます重要な課題となってきている。

(1) 防衛施設と公害対策

 近年,都市化の進展や環境の保全に対する住民の要望の高まりなどを背景として,いわゆる基地問題の中でも,航空機による騒音その他の公害問題が,特に大きな比重を占めてきている。

 最近の小松基地(石川県),千歳基地(北海道)への要撃戦闘機(F−4EJ)の配備に関しては,関係地方公共団体から,騒音対策を組み入れた飛行場の整備,住宅の防音工事の推進等の施策を講ずることを強く要請された。

 航空機騒音の防止対策としては,大きく分けて音源対策,運航対策,周辺地域の生活環境の整備等の3つの対策がある。防衛庁でも従来からこれらの対策を講じてきたところであるが「航空機騒音に係る環境基準」(昭和48年環境庁告示)も定められたので,さらにこれらの施策に積極的に取り組んでいる。

 音源対策としては,主として,消音装置(サイレンサー)の整備,防音林の設置,滑走路の移動等,飛行場並びにその関連施設の構造改良を行っている。

 運航対策としては,主として,夜間飛行の自粛等飛行時間の規制,人家の密集地をできるだけ避けた飛行経路の設定及び飛行高度の規制を行っている。

 さらに,周辺地域の生活環境の整備等としては,主として,防音工事の助成や緑地帯その他の緩衝地帯の整備を行っている(特に次項において詳述する)。

 その他の公害として,大気の汚染や水質の汚濁があるが,これらについても,主として次のような施策を講じている。

ア 大気の汚染の防止

駐とん地のボイラーの改良や,汚染度の少ない燃料の使用に努める。

イ 水質の汚濁の防止

汚水処理施設の改良,洗浄廃液等の処理の規制,艦船のビルジ排出防止装置の整備に努める。

 なお,以上のような環境保全のための施策の全般的な調整を行い,その推進を図るため,昭和50年7月,内部部局に環境保全課を新設した。

(2) 防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する新法の制定

 防衛庁は,従来から特に防衛施設周辺地域の生活環境の整備等について「防衛施設周辺の整備等に関する法律」(昭和41年制定)に基づき,学校や病院の防音工事,かんがい用水路の設置,道路の建設,河川の改修,プールや体育館の建設等に要する費用について補助をするなどの施策を講じてきた。

 しかしながら,上記の法律に基づく施策だけでは,住民等の要望にこたえることが次第に困難となり,さらに航空機騒音による障害の防止や緩和について諸施策の大幅な拡充を図る等の必要が生じたため,昭和49年に「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」が制定された。

 この法律の主な内容は,第6表のとおりであるが,新しい施策の主なものは,次のとおりである。

ア 個人の住宅に対する防音工事の助成

これまで進めてきた学校,病院などのほか,住民の生活の基盤である住宅についても,助成の対象とするもの。

イ 飛行場等周辺における緑地帯その他の緩衝地帯の整備

飛行場等の騒音発生源と住宅地との間に緩衝地帯を設け,かつ,それを緑地等として住民や地域社会の利用に供することができるよう,地方公共団体の街づくり計画に合わせて整備するもの。

ウ 防衛施設周辺の市町村に対する「特定防衛施設周辺整備調整交付金」の交付

飛行場,演習場,港湾,弾薬庫等特定の防衛施設について周辺地域の生活環境や開発に及ぼす影響を特に考慮して交付されるもので,環境衛生施設,教育文化施設,社会福祉施設その他地域社会の形成,発展に役立つ施設のため使用することができる。

最近の予算額の推移は,第19図のとおりである。また,昭和49年度の実績を,主な生活環境施設の別でみると次のとおりである。

防音工事の助成
  学校等教育施設…………………………453か所
  病院等医療施設………………………… 13か所
  住   宅……………………………… 8戸
移転補償等
  家屋の移転補償………………………… 85戸
  土地の買入れ約………………………… 27万m2
緑地の整備…………………………………… 6か所
道路の改修等の助成…………………………241か所
河川の改修等の助成…………………………133か所
民生安定施設の助成…………………………325か所

(3) 米軍施設の整理統合

 防衛施設周辺における都市化の進展等は,米軍施設のあり方についても,周辺地域と再調整を要する面を生じている。

 特に,都市化の著しい関東地区については,第14回(昭和48年1月)の日米安全保障協議委員会で,立川飛行場など空軍施設その他の整理統合について日米間で合意をみ,返還予定約2,878万m2のうち,すでに約1,835万m2が返還済みである(昭和50年12月31日現在。第7表−(1))。

 また,米軍施設が高密度に所在して開発への影響のある沖縄本島中南部地区については,第15回(昭和49年1月)の日米安全保障協議委員会で,牧港住宅地区,瑞慶覧通信所,久場崎学枚地区などの施設の整理統合について合意をみ,返還予定約2,900万m2のうち,すでに約810万m2が返還済みである(昭和50年12月31日現在。第7表−(2))。

 上記以外についても,米軍施設の一部返還等が行われているが,昭和49年度は12件,約190万m2,50年度(50年12月31日現在)は10件,約80万m2であった。

 防衛施設としての性格上,米軍施設の整理統合にはおのずから限度があるが,特に施設の多い沖縄県については,今後とも可能な範囲で推進したい。

5 災害派遣・民生協力の実施

 自衛隊は,本来の防衛任務のほか,その組織,装備,能力などを生かして国民生活の安定に広く寄与するための多くの活動を行っている。これらは,災害派遣,不発弾や機雷の処分から土木工事等各種の事業の受託,運動競技会に対する協力に至るまで広汎多岐にわたっている。

(1) 災害派遣

 台風,地震などの天災地変その他の災害に際し人命又は財産の保護のため,自衛隊は部隊を派遣し国民生活を保護する重要な働きをしている。これは,都道府県知事などからの要請により行うのが原則であるが,緊急を要する場合には自らの判断でも行う。

 災害派遣では,人命の救助,被災者の救護活動を最重視し,部隊及び隊員は,遭難者等の捜索,救助,堤防や護岸などの決壊に対する水防,消防,道路や水路の障害物の除去,防疫,給水,人員や物資の緊急輸送など,それぞれに特技を生かして活動している。

 また,海難救助,航空救難については,主要な艦艇基地や航空基地は関係機関と常に密接な連絡を保ちつつ艦艇や航空機が直ちに発進できる態勢で常時待機している。この態勢は,離島やへき地などで発生した救急患者の緊急空輸にも役立っている。

 昭和26年以来50年末までの間,台風,集中豪雨,豪雪等の災害に対する自衛隊の派遣件数は1万件を超え,作業に従事した隊員は延べ約350万人に達する。最大のものは34年の伊勢湾台風の際の派遣であり,2か月半の期間に延べ74万人を動員した。

 近年の災害派遣の実績は,その活動の範囲と規模が年々さらに広がりつつあることを示している(第20図第8表。詳細は資料5−(1)〜(4))。

 最近の主なもの,特異なものは,伊豆半島沖地震,第10雄洋丸火災,水島重油流出事故の際の行動であった。

ア 伊豆半島沖地震の災害救援

地震は,昭和49年5月9日朝発生し,伊豆半島南部の地域住民に大きな被害をもたらした。

  陸上自衛隊は,静岡県御殿場市に駐とんする部隊を陸路急行させ,寸断された道路を克服しつつ,同日午後4時頃ようやく被災地に到着した。被災現場は,狭隘な地域に岩石を含む大量の土砂が流出したため機械力の投入を妨げられ,主として人力に頼る以外に方法のない状況であった。さらに,雨が降りつづき救出作業をますます困難にしたが,隊員は昼夜兼行の作業でこれに取り組んだ。

  海上自衛隊は,大島近海で訓練中の部隊と伊豆半島沖を航行中の潜水艦を下田及び妻良港に向かわせ,水,救援物資等を提供又は輸送し,航空自衛隊は,偵察機による空中写真の撮影,へリコプターによる人員,物資の輸送を行った。

 以上,この救援活動での作業量は,緊急物資輸送約80トン,給水支援約800トン,土のう作成約4,400袋,土砂の排土約1万5,000m3,防疫した地積約11万m2などであった。

イ 第10雄洋丸沈没処分

  昭和49年11月9日衝突によって火災を起こした第10雄洋丸(4万3,700トン)の処分は,特異な事例であった。この船は,船体が多くのタンクで区分されていて非常に沈みにくい構造であり,その上爆発と油の流出による海洋汚染を防止するため,処分に当たりできるだけ積荷の油を燃焼させる必要があったので困難な作業となった。海上自衛隊は,護衛艦4隻,潜水艦1隻,対潜しょう戒機など14機を投入して,慎重に作業を進め,11月28日銚子沖にこれを沈めた。

ウ 水島重油流出に伴う作業

  昭和49年12月29日から50年1月にわたるこの災害は,多量の重油が短時日のうちに広い範囲に拡散し,被害が広い地域で同時に発生したものである。港湾,埠頭,河口で油が浮遊して海面を覆い,また岩場や岩壁で糊状に付着し,砂浜で砂の下に浸み込むなど,その被害の状況は多種多様であった。これらはすべて部隊にとって未知の分野に属するものであり,適当な器材もなく,その上悪天候も続き年末年始の休暇を返上した隊員にとって,極めてつらい作業となった。

  以上,この活動での作業量は,重油除去面積約22万m2,油回収量ドラム缶換算約1万3,500本,汚染砂回収量約1,500トンであった。災害派遣は,今後その重要性を一層増すであろう。わが国は,集中豪雨,台風,地震,豪雪など自然災害の多い国であり,特に近年は都市化,工業化の進展により災害のもたらす危険はますます大きくなっている。

  隊員自身の側からみても,災害派遣での活動は一般国民と苦労を共にし,国民との連帯感を強くしていく場であり,行動を通じて隊員としての誇りと生甲斐を実感させられている。

(2) 大規模な災害にそなえて

 大都会において地震等による大規模な災害が発生した場合には,自衛隊はもちろん全力を挙げて対処する。このため,政府の「大都市震災対策推進要綱」(昭和46年5月,中央防災会議決定)の方針にのっとり災害派遣計画を特に定めている。

 この計画には,状況に応じ,被災状況に関する情報の収集,人命の救助,被災者の救護活動,道路上の障害物の除去,人員及び物資の輸送等を行うため,人員約6万人,航空機約300機,車両約1万両,艦艇約50隻を派遣することなどが盛られている。

 昭和49年8月26日から9月1日までの間,特に大震災対処演習を次のように実施した。

ア 訓練内容

関東南部地区にマグニチュード7.9の大規模な地震が発生した場合を想定し,その際の陸・海・空自衛隊の救援対処の要領,特に災害派遣準備と初期における対処要領

イ 参加部隊

陸上自衛隊…………東北方面隊,東部方面隊,中部方面隊等
海上自衛隊…………自衛艦隊,横須賀地方隊等
航空自衛隊…………航空総隊,輸送航空団等

(3) 民生協力

ア 不発弾,機雷など危険物の処分

陸上自衛隊は,第2次大戦中わが国に投下された爆弾が不発弾として発見された場合その処分に当たり,海上自衛隊は,わが国近海に敷設された機雷の掃海と,その他爆発物が海において発見された場合,その処分に当たっている。掃海については,戦後危険海面とされていた約3万4,000km2のうち93.2%の掃海を完了している。これらの実績は,第9表のとおりである。

不発弾の処分作業は,信管を抜きとる作業が最も危険であり,熟練した隊員がこれに当たるが,万一の爆発に備えて,周辺住民の避難,交通の遮断,土のうによるバリケードの構築等被害防止について慎重な配慮を加えている。

昭和49年11月,東京都東村山市で発見された250kgの不発弾2個の処分に当たっては,周辺住民の協力を得て周辺一帯を一時完全な無人地帯化して作業を進めた。万一の場合,半径300mの範囲に被害が及ぶおそれがあった。

また,昭和49年1月,関門海峡で発見された機雷の処分は,3人の隊員が寒中の海の汚泥の中で取り組んだ作業であった。重量835kgの磁気水庄複合機雷で,船体の磁気と船の航走による水圧で爆発するという極めて危険なものであった。

これらの作業に当たる隊員は,常に危険に身をさらして任務を果しているが,近年これに伴う大きな事故は幸いにして無い。

イ 各種事業の受託

(ア) 土木工事,医療事業等の受託

自衛隊は,訓練目的に適合する場合には,国や地方公共団体などの委託を受けて,道路の構築,学校,公園その他の用地の造成などの土木工事,へき地における医療事業,輸送事業,あるいは電話線の架設などの通信工事その他を行っている。そのうち,主な実績は第10表第11表のとおりである。

昭和49年度に受託した富山県東嘱波郡利賀村の道路改良工事は,急斜面の山腹と岩壁で,命綱に身を託して爆破作業を行うなど,難作業であり,訓練としても貴重な体験であった。作業隊員50余人,期間4か月余,土工量は2万5,000m3であった。

医療事業の受託については,第9師団に例をとると,青森県黒石市沖揚平に対し継続的に実施されているケースがある。この地域は黒石市から西ヘ25km,南八甲田山横岳の裾野にある開拓地で平均積雪が4〜5mにも達し,冬季は陸の孤島となる。第9師団は,昭和42年度から毎年医療事業を続けており,49年度は,57名の隊員が2日間をかけて山腹の急斜面を除雪しながら医療器材,薬品等を運搬し,その後3日間にわたって血圧の測定,内科診療,歯科診療,薬剤投与,健康相談等の医療活動を実施した。

(イ) 教育訓練の受託

自衛隊は,任務遂行に支障を生じない限度において,部隊や学枚で部外者の教育訓練の委託を受けて,航空機の操縦士や救急に従事する人などの技術者の教育を実施している。これらの実績は,第12表のとおりである。

ウ 部外行事などに対する協力

(ア) 運動競技会に対する協力

自衛隊は,関係機関から依頼された場合,任務遂行に支障を生じない限度において,オリンピック競技大会のような国際的,全国的規模又はこれらに準ずる運動競技会の運営について,式典,通信,輸送,奏楽,医療及び救急,会場内外の整理などの面で協力している。これらの実績は,第13表のとおりである。

自衛隊の役割は,あくまでも「裏方」としての地味なものであるが,周到な準備と日頃の訓練の成果を発揮して,主催者側の要請に応えている。

(イ) 南極地域観測に対する協力

国が行う南極地域における科学的調査について,昭和40年度(第7次)以降毎年度,砕氷艦「ふじ」により,調査に従事する人々や必要な器材,食糧その他の物資の輸送を行っている。45年度以降の実績は,第14表のとおりである。

南極地域の気象条件は,最低気温摂氏マイナス10度と苛酷であり,氷海進入後から離脱までの約2か月間は,砕氷のために行うチャージング(船体の前後進のくり返し運動により砕氷すること)回数は1,500回にも及ぶ45,46年度には,一時氷に阻まれて脱出不能の状態となったが,氷状の好転と乗組員の冷静な行動とにより脱出に成功した。

エ その他の活動

以上のほか,内閣の放射能対策本部が行う放射能対策事業の一環として,わが国に放射能の影響が予想される核爆発実験の直後などにおいて,航空機による高空の放射能調査を実施し,その結果を対策本部に通報している。また,気象庁の要請により,航空機(年間延べ約40機)によって北海道沿岸海域の海氷調査を行っているが,この結果は,テレビなどを通じて全北海道に通報され,海氷による各種災害の防止に役立っている。

さらに,建設省国土地理院の地図作成に対する航空写真撮影による協力,厚生省の沖縄,硫黄島における遣骨の収集に対する協力など,各種の協力活動を行っている。